第六十八話 八月二十六日 【鈴】 最終日のわたしへ
「ねえお父さん、お姉ちゃんが花井になるのはいつになるかな?」
わたしはお父さんの腕をぎゅっとしてあげた。
嬉しくてずっとこうしていたい。
「考えさせてって言ってたでしょ?ここには来てくれるみたいだし、こっちから急かしちゃダメだよ」
「でも・・・決めてるって感じに見えたよ」
「あはは・・・色々手続きもあるんだよ。例えば、今住んでる所をどうするかとかね」
「そっか・・・」
お姉ちゃんは一人暮らしだったから大変かも・・・。
「荷物が多かったら手伝ってあげようよ」
「そうだね。こっちに来るなら、お父さんと時間が合う時は大学の送り迎えもしないと」
そうなる日が待ち遠しい。
またお別れって思っちゃったけど、そうならなくてよかった。
あとは・・・キクちゃんもいればな・・・。
あ・・・ダメだ。
寂しい顔してたらお父さんに心配かけちゃう・・・。
もっと前向きに。
信じるって決めたから。
◆
「気が早いけど、お姉ちゃんが結婚とかしたらお父さんが手を引いてあげないとな・・・」
お父さんはお仕事の荷物を置いて、コーヒーを作り出した。
まだ出なくていいのかな?
わたしは嬉しいけど・・・。
「それと・・・お姉ちゃんの本当の家族にもご挨拶に行かないとね」
わたしの前にミルク多めの冷たいカフェオレが置かれた。
本当の家族・・・。
「うん・・・行きたい」
「話すことはできないけど、心配しなくていいですよって伝えてあげよう」
きっと喜んでくれるよね。
・・・なんか暗くなっちゃったな。
明るい話をしないと・・・。
「ねえ、お姉ちゃんが言ってたんだけど」
「なに?」
「お父さんとお風呂入ったり、一緒に寝たりしたいって」
こういう幸せなことがいいよね。
「・・・ダメでしょ」
「え・・・家族なのに?」
「・・・」
お父さんの顔が赤くなった。
ダメ・・・なのかな?
えーと・・・他には・・・。
「・・・そうだ、お姉ちゃんは新しいパソコンが欲しいって言ってたよ。誕生日にどう?」
「パソコンか・・・好みがあるから聞いてみないとな・・・」
「わたしが聞いてみるよ。あとでお父さんに教えてあげる」
「ありがとう。・・・じゃあ、リンの欲しいものは?」
あれ・・・わたしの話に変えられた。
えっと・・・。
「わたしは・・・うーん・・・」
欲しいもの、欲しいもの・・・なんだろう?
「・・・リン、いつも言ってるけど遠慮しなくていいんだよ」
頭を撫でられた。
「遠慮なんかしてないよ。えーっと・・・そうだよ、占いの本も買ってもらったし」
「あれは欲しそうにしてるのをお父さんが見つけたからだよ。気付かなかったらそのまま棚に戻していたんじゃないかな?」
「ん・・・うん」
バレていたみたいだ。
「でしょ?」
「まあ・・・」
本屋さんでわたしとケイゴ君の所だけ見て、いい結果で嬉しかったから家に持ち帰りたいなって思っていた。
「欲しい」「買って」がいつも言えない。
その時も諦めようと思っていたけど、お父さんはそんなわたしを見てすぐに買ってくれた。
気付かれないようにはしてたんだけど、けっこうわかっちゃうのかな?
「一人で寂しい思いをさせてるのはわかってるんだ・・・ごめんね。今まで、リンの気持ちに気付けない時がたくさんあったかもしれない」
お父さんがお母さんの写真を見つめた。
「・・・リンは家のことを色々やってくれるけど、お父さんの娘だっていうのを忘れてる時がある。だから、もっとわがままを言ってくれた方がお父さんは嬉しいな」
「お父さん・・・」
「それに、お母さんはけっこうわがままだったよ。そこは似なかったね」
お父さんがお母さんの話をする時の顔・・・とっても幸せそうだ。
わがままか・・・今さらどうしていいかわからない。
でも、これからほしいものがあったらお父さんにちゃんと言えばいいってことだよね。
頑張ってみよう。
◆
「それじゃあ、お父さんが帰ってくるまでに欲しいものを考えておくこと」
一緒に外まで出てきた。
ランチは終わっちゃうだろうけど、ディナーは大丈夫そうだ。
「浮かばなかったら?」
「そうだな・・・そしたら、お姉ちゃんと一緒に考えて用意しよう」
「えー、じゃあ考えない」
そっちの方が楽しみだ。
それにわたしはみんなでご飯が食べられればそれでいい気もする。
「ケイゴ君にも貰えるだろうね」
「うん」
「みんなにもね」
「えへへ・・・」
わたしはお父さんとお姉ちゃんがいて、ケイゴ君がいて・・・みんながいれば・・・。
みんな・・・キクちゃん・・・。
ああ、また寂しい気持ちになっちゃう・・・。
わたしがもし水神だったら、同じようにするのかな?
代わりに誰かってなったら・・・そうするだろうな。
嫌だな、せっかく友達になれたのに。
また一緒になにか作って、食べて・・・きっと楽しかっただろうな・・・。
『おいしい、スズも早く食べてよ』
キクちゃんが食べているときの顔が浮かんできた。
『ふふん、じゃあこっちも・・・わあ、幸せな味がする・・・』
わたしのパンケーキを「食べたい」って言ってたのか。
・・・わたしもまた食べてほしい。
もっと他のお菓子や料理もたくさん。
『オレもなにかいい方法がないか考えるからさ』
いい方法・・・百年もつ料理なんてないよね・・・。
◆
答えが出ないまま、気付けば夕方近くになってしまった。
光はまだ見つからない。
考え方を変えた方がいいのかな?
光・・・光、わたしにとってそれはケイゴ君やみんなだ。
あ・・・そうだ、みんなで一緒に考えよう。
わたしには思いつかないことに気付く人がいるかもしれない。
頼るだけじゃない。意見を聞いてわたしも考えて・・・。
きっといいアイディアが浮かぶはずだ。
いい方法を考えるためのいい方法・・・。
「あ・・・」
思い浮かんだのと一緒に五時のサイレンが鳴り出した。
「そうだ、お姉ちゃんは出ちゃったから、洗濯物はわたしがやらないと」
ずっとやってもらってたからな・・・。
◆
「ふー、忘れてたら湿気っぽくなってたかも」
しっかり乾いた服たちを取り込んでいった。
・・・太陽の熱が残っててまだあったかい。
「まったく・・・下着は外に干さないでって言ったのに・・・」
なんか恥ずかしい。
ケイゴ君に見られちゃったよね・・・。
たしかにそんなに人は来ないけど・・・。
「ん?あ・・・お姉ちゃん、自分の服とか下着とか一緒に洗濯してたんだ・・・」
洗濯物はいつも通りだった。
ここにいたいって気持ちがそうさせたのかな?
しっかりしてると思ってたけど、こういうところもあるんだね。
・・・次に来たらこのことをからかってやろう。
ちょっと不機嫌になってもすぐ許してもらって、また一緒にご飯を食べて・・・楽しみだな。
◆
「花井さーん、郵便ですよー」
洗濯物を家の中に入れ終わった時、門の方から声が聞こえた。
「あ、はーい」
郵便屋さんか・・・。
「もうこんな時間なのに・・・あれ?いつもは郵便受けに入れてってくれるんだけど・・・」
わたしはすぐに走った。
でも、来たんなら待たせちゃダメだよね。
◆
「なんだケイゴ君か・・・変だと思った」
声のした方にいたのは、郵便屋さんじゃなかった。
なんだろう、わたしが心配で来てくれたのかな?
それとも、ケイゴ君もまだ寂しくて?
「花井リンさんにお手紙です」
ケイゴ君は肩に下げたバッグから何かを取り出した。
わたしに・・・。
「本人で間違いないですね?」
見覚えのある封筒だった。
『この手紙を夏休み最後の日にわたしに届けてほしいの』
・・・そうだった。
終業式の日の夕方、わたしが頼んだもの・・・。
「ちゃんと忘れずに憶えててくれたんだね」
「当たり前だろ。リンは忘れてたんだな」
まあ、忘れるようにしてたんだけどね。
そう思わなくても、この夏休みはいろんなことがたくさんあって、憶えていられないくらい楽しかったな。
「で、それってなに書いたの?どんな手紙?」
ケイゴ君が手紙を指さした。
中身が気になってるみたい。
「ちょっと待ってね」
わたしはシールがどうなっているかを見た。
封筒に貼った封印シール、一度開ければすぐにわかるもの。
・・・剥がされた跡は無いから、ケイゴ君は覗いていない。
「じゃあ・・・開けてみようか」
「うん。・・・あ、シールは丁寧に剥がさないとダメだぞ」
あ、始まった・・・。
『あいつが謝ってきたらおもいっきり言ってやれ。えっと・・・バカとか、この神経質とかさ』
ふふ・・・そうだね。
今なら言えそうだ。
「もう、ケイゴ君は神経質なんだから」
「え・・・そうかな?」
「今まで百回以上は思ってたんだからね」
「え、ひどいな・・・」
何度この言葉を飲み込んできたか・・・。
怖くて言えなかったわたしが嘘みたいだ。
「あれー?これからは思ったことは言ってほしいって、誰かさんに言われたんだけどなー」
ああ・・・抑えずに、我慢せずに言いたいことが言えるっていいな。
「・・・わかったよ。でも、文句だけだと落ち込むかもよ?」
「そういう時はね。ケイゴ君が好きなお菓子を作ってあげる」
わたしもケイゴ君も、無理して笑うことはもう無いと思う。
これからも・・・ずっと。
「じゃあ、改めて開けるね」
でも、この封筒と手紙は大事にしまっておきたい。
だからわたしは、ケイゴ君の言う通り丁寧にシールを剥がすことにした。
◆
「綺麗に剥がしたね」
「そうしたかったから・・・」
封筒を開くと、あの日の空気が溢れてきたように感じた。
たくさん風に当ててたからかな?
「二枚入ってるね」
「うん・・・」
わたしは水色の便箋を取り出した。
どっちもたたんであるけど、こっちには「先に読んで」って書いてある。
『この夏休みを忘れたいなら郵便屋さんにお礼を言って読まずに捨てる。ずっと残したいなら郵便屋さんと一緒に読む』
記憶通りの文章が書かれていた。
ふふ、聞かれるまでも無いんだけどな。
「・・・ふーん。まさか捨てないよね?」
ケイゴ君が手紙覗き込んできた。
「あはは、もちろん」
二人で見れるように手紙を広げた。
◆
夏休み最終日のわたしへ
あなたは今、とても楽しい夏休みを過ごせて幸せな気持ちだと思います。
知っていると思いますが、わたしはこの夏にやろうと決めていることが一つあります。
これを読んでいるということは、ちゃんとできたんですね。そうなっていると信じていました。
だから、わたしを助けてほしくてこの手紙を書きました。
わたしは今の自分がちょっと嫌になる時があって、だけどその自分とやっぱり仲良くしたいなって考えています。
この手紙を書いているのは、きっと嫌な方の自分だと思います。
あなたはわかっていると思いますが、もう忘れてしまってもいいのかなってずっと考えていました。たまに思い出すと苦しくて仕方がない時もあります。
でも、忘れてしまったらきっと後悔する気がします。
だからどうにかできたらそうしたいんです。
こんなに大変な問題なのにどうやって解決したのかな?
一人で悩んでいたあなたを変えてくれたのは何ですか?
友達?お父さん?
もしかしてケイゴ君?そうだったらいいよね。
怖がりなわたしは、少しでも光が欲しいです。
これを読んでいるあなたみたいに、幸せで楽しい気持ちになりたいからちゃんとお返事書いてね。
そして、困り果てているわたしにどうにかして届けてあげてください。
それに夏休みの楽しい思い出も教えてほしいです。
郵便屋さん届けてくれてありがとう。大好きです。
花井 鈴
◆
「ふふ・・・」
読み終わると、自然と笑顔になれた。
『あなた』が思ってる以上のことがあったよ。
心配だったよね?苦しかったよね?
たくさんの不安で負けそうになっていた『わたし』が「全部うまくいくように」って、そんな願いを込めたんだと思う。
それをケイゴ君に預けたのは、きっと今日みたいに笑顔で届けてくれて、こうやって一緒に手紙を開くことを期待していたからだ。
「お返事は出しますか?」
郵便屋さんは『わたし』にどうするか聞いてくれた。
「んーん、出さないことにする。だって、この子はキクちゃんのこと、お姉ちゃんのこと知らないもん。わたしの助けはいらないってすぐにわかるよ」
「きびしいな」
「ケイゴ君も二人に助けてもらったんでしょ?キクちゃんにはいつ相談したのかな?」
「あはは・・・知ってたの?」
ケイゴ君は照れ笑いを浮かべた。
わたしを甘く見てるな・・・。
「お姉ちゃんからは聞きました。それにキクちゃんは、旅のことで悩んでたのに手伝ってくれたみたいだし」
「・・・キクにはいつ聞いたんだ?」
「キクちゃんとこの話はしてない。・・・気付いたのはね、ウサギさんの言葉を聞いた時」
「ウサギ・・・寝てたよ」
「起きてたよ。神様、まだ動いちゃダメ?ってウサギさん言ってたんだ。きっとキクちゃんがお願いしてくれてたんだよ」
お姉ちゃんとキクちゃん・・・。
わたしなんかのために話を聞いてくれたり、真剣に考えてくれてたことが嬉しかった。
あとは・・・アラタ君。
わたしなんかよりも辛いだろうな。
『待ってる時間は長いほどいいらしい』
あれは自分にも言ってたんだよね?
あの時、会いたくて会いたくてしょうがなかったんだろうな。
わたしもその気持ちはわかるよ。
『時間は二人にとって愛の架け橋となるでしょう』
時間・・・長すぎると橋も壊れちゃうよ。
そうなる前に、二人を助けてあげたい。
『・・・なにかできることある?』
わたし、詳しいことはなにも話さなかったのに・・・なんとか助けてくれようとしてくれた。
今度はわたしの番だ。
ケイゴ君には悪いけど、明日からアラタ君が元気になるまでそばにいて話をしてあげよう。
・・・あの時、アラタ君はそうしてくれたからね。
「キク、ウサギまで用意してくれてたのか・・・」
「最初からこうなるってわかってると、この子は面白くないと思う。辛い時もあったけど、それも全部まとめてこの子には知ってほしいんだ。じゃないと今のわたしにならないから」
だから返事は出さない。
同じ幸せを感じてほしいから・・・。
◆
「・・・ねえケイゴ君。ずっと考えてたんだけど、キクちゃんにわたしの料理を食べてもらうにはどうしたらいいかな?」
「ああ・・・あはは」
ケイゴ君はとっても優しい顔で笑った。
答えはもう用意できてるって感じだ。
「簡単だよ。日本中にリンの店を出して・・・水神キクは無料です。ここに名前を書いたらリンが来ますって店の前に看板を出しておけばいい。どこかにはいるだろうからな」
光が見えた気がした。
みんなで考えればこういう前向きな話がいっぱい出てくるはず。
「なるほど・・・でも日本中って簡単じゃないよね?」
「オレが作った食材、キクが守ってきた水で作れば誰にも負けないんだろ?」
「む、そうだよ。・・・日本中か、ケイゴ君の仕事が増えるね」
「死ぬ気でやるよ」
「え・・・」
急に寂しくなった。
わたしを置いてどこにも行かないでほしい。
「なに・・・どうしたの?」
わたしの腕は勝手にケイゴ君を抱きしめていた。
「・・・だめ。死ぬ気ではやらないで。・・・わたしを寂しくさせないんでしょ?」
「させないよ」
「じゃあ・・・約束して」
「・・・わかった。約束する」
ケイゴ君の腕がわたしの体を包んでくれた。
この約束が破られたら一生泣くんだろうな・・・。
◆
わたしは空を見上げた。
夕陽が山影に飲み込まれていく。
夕方と夜の間の不思議な色・・・なぜか怖さは感じない。
あの時と違って、今日は一人じゃないからだ。
あの日と同じように柔らかく涼しいけど、湿り気の無い風が吹いていた。
その風が、わたしたち二人を未来へと押してくれている。
【鈴】完