第六十四話 八月二十五日 【きく】 行ってくるね
「おばあちゃん、行ってきます」
私は「さよなら」は絶対に言わないって決めた。
だからこれでいい・・・。
「行ってらっしゃいキクちゃん。あなたが帰ったら何でも作ってあげるから、できるだけ早く戻ってくるのよ?」
「うん・・・きっと・・・」
「それと、みんなへの贈り物はこのバッグに入れておいたわ。旅にも持って行きなさい。本革だからとっても丈夫よ」
おばあちゃんは、私の肩にカバンをかけてくれた。
中にはみんなのために作った物が入っている。
「・・・いい匂いがする。一緒に作ったやつ?」
「そう、お弁当よ。渡り神さんのも入ってるから食べてもらってね」
「うん・・・この鞄、大事にするね。・・・戻ったら、もう遠慮しないよ。あと、私のこと忘れてたらいやだからね」
「大丈夫よ、認知症にならないように趣味がいっぱいありますから。そうじゃなくても・・・自分の娘のことは絶対に忘れないわ。かわいいお洋服を作って待ってるからね」
おばあちゃんは私を抱いてくれた。
このぬくもりは、いつまでも忘れないでいよう。
「うん・・・約束だよ」
私からもおばあちゃんを抱いた。
あったかい・・・。
「あなたのお父さんとお母さん・・・よかったね」
「うん・・・」
「キクちゃんの優しさ・・・愛はご両親から教えてもらったものよ」
「うん・・・。おばあちゃん、きっと帰るからね。私、約束はちゃんと守るんだから」
また会える・・・そう信じ続けると決めた。
必ずまた一緒にご飯を食べよう・・・。
◆
水神の沼、水神の祠。
今の私が生まれた場所。
そして、あの子たちとの思い出の場所・・・。
『あの・・・私キクっていうの。・・・一緒に遊んでくれる子を探してたんだ』
・・・ここでみんなと話して友達になった。
『・・・水神って言ったけど、あたしたちを油断させて、沼に引きずり込んだりしないでしょうね?』
最初は疑われてたな。
『ごめんなさい、俺少し疑ってました。許してください水神様』
私がちょっと水の上を歩いただけでみんな驚いてたっけ・・・。
またあの日に戻れたら、もっと驚かせてあげられるだろうな。
◆
「・・・来たか。今晩から支度を始める」
沼の岸辺で座っているとワタリさんが現れた。
また急に来たわね・・・。
「最初から姿を見せてたらどうなの?それびっくりするのよ」
「私の勝手だろう」
ワタリさんが隣に座った。
はいはい、好きにすればいいわ。
「ねえ、支度って何をするの?」
「私の分身にお前の役目を引き継がせる。そして、お前がこの土地から出るために私と強い繋がりを作る」
「分身ね・・・」
「丸一日は動けないだろう。出発は明日の夜だ」
丸一日も・・・そんなに時間がかかるのか。
ていうかまた堅い話し方になってる・・・そして「お前」呼び。
「おとといの夜も言ったでしょ?キ、ク、ちゃん」
「・・・お前に合わせる気は無い」
む・・・性格なのかな?恥ずかしがっちゃって。
けど、何度も言ってれば折れてくれるかもしれないな。
「ねえ、日暮れまではみんなと話していいんでしょ?」
私はワタリさんの被り物を引っ張った。
これ・・・マントってやつだよね?
「好きにするがいい。ただ、今晩からはここに近寄らぬように伝えておくことを忘れるな」
「・・・わかった」
やっぱり会えるのは今日が最後か・・・。
あの子たちが来るのは夕方くらいかな?
それまではワタリさんと話をしててあげよう。
「あのさ、これ・・・おばあちゃんが作ってくれたの。食べてね」
鞄からお弁当を取り出した。
全部私が食べたいけど、おばあちゃんの気持ちを無駄にはできない。
「私には必要無いものだ・・・」
「食べてよ。ほらおにぎり」
「・・・」
おにぎりが被り物の中に消えた。
顔出せばいいのに・・・。
「おかかと鮭と昆布の三つだよ。それ何?」
「・・・」
なんで黙ってんのよ?
「・・・おいしい?」
「味がわかる・・・なぜだろう・・・」
驚いてたのか・・・。
たしかに妙ね。
「あなたには元々味覚があったとかじゃないの?」
「そうなのかもしれないな・・・」
「わかってよかったじゃん。感謝しなよ?」
「・・・そうだな。あの老婆か・・・」
老婆って言うな・・・。
◆
「おばあちゃんのから揚げおいしかったでしょ?」
お弁当を食べ終わった。
もっと感想を聞きたい。
「そうだな・・・飽きるまで食べてみたいと思った」
「残念だね。おばあちゃんとこ来る?って誘ったのに」
「・・・」
ふふ、言い負かしてしまったみたいね。
「本当はみんな味覚があるんじゃないの?」
「・・・そんなはずはない。作る時に閉ざしている、私が許可を出さなければそのままだ」
「あなたにはある。作ってくれた神がそうしてくれたとか?」
「私を作った神・・・記憶に無いな」
ワタリさんの声が暗くなった。
この人より上ってどのくらい大きな力を持ってるんだろ?
なんのために私たちを作ってるんだろ?
「ねえ、私たち・・・神って何なの?あなたから貰った記憶にはそういうの無かった」
気になってしまった。
「水神」って言われてはいるけど、自分の存在についてほとんど知らない。
何もわからずに悩むのはもう嫌だから聞いておかないとね。
「神か・・・そうだな。私もそう呼んでいるが・・・」
「違うの?」
「理解されやすいから使っているが、神という呼び方は正確ではない。元々は精霊と呼ばれていた」
「精霊か・・・そっちの方がしっくりくるわね。なんとなくだけど、神様って願いを叶えてくれたり、奇跡を起こしてくれるものよね」
なんだ・・・私は本当に神様ではなかったわけだ。
『こんなの神様なんかじゃないよ!!』
旅のこと、別れのこと・・・そういうのでいっぱいいっぱいになって荒れた時に口走ったけど・・・間違ってはいなかったんだな。
「願いを叶える、奇跡を起こす・・・それを神と呼ぶなら、お前はそうなのかもしれないな」
「え・・・どういう意味?」
「お前がこの土地で関わった者たちにしてきたことだろう?」
ワタリさんの声が今までで一番優しく聞こえた。
私がみんなにしてきたこと・・・。
「例えば?」
「帰らない死者を待っていた老婆・・・再会させたのはお前だ」
おばあちゃん・・・。
「周りの目を気にして顔を隠していた子ども・・・助言と勇気を与えていたな」
カエデ・・・。
「わだかまりのある幼い男女・・・わざわざ動物を探してまでそれを解く機会を作った」
ケイゴとスズ・・・。
「嵐の日、流れに飛び込んだ二人・・・お前がいなければ、私が助けることはなかっただろう」
ハルカとコースケ・・・。
どういうこと?
なんでワタリさんはこんなに詳しいのよ・・・。
「とっても物知りね。私が何をしてきたか全部見てたみたい」
「すべてではないが見ていた」
「そう・・・」
私の体が固まった。
ちょっと異常な気がする・・・。
「あなたは私のお兄ちゃんかなにかなの?」
「兄・・・兄か・・・。そういう考えがあったのかもしれない・・・。いや・・・記憶?」
ワタリさんの様子が変わった。
私のことが「なぜか気にかかる」って言ってたわね。
心配してくれてるのは嬉しいけど過保護すぎるくらいだ。
もしかしてアラタと話してる時もいたのかな?
・・・恥ずかしい。
「まあいい・・・精霊でも神でも、気に入った方を名乗ればいい」
ワタリさんがこっちを向いた。
・・・私が神様か。
でも私、アラタには何もしてあげられてないな。
・・・もらってばかりだった。
『おばあちゃんが認知症って思われてるみたいなんだよね・・・』
『あはは、店の中でそんな話してたら当たり前じゃん』
きのうの夜、アラタと遅くまで話をした。
『テレビで見たんだけど、クラゲって綺麗だよね』
『あ、それ俺も見てた』
旅のことは一切言わずに好きなだけ喋って、静かになってまた話して・・・幸せな時間だったな。
『あ・・・浴衣・・・。もしかして俺が言ったから?』
『そうだよ。ふふ、よーく見てね』
『ありがとう・・・嬉しいよ』
浴衣を見せてあげると、とっても愛しい顔で笑ってくれた。
あなたにもなにか奇跡を起こしてあげたかったな・・・。
・・・許してね。
◆
「北の地には広い平野がある。建物もあまりなく、景色はここよりいいだろう」
「そうなんだ・・・」
「雪の時期には、すべてが白に染まる。必ず見せてやろう」
「・・・すごいね」
ワタリさんはこれから行く場所のことを教えてくれた。
やっぱりお喋りだな。
「海はとても大きい」
「クラゲ見れる?」
「見れる」
反応があるのが嬉しいみたい。
顔は見えないけど楽しそうだ。
きっと感情は薄いわけじゃないんだよ。
本当の名前を呼ばれることもずっと無かったって言ってた。
誰かとの触れ合いが無いからそうなっちゃったんだと思う。
私との旅でそれを治してあげよう。
◆
「そろそろだ・・・」
みんなと出逢ったあの日と同じくらいの時間になり、ワタリさんは話をやめて立ち上がった。
「私はしばらく身を隠そう。お前・・・キクは・・・友を待つがいい。夜に旅の予定を話す」
あ、名前で呼んでくれた。
「ちゃんを付けてよ」
「私の勝手だろう・・・」
元の話し方をしてくれるまで、そんなに時間はかからなそうね。
ていうか・・・。
「ねえ・・・私、本当に行かなきゃダメ?」
柔らかい感じのワタリさんと話してたから、言ってみたくなった。
誰かを神にとか・・・もう言わなそう・・・。
「行かなければならない・・・」
「そう・・・わかった」
ダメなんだね・・・。
◆
・・・もう来るだろうな。
私はみんなの気配を探った。
うん・・・近い。
ああ、あの日・・・たしか、先に大人が二人来ていて祠を調べていた。
それからあの子たちもみんな来て、私に気付いて・・・。
もう、せっかく落ち着いたのに・・・。
「あ、キクだ。おーい、みんな連れてきたよー」
ハルカの姿が見えた。
ちゃんと来てくれたのが嬉しい。
いつも自分からみんなを探してたけど、私が誘っても集まってくれるんだな・・・。
『それが友達だろ?』
『友達なんだからそんなこと気にしないでいいんだよ』
・・・うん。だから、ちゃんと話さないとね。
◆
「みんな来てくれてありがとう。ここは私にとって大事な場所の一つ・・・みんなと初めて話した場所だから」
六人が私の前に集まった。
明るく・・・明るく・・・。
「わたしが一番最初に話しかけたんだよね」
「二番目はオレだな」
スズ、ケイゴ・・・憶えてるよ。
『こんにちは、ここに遊びに来たの?』
『君、どこの子?』
恥ずかしかったけど本当に嬉しかったな。
「ごめんなキク。俺あの時、お前が嘘ついてると思っててさ」
「あたしも、沼に引きずり込む気なんじゃって酷いこと言ったよね?」
アラタとハルカは最初疑ってたね。
『・・・俺たちと同い年くらいだろ?キクなんて聞いたことないぞ』
『・・・水神って言ったけど、あたしたちを油断させて、沼に引きずり込んだりしないでしょうね?』
初めて会う子だもん、全然気にしてなかったよ。
「僕はちょっと怖かったんだよね」
そうだね、コースケはおどおどしてた。
「私は怖くなかったよ。一番最初に友達になったもんね」
うん、カエデが一番最初に私を「友達」って言ってくれた子だよ。
「わたしたちね、さっき話してたんだ。キクちゃんと逢えてよかったって。もう夏休みは終わっちゃうけど、学校から戻ったら遊ぼうね。またお菓子作ろうよ」
「そうだよね、おキクさんがいたから今までで一番楽しい夏休みだったよ。僕がいなくても隠れ家は勝手に入っていいからね」
「うん。私、きくちゃんがいなかったら目を出すなんてできなかったかもしれない。おばあちゃんの所に遊びに行くね。一緒に住んでるんだよね?」
みんな・・・私がいてよかったって思ってくれてるのか。
苦しいけど、言わなきゃ・・・いけないよね。
◆
「大事な話があるんだ・・・」
みんなの口が止まったのを見て、私は下を向いて話し出した。
「私ね、旅に出ることになったの・・・。しばらくここを離れることになったから、伝えなきゃいけないと思って呼んだんだ」
言えた・・・。
私は顔を上げてみんなの顔を見た。
「旅か、すごいな。どこ行くんだ?」
「わたしも聞きたいな。大鳥沢から出られるようになったってことだよね?」
「うん・・・まあ、そうだね。他の神の所を回るの、そうしないといけないんだって」
ケイゴとスズに悪気はない。だから余計に苦しい。
「旅ね・・・いいなあ。あ、そうそうあたし十五夜にキクと月を見ようかなって思ってたんだけど・・・まあ来月だし大丈夫か」
「ハルカ、僕もでしょ?」
ああ、お月見か。
いいな・・・きっと楽しいんだろうな。
ハルカとコースケもそうだ。
旅っていってもすぐに戻るようなものだと思ってる・・・。
「キク・・・そんな話きのうは・・・」
アラタの顔は曇っていた。
「ごめんねアラタ、なんか言い出せなかったんだ・・・」
きのう楽しくお喋りしてたのに、その中で私が隠し事をしていたから少し傷付いたんだろうな・・・。
「きくちゃん・・・どのくらいで・・・帰ってくるの?」
みんなの後ろにいたカエデは暗い顔になっている。
なんとなくわかったのかもしれない。
「えっとね・・・百年くらいなんだって。・・・あと、この土地に私がいなくなったらみんなの力も使えなくなるから、言っとかないとなって」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
「・・・そ、それと今日の夜から支度があるから明日の夜までこの沼には近づかないようにね・・・あはは」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
アラタ、カエデ以外の四人の顔も変わった。
なんか・・・静かになっちゃった・・・。
◆
「・・・嘘だろ?」
誰よりも先に口を開いたのはケイゴだった。
だよね、そう思うよね・・・。
「嘘じゃ・・・ないんだ・・・」
「・・・きのうあたしと話した時、なんで言ってくれなかったの?」
ハルカの手が私の肩を掴んだ。
とても恐い顔だ・・・。
「私もわかったのは嵐の次の日だったから・・・急だし、話しにくくて・・・」
「あたしキクの力になりたいって、困ったら話してって言ったよね?なんで・・・言わないのよ・・・。それとも・・・困ってないの・・・」
「ハルカ・・・ごめんね・・・泣かないで」
「バカ・・・旅なんか行かないでさ・・・。ここでみんなで遊ぼうよ・・・」
ハルカは泣くような子じゃないと思ってた。
たぶん・・・私がこの子の気持ちを裏切ってしまったせいでもあるんだろう・・・。
「・・・ハルカ、ちょっと落ち着けよ。キク、どういうことだ?今の話だけじゃわからない。ちゃんと説明してくれ」
アラタは見たことのない険しい顔をしていた。
「実は嘘なんだ」そう言ったら、笑ってくれるのかな・・・。
「・・・これは神の理、私は行かなければ消されてしまう。もしそうなったら、あなたたちから一人・・・神を立てなければいけない。私は・・・友達にそんなことさせられないよ」
私は目を瞑って話した。
今みんなの顔は見たくない・・・。
「・・・私も旅に出たいわけじゃない。行くしか・・・ないんだよ・・・」
私は瞼を開けみんなを見た。
目の前の六人は複雑な表情だ。
「でも、私は諦めたわけじゃないからね。またみんなに会えるって信じてるから・・・寂しくないよ」
精一杯の笑顔で言った。
みんなも信じていてほしい。
それだけで私は幸せだから。
「ね?そんな顔しないでよ。今日は・・・もう泣いちゃダメね。みんなにはとっても良くしてもらったから、お礼にと思って贈り物を作ってきたの。まずはケイゴとスズね」
私はカバンから巾着袋を取り出した。
明るく振舞おう。
悲しいのは嫌だし、笑って旅に出たい・・・。
◆
「大切にしてくれると・・・嬉しいな」
スズとケイゴに巾着を渡した。
できればずっと持っててほしい。
何度でも思い返してほしい・・・。
「あ、ウサギさんだ・・・」
「なんとなく・・・それがいいかなって・・・」
「・・・キクちゃん、わたしまた会えるって信じてるからね・・・私が作った料理、絶対食べて・・・もらうからね」
こういうこと・・・もっと言ってほしい・・・。
「キク、助けてくれて・・・ありがとう。ウサギはいたよ・・・それと、去年のスズはちゃんと出してあげたから・・・」
「よかった・・・あなたたち二人は離れないでいてね。スズ、大丈夫だから。ね、お願いだから泣かないでね」
「・・・うん、わたし泣かないから」
スズが抱きついてきた。
ああ・・・このままでいたいな。
「・・・キクちゃん、きのうはありがとう」
そうか・・・スズはわかったよね。
「スズ、なんのお礼かわからない。あなたになにかしてあげたのはケイゴでしょ?」
「そういうの・・・ずるい・・・」
言う通りかもしれない。
でも、その方がいいんだ・・・。
◆
次は、コースケとハルカ・・・。
「あなたたちに私も混ざりたかったけど、なんか二人の間は・・・入り辛かったんだ」
できる限りの笑顔を作ってみた。
「キク・・・。あたしは・・・あたしもまた会えるって信じてるから。あんたなら百年なんてかからないよ。・・・戻ってきたらさ・・・あたしの撮った写真見せてあげるからね。キクはあたしの助手なんだから」
ほっぺを両手で挟まれた。
そのこと、憶えててくれたんだね。
嬉しいよハルカ・・・。
「おキクさんは嵐の日、僕を信じてくれた。・・・だから僕も信じるから・・・必ずまた会うよ。これから医学も進歩していくだろうし・・・百年くらい生きられるようになるから。・・・そしたらさ・・・もっとすごい隠れ家を作るから、必ず遊びに来てね」
コースケの両手がハルカの手に重なった。
暖かい・・・。
「うん、楽しみにしてるから。・・・今度は私も一緒に星を見たい。二人の間でね。・・・ハルカ、怒らない?」
「怒るわけ・・・ないじゃん。・・・だから早く帰ってきてね」
三人で抱き合った。
ああ・・・この約束は破りたくないな・・・。
「流れ星、見る度にお願いする・・・」
「僕も・・・」
「ありがとう・・・」
二人とも希望のある話をしてくれた。
叶ってほしい・・・。
◆
あとは、カエデと・・・アラタ。
「カエデは強くなったわ。あなたが私を説得したからおばあちゃんと家族になれた。みんなの中で一番優しい子よ」
カエデの頭を撫でてあげた。
「きくちゃん・・・私、泣いてないよ。本当に・・・寂しくないの?」
あなたには嘘をつけないけど・・・。
「うん・・・寂しくないよ」
「・・・きくちゃんの嘘つき・・・嘘つき・・・」
「ごめんね・・・おばあちゃんとたまに話してあげてね」
「・・・」
カエデはそろそろ泣き出しそうだ。
「アラタ・・・」
私はもらい泣きする前にアラタの顔を見た。
・・・怒ってるかな?
アラタは私を責めてもいい。
あなたはそれをしてもいいんだよ・・・。
「キク・・・俺、大丈夫だから」
アラタはいつもと同じように笑ってくれた。
ああ・・・あなたはそういう人・・・。
「誰かのために」っていつも考えてて、困ってたら助けてあげて・・・。
だから頼られたらすぐに動けるように、一人でいることが多いんだ・・・。
「うん、あなたと逢えて良かった。私の幸せはあなたがくれたんだよ」
「旅、頑張れよ」
アラタは私の気持ちを汲んでくれている。できるだけ普通にしてくれている。
私の感情が揺れないように・・・。
「・・・アラタ、いいのか?」
「そうだよあらちゃん」
「・・・いいんだ」
ケイゴとカエデの言葉をアラタは軽く流した。
何の話なのかは、わかっているつもりだ。
だけど、私からは言えない・・・。
「そんなのダメだよ!キク、こうなるならあたしは内緒にできない!」
ハルカがアラタの腕を引っ張った。
やめてほしい・・・。
内緒にしておいてほしい・・・。
「ハルカ、俺はいいんだ。キクの気持ちを考えてやってくれ・・・これ以上はもうやめてくれよ・・・」
「アラタ・・・あたしから聞くのは最後よ。本当に・・・いいのね?」
「うん、いいんだ・・・」
「・・・」
ハルカの手から力が抜けた。
あなたも同じことを考えてくれているんだね。
ありがとう、アラタ。
私の恋をあなたに伝えなくてよかった。
だって・・・言ってたらあなたは前に進めなくなっただろうから・・・。
でも、この気持ちは私の中で一番大切なものだよ。
いつまでも持ってるからね。
・・・大好きだよ。
◆
みんなに私からの気持ちは渡し終わった。
・・・気に入ってくれたかな?
「ごめんね、そんなものしか作れなかったの。・・・頑張って作ったんだ」
もう時間が来てしまう。
「・・・なにか大事なものをしまってね。・・・本当はね・・・もっと・・・すごいのあげたかったんだけど・・・」
そう思うと、強がっていた心が大きく揺れた。
「泣かないで」って言ったのは私なのに・・・涙が止まらない・・・。
「キクが泣くなら・・・あたしだってさ・・・」
「わたしも・・・」
「オレも無理・・・」
「キクちゃん・・・」
「おキクさん・・・」
「・・・」
私とハルカをきっかけに、みんな抑えていたものが溢れた。
ううん・・・違う。
アラタだけずっと抑えている。
今日はもう泣いちゃダメ。
あなただけがそれを守ってくれている・・・。
◆
五時のサイレンはいつ鳴っていたのか・・・誰も気付かなかった。
夕焼けに風景が染まり、世界が赤く色づく。
・・・もう日が暮れる時間だ。
「私ね・・・みんなに忘れてほしくないから・・・それ大事にしてね」
「忘れるわけないよ」
「当然でしょ」
みんなが落ち着いて話を聞けるようにもなってきた。
まだ、伝えたいことがある・・・。
「ありがとう。勝手だけど、それは私がみんなに刺す楔・・・みたいなもの。流れてしまったら・・・嫌だから」
「なにも無くても流れないよ。私きくちゃん好きだもん」
カエデが言うとみんな頷いてくれた。
・・・ありがとう。
「大丈夫、私もみんなを信じていたい。・・・でもね、思いは・・・流れてしまうこともあるんだ。あなたたちはまだ子ども・・・これから、いろんな新しい出会いや経験がある・・・それが今の気持ちを変えることもある」
ずっと今が続いたら・・・それが一番いい。
「もしかしたら、みんなが集まることは減ってくるかもしれない。私はそれが怖いの・・・時間が経っても『あの頃』になんてしたくない・・・だから忘れないでね」
でも私の旅のように、それは突然起こることもある。
「・・・変な心配するなよ」
アラタが私に笑ってくれた。
「俺たちはそうはならないよ。キクが刺した楔と、これは・・・俺が自分に刺した楔だ」
アラタはみんなで撮った写真を私に見せてくれた。
あの日の私たち・・・。
こんな日がすぐに来ることも知らずに笑っている。
「これを全員が大事に持つ、そしてキクも持って行ってほしい」
私の手に写真が渡された。
「今が『あの頃』になっても・・・始まりを忘れなければいい。俺たちはずっとキクを待ってるから」
暖かい言葉で私の不安が流れていく・・・。
アラタ、あなたが刺した楔はこんなにも私を幸せにしてくれる。
まだ出逢って少しなのに、こんなに暖かい人を私は好きになった。
だから・・・私はあなたが幸せであるようにずっと願っていよう。
想えば、きっと笑顔になれる・・・。
希望はまだ本当に小さな点だけど、信じて追いかければきっと間違いないはず。
だって「もう会えない」なんて思う子は誰もいないから。
この夏は私とあなたたちにとって始まり・・・なんだよね。
「私」と「あなたたち」が生まれた夏・・・。
「ケイゴ、スズ、コースケ、ハルカ、カエデ・・・アラタ」
私は顔を上げて胸を張った。
友達に別れは言わない。
「私、行ってくるね」
もう誰も泣いていない。
ありがとう、幸せな旅立ちだ。
【きく】完
次回から六人の子どもたちのエピローグとなります。