第十話 大戦の終戦
第十話です。
ようやく終戦です。
1918年、ドイツはロシアとの講和によって、東部戦線が終結したため、直ちに西部戦線の攻略に乗り出した。
理由は、ウィルソンがアメリカ合衆国議会で平和を愛する民主主義者に、軍事侵略的な独裁主義者に対する十字軍に参加するよう呼びかけ、1917年4月に、アメリカがドイツに宣戦布告したためである。
1918年の春、ドイツが春季攻勢を始めた。ドイツは突撃歩兵が浸透戦術を行い、イギリスとの前線を破ろうとした。しかし、一部では前進に成功するが、日本軍の遠征軍が防衛戦で頑なに戦闘し、前進が出来なかった。そのため、ドイツ軍はその後も数日間、攻撃を続けるが、重点や方向を度々変更した。ルーデンドルフが一点集中で攻撃するという戦略を放棄して三点攻撃を選んだことが仇となり、いずれも突破に至るほどの強さにはならなかったのである。
その後、イギリス軍と日本軍を主力とする連合軍は、反撃に出ることによって、突破された戦線をいとも簡単に元に戻したため、ドイツの戦略は崩壊した。
そして、連合軍は百日攻勢に出る。この攻勢には、ようやく到着したアメリカ軍も加わり、物量にモノを言わせた戦いによって、戦線は崩壊。この攻勢において、フランス軍とアメリカ軍、日本軍は小型軽量のルノー FT-17 軽戦車を、イギリス軍も菱形戦車マークIからマークⅣ、ホイペット中戦車を大量に投入した。また、ドイツ軍は防御のため、A7Vを投入しており、世界で初めての戦車戦も発生している。(マークⅠ、マークⅣが戦闘した際は徹甲弾が無かったため敗北したが、ルノーが戦闘した際は、勝率が五分五分だった)
結果的にこの百日攻勢は連合軍の勝利で終わり、ドイツは継戦能力を喪失。更にはキールの水兵反乱やユダヤ人、共産主義者による背後の一突きなどのドイツ革命により、ドイツは休戦。その後も中央同盟の各国は続々と休戦をして、第一世界大戦は、終戦へと辿ることとなる。(オーストリア=ハンガリー帝国は民族自決により、分裂、独立状態となっていた)
その後、正式に講和が行われ、ヴェルサイユ条約が結ばれることとなった。この条約でドイツは、すべての植民地と一部の領土を失い、厳しい軍備制限と賠償金を課せられることとなった。(ただし、ポーランド回廊は日本の意見でドイツのままとなった)
また、ブレスト=リトフスク条約によって東欧の多くの国家が独立したため、多くの国家が誕生することとなった。ちなみにウクライナはソビエト・ウクライナ戦争によって、ソ連に併合されそうになったが、日本軍を中心とした、連合軍が西部戦線から義勇兵として、ウクライナ側についたため、ウクライナは独立を維持することができた。現在ウクライナが親日なのは、この一件とロシアに勝ったためである。また、これによりソ連では後に大規模な飢餓が発生することとなる、、、
ちなみに日本は山東省のドイツ利権とドイツの旧植民地の南洋諸島、そしてちゃっかりクウェートを手に入れた。(政府は中国に21ヵ条の要求とかいう一方的な条約を中華民国に押し付けるが、大正天皇が待ったをかけたことにより、取り消され、山東省の利権獲得だけとなった)
また、ウィルソンが国際連盟を提唱しとことにより、これが発足し、スイスのジュネーブに本部が置かれることとなる。ちなみにアメリカは国内世論上、参加できず、フランス、イギリス、イタリア、日本が常任理事国となった。
これにより世界初の世界大戦は連合国の勝利で幕を閉じた、、、
そして、戦争は終わったが、新たな火種が誕生する。
アメリカと日本はヨーロッパ諸国の債権国として君臨したが、アメリカはこの債権をちらつかせ、なんと日英同盟を解散させようとする。これにより日本とアメリカの対立化が確実となり、後の太平洋戦争の一因となる。ちなみにイギリスとの同盟は、日本が債権放棄を条件に同盟維持に成功した。
また、アメリカと日本は荒廃したヨーロッパへの投資を競うように行っていったのは、また別の話、、、
そして、大戦終結後、日本や世界では次の大戦に備え、艦艇の整備や建造が着々と行われていた。
そんな中誕生したのが、明治帝が亡くなる直前に建造が始まった、明治帝の置き土産である、戦艦長門と陸奥であった。
これに対し、同盟国のイギリスは、同盟国の海軍増強に喜んだが、敵対していたアメリカは恐怖し、海軍軍縮を世界に呼びかけ、1921年にアメリカのワシントンで5大海軍列強国は建艦競争を抑制するために軍縮会議が開かれることとなる、、、
ようやく大戦が終わりました〜(第一世界大戦、、、)
次回、軍縮と明治帝の予言、ついでに影で内戦起きていた国ども。
あと、何気にジャンル別の日間ランキング1位な件について、、、(週間ランキングは2位でした。皆さまありがとう〜)
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