第六十二話 八月二十二日 【きく】 懇願
私は自分の気持ちをアラタに伝えることにした。
『なにも無しに言うのは・・・恥ずかしいかも』
おばあちゃんに相談したら・・・。
『じゃあ、贈り物をしましょ。なにか作って、それと一緒に伝えればいいわ』
ということになって、すぐにできそうな小さい巾着袋を作っていた。
『アラタだけにっていうのも・・・恥ずかしい』
『じゃあ、お友達にも渡したらいいわ』
みんなの分も作っている。
時間はいくらでもあると思ってたけど、ずっと待たせるの嫌だ。
恋に関しては急ぎたい・・・のに・・・。
あいつら、なんでこんな時に来るのよ・・・。
風神と雷神が私の土地に来てしまった。
位はいくつ離れているのか想像もつかない・・・。
それほど強い力を持った神だ。
私には彼らを止める手段も力も無い・・・守るだけ。
集中してやれば大丈夫・・・。
でも・・・焦りはある。
急がないといけない・・・。
まったく、早く完成させたいのに・・・。
◆
「いい?おばあちゃんは家でじっとしててね」
「わかりましたよ」
「たぶん明日の朝まで戻れない。あと、明日は水道の水が濁るから今の内に溜めておくんだよ」
「これからやっておくから」
おばあちゃんはいつも通りの優しい顔で笑った。
まあ・・・私みたいに焦ってても心配だけど・・・。
「戸締まりは今の内にしておいてね。あとは・・・」
「大丈夫よ。外に出ないようにするし、水も溜めて、戸締まりもします。それと、朝ごはんを用意して待ってるからね」
「・・・ありがとう。行ってきます」
私はおばあちゃんを残して家を出た。
朝ごはん・・・楽しみにしてよ・・・。
◆
「誰もいない・・・よかった」
私は隠れ家の中に入った。
大丈夫、余計な心配はいらない。
あの子たちは頭がいいから、こんな時に外には出ないもんね・・・。
気配を探ってる余裕は無い・・・。
でもきっと家にいる。
「とりあえずここで待たせてもらおう・・・」
早くに出てきたのは水源の近くにいたかったから。
そうでないと厳しい・・・。
「雨は・・・まだか」
ただ動く時を待つ。
なぜか心がざわついている。
落ち着かないと・・・。
◆
私が胸を押さえていると、入口の戸が開く音が聞こえた。
え・・・。
「おキクさん、来てたんだね」
コースケ・・・しょうがない子。
なんで家にいないのよ・・・。
「あ・・・うん、勝手にお邪魔してる。ここは水源に近いから、早く行けるように来てたの」
私はできるだけ明るい声を出した。
呑気にここに来るなんて・・・。
まあ、ここから出ないように言っておけば大丈夫かな。
正直、一人だと落ち着かなかった。
コースケは相手の雰囲気を読んで合わせてくれるから、話してると気が紛れる・・・。
◆
「おキクさんは家の鍵しかなくて、向こうはどっちも持ってるってこと?」
「そう。だから、私には話を聞いてもらう場所すら用意されていない。できる範囲で何とかするしかないの」
私はコースケに他の神との関係を教えてあげた。
複雑でもないけど説明するのは難しいな・・・。
でも、この子は頭がいい。
ふわりとした話でも、自分なりにまとめて理解しているみたいだ。
◆
窓の外に稲光が見えた。
・・・あれがそうか。
「合図ね・・・雨が降り出した。・・・風も」
「うん、強いね」
「・・・もっと強くなる。でも、まだ彼らは来ていない。コースケはここから動かないでね」
ごめんね。もしもの時、あなたにまで気を回せない。
だからおとなしくしてて・・・。
「・・・」
コースケは静かに本を取り出して、なるべく音を立てないようにしてくれている。
私の緊張が伝わったみたいだ。
気が利くけど、合わせてばかりで疲れないのかな?
いや、この子は流れに身を任せている方が楽なんだろう。
ハルカに引っ張られてる時もそんな感じに見える。
◆
雨音が大きくなってきている。
雨・・・大雨・・・。
「コースケ、家の人はあなたがここにいること知ってるの?」
確認してなかったのを思い出した。
大丈夫だよね?
「出る前に言ってきたよ。危なかったらここにひと晩いろってさ」
「そう、よかった。私もおばあちゃんに伝えてきたのよ」
親が知ってるなら問題無い。
勝手に出てたら・・・。
『こんな大雨で外出るなんて何考えてんだ!』
また記憶が・・・。
『川・・・見たくて・・・』
『どれだけ心配したと思ってるの!』
もう・・・うるさいな!
心配なんかしてなかったくせに・・・。
・・・落ち着かないと。
もう少ししたら出ないと行けない。
「ねえ・・・あれ?」
コースケが何かを言いかけて振り返った。
外から・・・声?
「開けて、開けて」
戸を爪で擦る音も一緒に・・・。
人間ではないみたいね・・・。
◆
「あ・・・」
コースケが戸を開けると猫が飛び込んできた。
スズの所のカムパネルラだ。
呆れた・・・この子には野生ってものは無いの?
こんな日に家から離れたところまで来てるなんて・・・。
「どうしたんだろ?こんなに濡れて・・・」
コースケがタンスからタオルを取り出した。
「ここにコースケがいてよかったわね。彼らが去ったらスズの所に帰してあげましょ」
明日の朝になるかな・・・。
ああ、おばあちゃんの朝ごはん食べたい。
あ・・・夕ごはんも食べてない・・・あれ?
「ねえ・・・これ食べていい?」
テーブルの上にパンがいくつか入ってる袋があった。
食べればちょっと元気になれそう・・・。
「うん、食べていいよ」
「ありがとう・・・じゃあ・・・クリームパン貰うね」
「メロンパンもチョココロネも全部いいよ」
「うん・・・」
コースケのが無くなっちゃうし、一つでいいや・・・。
◆
「とりあえず温まらないとね」
「・・・」
猫にタオルが巻かれた。
「スズも心配してるかもよ?」
「・・・」
まあいい、ここにいれば安全だろうし。
さて・・・。
「・・・そろそろ出るね」
もう行っておこう。
「ありがとうコースケ、話をしてたら少し気が楽になったよ。まあ面倒だけど、なんとかなるでしょ」
「うん、気をつけてね」
朝には帰って、おばあちゃんと続きをする。
いや、その前に朝ごはん・・・。
「じゃあ・・・」
「ねんちゃーん!」
コースケに手を振ってすぐ、また外から声が聞こえた。
・・・スズ?
友達の声はしっかり覚えている。
「・・・もう、なに考えてるのよ」
なんであなたまで外に出てるの・・・。
それに一人じゃない・・・ケイゴもだ。
◆
コースケが隠れ家にスズとケイゴを入れた。
二人ともびしょ濡れ。
スズは半分泣いていたから、猫を見せて安心させた。
「ねんちゃん・・・心配させないでよ・・・」
「ふー・・・もう止むのかな?」
スズたちの顔から不安が消えて、それに反応したようになぜか雨が弱まってきた。
・・・雷神が力を抜いた?
「さっき、戸の前で鳴いてたんだよ。雨が止んだら届けに行こうと思って」
ここに私たちがいたのは偶然だけど、二人は元から外になんか出なくてよかったってことだ。
友達を悪く言いたくはないけど、今だけは「どうかしてる」と思ってしまう。
家の人も止めなかったのかな?
たしかコースケはここに来る前に親に話してきたって言ってた。
・・・この二人は?
まさか、外にいること誰も知らないんじゃ・・・。
だとしたら早く帰さないと。
雨が弱まってる今しかない。
この二人ならまだ帰れる。
「よかったなスズ」
「よくないわ、あんたたちは今の内に家に帰りなさい。家族にも同じ心配させる気?」
ここは真面目に言い聞かせないとダメだ。
「家の人は、あなたたちがここにいること知ってるの?」
「・・・言ってない」
・・・やっぱり。
いや、こうなってしまったものはしょうがない。
「そう・・・猫は私が明日届けてあげるから。ケイゴ、スズを送ってあげて」
「どうした?そんなにまずいの?」
「・・・あれは風神と雷神が連れてきた。今は少し手を緩めただけ・・・二人なら今から急げば大丈夫、帰りなさい」
私が集中できなければ・・・すべてなくなってしまいそう。
よくわからないものが私の頭の中に絡みついてきている・・・。
「お願い・・・みんなまで構ってられない!今のうちに帰って家でじっとしてて!私は水源を守るためにそっちに集中しないといけない!」
これくらい強く言えば・・・。
◆
必死に言ったのが通じたみたいで、二人はすぐに帰ることになった。
「ごめんね、明日の朝までご飯は無いの。帰ったらお腹いっぱい食べさせてあげるから」
スズはカムパネルラに一晩の別れを告げている。
見送ったら私も急ごう・・・。
「女の子が助けてくれた」
私の体が固まった。
女の子って・・・もう・・・勘弁してよ。
心に重りが付けられた感じ・・・良くない状態だ。
「女の子!・・・て、ねんちゃん誰?誰が助けてくれたの?」
「・・・うかつだったわ。水源しか意識してなかった。こんな時に外に出るようなバカな子はいないと思ってたのに・・・」
「キク、誰かわかるのか?」
もう確認してる。
・・・ここにいない三人。
「静かにして・・・スズ、ケイゴ、コースケはここにいる。・・・おばあちゃんはうちにいる。アラタ・・・カエデと一緒のおうちにいる・・・」
残ってるのは・・・。
ハルカ・・・山にいるのね・・・。
まだ無事だけど、この雨だからだ。
流れてくる水が道に川を作ってしまい、動けなくてどうしようもなくなってる・・・。
「・・・猫を助けたのはハルカね」
伝えるしかない・・・。
「キクちゃん、ハルカちゃんはどこにいるの?ちゃんと家にいるの?」
「・・・山にいる。動けないみたい・・・じっとしてる」
「助けに行くぞ!」
ケイゴが立ち上がった。
私は・・・私は冷静でいないと・・・。
「ダメ、あんたはスズを送りなさい。私が・・・行くから、私は・・・まだ大丈夫・・・え!なんで・・・」
いくつかの流れが感じられなくなっている。
水脈が塞がった?
・・・水源に今から行けば間に合う。
壊れてすべて流されてしまったら・・・そうなったら私は消える。
どうしよう・・・ハルカも助けないと・・・。
感情が考えに色々なものを混ぜて冷静さが奪われていく・・・。
「キクちゃん落ち着いて。どうしたの?」
「・・・水源も危ない。さっきまでは問題無かったのにおかしい・・・。たぶん水脈がいくつか埋まった・・・あそこは私の存在と繋がっている。守れなかったら、私は消えてしまう・・・どうしよう、どっちも行かないと・・・」
友達は見捨てられない。
でもそうしたら私の存在は・・・。
「ハルカの所には僕が行く!おキクさんは水源に行って!」
コースケが胸を押さえながら叫んだ。
あなたまで・・・。
やめて・・・これ以上、私に負担をかけないでよ・・・。
「ダメ、あんたたちを危ない目には合わせられない。きっと道なんて無い!だからハルカも動けないのよ!」
「山の中は僕も詳しい、水が入りづらい所もわかる。だから僕が行く!ハルカを助けたいんだ!!おキクさんが消えるのも嫌だ!!」
「・・・私が水源に集中したら、コースケとハルカに気を回すことはできない。・・・もしもがあっても」
本当にそうなる危険がある。
私がハルカを助けて水源に戻る・・・。
上手くいくかはわからないけどやるしかない。
「それでも行く。ケイゴはスズを家に送り届ける。おキクさんは水源へ・・・僕はハルカの所に」
コースケはなにか確信がある顔をしていた。
雰囲気に流されてるだけだ。
そんな夢みたいなこと言って・・・。
夢・・・まさか・・・。
◆
「・・・コースケ、もしかしてハルカの夢を見たの?」
少し考えて聞いてみた。
それがあるからなんだよね?
でも行かせるかは内容次第だ。
無事に戻れるなら任せられる。
「うん、暗い所で一人で泣いてた。憶えてるのはそこだけ」
「・・・それじゃダメ!それだけじゃどうなるかわからないことが多すぎる」
「夢で見たことは変えない方がいい。そう言ったのはおキクさんだ。僕は行かなきゃいけない」
私は頭を抱えた。
無理だよ・・・どうしよう・・・。
「・・・キク、コースケは止めても飛び出すよ。コースケ、オレはスズをちゃんと家に帰す。ナツミさんとおじさんもいるだろうけど、今夜は一緒にいることにする。スズ、それでいい?」
「・・・うん、わたしもちゃんと帰る。ケイゴ君も一緒にいるし、キクちゃんに負担はかけない」
・・・二人分の心配は減った。
私の心は揺れている。
コースケが上手くいけば、私は水源を守れるけど・・・。
「おキクさん、僕に行かせて。・・・信じて!僕はハルカも君も消えてほしくないよ!」
他に・・・方法は無いみたいね。
この子たちを足手まといに思っていたけど違う。
私の助けになろうと、負担を減らそうとしてくれている。
『これからは一人で抱え込まないで。持ちきれないものはおばあちゃんが手伝うから。きっと友達もそうよ』
わかったよおばあちゃん、友達も私を見捨てない。
でもこれは私にしかできないことだから・・・私も友達を見捨てない・・・。
「・・・わかった、あんたたちを信じる。時間が無いけど・・・ケイゴ、ちょっと来て」
信じるとは言ったけど、私は自分の存在を賭けることにした。
水源には向かうけど、この子たちが危なければ投げ出して助けに行く。
◆
「じゃあ、三人とも・・・また明日ね」
ケイゴの力とハルカの場所をコースケに渡して、私は水源に向かった。
きっと・・・きっと大丈夫。
◆
「また雨が・・・」
隠れ家を出て少しすると、急に強く降り出した。
ケイゴたちは・・・うん、もうすぐ帰れる。
ハルカ・・・さっきの所から動いてる。
コースケ、急いで・・・。
気になりだすと集中できないな・・・。
でも、水源はすぐそこだ。
◆
「あ・・・」
「遅かったな」
水源には渡り神の姿があった。
「・・・雷神は変わらないな。私が呼びかけたら雨雲を手放した。奴の役目を邪魔してしまったようだ」
さっき雨が弱くなったのはそういうことか。
・・・そうだ、力になってくれるかもしれない。
「お願い!少ししたら戻ってくるから、水を抑えていてほしい!」
この人がいれば・・・。
「・・・承諾できないな。ここはお前の土地で、それが役目だ。わかるだろう?危険な状態だ」
「なら、私の友達が山にいる。心配で集中できない!無事に下りられるように助けてあげて!」
私は渡り神に詰め寄った。
それくらいできるはずだ。
「・・・私を身内とでも思っているのか?位の低い神からの頼み・・・なぜ引き受けなければならないのだ。私からの許しが無ければ、こうして話すこともできないことを忘れたか」
返ってきたのは冷たい言葉だった。
でも、でも・・・あの子たちは私の友達・・・。
そして、今頼れるのはあなたしかいない・・・。
「・・・お願い・・・します。あの子たちを・・・助けてあげてください」
私は渡り神に縋り付いて、涙を流しながら助けを求めた。
感情と涙が溢れてくる・・・。
「感情の昂ぶり・・・。その揺らぎがあるから諦められないのか。他の神は役目を最優先で考える。本来奴らが共に来たとしても、なにも問題は無いのだ」
「私にはあの子たちを見捨てられません・・・お願いします・・・」
「・・・獣、人間、こういったことで死ぬ者を幾度も見てきたが、手を貸したことは無い。すべてその者が招いたことだからだ。なぜ今回は手を貸さねばならないのだ?」
「お願い・・・します・・・なんでもしますから・・・助けてください。あなたしか・・・頼れるものはいません。お願い・・・します」
何度も、何度も同じことを口にした。
水源の様子も気にならない。
私はあの子たちの命を優先したい・・・・。
「お前に望むものは何も無い。・・・このまま放っておけば水源は無くなり、お前という存在は消滅する。とわに存在する我々にとって、人間の子どもの命は取るに足らないものだ。それでも自分の存在を賭けるのか?」
「はい・・・私は・・・消えても構いません。あなたが行かないのであれば・・・存在しているうちにあの子たちを助けに行きます」
渡り神は助けてくれない。
なら、覚悟はできている。
私が・・・私が行く。
アラタの顔が浮かんだ。
『だってもう俺たち友達だろ?』
『キクはさ・・・いい匂いがするよな。夏の香りって言うのかな・・・』
消えたくないな・・・。
今、あなたの顔を思い出すのは辛い・・・。
『俺はあさってからいつも通り、この柵に座ってお前が来るのを待ってることにする。話したかったり、遊びたかったり、おぶってもらいたかったりしたら・・・ここに来れば、俺がいるようにする』
ごめんね・・・嬉しかったよ。
『俺さ、キクの浴衣姿・・・また見たいな』
浴衣もすぐに見せてあげて、恥ずかしがらずに気持ちも伝えればよかったね・・・。
さよなら・・・アラタ。
「もう時間は無い。私は二人を助けに行く・・・」
私は飛び立った・・・。
「・・・待て」
と思ったら、渡り神に腕を掴まれた。
「なに?離してよ!!」
「・・・お前はここで役目を果たせ。望み通り私が行こう」
「なによ・・・急に」
張っていたものが緩み、私は地面に落ちた。
さっきと違う・・・。
なんだか・・・暖かい・・・。
「私にはどちらも容易い。極限の中・・・お前は自分の存在を優先するのか、心がどこまで傾くか見たかった」
なによそれ・・・。
「・・・どっちでもいい。早く行ってあげて。それと・・・ありがとうございます」
怒りは無い、安堵の方が勝った。
渡り神は私なんかよりずっと位が高い、何とかしてくれる安心感がある。
「これで集中して守れる。・・・よかった、またみんなに会える。私はまだ消えてられない!」
朝には・・・帰るんだから・・・。
◆
数時間が経った。
私は水源と一つになり、何とか被害は増やさずに済んだ。
嵐は去り、雲もどこかに行き、空には濃い藍色と星がいくつか見える。
・・・いやまだだ、水脈をすべて見ないといけない。何箇所か埋まってしまった。
「ここは、大丈夫・・・ん・・・こっちは少し崩れてる。直しに行かないと・・・」
役目は果たせた。
私は・・・まだ存在している。
コースケとハルカも無事みたいだ。
あとで一応様子を見に行かないと・・・。
なんだろう・・・少し・・・疲れたな。
早くおばあちゃんにも顔を見せて安心させないと・・・。