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第十五話 ヨーロッパの加熱と第二次エチオピア戦争で暗躍する日本、、、

投稿めちゃくちゃ遅れて申し訳ない、、、あと、ひさびさに管理者ページ見たら、総合評価が5000超えていました!

皆さんありがとうございます〜!

ということで、第十五話です。

なにやら戦争の匂いがしてきました、、、

第一次世界大戦後、ドイツは連合国に降伏。その後、ワイマール共和国が誕生した。誕生当時、巨大な賠償金の支払いに苦労するが、日本とアメリカの二大大国が経済支援や戦後復興を争うように行われたため、その資本力によってドイツは復興した、、、


しかし、アメリカ発の世界恐慌により、日本とアメリカの資本は撤退。(日本は一部が残っていたが)これにより、ドイツ経済は崩壊に進んだ。そこに救世主として現れたのが、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(後のナチ党)である。

ナチ党は、国民の社会不安を背景に勢力を拡大し、1932年には国会選挙にて第1党にまで躍進した。

その翌年の1933年、ドイツ国会議事堂放火事件が発生。国会で火災が発生する事件が起きる。当時総理大臣であったヒトラーは、犯人はオランダ共産党員であり、当時ライバルであった共産党であったこともあり、共産主義者による反乱計画の一端として全権委任法を成立させ、立法権を握りさらに1934年には大統領であった第一次世界大戦の英雄であるパウル・フォン・ヒンデンブルクが死去。これによりヒトラーは首相と大統領を兼任するいわゆる総統に就任。国家の全権を握る独裁者として、国家運営を行なっていくこととなる、、、


また、イタリア王国では、戦争に勝ったのに手に入れた領土の少なさが問題となり、多額の戦債や労働者によるストライキも多発したことにより、政治的混乱に発展する。

そうした社会不安を背景に、ムッソリーニ率いるファシスト党が台頭した。そうした中で、ムッソリーニは1922年にクーデターを行った。現代ではローマ進軍と呼ばれている。これによりムッソリーニは首相に就任し、一党独裁体制を確立して、フィウメやアルバニアを支配下に置いていった、、、


そうした国際情勢が不安定な中、1930年、イギリスのロンドンにて、新たな海軍軍縮についての会議が行われた。

俗に言うロンドン海軍軍縮条約である。

今まででは、巡洋艦以下の艦艇に保有数を制限していなかったが、流石に小型艦の大量配備は不味いと会議になったのである。ちなみに艦艇数ではなく、合計排水量によって決められるようにされていた。

ちなみにまたもやアメリカの艦艇保有数や合計排水量が少なくなっていたので、またアメリカが駄々をこねたが、各国共に聞く耳を持たなかった。これにより、アメリカは再び日本とイギリスの関係が悪化する結果となった、、、


こうした情勢の中、ウクライナでは恐ろしい事件が起こる。

クリミア半島が電撃的に住民の反乱軍と国籍不明の軍に占領されたのだ。俗に言うクリミア危機である。

当時のウクライナには独立してあまり時間が経っていなかったこともあり、反乱軍にも負けると言う醜態を晒すことなった。その後、反乱軍と国籍不明の軍、そして市民はソ連に編入されるのを望み、ソ連はこれを承諾。ウクライナとソ連に大きな溝を作り出す理由となった。

ちなみに国籍不明の部隊は十中八九ソ連だということは、紛れもない事実となっている。


これに対し、国連は強く出ることができず、国連の影響力の無さに多くの国が落胆することとなる、、、


そして、これに飛び火するように1935年、ムッソリーニ率いるイタリアはエチオピアに宣戦布告。第二次エチオピア戦争が始まった。

ちなみにムッソリーニは余剰人口の吸収や資源確保のための植民地の獲得および国威発揚を目的とした膨張政策を進めたと一般には言われている。

とはいえ、実は第一次エチオピア戦争では、フランス製兵器の活躍もあり、見事にイタリア軍が惨敗していた過去があるのだが、今回はエチオピアの方が圧倒的に劣勢であった。


はずだった。


ハイレ・セラシエは国際連盟にこの戦争に介入を要請したが、アフリカの領土問題に関心のない英仏を苛立たせただけに終わったのだが、秘密裏に一国だけ介入していたのである。


そう、大日本帝国連邦である。

なぜかというと、1930年代の当時、エチオピアはムッソリーニ率いるイタリアからの侵攻の脅威にさらされており、他国に助けを求める必要があった。そんな時に注目されたのが、日露戦争で大国ロシアを破り、列強国の仲間入りを果たしたアジアの帝国大日本帝国連邦である。エチオピアも日本も同じ皇帝統治の国であり、学ぶ事も多くあるだろうと考え、エチオピアから訪日使節団を組まれた。

そんな訪日使節団の一員として、来日したのが、エチオピア皇帝従弟の子であるアラヤ・アベバ王子である。彼は日本を大変気に入り、周辺の者に日本人を妻にもらいたいと日本側に告げると、日本側も動き、華族出身の黒田雅子さんが婚約者としてエチオピアに向かうこととなった。ちなみに、この話は、世紀の婚約と日本では騒がれた結果、お付きで構わないからエチオピアに行きたいというエチオピア移住希望者が多くいたため、多くの移民がエチオピアに渡ることとなった。また、日本側からはアフリカにおけるビジネス進出の足掛かりとしたい思惑もあったため、多くの企業もエチオピアに進出した。

その結果、現在エチオピアに日系人と日系企業が多くあるのは、これが理由である。


話が脱線したので話を戻すと、序盤は、時代にあった兵器を有するイタリア軍が、旧式の武器(19世紀の旧式ライフルや槍、剣など)が大多数のエチオピア軍に対して多くの戦いで勝利し、快進撃を見せたが、北部の都市アクスムに置いて、イタリア軍は大敗。エチオピアの日本人移民や日系企業を守るために派遣されていた日本軍一個師団が置かれていたのである。これにより、舐めきっていたイタリア軍は不意を突かれて惨敗することとなった。

また、この駐屯師団の他に、日本からエチオピアに多くの武器や物資、さらには駐在武官や義勇兵(一部の移民も)も送られていたことから、ここからイタリアが大きく押されていくことになる、、、


そうした国際情勢の中、1937年にアジアで事件が起きた。


上海の日本租借地にて、中華民国軍が奇襲、侵攻したのである。

上海事変から始まる日中戦争の始まりである、、、

ヨーロッパで戦果が巻き起こってきました、、、ヤバそうな予感、、、

次回、日中戦争。


ちなみに作者は学生のため、絶賛試験期間中です。

そのため、投稿が大幅にずれているのでご迷惑おかけしますが、何卒よろしくお願いします。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ヨーロッパで戦果が巻き起こってきました、、、ヤバそうな予感、、、 戦果→戦禍
[良い点] エチオピア王家が存続している点。 ソロモン王の末裔で世界最古の王朝とかいうロマン。 日本の影響力が史実より強化されたから、イタリアの介入で縁談が無くなることもなかったのかな。 エチオピア…
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