きらめく聖夜、君の熱に溶ける雪
クリスマス当日。きらきらした街は聖夜を共に過ごそうと恋人たちで騒がしい。
今ごろ、私も賑わいの一部となっていたはずだった。
腕を絡めて歩く人たちの中で光り輝く大きなツリー。その下で大きな幹を支えているレンガ調の植木鉢を模した枠組みは、この時期に待ち合わせの定番となる場所だ。
待ち人が現れると笑い合って歩き出し、また新しく待ち合わせのために人が来る。そのループの中、私だけがぽつりと立ち尽くして、いつ来るかもわからない人を待ち続けていた。
「さむい……」
パステルブルーに一目惚れしたダッフルコート、少し首元を開けてかわいいインナーをチラ見せしよう、なんて考えていた夕方が懐かしい。
今や首元まできっちりとボタンを締めてから、ファーが付いたフードで頭を風から守っている。それに加え、鼻の辺りまでグルグルと巻いたマフラーに限界まで顔を埋めて、くぐもった声で小さくつぶやいた。
雪が降っていないから、体の暖かさは十分なのに寒さを感じる。主に心が。
手袋を忘れたことを恨めしく思いながら、赤くなった指先でメッセージアプリを開く。けれど、数時間前の時刻から今までの既読がつかないメッセージが並んでいるだけだった。
「もう、待っている意味はないのでしょうか?」
幾重にもマフラーで覆われているから周囲に聞こえないのをいいことに、ぽつりとこぼす。
1週間前、先輩からクリスマスデートに誘われ、二つ返事で約束をした。
告白もしていないし、されていないのに急にデート、と少しも疑問を抱かなかったことを今になって不思議に思う。きっと、憧れている人からの誘い、家族以外と過ごすクリスマスというシチュエーション、浮かれるには充分な要素が揃っていたせいだ。
手に持っているクリスマスカラーの紙袋は、ふわふわした気持ちで選んだプレゼント。先輩の好みもなにも知らないから、ふいに頭に浮かんだ幼なじみの好きそうなものを買ったんだった。
そういえば、図書館で顔をあわせるたびに会話は何度もしたけれど、先輩のこと、なにもわからない。会話も当たり障りのないことばかりだった。踏み込んで、趣味や好きなものを聞いても話をそらされていた気がする。
思い返せば、いつも先輩の周りには何人も女の子がいた。みんな可愛い子ばかりで、そんな中にいるのに、なぜ私を急に誘ったのだろう。
遊ばれている、のだろうかと最悪の結末を想像して、この場所に立っていることすら辛くなる。震える手で、急用ができたので帰ります、とだけメッセージを送った。
「帰ろう……」
相変わらず既読の付かない画面にため息をついて、歩き出そうとした。けれど、半歩すら足を踏み出せずに立ち止まる。人混みの中の、ずっと待ち続けた人と目があったから。
「せん、ぱい?」
明るいショートの髪に赤いコート、私と正反対の色をまとった女の子と腕を組み、イルミネーションの中を行く姿に小さく声がこぼれる。
たしかに視線が交差したのに、こちらを気にもとめず楽しそうに会話を続けながら、先輩は立ち尽くす私の横を通り抜けていった。
足が凍りついてしまったみたいに動かなくなっても、あふれ出した涙は止まってくれなくて、目元までマフラーを引き上げてうつむく。
「やっとみつけた」
濡れて冷えるマフラーで涙を隠し続け、どのくらい経ったのだろう。聞き慣れた声に少しだけ顔を上げる。
賑わっていたはずの周囲は、いつの間にか静かになっていて、ツリーの輝きが少し息を乱した幼なじみだけを照らしていた。
「湊くん、どうして……?」
「暇つぶしに誘ってみたけど、そのあとに告白してくれた子の方が可愛いから、そっちとクリスマス過ごすことにした。って先輩が笑ってるの聞いてさ」
「そう、ですか」
「探し回ったけど、迎えに来てよかった。今頃、1人で泣いてんだろうなって思ったから。遅くなってゴメンな」
ゆっくり歩いて湊くんが近くに来る。背が高くて、小さい私は彼の胸元しか見えなくなる。表情がわからないけれど、その声色はとても優しくて、そっと頭を撫でられる感覚に涙が速度を上げた。
「私、バカなんです。誘われたからって浮かれて。簡単に遊ばれてることに気がつけるはずなのに……なのに、何時間も待ってて、ほんとうにバカで……」
声を出さずに泣いていたのに、ダムが決壊したみたいに言葉が流れ出る。とどまるところを知らない涙も頬を濡らし続けていて、きっとひどい顔を見られている、と思った。
「寒いから、帰りましょう。迎えに来てくれて、ありが、」
「泣いてていいから、無理すんな」
涙を拭って強引に笑顔を作る。そして寒空の下、わざわざ迎えに来てくれたお礼をしなきゃと口を開いた時、暖かいものに力強く包まれて言葉が途切れた。耳元で聞こえる湊くんの声に、こぼれかけた涙が止まる。
「先輩のせいで、お前が泣くのムカつくけど、辛そうに笑われる方が嫌だ」
「みなと、くん?」
「もっと、早くに伝えればよかった。そうしたら、泣かせなくてすんだのに」
伝えるってなにを、とか、この状況はどうして、とか聞きたいことはたくさんあるのに、声もぬくもりも全部が心地よくて、何も聞けない。
抱きしめ返すべきかと片隅によぎったけれど、背中にまわって力を込める湊くんの手と正反対に、私の手はペンギンの翼みたいに斜め下に伸びて固まったままだ。
「そのまま聞いててくれ」
「は、い」
カチコチと固まった私に気づいたのか、湊くんが笑った。でも、それをすぐに隠して、少し低くなった真剣な声が鼓膜を揺らす。
「鈴音が好きだ。小さいときからずっと」
「え……?」
「幼なじみだし、そういう対象にはならないかも、って諦めようとした。だけど、できなくてさ」
湊くんが私を好き……?
思考がついていかない。なのに、頬が焼けたみたいに熱くなった。
「先輩が鈴音のこと笑ってるの聞いて、すっげぇムカついた」
「もしかして、その頬……」
湊くんの声に顔を上げたとき、彼の頬に痛々しく貼られたガーゼと絆創膏が目に入った。そういえば、一瞬だけ見た先輩の頬も同じようになっていた気がする。
あぁ、そうか、私のために。
「1発入れたけど、1発もらった……かっこ悪いよな」
「そんなこと、ないですよ。ありがとう……」
「今度、なんかあったときは無傷でいる」
「なんにもないことを願います」
こんなにも私のことを想ってくれる湊くんが、どうしようもなく愛しくなって、いつか幼なじみだからと諦めようとした気持ちを思い出す。
固まっていた腕が動くのに気がついて、ゆっくりと彼の背中に回して少し力を込めた。
「こんなに想ってくれる人がそばに居たのに、私は本当にバカですね」
「鈴音?」
「ちょっと憧れた人に誘われたからって、舞い上がっていたみたいです。とても、大事なことを忘れていました」
抱きしめ返したことに動揺した湊くんが私を呼んだ。
体を離して顔を見て、とも想ったけれど、ぬくもりを感じたままにしたくて、黒いコートの胸元に頬をくっつけて伝えることにした。本当はずっと伝えたかったことを。
「私も湊くんが好き、です」
「……それ、ほんとだよな?」
「本当です。他の人に誘われてついていこうとしたから、信じられないかもしれないですが……っ!」
小さく問いかけられ、疑われて当然なのに少し悲しくなりながら答える。言い終わったときにギュウっと腕に力を込められて息が詰まった。
「く、苦しいですっ」
「悪い! 嬉しすぎて、つい」
背中をポンポン叩いて力を緩めてもらう。そして、真剣になったり、慌てたり、コロコロ変わる声に耐えきれず笑ってしまうと、湊くんの体から力が抜けた。
「やっと笑ったな、よかった」
体を離されて、真正面から見つめられる。さっきの頬の熱がまだ消えないのに、視線が絡んだことでさらに熱くなった。マフラーというバリアがあるから、赤くなっていてもわからないけど。
「ところで、持ってるプレゼント、俺にくれない?」
「でも、これは……」
一応、先輩にと選んだものだから、それを渡していいものかと口ごもる。少し悩んでいると、しびれを切らした湊くんに紙袋を奪われた。
「返してください!」
「やだ。どうせ、俺の好み思い出して選んだんだろ? だから、俺がもらっても問題なし」
「たぶん正解なんですけど、それを湊くんにプレゼントするのはちょっと複雑で……」
「これやるから、おとなしくしてろ」
身長差を利用して取り返せなくした湊くんは、限界まで伸ばした私の手にふわっとした柔らかいものを握らせた。とても気持ちのいい好きな感触に手を開けなくなる。ゆっくり下ろした手を見ると、持たされたのは薄めの茶色が愛らしいクマのぬいぐるみだった。
「か、かわいい!」
「こういうの好きだもんな。さて、こっちは……お! このイヤカフいいな!」
「あ、ちょっと!」
片手で私の相手をしながら、どうやってラッピングされた箱を開けたのか。銀色のシンプルなイヤカフに湊くんが嬉しそうな声をあげた。
「いいものもらった、サンキュ」
「私、本当に湊くんの好みを考えて選んでたんですね」
「無意識で考えるくらい、俺のこと好きって思っていい?」
「もう反論できないです」
自然とイヤカフを選んでいたこと、図星を突かれたこと、なんだかとてつもなく恥ずかしくなって、頬だけじゃなくて顔中が熱くなった。もうマフラーでは隠しきれないかもしれない。
「雪も降ってきたし、帰るか」
空を見上げた湊くんにつられて、雪の舞う空を見上げる。待ちぼうけしていたときよりも寒くなっているはずなのに、体も心もポカポカ暖かいのは、想いが通じた人が隣りにいるからかな。なんて思いながら雪を眺めていると急に口元が冷気にさらされた。
「湊くん、マフラー取っちゃ、」
視界が湊くんでいっぱいになって、マフラーがなくなっているのに、唇が暖かくなる。
うるさいくらい脈打ち始めた心臓に知らないふりをして、頬に触れる指の熱と、溶ける雪の冷たさに目を閉じた。