第十一話 海軍軍縮と明治帝の置き土産
第十一話です。
海軍軍縮の時期ですかね?
明治天皇が晩年に打ち出した海軍政策。それは、現代でいう八八艦隊計画である。
1907年に、帝国国防方針における国防所要兵力の初年度決定において、戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻として計画されていたが、その後、明治天皇直々に計画を変更。戦艦8隻に航空母艦8隻に変更された。当時航空機はアメリカのライト兄弟が1903年に、動力を備えた航空機ライトフライヤー号による世界初の本格的な有人飛行を行った。これに飛びついたのが明治帝であり、
「これを船に大量に積んで、敵艦を沈めれば良いのではないか!」
と、当時は頭がおかしくなったと言われていたが、現代では明治帝は時代を見定めていたのではないかと言われている。この後、明治帝は所沢飛行場(現在の埼玉県所沢市)を1910年に開場。 所沢での初フライトは徳川好敏大尉の操縦する「アンリ・ファルマン機」が明治帝や多くの市民に見守られながら、日本人で初めて航空機を飛ばした。これには明治帝も笑顔だったとされている。
とはいえ、明治帝が航空母艦なるものを装甲巡洋艦の代わりとして建造しようとしたため、海軍は猛反発。これにより、後に巡洋戦艦に計画が変更されるが、航空母艦自体のモデルは作られ、明治天皇の晩年、秘密裏に台湾に作られた基隆船渠にて、航空母艦建造に着手。基隆船渠は明治天皇が建設を指示し、航空母艦完成後は、基隆船渠株式会社として、民間に売却された。ちなみに買い手および造船所建設の資金援助者は、当時台湾で鉱業を経営していた木村久太郎である。建造された艦は排水量30000トンの巨大艦である。もちろんこのような巨大艦の建造は時間がかかり、長門型戦艦二隻完成と同時に、世界にお披露目された。名前は鳳翔である。
この艦については、世界も日本国内も呆れ顔であり、一体何を作ったのかわかっていなかった。当時艦載機は、イギリス製の複葉機しかなかったためである。後に、航空機の発展によって、航空母艦の存在は大きなものとなるのだが、それはまた後の話、、、(ちなみに完成した鳳翔は、長い間現役を保つこととなる)
一方で日本以外にも世界で注目を集めたのが、八八艦隊計画の初期艦である長門型戦艦であった。
排水量は30000トンを超え、世界で初めて40センチ砲を搭載した艦は、一躍世界から注目を集める。
これに対し、同盟国のイギリスは、同盟国の海軍増強に喜んだが、敵対していたアメリカは恐怖し、海軍軍縮を世界に呼びかけ、1921年にアメリカのワシントンで5大海軍列強国は建艦競争を抑制するために軍縮会議が開かれることとなる、、、
こうして開催された軍縮会議だが、議会は序盤から荒れに荒れることとなる。
八八艦隊計画で建造されていた、加賀型戦艦と天城型巡洋戦艦の廃棄についてである。
加賀と同型艦の土佐は既に進水して艤装が始まっており、天城型の天城と赤城はすでに建造の9割が終わっているという状態であった。ここでアメリカが、この艦船の廃艦を会議で言い放ったため、日本側と口論に発展するほどとなった。とはいえ、条約の内容に条約会議開催までに完成していない艦は廃艦とすることと決まっていたため、日本側が完成していると駄々をこねたためだった。日本とアメリカが口論になる中、仲裁したのがイギリスである。
イギリスとしては新たに建造中の16インチ(40センチ)搭載艦が欲しかったのである。そのため、仲裁では日本の味方をして、加賀型の建造を認める代わりにイギリスとアメリカで新たに戦艦を四隻ずつ建造することとなった。これに対し、日本とアメリカは納得し、会議は進んでいくと思われた。
今度はアメリカが駄々を捏ね始めたのである。
理由は日本とイギリスの保有艦艇比率が低いからであった。日本とイギリスは海外に自国の領土があり、広大な面積の海洋を護衛しなければならなかったが、アメリカは自国領沿岸とカリブ海の警備だけである。そのためアメリカは日本とイギリスの3割(日本とイギリスは5割)に納得がいかず、同じ5割を主張した。これに対して日本とイギリスは断ったが、それでも駄々を捏ねるので、アメリカのカリブ海領土の海軍基地、または要塞の建設の禁止とすることで決着することとなった。
結果的に主力艦は
(日英)50万トン
(米)30万トン
(仏伊)17万5000トン
(3万5000トン主砲16インチ以下)
変更後、
(日英)50万トン→52万5000トン
(米)30万トン→31万5000トン
(仏伊)変更なし
空母
(日英)13万5000トン
(米)8万1000トン
(仏伊)6万トン2万7000トン
(3艦に限り3万3000トン8インチ以下。これは日本の天城型とアメリカのレキシントン級のために用意された。6インチ以上を装備する場合、5インチ以上の砲を合計10門以下。先の2艦に限り5インチ以上の砲を合計8門以下)
巡洋艦制限無し1万トン以下5インチ以上8インチ以下
となった。
こうして条約はワシントン海軍軍縮条約として1922年に締結(署名)された。
これに日本とイギリスは、条約は成功だと喜んだが、一方でアメリカは不平等条約だとして、国内世論が反日、反英となっていった、、、
そんな中、事件は起こる。
関東平野を関東大震災が襲ったのである、、、
この時代に鳳翔が完成しましたね!(なんか“やや“大きいのは気のせいでしょう)
ちなみに、今日お昼投稿しようと企んでいた第十一話は、何者かの手によって消えてしまっていたのは秘密です、、、(こちらの不手際)
次回、明治帝の予言。
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