第四十六話 八月二十一日 【春香】 あたしだ
『そっか・・・うん・・・』
最後に見たコースケが、何度も・・・何度も浮かんでくる。
『僕・・・そうだよね・・・』
今にも泣きそうな切ない顔・・・。
花火の時と同じ・・・。
まただよ・・・うまくできなかった・・・。
◆
「はあ・・・」
何百回目かの溜め息が出た。
あの日からずっと握っていたルーペは、もう体の一部みたいに熱を持っている。
夜空を見る気にもなれなかった。
また抱きしめてもらえれば気持ちは落ち着くかな?
今夜、まだ悩んでたらそうしてもらおうかな・・・。
「・・・ハルカ、お昼は?」
部屋のドアが開いた。
・・・台所から料理の匂いが入ってきて気持ち悪い。
お母さん・・・今は放っておいてくれないかな。
「・・・いらない、大丈夫」
「もう三日もなにも食べてないじゃない。こーちゃんも元気無いって聞いたよ。・・・ケンカでもしたの?」
「・・・なんでもないよ」
「お腹減ったら言ってね・・・」
溜め息と一緒にドアが閉められた。
一度も布団から顔を出さなかった。
このままあたしはどうなっちゃうんだろ・・・。
体はまだ平気だと思う。
食べる気はしないけど、なんとか眠れるし・・・。
あたしのせいだけど、突然一人ぼっち・・・。
ジョバンニもこんな気持ちだったのかな?
◆
目を閉じると、コースケやみんなの言葉が浮かんできた。
一緒にダメなあたしも・・・。
『気にしてるから本人の前では絶対言っちゃダメだよ』
なんで背のこと言ったのかな?
一番気にしてるのは知ってたのに・・・。
『僕ってハルカにどう思われてるのかなって・・・』
『僕はコースケじゃなくて助手なの?』
あたしはコースケをどう思ってる?
・・・わかんないよ。
でも「助手」はそういうのじゃなくて、一緒に色々やってくれる・・・そんなのがいいなって・・・。
『わあ、おいしい。僕これ好きだな。ありがとうハルカ』
ああ、そんな日もあった。
あの顔・・・また見たいな。
また作ってあげたら許してくれるかな・・・。
『でもはるちんがいるだけでいいよ』
カエデの方があたしよりもコースケと仲良くやれそう・・・。
実際よく一緒にいるし「いるだけでいい」なんて言葉は、あたしの口からは出てこない。
『ピンチの時は必ずそばにいるでしょう』
カエデ・・・本当にそうだったよ。
慰めようとしてくれたのに、励まそうとしてくれたのに・・・冷たくしてしまったかもしれない。
・・・もう目を隠してなかった。
会ってない間に、あの子を変えるきっかけがあったんだろうな。
いつもより明るかった気がするし・・・。
きのうまで「もしかしたらコースケが来るかも」ってお寺で待っていた。
来ても何も言えなかったかもしれないけど・・・。
◆
今度はうつ伏せになって、枕に顔を埋めた。
またあたしの記憶が語り掛けてくる・・・。
『はるちん、先生に相談してみようよ』
先生・・・助けてくれるかな?
『例えばハルカは、自分の考えてることと、口から出る言葉が違うことあるだろ?』
・・・うん、そんな時ばっかりだよ。
『お前はちゃんと自分と向き合え、どうしたいかが定まってないからそうなるんだ』
そのどうしたいかがわからないんだよ・・・。
『誰かを傷付けないように考えて話すようにすること』
知らず知らずに、ずっと傷付けて、困らせてたのかな・・・。
・・・もう遅いかもしれないけど、学校・・・。
先生いるかな・・・。
◆
「ん・・・」
布団から顔を出して瞼を開いた。
・・・暗闇がまだ焼き付いてる。
コースケ・・・また仲良くしたいよ。
カエデが教えてくれた道・・・外に出よう。
◆
「お、やっと布団から出てきたのか。大丈夫かハルカ?」
部屋を出たところでお兄ちゃんと出くわした。
いつも通り・・・なのかな。
「・・・お兄ちゃん」
あたしは無意識に抱きついていた。
なんか・・・こうしたい。
「なんだよ?油ついてるから汚れるって」
「あ、ごめん・・・」
「出てきたと思ったら、ちっちゃい時みたいだな。たしかコースケと小学校行けるってわかった日もそうだ。急に俺の部屋にきて、こーちゃんと一年生になれるんだって」
お兄ちゃんが頭を撫でてくれた。
・・・そうだったな。
前はしょっちゅうお兄ちゃんに抱きついて話してたっけ。
いつからしなくなったんだろう・・・。
「まあいいや、兄ちゃん今日から遠くに走りに行ってくるんだ。あさってには帰ってくるから、そのあとだったら抱きついてもいいぞ」
なによ・・・いつもと違ってお兄ちゃん優しいじゃん・・・。
あたし、そんなに可愛い妹じゃなかったのに。
夏祭りのときはどっか行ってほしいなんて思ってたのに・・・。
「うん、お兄ちゃんが帰ったら・・・そうする」
「は?・・・とりあえずなんか食え。母さんが心配してる」
まだ食欲は無い。
早く先生に会いに行かないと・・・。
◆
校庭に入って、校舎を目指した。
なんだろう・・・風が強い。
なにも食べてなかったから、体が軽くなってるのかな・・・。
「あ・・・」
テラスから職員室に続く戸は開いている。
よかった、先生がいる・・・。
お願い・・・助けて、助けて・・・。
まっすぐに職員室、先生の元へ・・・。
◆
「先生はそういう考えですか・・・」
「まあそうですね。どう教えるかもあるけど、いいことと悪いこと・・・いろんな可能性とかも」
「なるほど、隠さないってことですね」
職員室から声が聞こえてきた。
先に誰か来てる。
この声は・・・ナツミさんだ。
事情を知っている一人でもある。
・・・ちょうどよかった、一緒に聞いてほしい。
「先生・・・」
あたしは職員室に飛び込んだ。
早く・・・話を・・・。
「え・・・なんだハルカか。カエデ連れて来たのか?」
「先生・・・助けて・・・」
「どうしたよ・・・」
先生はすぐに真面目な時の顔に変わった。
きっと・・・大丈夫だ。
◆
「お前、何日か食ってないだろ?血色が悪くなってて顔が青い」
あたしは丁重に椅子に座らされた。
よっぽど切羽詰まった顔をしてたみたいだ。
「食べたくなかった・・・。すぐ戻しそうだったから・・・」
「ゼリーとか食う?カップスープもあるけど」
「いらない・・・」
「・・・先生、私は席を外しますね」
ナツミさんが立ち上がった。
あ・・・行かないで。
あたしは帰ろうとするナツミさんの腕をつかんだ。
「あなたもいていいみたいですね。・・・で、どうした?」
先生が椅子を持ってきて、あたしの正面に座った。
来たのはいいけど、どこから話していいのかわからない。
どう話すのかも・・・。
「・・・コースケだろ?」
「あ・・・」
見透かされてる・・・。
「なんかやらかしたんだろ?お前がそうなってるならコースケも心配だ。・・・バカだな、教えてたのに」
「・・・うん、ごめんなさい」
そうだよ・・・バカだった。
こうやってはっきり言ってほしかったのもあったけど、いざ突き付けられると耐えられそうもない。
あたしがコースケに付けた傷は、もっと深くて痛かったんだろうな・・・。
「先生!ちょっと言い方が・・・」
こらえきれず泣き出したあたしの肩を、ナツミさんはそっと抱いてくれた。
「ケンカ・・・って感じでもなさそうだな、すれ違いとかちょっとしたズレか?」
先生はナツミさんを遮って話を続けた。
「・・・先生わかるんですか?」
「当然ですね」
あたしは何も言えない・・・。
でも先生は、事情を知らなくても察してるみたい。
「とりあえず全部話してみ。あったこと、考えたこと。間違ったことは言えないからな。大丈夫だ・・・ちゃんと助けてやる」
「うん・・・」
全部・・・やってみよう。
◆
あたしは少しずつ話した。
この夏休み、コースケとの間にあったこと・・・。
「助手」って呼ぶと少し嫌な顔をしたのは知ってたこと。
それでもそう呼んでいたこと。
屋上に忍び込んで天体観測をしたこと。
その時はとっても楽しかったこと。
夏休み前に草野に誘われたこと。
みんなには話さなかったこと。
コースケと花火に行くって去年約束してたこと。
なのに、草野に断り文句で「行かない」と言ってしまって困ったこと。
花火の日にコースケに当たってしまったけど、謝れなかったこと。
コースケは草野と会っていて、あたしが隠してたのを知られてたこと。
それを聞かれたけどちゃんと説明できなかったこと。
熱くなっちゃって、コースケが一番言われたくない言葉をぶつけてしまったこと・・・。
一通り話せた。
思ったことも、全部出せたつもりだ。
「・・・」
「・・・」
先生とナツミさんは、何も言わず聞いてくれた。
なにか言ってほしい・・・。
◆
「・・・ハルカちゃんは、コースケ君と昔からずっと一緒にいたの?」
ナツミさんがあたしの横に座った。
もうなにも隠さない・・・。
「うん、ちっちゃいころから一緒だったよ。ハルカお姉ちゃんて・・・後ろ付いて来て・・・もっとかわいかったんだ。でもいつの間にかあたしに意見するようになったり、あたしよりも力がついてたり。・・・あたしをおんぶなんてできないと思ってたのに」
「かわいい弟みたいに思ってたのね。じゃあ今は?」
「今・・・コースケにも言われた。自分の事どう思ってるんだろうって・・・うまく言えないんだよね・・・」
だから、ちゃんと答えられなかった。
わからないんじゃなくて、言葉が見つからない・・・。
「んーと・・・じゃあはっきり聞くね。ハルカちゃんは、コースケ君に恋愛感情を持っているのかってこと」
恋愛・・・コースケに・・・。
「・・・それがよくわかんない。でも、コースケはカエデのことが好きなんじゃないかなって思う時がある。最近はあたしより一緒にいる時間長いから・・・」
「そういうの気にするってことは、やきもちなんじゃない?」
「違う・・・と思うんだけど・・・」
でも、そうなのかな・・・。
コースケを気にしちゃうのはそういうこと?
「・・・ところでさ、なんで助手なんだ?」
先生は不思議そうな顔であたしを見てきた。
そんなに重要なのかな?
「それは・・・ただナツミさんが言ってるのを聞いてなんかいいなって。でも、別に下に見てるとかじゃなくて・・・あたしに付いて来てほしいっていうか・・・。なんかやる時は・・・あたしと一緒にやってほしいっていうか・・・」
「ふ・・・」「ふふ・・・」
先生とナツミさんが顔を合わせて笑った。
・・・なによ?
「ふーん、ナツミさんわかりました?」
「なんとなく」
「じゃあ、ナツミさんやってみてください」
「はい」
二人だけで納得してる・・・。
あたしにはまったくわからない・・・。
「じゃあ質問ね、ハルカちゃんにとってコースケ君はかわいい弟?それとも、気になる男の子?」
「どっちかなの?・・・それだと、んーと」
「まずはそこだと思う。はっきりしないから接し方が定まらないの。優しくしたり、きつくしたり、それじゃあコースケ君も戸惑うよ。なんでそうなっちゃったか・・・これは私の推測だから違ったら言ってね」
「うん・・・」
もしナツミさんの考えがしっくりくれば、これからどうしたらいいのかがはっきりするような気がする。
「弟か、男の子か、どっちも当たってると思うの」
「どっちも?」
「そう、お姉ちゃんと女の子・・・どっちもハルカちゃんの中にいる。で、きっとお姉ちゃんのハルカちゃんは、コースケ君に女の子として見てほしくないって気持ちがあるんだよ」
「・・・そうなのかな」
「でも女の子のハルカちゃんは、コースケ君のことを男の子としても気になりだしてる。だからよくわからなくて、そうなった時に変な扱いをしたりするんじゃない?・・・つまり、ハルカちゃんは自分自身が定まってないってこと」
合ってるような気もするし、違ってる気もする。
うーん・・・自分の気持ちもよくわからないんじゃどうしようもない。
・・・先生もそう思ってるのかな?
「・・・」
先生は、あたしが顔を見ても特に話す様子は無い。
ナツミさんに任せたからか・・・。
「ふふ、じゃあコースケ君が怒ったのはなぜでしょう?」
ナツミさんが人差し指を立てた。
なんでって・・・。
「あたしが理不尽な扱いをしてきたから・・・溜まりに溜まって?」
「あはは、それだったらもうとっくに嫌われて離れてると思うよ。答えは簡単、ハルカちゃんと同じだと思う」
「あたしと?」
「そう、コースケ君も一緒。ハルカちゃんをお姉ちゃんとして見るか、女の子として見るかよくわからない。ある日、お姉ちゃんとして見ていたら優しかったのに、別な日は急に厳しくなった。じゃあ女の子として見たらいいのかな?・・・同じ結果になった。コースケ君は、話を聞くと相手にかなり合わせてくれる子でしょ?」
そう、コースケは今まで我慢してくれてたんだと思う。
ずっと・・・ずっとあたしに合わせてくれてた・・・。
「今まで、ハルカちゃんがやりやすいようにしてくれてたんじゃない?そんな中で、どちらでもない助手呼び」
・・・顔見て知ってる。
やだったんだよね・・・。
「さらに草野君とのことも自分には隠していた。もしかしたら、自分のことをもう弟とも見てないし、男の子としても見てはいないのかも・・・。そう考えていたら、ハルカちゃんのことが余計わからなくなった。それで、直接聞こうとしたら今回の結果になったんじゃないかな」
だとしたら、やっぱり・・・あたしのせいじゃん。
勝手なことして、勝手に突き放して・・・。
ナツミさんの話し方は優しいけど、心臓を少しずつ縛られていくような感覚だ。
・・・苦しいよ。
「でもその天秤は傾いてきてるんじゃないかな?」
「それも・・・よくわかんない」
「ハルカちゃんは、コースケ君が男の子になるように無意識にしてるんじゃないかな?」
「え・・・」
冷や汗が出た。
あたしがコースケを男の子に?
「なにか、きっかけはあったと思うけど・・・。例えば、コースケ君の前で下着だけでいたりするんでしょ?それってみんなの前でもそうなの?」
・・・なんで知ってるの?
コースケがナツミさんに話した?
もう・・・そんなこと言わなくていいのに・・・。
「・・・違う、コースケの前でだけ。・・・他の子の前ではちゃんとしてる。・・・だから、さっきの話の通りかもしれない。あたしのこと、女の子として見てほしくないって気持ちがある・・・。だからちょっとがさつで、女の子っぽくないところを見せた方がいいって考えたんだと思う・・・」
「それは逆効果だったわね。ハルカちゃんはもう六年生なんだよ?背も大きいし、発育もいい方だし」
「それ関係ある?」
「あはは」
先生が笑い出した。
なにがおかしい・・・。
「逆に魅力的に見えちゃうのよ。ね?先生」
「先生は、ハルカの体には興味無いけどな」
いちいち憎まれ口を言わないでほしい・・・。
「それを隠さず見せられることで、自分は男として見られていないんじゃ・・・って余計に思ったはずよ。だからもっと男らしくならなきゃ、なんてね」
「う・・・」
急に恥ずかしくなってきた。
無意識だったけど、逆効果だったってことだよね・・・。
『あんたさ、あたしのはいつも見てるくせに自分は恥ずかしがるって変じゃない?』
じゃあ夏祭りに行く前、浴衣をめくったのもダメだったな。
「気にするな、思春期だからしょうがない。ただ・・・誰かを傷付けるのは違う」
「そうですね・・・あとは、ハルカちゃんも女の子を見せてることがあるはずよ。例えばシャンプーを変えたり、ヘアスタイルを気にしたり。あとはそうねえ・・・日焼け止めを塗ったり」
「・・・日焼け止めはコースケがずっと前に言ってたからだよ。色白の方が好きだって・・・忘れてたみたいだけどさ」
自由研究・・・二人で山に行ってキクと合流する前だ。
『そんなに日焼け嫌なの?』
ちょっとがっかりした記憶がある・・・。
「そうなんだ。じゃあ男の子のきっかけは、やっぱりハルカちゃんだと思うよ。きっと決定的なことがあったはず・・・憶えてる?」
憶えて・・・思い出さないとダメだ。
あたしを女の子として意識させるきっかけ・・・。
「思い出したら会いに行って話せばいい。・・・先生、これでどうでしょう?」
「きっかけを思い出しても、ハルカの気持ちがまだはっきりしてないから九十点です。かわりましょう」
「・・・私教職は取ってないので」
ナツミさんは少ししょんぼりしてる。
けっこう片付いてはきたけど、あたしの気持ちは・・・たしかにまだ見つかっていない。
「ハルカ、ナツミさんは弟か男か二択で話したけど、先生は必ずどっちかじゃなくてもいいと思う」
先生が優しい声を出した。
「・・・どういうこと?」
「迷ったら、その二つにとらわれずに新しい答えを出してもいい」
新しい答えか、たしかにその二つで聞かれると引っかかりがある。
あたしの本当の気持ちは・・・。
「自分と・・・向き合うってことだよね?」
「その通り。答えの出し方がちゃんとわかってるから、これで九十九点にしておくか。あと一点は・・・お前の中のどこかに必ずあると思う」
「・・・わかった。ありがとう・・・先生、ナツミさん・・・」
相談して良かった。
あんなに沈んでたのに・・・。
もうどうしようも無いって思ってたのに・・・。
散らかりすぎた頭の中を二人がしっかりと整理整頓してくれた。
・・・カエデには次に会ったら謝ろう。
あとは整理された中から、あたしの気持ちを見つけてあげないと。
それにナツミさんは、コースケを男の子にするきっかけはあたしが作ったって言ってた。
・・・それはいつだろう?
コースケが向かってるのは・・・どこなんだろう?
「仕方ないから特別に教えてやるけど、悩み相談でコースケはお前のことをよく聞いてた」
先生があたしの手にゼリーを持たせた。
なんか・・・食べたい。
「あたしのこと?」
「こんなことで機嫌が悪くなったとか、自分はどうしたらハルカに優しくしてもらえるかとか。去年かその少し前くらいからだったかな。・・・本当は、このことは誰にも話さない約束で聞いてる。・・・内緒だぞ」
結局コースケを自分勝手に振り回して、それが自分に跳ね返ってきただけ。
そしてここ一、二年はずっと悩ませていた。
なら忘れてるなんて無責任だよね。
絶対に思い出さないといけない。
またあたしの勝手だけど・・・仲良くしたいもん・・・。
◆
家に帰って、すぐ部屋にこもって記憶をたどった。
入学する前は、まだあたしが「お姉ちゃん」だからその頃だと思うんだけど・・・。
「ハルカ、出かけてたんだね・・・。ご飯は・・・まだいらない?」
お母さんが部屋に入ってきた。
朝昼晩・・・毎回声をかけてくれて、ずっと心配してくれてたっけ・・・。
・・・なにか、食べたいな。
ゼリーだけじゃダメだ。
「お母さん、あたし・・・おなか・・・減った」
「ハルカ・・・よかった。早いけどなにか作るね。お兄ちゃんはもう出ちゃったから、お父さんを呼んできてあげて」
お母さんは張り切って台所に向かった。
あたしは自分の家族にけっこう影響を与えてたのかな?
◆
「お父さん、お母さんがご飯にするからって。一緒に食べよう?」
外に出て、事務所のドアを開けた。
「お、少し元気になったな。またこーちゃんと星を見に行くのか?」
お父さんはいつも通りに笑ってくれた。
またこーすけと・・・。
「うん・・・できたらそうするよ、心配かけてごめんね」
・・・違う。
「できたら」じゃない。またそうなるように動くんだ。
◆
テーブルにはおいしそうなコロッケが用意されていた。
うわ・・・おいしそー・・・。
「これね、花井さんがくれたレシピで作ったの。洋食屋さんのコロッケだって」
「うまい・・・ていうかあの人、あのお姉ちゃんと再婚すんのかな?」
「それは無いでしょ。ずっと忘れてない・・・亡くなっても愛してくれるっていいわね。・・・お父さんもそうでしょ?」
「・・・まあ」
お母さんとお父さんは、わたしがご飯を食べるのを見て安心したみたい。
「遠野さんに聞いたけど、話す時に胸見てこないのって花井さんだけなんだって」
「なんの話だよ・・・」
「別に・・・」
子どもの前でする話じゃない気がするけど・・・。
「あ・・・そうそう、こーちゃんがね。あんたが出かけてる時に回覧板持ってきたのよ」
「・・・え?」
箸が止まった。
コースケの話・・・今されるのは気まずい。
「ねえ、なにか・・・言ってた?」
でも気になる。
「ハルカいますか?って。他にはなにも言ってなかったわね。出かけてるって、教えたらがっかりして帰ってったよ」
あたしに・・・あんなにひどいこと言ったあたしに会いに来てくれていた。
でも、今日は会えなくて良かったのかもしれない。
きっと家にいたままのあたしだったらダメだったし・・・。
コースケ、早く答えを出すから呆れないで待っててほしいな。
「・・・で、こーちゃんと何があったの?」
お母さんが真剣な顔になった。
「別に・・・」
「そう・・・仲直りしなさいよ」
やっぱり・・・気付いてたか。
「あの子、ちょっとだけど背が伸びたわね」
「うん・・・」
「まあ、ハルカとちょうど一年違うしね。小学校入学の時は、こーちゃんのお父さんもお母さんも一年勘違いしてて大変だったみたいよ。秋くらいに就学の案内がきて、慌てて準備してたんだから」
ああ、そうだった。
だからコースケもあたしを「お姉ちゃん」て呼んでたんだ・・・。
「でも、それ聞いて一番喜んでたのはハルカだったな。こーちゃんと一緒に一年生になれるって」
お父さんがにやけた。
・・・うん、憶えてる。
「ねえ。こーちゃんよかったねって一晩中言ってたんだから」
「寝てる時まで耳元で言ってきたな。正直迷惑だったぞ」
「お風呂で変な歌作ってたよねー」
「恥ずかしいからやめてよ・・・もう」
ちょっと元気になったらこれだ。
・・・嫌な家族ね。
「こーちゃんも・・・あ・・・」
電話が鳴り出した。
・・・もしかしてコースケ?
「・・・はい、宮沢です」
お母さんが出た。
「・・・え?・・・はい・・・はい」
違ったみたいだ。
「・・・気をしっかり持ってください」
お母さんの声が暗くなっていく。
深刻な話なのかな?
◆
「大丈夫です。主人とすぐに出ますから安心してください」
電話が終わった。
どこかに行くみたいだ。
「・・・どうした?」
お父さんも深刻な声になってる。
「昔お世話になった大野さん・・・亡くなったんですって。今は奥さんしかいないし、すぐに手伝いに行ってあげないと・・・」
「・・・そうだな。喪服出さねーと」
「ハルカ、ちょっとおうち開けるけど一緒に来る?」
二人が立ち上がった。
あたしの知らない人の所に行ってもな・・・。
それに、今ここを離れたくない。
「大丈夫、留守番してるよ。一人で平気だし」
「・・・わかった、頼んだわね。ああそうだ、回覧板明日でいいから区長さんの所に持って行ってあげて。みんなの家には、ハルカ一人で留守番してるって電話しておくから、困ったら遠慮しないで行くのよ」
「向こうの様子によるけど二、三日は帰ってこれないな。ギンジはその前に戻るだろうから心配ないだろ」
「大丈夫、うどんもいっぱいあるし。野菜も適当に切って食べるよ」
一人で考えられるならそれでいい。
◆
「・・・一人で平気っては言ってたんだけど、なにかあったら行くと思うの。その時はよろしくね。・・・うん、お父さんにも伝えておいてね」
お母さんは、さっそくみんなの家に電話を始めた。
あの感じはスズのとこか・・・。
「あ・・・遠野さん?あのね・・・」
みんなのとこ・・・。
コースケのとこは・・・やめてほしいな。
・・・あたしは早く答えを出さないといけない。
一人になろう・・・。
◆
部屋に戻ってベッドに寝転がった。
・・・でも、いつからだったかな?
コースケがあたしを「お姉ちゃん」て呼ばなくなったの・・・。
ん・・・食べたせいか眠くなってきた・・・。
◆
『こーちゃん、よかったね。一緒に一年生になれるんだよ』
『うん、ハルカお姉ちゃんと一緒がいい』
懐かしい顔が見えた。
・・・ああ夢か、入学する前だ。
コースケ・・・かわいいな。
『こーちゃん、同じ一年生なんだから、もうお姉ちゃんじゃないのよ。あたしのことはハルカちゃんて呼ばないと』
『えー、ハルカお姉ちゃんがいいな』
『ダメ、お姉ちゃんじゃなくてハルカちゃん。男の子なんだから、ハルカって呼んでもいいんだからね』
あ・・・そうだ、このあと・・・。
『もうお姉ちゃんじゃないの?』
『そーよ、もう弟じゃないの。こーちゃんはね、あたしにとって・・・』
うん・・・思い出したよコースケ。
『一番仲良しの男の子だよ』
心で思ってることを素直に出せた『あの頃』のあたしが言ったんだ。
◆
目が覚めると家には誰もいなかった。
お父さんたちはもう出たみたい。
色んなもので塗りつぶされていた記憶・・・。
そこを思いっきり引き剥がされて見せつけられた。
「・・・やっぱり、きっかけはあたしだ」
あとは、今のあたしがコースケをどう思っているのか・・・。
早く見つけなきゃいけない。