第十四話 中共内戦と昭和帝の関東軍殲滅!
第十四話です。
今回は、ちょっと短いかなぁ、、
義和団事件後、清では立憲国家に移行する方針を固め、1908年には憲法大綱を発布した。同時に国民は、国会の即時開設を求める運動が起きた一方で、清の打倒を目指す革命運動も始まった。
特に、革命運動の結社である興中会を組織していた孫文は、中国を離れ、東京で1905年に中国同盟会を創設し、三民運動(民族主義、民権主義、民生主義)を掲げた。
その後の1911年、軍隊が武昌で蜂起し湖北省に革命政権が作られた。この余波が各州に伝わったことにより1912年には、孫文を臨時大統領とする中華民国が成立。また孫文は、政治と軍事を握っていた袁世凱と妥協しなければならなかった。これに対して清は鎮圧する力もなく皇帝であった溥儀は、退位させられることとなる。その後の中華民国では孫文は辞表を提出して、二代目大統領として袁世凱がなったり、選挙によって国民党が多数派を形成するが、当時政治と実権を握っていた袁世凱は国民党を解散させる。そうして自分が皇帝になろうとするのだが、国内外の反対により、中断せざるを得なくなり、その後すぐに病気によって死去した。
そして袁世凱の死後、中華では軍閥割拠となり、まさしく日本の戦国時代のようになる。
その後、孫文は毛沢東率いる中国共産党と手を組み、国共合作が行われ、軍閥および北京政府に対抗する共同戦線を敷いた。しかし、1925年に孫文が死去し、1926年に中山艦事件で蔣介石が共産党員を拘束するなどの問題が幾つも発生。その後蒋介石は国民革命軍総司令官になって実権を握り、同年北伐を開始。1927年に南京には国民政府が成立した。また、1927年4月の上海クーデターにより、国共合作は事実上崩壊。同年の7月、中国共産党は対時局宣言を行い、国共合作の終了を宣言した。これにより、国共内戦に突入することなる、、、
そんな中、事件は起こる。
張作霖爆殺事件である。
日露戦争後、日本は満州にあるロシアの利権(主に鉄道)を手に入れた。
その後、満州の軍閥である奉天軍閥と手を組み、満州に勢力を拡大していった。そんな時、暴走したのが満州の鉄道路線の警備に当たっていた関東軍である。もとより関東軍を創設時、大正天皇は、
「彼らは何かやらかしそうだなぁ」
と、側近に言い伝えられており、それは当たることとなる。
1928年、張作霖爆殺事件である。これにより奉天軍閥との関係は悪化したが昭和天皇自ら息子の張学良と会談し、なんとか関係を立て直すことに成功した。しかし、1931年。今度は柳条湖付近の南満洲鉄道線路上で爆発が起きた。柳条湖事件である。関東軍は犯人は、張学良率いる奉天軍閥と決めつけ奉天軍閥と戦闘になった。(関東軍の自作自演)
関東軍としては、本国が助けてくれるだろうと思っていたのだろうが、現実は違った。
「ダメだ、アイツらは消さねばなるまい!」
昭和天皇がキレたのである。
これにより、関東軍は敵中で孤立。更には奉天軍閥軍に朝鮮州からの日本軍遠征部隊が加わり、関東軍は賊軍として殲滅された。これにより、関東軍は部隊欄から消し去られ、生き残った関東軍残党は満州の地でゲリラとして細々と戦っていくこととなるが、それはまた後の話、、、
ちなみに日本は奉天軍閥に対し、謝罪として満州の日本利権を返還したのだが、これに国民は激怒した。
しかし、
「悪いのは全て関東軍である!」
と、昭和天皇がひと蹴りしたことにより、この議論はひとまず収まることとなった。
現在では、もしも関東軍側に日本が付けば、満州には満州国ができ、日本は世界から孤立していただろうと言われているが、それはただの架空論に過ぎない。
こうして中華圏は複雑怪奇な状態になっていたが、ヨーロッパではおそろしいことになっていた。
全てのユダヤ人が嫌悪する人物がドイツで政権を握ったのである。
世界大戦の足音が、再びヨーロッパを駆け巡った、、、
ちなみに列強の租借地は無事です。
よかったよかった、、
次回、新展開!ヨーロッパの嵐、、、
皆さんなら「全てのユダヤ人が嫌悪する人物」が、誰だ分かりますよね、
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