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第十七話 中華戦争とドイツの暴走

第十七話です。

アジアでは中国での戦争が始まりましたが、ヨーロッパに目を向けると、、、!?

中華戦争開戦から一か月。中華民国軍はただひたすらに敗北を重ねていた。

理由は単純で、軍の質と練度、そして士気の違いである。

日本軍を主力とする連合軍は、民間人がいる租借地を一方的に攻撃してきて、多くの犠牲者が出たことで悪の根源たる蒋介石率いる中華民国を撲滅しようと躍起になっていたため、各国のプロパガンダもあり、士気は極めて高いものとなっていた。

また、連合軍は日本軍以外は主に植民地軍からなる部隊で、装備は旧式のものが多かったのだが、日本からの武器供与により、ほとんどの部隊が新式の兵器を使用することができた。ちなみに日本側の考えとしては、共通の兵器を使えた方が、兵站が楽になるという考えがあった。また、中華民国軍はドイツ製の兵器をライセンス生産していたのだが、それでもすぐに使い果たし、流石に正規軍はまともな装備(主にドイツ製の兵器)だったのだが、配下の軍閥の軍にはロクな武器がなかったため、前時代的な兵器が使われているといった状態だった。


ちなみに裏では連合軍による戦後統治が考えられており、南部はフランス、中部はイギリス、そして日本は北部を分割統治する考えであった。また、その他連合軍に参加している国家には沿岸部に新たに租借地を与えるということになり、途中で連合軍に参加したチベットや新疆には、独立を保障するといったことが決められた。(日本が北部の統治をすることになっていますが、これは奉天軍閥に治めてもらう計画でした)


こうした中で、中華民国の首都南京は早々に落ち、連合軍は、沿岸部はわずか三か月でほとんどを占領するという、前代未聞の快挙を成し遂げた。


そうした全方位から中華民国は攻撃され、誰も助けがいなかったのかと言えば、そうではなかった。

まず同じように世界から孤立していたドイツとイタリアからは、武器供与とライセンス生産を。そして自由の国アメリカからは、ドイツとイタリアの武器供与量をはるかに超える供与が行われた。ついでにフライング・タイガースという、航空部隊の義勇軍も送られた。

しかし、送る方法が沿岸部の港湾からしかなかったことで、せっかくの物資を送ることが出来なかった。

そこで救いの手を差し出した国が北にいた。

そう、ソ連である。ソ連は代金と引き換えに、モンゴルを通って中華民国に物資を送ることになったのである。

ただし、当然のようにソ連は一部の武器や兵器を回収。(強奪)

そして、さらにはゲリラとして中華民国と戦っていた中国共産党に中華民国に送るはずの供与品を一部渡すという恐ろしいことをやってのけることとなる。ちなみにソ連としては中国共産党に中国統一をしてもらいたかったらしく、これが後々世界情勢をややこしくする要因となる、、、


そんな中、1938年。事態は大きく動き出すこととなる。

ヨーロッパのドイツがオーストリアを併合したのである。アンシュルズから始まるドイツの周辺諸国併合の始まりである。


1938年、ドイツはヒトラーの手腕により経済回復を果たした。しかし、ヒトラーをはじめとする政府は焦っていた。


「このままでは財政破綻しかないぞ!」


そう、外貨準備高の不足と金が全くもってなかったのである。

当時のドイツでは、ヒトラー主導のもと、公共事業による雇用の増大や再軍備に伴う軍事費の拡大。さらには貿易により、資金がなくなり、あと少しで財政破綻という状況の中、ヒトラーは思いつくことになる。


「そうだ! 同じ人種であるアーリア人が住んでいるオーストリアを併合(アンシュルズ)しよう!」


結果、オーストリアはドイツの下工作と圧力をかけたことにより、ドイツに併合されることとなった。ちなみに下工作をしたことにより、併合時にオーストリアに入ったドイツ軍は民衆に熱狂的に歓迎されたとか。

また、ヒトラー率いるドイツ政府はオーストリアから多くの金や外貨準備金を手に入れることが出来、なんとか崩壊を免れた。


それでもやはり財政難だったドイツは、今度はチェコスロバキアに手を出した。

第一世界大戦後、チェコスロバキアはオーストリア=ハンガリー帝国崩壊時に独立したのだが、実はボヘミアの周縁部にはドイツ人が多く住んでおり、1938年時点において、チェコスロバキア内では、この地域をズデーテン地方として自治を求めるズデーテン・ドイツ人党などの政治運動が活発になっていたのである。(ドイツが仕組んだ)

これによってドイツはチェコスロバキアを手に入れようとするが、イギリスやフランスが待ったを掛け、イタリアを含めた四カ国で会議が行われた。後にミュンヘン会談と呼ばれる会議である。

この会議によってドイツへズデーテン地方を割譲し、会議に参加した四カ国によってチェコスロバキアの保護が約束された。イギリスやフランスは再びヨーロッパで戦争が起きるのを危惧していたのである。ちなみに、この会議にチェコスロバキアの代表も参加予定だったのだが、会議が終わるまでずっと別室で待たされるという悲しい事件も起きていた。


ということで、ドイツはズデーテン地方を手に入れたのだが、その後、チェコ地方を無断で占領。銀行からまた金や外貨準備を強奪し、残ったスロバキアには傀儡政権を立ち上げるという問題行動を起こし、ヨーロッパ中に緊張が走った。ちなみに日本政府はミュンヘン会談に驚き、特に昭和天皇は、


「やはり起きてしまったのか、、」


と、意味深な言葉を吐いて、嘆いていたと言われている。


こうして世界が不安定化する中、ドイツとソ連は東欧の分割のため、モロトフ・リッベントロップ協定(不可侵条約と東欧の分割に関する協定)を調印。


そして、1939年9月1日。

誰もが忘れることが出来ない戦争が始まった。


ドイツとソ連によるポーランドとウクライナへの侵攻から始まる第二次世界大戦の始まりである、、、

ついに、ついに、ついに始まってしまった、、、

次回、ドイツとソ連の暴走から始まる世界大戦の始まり。


こんな状況ですみませんが第五話の内容を一部改編(わかりやすく)しておきました。ご確認ください!


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― 新着の感想 ―
[一言] モンゴルなんか通れねえよ 鉄道か高速道路あんの?
2023/03/26 22:30 ピカル源氏
[一言] 明治帝が崩御して以降の日本は、やはり後手後手になってますね。うまく立ち回ってるとは思えない。
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