第四十話 八月十五日 【新】 鬼階段
「よし!!」
体を起こした。
晴れ・・・いい天気だ。
「気合入れねーとな」
着替えた。
目覚めはいい。
早くキクの所に行かないと。
あれからどのくらい記憶を集められたのか。
それを頼りに幽霊の無念を晴らさないといけない。
◆
「カエデ、起きてるな」
「もちろんだよ」
カエデは家の前で待っていた。
前髪でわかんねーけど、いい顔してそうだ。
「沼だな」
「うん、行こうあらちゃん」
カエデが自分から走り出した。
あの幽霊が何者か、わかってるといいんだけど。
◆
「ちゃんと幽霊さんをハッピーエンドにしてあげようね」
カエデが走りながら振り返った。
「そうだな。カエデ、体力付いた?」
いつもなら短い距離を走っただけで息切れして休んでいた。
今日は俺の少し後ろだけど付いてきている。
カエデの思いの強さはどれくらいなんだろう?
疲れを忘れるくらいなのはたしかだ。
どっちにしろ、いつもより積極的になっている。
俺にも、疲れを忘れさせるような・・・。
そんな出来事がこの先あったりするのかな?
◆
沼まで止まらずに走った。
さすがにここまで来ると俺でも息が切れるな。
「きくちゃん」
「・・・待って、もう少しだから」
幽霊は沼に浸かり、キクはきのうと同じように手を沈めていた。
「はあ・・・はあ・・・わかった・・・待ってる」
カエデは張りつめていたものが緩んだのか、途端に息を乱した。
これは整うのに時間がかかりそうだ。
俺は背中をさすってやりながら待とう。
キクの足元にはお菓子の袋がたくさん落ちている。
きのう渡したものはほとんど食べてくれたみたいだ。
・・・片付けもしないとな。
◆
「大体戻ったはずよ。流されないように繋ぎ止めなさい」
「大丈夫だ。アラタとカエデも来たようだし、まず私の話をしよう」
ついに幽霊が記憶を取り戻した。
無念はいったいなんなんだろう?
「教えてください」
カエデはいつの間にか手帳を取り出していた。
息はもう大丈夫みたいだ。
「私の名前は木下ススム、進行の進だ」
名前、思い出せたか。
でも・・・。
「木下?大鳥沢には木下なんかいないぞ」
「あらちゃん、まだ続きがあるみたいだから聞こう」
「そうだな。・・・大鳥沢は故郷なの?」
「間違いない。・・・私にも兄弟がいたが、みんな戦に出た・・・長男の私が最後だったんだ。だから木下の血は途絶えてしまったんだろう」
戦って・・・太平洋戦争か。
ススムさんは戦地で仲間に殺されたって言ってたな。
「それで、すすむさんの無念は何?それがあるからここにいるんでしょ?」
カエデが一歩前に出た。
たしかに・・・。
「そうだぞ、それが一番重要だろ」
「大切だった人を・・・待たせている」
ここからが本題みたいだ。
気を引き締めないとな。
「だが・・・その人が思い出せないんだ。手がかりになりそうな場所なら思い出したから、一緒に来てほしい」
ススムさんは遠くを見つめた。
キクは大事な記憶ほど先に流れるって言ってたな。
最後まで思い出せなかったのは、自分のことよりも・・・何よりも大切なことだったって感じか。
「ごめんね、でももう少しよ。水はもう必要無い、あとはきっかけだけ。早く行きましょう」
キクが幽霊の腕を掴んだ。
「どこだ?」
「鬼階段だ」
鬼階段・・・みんな調べたけど何も無かったらしい。
記憶に関することだから、風景とかで思い出すのか?
「話は向こうで」
カエデが真っ先に走り出した。
・・・だよな。
◆
墓場が見えてきた。
鬼階段はもうすぐだ。
「カエデ、大丈夫?」
キクが振り返った。
「うん・・・」
「顔が赤い、もうちょっとゆっくりでも間に合う。アラタ、少し休ませてあげようよ」
「そうしよう」
カエデにとっては相当激しい運動だったらしい。
風邪をひいた時みたいに顔が赤くなっていて、今度はキクが背中をさすってあげている。
「はあ・・・はあ。すすむさんごめんなさい」
「いや、私も気を配るべきだった。無理をしないでくれ」
「私ね・・・物語はもやもやした終わり方とか、絶望で終わるのはあんまり好きじゃない。救いや希望が無いと・・・あなたはそうならないようにしてあげたい」
ここまで本気になるのはそういうことか。
無念を晴らせなければバッドエンド・・・。
知ってしまった以上それはさせられない。
カエデが絶対に譲れないものなんだな。
◆
「変わってないな・・・いや、苔が増えたか。ここで私は・・・」
ススムさんが階段を見上げた。
石でできたいびつな階段、二人並んでは登れない狭さだ。
一段ごとに高さが違うし、途中にあるいくつかは幅が狭くて真ん中を歩かないと登りにくくなっている。
さらに何段かは踏むとぐらつく。
壊れたりはしなそうだけど、これも気を付けないとな。
「鬼階段の話は残っているかな?」
「えーっと・・・鬼が転げ落ちて一段増えたとか。夜ここに来ると、階段になった鬼が姿を取り戻してて襲ってくるとか」
親や周りから聞いていた言い伝えを憶えている限り話した。
「ふふ・・・残っているのか。社に行こう、上から見たい」
ススムさんはニコッと笑った。
思い出したのか?
◆
俺たちは上まで登って、さっきいたところを見下ろした。
「鬼が転げ落ちて、一番下にもう一段となった・・・これは私が子どもの頃からあった話だ」
ススムさんは優しい目で風景を見渡した。
「まあ・・・真実は知らないけどね。さっきアラタが言ったもう一つ、夜にその鬼が姿を現す・・・そっちは私が作ったんだ」
「え・・・」
「そうなの?」
「あはは・・・今でも残ってるなんてね」
頑張って調べてたナツミさんに聞かせてやりたい・・・。
「すまない、思い出したらおかしくてね」
「なんでそんな話作ったんだよ?」
「まあ、なんていうか・・・そうだな・・・逢引き」
「あいびき?」
えっと・・・好きな人と隠れて会うこと?
「詳しく教えてください」
「・・・大切な人がいた。私は照れ屋でね。誰かに見られていたら恥ずかしい。・・・だから夜、この場所でよく会っていたんだ。鬼階段の話を利用して、誰も夜に近付かないように・・・もうすぐだ、名前を思い出したい」
その人が今どうなっているかは保証できない。
引っ越したかもしれないし、もう死んでいるかもしれない。
もしそうだったらこの人の無念はどうなるんだろう?
思い出すことで、より深い無念になったりしないか?
「・・・下から数えて三段目だ。そこに行こう」
ススムさんは一気に下まで跳んだ。
さすが幽霊・・・。
三段目か・・・さっき歩いた時にぐらついてた所だ。
◆
「ここが外れる。やってみてくれ」
ススムさんがぐらついてる階段を指さした。
「外す・・・ぐ・・・」
言われた通り、少し持ち上げてみた。
・・・重い、結構きついな。
「無理・・・こんなの動かせるかよ」
「あらちゃん、私も手伝うよ・・・んん!」
「もうちょい右持った方がいい」
「うん・・・んんんん!!!」
カエデも頑張ってくれて、なんとか十センチくらいずらすことができた。
明日は筋肉痛かも・・・。
「すまないな。私たちは大人だったから・・・もう少しだ、頼む」
「カエデ、私がやる。手をケガするからもういいよ」
「え・・・あ・・・」
簡単に石段が外れた。
神様だからか・・・最初っからそうしてくれよ。
「ほんとに外れた・・・」
下は狭い空洞になっていた。
覗くと、昔のお菓子の四角い缶が入っている。
「・・・これが探し物か?」
「そうだ・・・よかった。今まで誰も気付かなかったようだな。・・・すまない、今思い出したがあの石段を開ける時、私たちはてこを使っていた」
「あ?」
それも早く思い出してくれよ・・・。
「・・・もういいよ。それより、これ開けていいのか?」
俺は缶を取り出した。
「・・・頼む」
「あらちゃん、私にも見せて」
「開けるぞ・・・」
ゆっくりと蓋に触れた。
表面は剥げていてボロボロだ。
元は何が入ってたんだろ・・・。
「かてーな・・・」
俺は壊れてしまわないように慎重に開けた。
「あ・・・これ・・・」
中には、かなり古い紙切れが二枚と・・・ボタンが一つ。
「このボタン・・・一番下のだよね?」
カエデがススムさんの服を指さした。
たしかに外れてる。
「・・・私のものだ。会えない時は、ここに手紙を入れてやり取りしていたんだ」
「じゃあ、この紙切れが手紙?」
「そのはずだ・・・いや、おかしい。開いて見てくれ、私は一枚しか入れていない」
「忘れてんじゃねーの・・・」
まず一枚を取り出してみた。
「意外としっかりした字書くんだな」
根はかなり真面目なのがわかるくらいだ。
「読んでいいの?」
「構わない」
「えーっと・・・明日の朝の予定だったが、今夜になってしまった。ここを出る前に会いたかったけど、できそうもないので急いで手紙を書いたよ。読んでくれることを願っている。実は服のボタンがまた外れてしまったんだ。私は必ず帰るから、その時に頼むよ。だからシズカもまた会えるよう信じていてほしい。そして帰ったら、もうみんなに隠さず一緒に、共に生きよう・・・シズカ?」
知っている名前があった。
ばあちゃんがススムさんの大切な人?
「そう、シズカだ!ああ・・・やっと思い出せたよ・・・ずっと待たせてしまった・・・彼女はまだいるだろうか」
ススムさんの声が震えた。
「おばあちゃん・・・まだ生きてるよ!大丈夫、また会えるんだよ・・・よかったね・・・」
「あ、ああ・・・そうだ、もう一枚も見てくれ」
「うん」
今度はカエデが手紙を取り出した。
「私が読む・・・すすむさん、私もあなたが行ってしまう前に会いたかったです。大丈夫よ、必ず帰ってくると信じます。だからこのボタンはここにしまっておきますね。あなたから・・・また直接お願いしに来て・・・ください。私・・・はずっとあなたを・・・待っています。私もあなたと・・・共に生きたいです・・・」
カエデは泣いてしまった。
手紙の内容、ここ数日の頑張りのゴール・・・感極まったんだな。
俺もヤバい・・・。
「カエデ落ち着いて。大丈夫よ、おばあちゃんはいるんだから。早く会いに行ってあげよう?」
「うん・・・うん・・・なんとなく、おばあちゃんのことかなっては思ってたんだ・・・。鬼階段のことはなにもわからないって嘘ついてたし・・・ここはおばあちゃんにとって大事な場所だったんだよ・・・。だから誰にも本当のことは教えたくなかったんだね・・・」
そういうことね・・・。
ばあちゃんもやるな。
平気な顔で「知らない」って言ってたのか。
でも・・・わかる気がする。
大切な場所、人・・・。
関係ない奴には入ってきてほしくないよな。
「おばあちゃん・・・」
「カエデが泣き止んだら行こうね」
「うん・・・」
ススムさんを早く連れていきたいけど、カエデが落ち着いてからの方がよさそうだ。
◆
「もう・・・大丈夫・・・」
カエデが涙と鼻水を拭いた。
・・・再会見たらまた泣くんだろうな。
「あの時・・・部隊から逃げなければ私は生きて戻れたのかな?逃げたのは怖かったのもあるけど、もし人を殺してしまったら・・・そんな手でシズカを抱きしめることはできない。そう思ったんだ」
ススムさんが呟いた。
「俺は間違ってないと思う。同じ状況なら俺も逃げたかもしれない」
生きるためには、また会うためには・・・考えたんだ。
俺はキクを見た。
ススムさんよりも若くして死なされたこの子は、今の話で何を思ったんだろう?
「間違ってない」って言ったけど、その気持ちはそこにいた人にしかわからない。
・・・自分で言ったことが軽すぎて恥ずかしくなってきた。
「・・・ごめん。わかりもしないのに」
「いいんだアラタ、言葉だけでも救われたよ。・・・昔から臆病なんだ。手紙では一緒になろうなんて書いたけど、直接会っていたら言えなかっただろうし・・・。好きだって言えたことも無かったな」
「大丈夫、伝わってるよ。でも今回はちゃんと言ってあげようね」
カエデが微笑んだ。
「じゃあ・・・まずはこれだな」
俺はどかした石段に手をかけた。
戻さないと・・・。
「アラタ、無理しなくていいよ」
キクが階段を元通りにしてくれた。
男として情けない気がする・・・。
「よし、ばあちゃんの家に行こうぜ」
せめてみんなを引っ張って行こう・・・。
◆
「いるかな?」
ばあちゃんの家に着いた。
今は・・・十時くらいか。
「あ・・・おばあちゃん、あそこにいるみたいだよ」
キクが白い指を向けた。
「夕方の準備か・・・早いな」
ばあちゃんは、火を焚くための木を庭へ運んでいた。
「物置行っちゃった・・・」
なんにしても・・・いる。
「あれが、シズカ・・・」
ススムさんは、ばあちゃんの姿を見て固まった。
「・・・だが面影がある。間違いない」
かなり変わってんだろうな。
まるで浦島太郎・・・。
「間違いないなら早く行ってやれよ」
「そうだよ」
「・・・待ってくれ。どんな顔をすれば・・・何を話せば・・・少し時間をくれ」
ススムさんは不安そうな顔をした。
なんだ・・・急に怖気だしたぞ・・・。
もう会うしかないんだから、早く行って顔見せてやれよ。
「・・・すすむさん、おばあちゃんずっと待ってたんだよ。結婚もしてないし、子どももいない。ずっとあなたを待ってたんだよ!」
カエデが声を張った。
さすがにムカつくか。
「わかってる。でも・・・時間が経ちすぎた。・・・・待たせすぎたんだ。死んでしまったし・・・合わせる顔が無い気がする・・・」
「・・・呆れた。カエデの思いを無駄にする気?」
キクも苛立った顔になってる。
「あら・・・声が聞こえたと思ったら。ふふ、二人とも遊びに来てくれたの?夕方くらいでいいのよ」
ばあちゃんがこっちに来てしまった。
カエデの声か・・・。
「・・・」
ススムさんは一度顔を見ると後ろに下がった。
「・・・頼む、明日まで時間をくれ。必ず会うから私のことは黙っていてほしい」
そして風のように飛んで行った。
・・・あ?
「え・・・バカ、待ちなさい!」
キクも追いかけて行ってしまった。
まさか逃げ出すなんて・・・。
「他に・・・誰かいたの?」
ばあちゃんは不思議そうな顔をしている。
まったく・・・。
「んーん、私たちだけだよ。えっと、あの・・・二人でお散歩してたの。また夕方に来るからね」
カエデがごまかしてくれた。
早く二人を追わないと・・・。
「あ・・・待って、二人に見せたいものがあるの。ちょっと来て」
「・・・うん」
散歩って言った手前断れない・・・。
◆
俺たちは物置に連れてこられた。
なんだろ・・・。
「これを開けてみて」
ばあちゃんが大きめの袋を指さした。
「あ、花火だ」
「そうよ。実はきのうの昼間、タクシーで町まで行って買ってきたの」
花火セットは手持ちのじゃなく、地面に置くタイプのだ。
わざわざ・・・。
「うちは送り火を焚かないから今日でおしまいなの。二人もいるし、私も花火を見たかったのよ。ただ・・・あなたたちが町のお祭りに行くなら無理にとは言わないけど・・・」
誰かが「迎え火ばあさん」なんて呼んでいた。
送り火を焚かない・・・ススムさんが関係してるのは間違いないだろうな。
「毎年行ってないから気にしなくていいよ。カエデ、ばあちゃんと花火やるか」
「うん、一緒にやる」
こんなに忙しくなるとは思わなかったけど、もともと三人でやる予定だったからな。
ばあちゃんも喜んでるし、いたところでなにも問題ないはずだ。
「嬉しいわ。・・・そしてね、もう一つあるの。中に来てちょうだい」
ばあちゃんが玄関に向かった。
まだあんのか・・・。
◆
「これなあに?」
茶の間に入ると箱が二つ並んでいた。
「開けてみてほしいの」
「うん・・・」
二人で同時に開けた。
・・・浴衣だ。
「おばあちゃん、これ・・・」
「恥ずかしいんだけどね・・・昔作ってたのよ。服屋さんにいた話をしたでしょ?もし私に子どもがいたらって思ってね・・・毎年作ってたのよ。男の子と女の子・・・どっちの分も」
ばあちゃんは長い長い時間を一人で過ごしてきた。
途方もないけど、戦争が終わってススムさんが帰ってこないことは早くに気付いていたんだろうな。
それでも手紙に書かれた言葉、込められた想い・・・そういうのを支えにしてきたんだ・・・。
「おばあちゃん・・・」
カエデが涙を流した。
「え・・・カエデちゃん、泣いちゃってどうしたの?柄が古かったかしら・・・最近じゃ向日葵は流行りじゃなかった?」
ばあちゃんは慌てて浴衣を見直している。
俺たちの事情を知らないわけだから、急にカエデが泣きだしたら驚くのも当たり前だ。
「違うの・・・嬉しくて・・・。早く・・・着たいな」
「俺も着たいな。今日は早めに来るよ、着替えないといけないし」
着たいっていうか・・・着てやりたい。
「ありがとう・・・なんだかね、今年はいつもと違って楽しいの。素敵な夏・・・あなたたちのおかげね」
「俺たちの?」
「そう、二人に会った時にも素敵な予感がしたの。だからこの浴衣も来てほしいなって思ったのよ」
ばあちゃんは本当に嬉しそうに笑った。
ススムの野郎・・・。
◆
俺たちは「夕方にまた来る」って伝えてばあちゃんの家を出た。
・・・まだ時間はある。
「あらちゃん」
「そうだな、臆病者を探そう」
逃げた先はどこだろう?
夕方までに見つけて引っ張り出してこないと・・・。
◆
鬼階段に来た。
・・・社まで行ってみたけどいない。
◆
スズの家の奥、田んぼ跡にもいなかった。
キクもどこまで追っていったんだろう?
もう二時半・・・今日は走りっぱなしだ。
「カエデ、前髪」
「そんなのかまってられないよ」
カエデは前髪が目にかかっていないことを気にしていない。
直す時間も惜しいんだな。
◆
水神の沼・・・二人がいた。
ススムさんは沼の方を向いて座り、じっとしている。
「・・・お手上げ、話さないの。ずっとあそこで俯いてる。もう時間は無いのに・・・」
「時間・・・あとどのくらいなんだ?」
「明日の夕方くらいまでかな。必ず会いに行くって言ってたし、もうほっときましょ」
「・・・」
カエデが静かにススムさんのすぐ後ろまで近付いた。
今日がいいんだろう。
「すすむさん、おばあちゃんずっと待ってるよ」
「・・・」
「毎年ね、子どもがいたらって考えて浴衣を作ってたって・・・。何十年も、ずっとすすむさんを信じてくれてたんだよ。おばあちゃんはね・・・たぶんあなたが帰ってこないことはとっくに気付いてる。でもね、もし会えたらきっと救われるよ・・・早く行ってあげて!」
「・・・」
ススムさんは口を開かない。
なに考えてんだ?
なんで迷ったのか忘れたのかよ。
「おばあちゃん、毎年迎え火を焚いてる。すすむさんのためだと思う。わかってるけど帰ってきてほしいんだよ・・・会いたいんだよ・・・」
「・・・時間をくれ」
もう黙ってらんねーな。
「おい!!」
「あらちゃん、いい!・・・すすむさん、明日まで待つよ。もう・・・時間が無いんだって。だから必ず会ってあげて。・・・明日は朝からおばあちゃんの家で待ってる。迎えには来ないから、あなたの意思で会いに来て。あらちゃん、きくちゃん・・・行こう」
「・・・」
これでも動かねーのか。
ここまで言われて奮い立たない・・・筋金入りだな。
もう・・・待つしかない・・・。
「・・・カエデ、ばあちゃんの所に行こう。キク、ばあちゃんもいるけど花火やるから一緒に行こうぜ」
「う、うん・・・」
キクは振り返ってススムさんを見つめた。
「・・・帰ったら私がまた話してみる。カエデには言わないでね」
そして小声で俺にだけ囁いてくれた。
きっと大丈夫・・・臆病でも、やらなきゃいけないことはわかるはずだ。
◆
「はあ・・・疲れたねあらちゃん・・・」
カエデが歩きながらため息をついた。
うん・・・。
「明日もあるかもだよな・・・俺もこんなに疲れたのは初めてだ。カエデ、歩くの辛くないか?」
「うん、だい・・じょうぶ。大声・・・すごい出しちゃった・・・」
カエデの足が震えてる・・・。
「・・・おぶってやるからちょっと休めよ」
「ありがとう・・・」
こんなことしてたら誰だって疲れるよな。
俺は・・・まだ平気だ。
「ねえあらちゃん、あの浴衣・・・私たちが着て・・・本当にいいのかな?」
耳に息がかかった。
「ばあちゃんがそうしたがってる。着てあげた方がいい」
「うん・・・かわいかったな・・・」
カエデの体から力が抜けた。
眠ったのか・・・直で息当たるんだけど・・・。
「なんだ・・・」
カエデの腕時計を見させてもらった。
・・・そんな急がなくても間に合いそうだ。
「・・・頑張ったね、カエデ」
キクがカエデの頭を撫でた。
ひんやりして気持ちよさそう・・・。
ていうか腹も減ってきた。
朝から何も食べてない・・・みんな夏祭り行ったし、ばあちゃんになにか貰うか。
そうだ・・・やるならうちに一度寄って手持ちの花火持ってこよう。
キクに見せるために用意したから、絶対必要だ。
◆
「あらちゃん、すぐ来る?」
カエデを家で降ろした。
おじさんとおばさんは二人で夏祭りに行ったみたいだ。
「大丈夫だよ、花火持ってくるだけだから二十分くらい」
「急がなくても大丈夫だからね?」
「わかってる。あ・・・カエデは汗流した方がいい、眠気も取れるだろうからな」
カエデのシャツは絞れるくらい濡れていた。
あれで浴衣を着ても気持ち悪いだろうしな。
まだ時間はある。
俺もちょっとだけ汗を流して着替えてから行こ・・・。
◆
「じゃあ私は外で待ってるね。ゆっくりしてもいいよ」
キクは俺に付いてきてくれた。
「いや、急ぐ」
だから、あんまり待たせたくない。
シャワー・・・すぐに終わらそう。
◆
汗を流し終わって、さっぱりした状態で外に出た。
「あれ・・・どこ行ったんだ?」
外にキクの姿が無かった。
かなり急いだのに・・・カエデのとこ行っちゃったのかな・・・。
「キクーー!」
なんだか不安になってきた。
胸騒ぎとは違う。この気持ちは・・・なんだろう?
「こっちだよ」
「あ・・・なんだ・・・先に行っちゃったのかと思った」
「待ってるって言ったでしょ?」
俺がいつもいる柵にキクは座っていた。
姿を見た瞬間に不安が消えて、胸騒ぎが落ち着いていく。
「早かったね・・・ねえ、私もまたおぶってくれる?」
近付くと、キクが恥ずかしそうな声を出した。
急にどうした?
「もちろん、今でもいいよ」
「ん・・・今日はいい。疲れてるでしょ?また今度・・・」
キクはまた遠くを見ている。
カエデが羨ましかったのかな?
なんか・・・今のキクを見てると胸を押さえたくなる。
いつもより強い風が吹いた。
夏の・・・キクの香り。
なんでこの子は、こんなに寂しい顔をしてるんだろう?
なんで俺は、それを見ると胸が苦しくなるんだろう?
・・・一緒に笑っていたい。
「あのさキク」
俺はキクの隣に座った。
「俺はあさってからいつも通り、この柵に座ってお前が来るのを待ってることにする。話したかったり、遊びたかったり、おぶってもらいたかったりしたら・・・ここに来れば、俺がいるようにする」
こういうことを言えば、キクが喜ぶような気がした。
「・・・」
そして予想通り、俺の方を向いてくれた。
「だから、いつでも来ていいよ」
「へ、へえ・・・覚えておくね。でも・・・私が来ない日もあると思うよ。それでも待ってるの?」
「それでも待ってる。ただ、俺に気は遣わなくていいよ」
「・・・ありがとう。私は気まぐれだから・・・」
それでもいい、笑顔が見れたから・・・。
「じゃあねえ・・・」
キクが柵から下りた。
「どうした?」
「ふふふ・・・これで・・・いいかな」
キクは足元から石を拾って、木の柵にガリガリとこすりつけ始めた。
「なにそれ?」
俺も下りた。
「ここは・・・私専用ってこと」
柵には「きく」って彫られている。
名前・・・。
「で、こっちには・・・どう?」
隣には『あらた』って彫られた。
「ね、いいでしょ?」
「指定席ってことか」
「その通り・・・誰も座らせちゃダメだよ?じゃあ、カエデ迎えに行こう」
俺は自分の胸を押さえた。
鼓動が早い、甘く痺れる感覚・・・。
「急ごうぜ。手・・・繋いで走るか」
昼間走った疲れが吹き飛ばされて、かわりに心地いい感情が体を包んでいた。
「私が引っ張るってこと?」
「俺が引っ張る」
「ふーん・・・しっかり繋いでね」
「当然」
カエデと種類は違うけど、疲れを忘れさせる出来事だった。
◆
「あらちゃん大丈夫?疲れてない?」
カエデは朝と同じ場所で待っていてくれた。
顔色が良くなってる。
「平気だよ、早く行ってやろうぜ」
ちゃんと汗を流して、髪の毛も直したみたいだ。
目は・・・また隠れてる。
普段のカエデに戻ったって感じだな。
「あ・・・カエデも?」
「だって・・・他にやる機会無いし」
カエデの手には、自分で用意した花火の袋があった。
これだけあれば長い時間楽しめそうだ。
◆
「お待たせー」
「いらっしゃい」
ばあちゃんは、庭で夕焼け空を見上げていた。
ススムさんは・・・いないか。
「まずはカエデちゃんからにしましょ」
「うん、早く着たい」
二人が家に入って行った。
俺は椅子を用意して、ついでにホースも持ってきておこう。
◆
「あらちゃん、どう・・・かな?」
浴衣姿のカエデが出てきた。
ばあちゃんがやったのか、前髪が分けられてる。
「カエデ、前髪・・・大丈夫か?」
カエデのヘアピンは、いつもは前髪を目にかぶせるために付けられている。
やっと正しい使い方になったな。
「おばあちゃんがこうしなさいって・・・変かな?」
「今の方がいいよ」
変なわけない。
ハルカもスズもそうした方がかわいいって言ってるくらいだ。
「カエデ、今日からそっちにしなよ。あなた美人だし、もう周りの目を気にしなくていいんじゃない?」
キクがカエデのほっぺをつついた。
「え・・・えへへ・・・」
カエデが微笑んだ。
目を見せた状態での笑顔は初めて見た・・・。
学校の奴らも夏休み明けに驚くだろうな。
◆
「はい脱いで」
ばあちゃんは浴衣を出して待っていた。
小一ぶりか・・・。
「自分でできそうだけど・・・」
ばあちゃんでも目の前で脱ぐのはなんか恥ずかしい。
「脱いで、着せてあげたいの」
「わかったよ・・・」
まあいいか・・・。
◆
「うん、かっこいい。丈も合ってるわね」
浴衣を着せられた。
涼しい・・・。
「あ・・・」
お腹が鳴った。
そうだ・・・何か食べたい。
「あら・・・今日は食べてこなかったの?」
「うん・・・うちの家族、みんな夏祭り言ったから。・・・カエデも食べてないと思う」
「それじゃ大変ね。じゃあ、焼きそばでも作りましょ。お庭で、みんなで食べたいわ」
ばあちゃんが張り切った顔で台所に入って行った。
「なんか手伝う?」
「大丈夫、外で待ってて」
・・・言われた通り庭で待ってよ。
◆
「これは、しゃーって出てくるの」
「見ないとわかんないわね・・・じゃあこっちは?」
「えっとね、ぱちぱち」
外に出ると、二人は花火を開けて見ていた。
いつの間にか、キクもカエデと全く同じ柄の浴衣になっている。
「キク?いつ着替えた・・・」
やば・・・かわいい・・・。
「これくらい簡単、アラタと同じのにもできるけど。こっちの方がかわいいから」
そういや、見た目変えられるんだったな。
「きくちゃんのほうが美人だよね」
「あはは、照れるなあ」
「あらちゃんと並ぶと・・・なんかお似合いって感じ」
「えー・・・そうかなあ・・・」
キクが照れ笑いを浮かべた。
・・・そうだといい。
「よ、よし、どれからやるか一緒に考えようぜ」
二人の浴衣は気になるけど、じっと見てるのも気が引ける。
焼きそばを待ってる間に、花火の順番を決めることにしよう。
「先に大きいのをやろうよ。手持ちはあとから」
「そうだな。あ・・・キクって水神だけど火は平気なの?」
「あ・・・偏見ね、平気よ。むしろ火の方が私のこと苦手なんじゃないかな」
なるほど、言われてみれば。
◆
「二人ともご飯ができたわ。・・・はい、お盆を持ってちょうだい。足りなかったらおかわりも作るから遠慮しないでね」
花火の順番が決まってすぐ、大盛の焼きそばが届いた。
具が多めだな。豚肉に・・・イカも入ってる。その割に野菜はもやししか入ってない。
「おばあちゃん、野菜嫌いなの?」
カエデも気づいたみたいだ。
「おばあちゃんは野菜好きよ。そうね・・・もやししか入れてなかったわね。子どもは野菜そんなに好きじゃないって、昔友達に聞いたから無意識かしら」
そういやケイゴは人参好きじゃないな・・・。
「わあ・・・」
キクが焼きそば欲しそうに見ていた。
そっか・・・食いたいよな。
◆
「ねえばあちゃん、おかわりいい?」
先に急いで食べた。
「ふふ、男の子はたくさん食べれていいわね」
ばあちゃんは嬉しそう戻っていった。
ごめん・・・。
「あのさ・・・カエデの分、先にキクが食べてもいいか?ばあちゃんが戻ってくる前に」
キクのため・・・。
「あ、そうだね。あらちゃん気が利くなあ。きくちゃんどうぞ」
「わあ・・・おいしそー」
「少しかかるはずだからゆっくり食えよ」
「ありがとうアラタ」
また笑ってくれた・・・。
◆
「はい、アラタ君おかわり。あら、カエデちゃんも食べちゃったのね」
ばあちゃんが戻ってきた。
「あ・・・うん・・・」
「じゃあ、おかわり持って来てあげるわ」
これで三人共食べられるな。
でも・・・ほんとにごめん。
悪いことをしてるわけじゃないけど、嘘をついてるみたいで後ろめたさがある。
そうだ、今度ばあちゃんが困ってたら手伝いに来てあげよう。
さすがに何度も行ったり来たりさせ過ぎな気がするからな・・・。
◆
「ごちそうさま、おばあちゃんおいしかったよ」
「じゃあ火を焚きましょう。早く花火が見たいの」
ばあちゃんがマッチをこすった。
もう遊ぶ順番で準備はできている。
「まずは一つ目ね」
導火線の火は意思があるみたいに花火の筒に入り、緑色の火花がバチバチと吹き出した。
いい感じじゃん。
「まあ綺麗・・・一人でやっても寂しいからね」
「よかったね、おばあちゃん」
「歳で言ったらあなたたちは孫だけど、子どもと夏に花火をするってこういう気持ちなのね・・・」
ばあちゃんは目を潤ませて花火を見ている。
たぶん、ススムさんのことを思って・・・。
大切な人、生きていたら子どももいて・・・。
こんな夏があって・・・。
若い頃に思い描いていた未来。
変わらずに綺麗なままのその目に映しているんだろう。
「ばあちゃんって、昔いい人いなかったの?」
本人のことは話さないつもりだけど聞いてみた。
「え・・・おばあちゃんの話なんか聞いても面白くないわよ」
「私聞きたい」
「そ、そう?」
ばあちゃんは微笑んで頷いてくれた。
話してほしい・・・。
◆
「・・・好きな人がいたの」
ばあちゃんは夜空に昇る煙を見つめた。
その人はきっと・・・。
「ススムさんって言ってね。子どもの時からたくさん遊んだ」
間違いなかった。
「よくボタンが取れててね・・・ふふ、私が直してあげていた。あの人、必ず私に持ってくるのよ。恥ずかしそうにして・・・それが愛おしかった」
あの野郎・・・早く来いよ。
「・・・ボタンなんかきっと私に会いに来る口実、見れば自然に取れたかなんてわかるわ。でも、私も嬉しかった。もっと二人で話したいって思うようになって、周りに気付かれないように夜によく会うようになったのよ」
「えと・・・もしかして鬼階段とか?」
カエデが踏み込んだ。
勘付かれないよな?
「そう・・・どうしてわかったの?」
「いや・・・なんとなく」
「ふーん・・・内緒よ。・・・鬼が出るって話はススムさんが考えたの。夜にあそこに誰も近づかないようにってね。もし信じてたなら、もう怖がらなくていいからね。でも・・・私の大切な場所なの」
ばあちゃんは指を唇に当てた。
簡単に秘密を教えてくれるってことは、俺たちを信頼してくれてるんだな。
「その人は・・・どうしたの?好きだったんだよね?」
カエデがもっと踏み込んだ。
・・・これでばあさんの考えがわかるはず。
「・・・戦争でね・・・たぶん死んでしまったの。・・・帰ってこなかったから」
「そうなんだ・・・」
「私は悲しさを忘れるために東京に出た・・・必死で働いたわ。でも、やっぱり心の中にはあの人がいた。この浴衣もあの人と子どもがいたら・・・なんて思って作っていたのよ」
「おばあちゃん・・・」
カエデの目が潤んだ。
「男の人から声をかけられても、すべて断っていたわ。・・・もったいなかったかしらね。・・・気付いたら定年、もう打ち込むものが無くなってどうしようかと思った時、あの人との思い出がたくさんあるここで暮らしたくなって戻ってきたの」
やっぱり・・・ばあちゃんはススムさんのことをまだ想っていた。
・・・あの意気地なしがここにいないことにムカついてくる。
「あの人は、自分が帰ったら一緒になろうって手紙を残してくれた。・・・こっちに戻ってからは、毎年迎え火を焚いて待ってる。だから・・・あの人が帰ってくるまで・・・送り火は焚けない・・・」
ばあさんは少し疲れた顔になっていた。
何十年もの想いを言葉にしていくのは体力がいるらしい。
「でもね・・・私は待つのに疲れてしまったみたいなの。今年、あなたたちと知り合ったのはいい頃合いなのかもしれない。子どもたちと花火も楽しめた。・・・ねえ、やっぱり明日も来てくれないかしら。・・・送り火を焚いてもいいかなって思うの」
「おばあちゃん・・・きっとすすむさんは帰ってくるよ」
「・・・ありがとう、気を使わなくていいのよ。本当はずっと・・・わかってた・・・もう帰ってこないって・・・ただあの人を想えていることだけでよかった」
ばあちゃんの目から一粒だけ涙が零れた。
「私が諦めないと、あの人も成仏できないかもしれない。だから私の中であの人を送るために焚くの。・・・さあ二人とも、花火をもっと見せて。楽しい夏をもっと明るくしなくちゃ」
ばあちゃんはニッコリ笑った。
空元気じゃない、本当に吹っ切れようとしている。
ススムさんが言ったように待たせすぎたんだ。
・・・時間が流れすぎた。
◆
「こういうのが儚いっていうのね・・・私の人生と似てる・・・なんてね」
最後の線香花火は、小さくてもぱちぱちと綺麗な花を咲かせてくれた。
「綺麗・・・」
キクも気に入ったみたいだ。
今までのばあちゃんと同じように、俺たちも信じるしかない。
・・・あと一日だ。