第三十六話 八月十三日 【新】 肝試し
線香の煙が風に乗って高く上がって、いつの間にか見えなくなった。
年に片手で数えるくらいしか来ないけど、墓場は変なワクワクがある。
小高い山・・・っていうか丘?にある墓地。
新しめの墓は足場までちゃんと石で作られてるけど、ほとんどは地面の上にそのまま墓石が置かれている状態だ。
高い所まで登って墓参りをするのは年寄りにはきついだろうな。
ほとんど坂だけど、人が何度も地面を踏み鳴らすうちにできた階段とも言えないもので上まで歩かないといけない。
こんな場所じゃなくて、もっと平地に作ればよかったのに・・・。
◆
「トオルさん、こんにちはー」
上の方から兄ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。
「あ・・・」
コースケの姉さんのハツミさんだ。
お盆だから帰ってきてるのか。
「アラター」
コースケもこっちに気付いた。
「ちょっとそっち行くねー」
来るみたいだ・・・。
◆
「久しぶりだねアラタ君。なんかカッコよくなった?」
ハツミさんが俺の体をペタペタ触ってきた。
「なんにも変わってないよ」
しばらく会わないとそんなに変わって見えるのかな?
・・・親戚のおばさんみたいだ。
「ハツミちゃん、大学の推薦貰ったらしいじゃん。いいよなー勉強しなくていいとか」
「あはは・・・私、走るしかないから。こーちゃんは勉強もできるもんね」
「・・・」
コースケは苦笑いでやりづらそうにしている。
・・・しょうがないな。
「コースケ、和尚さんの墓の方行ってみようぜ」
連れ出してやろう。
◆
「相変わらずコースケのことべた褒めだな」
「うん、人前だとああなるから恥ずかしいんだよね。はあ・・・ありがとうアラタ」
コースケはハツミさんが見えなくなると溜め息をついた。
弟ってそんなに可愛いのかな?
うちの兄ちゃんがあんな感じならどうだ・・・気持ちわるい。
「あらちゃん、こーちゃん、おはよー」
カエデが線香を持ちながら小走りでこっちに来た。
和尚さんの墓に供えに来て、俺たちを見つけたみたいだ。
「おんなじ時間だったんだな」
「うん、はるちんのとこは毎回午後みたいだけど」
家族の予定があるんだろうな。
「ねえねえ、カエデは今年も夏祭り行かないの?」
コースケがカエデの肩をつついた。
「うん・・・人混み苦手だし・・・。こーちゃんはまたはるちんと行くの?」
「たぶん・・・そうなのかな」
夏祭りか、俺もあんまり好きじゃない。
誰にも話してないけど、一年生の時に行った夏祭りで迷子になった。
放送で流されて、恥ずかしい思いをしたからトラウマだ。
行ったら思い出すからな・・・。
「ねえあらちゃん、今年は行くの?」
「いや、俺も行かない」
「よかった。じゃあ、また私と花火しようよ。きくちゃんも誘って」
毎年カエデと一緒だった。
でも今年はキクも・・・。
「いいなそれ。午後に買い物付いてくから用意しとく」
「えー、私も買ってもらったから大丈夫だよ」
「たくさんあった方がいいんだよ。それにキクは見たことなさそうだからな。いっぱい見せてやろうぜ」
キクは大鳥沢から出られない。
町の花火とは違うけど、いろんな種類を見せてやろう。
◆
「こーちゃん帰るよー。戻ったら校庭行って走ろうね」
ハツミさんが弟を探しに来た。
「おねえちゃん、はづきとあそぶやくそくは!」
ハヅキも付いてきた・・・。
「ハヅキちゃんは、お父さんたちとお買い物でしょ?お菓子選べなくなっちゃうよ?」
「・・・じゃあゆうがたからあそんでね」
「うん・・・そうだね・・・」
嫌そうな顔してんな・・・。
「じゃあね。僕、姉さんと校庭で走らないと」
コースケが手を振った。
ハツミさんがいる時は大変だな・・・。
「はつみさんがいると逆に忙しいみたいだね。・・・でもいいなお姉さん、私も弟とか欲しいかも」
カエデが姉弟を見て呟いた。
「カエデがお姉ちゃんか・・・弟も静かそうだな」
「そうかも。ふふ」
カエデが白い歯を出した。
夏休みになって、日ごとに明るくなってる気がする。
今年はよく外に出てみんなと話してるみたいだし、コースケと静かに本を見てるよりは活発になれるんだろうな。
「あら・・・二人もお墓参り?」
また声をかけられた。
今度は年寄り・・・。
「あ、おばあちゃん」
シズカばあちゃんだ。
狭い登り道の場所なのに難なく歩いてくる。
「ばあちゃん、今日も元気だな」
「そうね、毎日歩いてるからこれくらいじゃ疲れないわ」
顔色もいいからまだまだ長生きしそうだ。
◆
俺たちは、ばあちゃんの墓まで一緒に行って線香を供えた。
ここは初めてやるかも・・・。
「おばあちゃん。私、次のお彼岸の時はおばあちゃんの家に寄るから一緒に来ようよ」
カエデが合わせていた手を離した。
どっちにしろ通り道だからな。
「それは嬉しいわ。・・・カエデちゃんはいい子ね、それに私の子どもの頃にちょっと似てるかも」
ばあちゃんの・・・しわくちゃの顔からは想像できない。
でも色は違うけど、目はカエデと同じように透き通っている。
本当に似てたのかも・・・。
「ここはばあちゃんの家族の墓?」
「そうよ、ご先祖様もいるわね。でも私の代で終わりかな・・・」
ばあちゃんは寂しそうに笑った。
子どももいないからそうなるか。
さすがに誰も来ないのはかわいそうだし、そうなったら俺が毎年線香をあげに来てやろう。
「そうだ、もしアラタ君たちがよかったらだけど、今夜迎え火を焚くの。できれば手伝いに来てほしいわ」
突然の話だけど・・・。
「うんいいよ、なあカエデ」
「うん」
「ありがとう」
ばあちゃんは、本当に嬉しそうに笑った。
死んだ人が帰ってくるって言うけど、キクの話ではそうではないらしい。
みんながそれを知っていれば迎え火は無くなるのかな。
◆
「なんだアラタ、ここにいたのか」
兄ちゃんが俺を探しに来た。
ナツミさんと祭りに行くって言ってたから、その準備なんだろう。
「ばあちゃん具合悪くしてない?」
「大丈夫よ。ありがとうトオル君」
「暑いんだから気を付けなよ?・・・じゃあ帰るぞアラタ、このあと美容室行くんだから急げ」
美容室・・・夏祭りか。
こいつよく俺の前で・・・。
「わかった。じゃあカエデ、夕方迎え行くよ」
「うん、待ってるね」
「私も・・・待ってるわ」
ばあちゃんの声が震えた。
「なに?どうしたの?」
「え・・・なんでもないわ。じゃあ、よろしくね」
大丈夫そうだ。
とりあえず帰ろ・・・。
◆
「迎え火・・・しずばあの家火事にすんなよ?」
うちの墓に戻ってお父さんに話した。
そんな子どもじゃないんだけど・・・。
「するわけないじゃん・・・」
「あぶねーと思ったらすぐ電話借りてうちにかけろよ」
「わかった」
たぶん大急ぎでくるんだろうな。
「じゃあ、帰るか。おい、トオル運転しろ」
「あいよー、母ちゃーん帰るよー」
兄ちゃんがお母さんを呼んだ。
「あ・・・じゃあまた今度ね」
「はい、防火クラブの時にでも」
カエデのお母さんと話してたのか。
「並ぶと全然違うな・・・」
お父さんがお母さんの胸を見た。
ひでー・・・。
◆
「あんた・・・遠野さんの胸見てたでしょ?」
「見てねー」
「わかるんだけど・・・」
「見てねー・・・」
帰りの車はちょっと気まずかった。
子どもがいない時にやれよ・・・。
「あ・・・」
車の窓を開けて外を見たら、ばあちゃんが別の墓に線香をあげていた。
・・・あそこは誰の家だったかな?
「おばあちゃんまたあとでねー」
カエデが自分ちの車から手を振っていた。
あっちも親に了解が取れたみたいだ。
◆
「ふふ、来てくれてありがとう。嬉しいわ」
ばあちゃんは、昼間と同じ笑顔で出迎えてくれた。
少し広めの庭には、木が俺の腰の高さまで積まれていて、あとは火を点けるだけになっている。
「けっこう燃やすんだな・・・。風が強い日だと火事になるぞ」
「そうね、でも亡くなった人たちが見つけやすいと思うの。だからうちでは毎年これで焚くのよ。じゃあアラタ君、そっちに外で使う椅子があるからこの辺に。カエデちゃんは、外の水道の所に繋がったホースがあるからそれをこっちに持って来て」
「わかった」
物置きの前に、木で組まれた長椅子が置いてあった。
軽めの木でできてるみたいで一人でも持ち上げられそうだ。
「これだよね?」
「そうよ、ここに置いてちょうだい」
椅子を木から少し離れたところに置いた。
「おばあちゃん持ってきたよ」
「ありがとう」
水の準備もできた。
・・・もしもの時は、俺が走って蛇口をひねればいい。
本当にヤバそうだったら家の中に駆けこんで電話・・・うん、大丈夫だ。
「ところで・・・二人ともご飯は食べてきた?」
「うん、食べてきたよ」
「俺も」
「そう・・・じゃあジュースを持ってきてあげる。そしたら火を点けましょ」
ばあちゃんが家の中に入って行った。
「ねえあらちゃん・・・おばあちゃん、一緒に夜ごはん食べたかったのかな?」
「そうかもな・・・」
これは仕方ないよ・・・。
◆
ばあちゃんがマッチをこすり、火が点けられた。
一番下に敷かれたクシャクシャの新聞紙が燃え始めて、次に山から拾って来たらしい細めの木に移っていく。
「ちゃんと組むと違うんだね」
カエデが楽しそうに火を見つめた。
「木をちゃんと乾燥させたからっていうのもあるわね」
「なるほど・・・」
火は、一番上に組まれた太めの木まで消えることなく炎になった。
線香よりも濃い煙が空に昇ってく・・・。
「わあ、庭でこんなに大きい火だと迫力があるね」
「ばあちゃん・・・これ毎年やってたのか?よく火事になんなかったな」
「ふふ、でも今年は二人がいなかったら難しかったかもしれないわ。ありがとうね」
感謝されて悪い気はしない。
それに、これはおせっかいじゃないよな。
◆
ばあちゃんを真ん中にして座って、三人で燃える火を静かに眺めていた。
形を変えながら赤く燃える炎は、目を離すことを許さない存在感を持っていて、まばたきのたびに俺の瞼の裏に焼き付いていく。
「おばあちゃんはずっとここにいたの?」
カエデが煙を見上げた。
そういやばあちゃんの昔って知らなかったな・・・。
「・・・いいえ、若い頃は東京の方で働いてたのよ。戦争が終わって少し落ち着いて、また日本が頑張っていこうってなってるくらいかしらね。『あの頃』は・・・とにかく色々したかったの。百貨店、居酒屋、美容室、観光案内・・・色々やってたのよ」
ばあちゃんの若い頃か・・・どんなんだったんだろ?
人の歴史を聞くのは、色々想像できてなんかいいな。
「すごいなあ・・・」
カエデはいつの間にか手帳を取り出して、炎の明かりを使って書き込んでいた。
お前もすごいよ・・・。
「長い間ずっと東京にいたのよ。両親のお葬式で戻ったことはあったけど、帰ってきたのは六十過ぎね。まあ・・・これでもたくさん稼いでいたから、今は年金と貯金で悠々自適な生活をしてるのよ」
「一番楽しかったお仕事は何だったの?」
「そうねえ・・・一番だと、服屋さんかしら。町の中にあるお店で、こじんまりしていた所だったわ。私は洋服と和服のお直し担当でね、着ていた人のことを考えながら手を動かしている時が楽しかったわ。それに、お店で売れ残った生地を貰えたから、自分で作ったりできたのも良かったわね」
ばあちゃんは空を見上げながら、記憶を引き出すようにゆっくり話している。
『あの頃』は・・・なんて日が俺にも来るのかな・・・。
◆
火はいつの間にか少しずつ・・・少しずつ小さくなっていった。
◆
炎が無くなって、最後は赤く光る木だけが残った。
空に絶えず上がっていた煙も途切れ途切れで、先に消えた仲間を追いかけている。
「・・・今日はこれくらいにしましょうか」
「うん、誘ってくれてありがとう」
カエデがばあちゃんの手に触った。
「あ・・・あの・・・実は、明日も焚くんだけど・・・よかったらまた来てほしいの」
ばあちゃんが燃え残りに水をかけた。
明日・・・。
「おばあちゃんの所も毎日焚くの?」
「そうよ」
「うちと一緒だね。じゃあ・・・私明日も来るよ、あらちゃんもね」
「そうだな、俺も来るよ」
今は消えてるけど、あのくらいの火だとカエデとばあちゃんだけじゃ心配だ。
「ありがとう。そうだ・・・夏だし、帰りにお墓で肝試しでもしていったらどう?」
ばあちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。
でも・・・なんで急に肝試し・・・。
「え・・・ご先祖様怒るだろ?墓で遊ぶとバチが当たるって教わったぞ」
「大丈夫よ、そりゃあ墓石を倒したりしたら良くないけど。ちょっと肝試しするくらいで怒るご先祖様はいないわ」
そうなのか・・・。
墓石を倒したりする気はなかったけど、前にコースケと走り回ってたら区長に怒られたことがあった。
ばあちゃんは他の大人と違って融通が利くんだな。
こういう教え方なら素直に聞く気になる。
◆
「じゃあ、また明日ねおばあちゃん」
「ええ、やっぱり誰かと約束があるといいわね。・・・明日が楽しみ。じゃあおやすみ・・・」
ばあちゃんが家に入ると、すぐに明かりが消えた。
いつもよりも夜更かししてたみたいだ。
「・・・カエデどうする?行ってみるか?」
「んー、おばあちゃんもああ言ってたし・・・なにも出ないよね?」
「出ないだろ。ちょっと夏っぽいことしようぜ」
俺たちは墓場まで向かって歩き出した。
懐中電灯もあるし、たぶん大丈夫・・・。
◆
墓場に着いた。
よく考えたらすぐ近くだし、なんか出たらばあちゃんを起こそう。
「よし・・・じゃあここから入って・・・一周してみるか」
墓場は昼間と違ってなかなか雰囲気がある。
しかも今日は新月・・・。
空を見ると、流れ星が短い間に三回見れた。
・・・運がいいし、大丈夫そうだな。
「平気か?」
「うん、行ってみよ・・・」
そこまで広くはない所だ。
昼間なら十分くらいで一周できそうだけど、足元に注意しないといけないから倍くらいはかかりそうだな。
◆
墓場には俺たち二人の足音しかしない。
舗装はされていない地面だから、土を蹴る音だけが異様に響いている。
「あらちゃん・・・きくちゃんの話聞いててもちょっと気味が悪いね・・・」
「そうだな・・・」
生ぬるい空気が肌にまとわりついてくる感じだ。
「・・・歩きにくくない?」
カエデは左手で俺のシャツの裾を握り、右手は拳を作って胸の前にぎゅっと引き寄せ、できるだけ体を縮こませている。
「大丈夫だよ。万が一本当になにか出たら、このままカエデを抱えて走るから。・・・そのままでいろよ」
「どうやって?」
カエデが余計くっついてきた。
・・・不安なのかな?
俺も自信たっぷりで言ったけど、できるかな?
「カエデ、ちょっと練習だけしておこう」
「・・・うん」
二人で立ち止まった。
これをやっておいた方がいい。
「まず俺が少し屈んで・・・」
「ひゃ・・・」
「で・・・」
右手をわきの下、左手を膝の裏に入れて・・・あ、できそうだ。
「わっ・・・」
「こんな感じで抱えるから、カエデは落ちないようにしっかり掴まってるんだぞ?」
カエデくらいなら軽く持ち上げられるな。
「う、うん・・・大丈夫だと思う」
「暴れるのは禁止な?」
「うん・・・」
ここまでしなくてもいい気はするけど、練習したことでお互い安心できた。
仕掛けが無いってわかってる肝試しはこんなに違うんだな。
・・・だいぶ寒くなってきた。
そろそろ半分くらいだ。
◆
「やあ、君たち何してるんだい?」
後ろから声がした。
「うわあああああああああ!!!」
「きゃあああああああああ!!!」
はっきり、鮮明に聞こえた。
もう生きてても死んでてもどっちでもいい。
俺は悲鳴をあげながら練習した動きでカエデを抱えた。
「うわっ!!」
走り出してすぐに、少しへこんだ地面に足を取られた。
やっべ・・・前に倒れるとカエデがケガする。
「ぐ・・・」
何とかバランスを取って、カエデを潰さずに済んだ。
けど尻もち・・・いてー・・・。
「・・・大丈夫かい?」
目の前には若い男がいた。
兄ちゃんより少し年上くらいか・・・。
「ケガは・・・してない?」
終わった・・・キク、そうそういない幽霊はいたよ。
もっと話したかったな・・・明日から遊んでやれなくてごめんな・・・。
スズ・・・お母さんの霊はいるかもしれないぞ。
いつか会えるかもな。
ばあちゃん・・・約束破るよ。
火事には気を付けてくれ。
・・・ああそうだ。俺でこうなるなら、ケイゴはもう気を失ってるんだろうな。
いろんなことが頭の中を何度も往復して、止まる場所を見失っていた。
カエデは顔を俺の胸にこれでもかとねじ込み震えている。
逆だったら俺もそうしたいよ・・・。
「あの・・・怖がらないでくれ、何もしない。急に話しかけてすまなかったよ」
また喋った・・・。
でも・・・なんか優しい声。
「え・・・あ・・・なにも?」
思考がほんの少しだけ落ちついてきた。
「そう・・・何もしない」
男の声が頭の中で何度も跳ね返り、ようやく意味を成した言葉として俺の考えに追いついてきた。
じゃあ・・・いや、どんな理由があってもこの時間に墓場にいる奴なんてまともじゃない。
俺は地面を使って左手の鳴る指を全部鳴らした。
人間?幽霊?こいつに効くのか?
見た目じゃわかんねえよ・・・。
「あ・・・うう・・・」
逃げようとは思っても体は固まったままだった。
・・・ダメだ、まだ立てない。
ああ・・・無駄に使っちまった。
「な、なん、なんなんだよ。ご・・・ご先祖様か?・・・カ、カエデだけは帰してやってくれ」
言葉はまだ追い付かない。
「え・・・」
持っていたライトを見ると、光は左の墓を向いてそこを照らしている。
だけど、正面にいるこの男が見えるってことは・・・。
ああ・・・人間じゃないのは間違いなさそうだな。
「いやすまない、何もしないよ。安心して、落ち着いてくれ」
男が一歩下がった。
・・・話しができる?何もしない?
ちょっとだけ冷静になってきた・・・。
「あの・・・カエデが怖がってます。もう少しだけ・・・離れてください」
「・・・ああ、わかったよ」
男は素直に下がってくれた。
言うこと聞いてくれた?
目の前の男が「得体のしれない者」から「話の通じる者」に変わっていく。
「カエデ、離すなよ。まだそのままだ」
でも警戒はしておく。
体は・・・そろそろ言うことを聞いてくれそうだ。
◆
「あんたなんだ?俺たちとは関係ないはずだ・・・」
俺は立ち上がり、身構えたまま話しかけてみた。
「・・・わからないんだ。なぜここにいるのか、自分が誰なのか・・・」
「じゃあ、俺たちに声をかけてどうする気だったんだ?」
「そうだな・・・君たちから懐かしいものを感じた。家族・・・少し違う気もするが・・・似たような」
なんだよ、なんなんだよ・・・どうしろってんだよ・・・。
・・・もう走れそうだ、このまま逃げるか?
「あらちゃん・・・」
カエデが口を開いた。
俺たちが話しているのを聞いて、冷静になってきてるみたいだ。
「見ても・・・怖くない?」
「大丈夫そうだけど、やばそうだったら走るからな」
「うん・・・」
カエデはゆっくりと顔を上げて、男の方を向いた。
「私が聞いてみる・・・もう一度教えて、あなたは誰?」
「すまない・・・わからないんだ。・・・思い出せない」
「私たちに近付いて、襲ったりするつもりだったの?」
「違う、なにもしない。安心してくれ」
カエデの質問にもさっきと同じ答えが返ってきた。
嘘ついてる感じじゃないけど・・・あ、カエデは嘘がわかる。
「あらちゃん降ろして。大丈夫、あの人嘘ついてない」
カエデの力が役に立った。
「立てるか?」
「大丈夫」
さっきまでしがみついてたのにもう平気そうだ。
・・・俺より度胸あるな。
「私が話すから」
「いや、大丈夫だとしても関わらない方がいい」
「まだあの人の考えがわからない。なら、話した方がいいと思う」
何も言い返せなかった。
・・・カエデに任せよう。
「信用していいの?変な答え方はしないで、いいかダメかで答えて」
カエデは真っ直ぐに男を見つめた。
「・・・信用していい。君たちをどうにかする気は無い」
「カエデ、どうだ?」
「大丈夫、信用していいよあらちゃん」
強気に見えたけど少し震えている。
必死だったんだ・・・。
「迷惑をかけたね、悪いことをしたと思う。さっきも言った通りだが、君たちから懐かしいものを感じた。自分のこともよくわからないが、近しい人だと思ったんだ」
「悪いけど・・・俺たちはあんたのことはわからない。力になってはやれないよ」
「そうか・・・わかった。ありがとう、話せてよかったよ」
男は急に寂しそうな雰囲気を出した。
とても悲しい声、力になれるなら・・・なってやりたいけど・・・。
「ねえあらちゃん、きくちゃんなら何とかしてあげられるんじゃないかな?」
カエデが頼れる名前を口に出した。
キクか・・・たしかに神様なら力になってくれるかもしれない。
「俺たちじゃどうしようもないけど・・・だからってこの人をこのまま置いとくのもな。・・・キクに話してみるか」
「そうしようよ」
カエデは男に近付いた。
「あなたのこと、幽霊さんって呼ぶね。私たち、あなたの力になれるかもしれない。もしその気があるなら私についてきて」
大胆だな・・・悪い奴じゃないことがわかったからか。
幽霊・・・俺は口に出せなかった・・・。
「・・・本当かい?ずっと胸に引っかかっているものがある。私が迷ったのはそのせいだろう」
「今はなんとも言えません」
「いや・・・わかるんだ。・・・君たちに話しかけて良かった。力を貸してほしい」
幽霊もカエデに近付いた。
まただ・・・自分も泣き出したくなるくらい悲しい思いを呼ぶ声・・・。
「よろしく頼む」
「うん、あなたが思い出せるように色々やってみよう」
「カエデ、連れてくのはいいけど今日はもう帰ろう。キクには明日の朝に会いに行かないか?」
時間も遅い、今から行っても迷惑かもしれない。
ならしっかり休んだ方がよさそうだ。
朝早く沼に行けばたぶんいるはず。
「あ・・・そうだな、君たちはまだ子どもじゃないか。夜遅くにすまなかった。今日は休んでくれていい」
「わかった。じゃあ幽霊さん、今日は私に付いて来て。明日の朝に神様の所に連れていくから」
「じゃあ明日だな、七時でいいか?」
「大丈夫」
カエデはもう平気そうだ。
でも、家までは送ろう・・・。
◆
カエデの家の前に着いた。
おじさんとおばさんはもう寝てんのかな・・・。
「じゃあ、また明日・・・やれるだけやってみようね」
カエデの声は力強い。
「そうだな。しっかり休めよ」
俺も同じ感じの声で答えた。
なんかかわいそうな感じだし、助けてやるか。
自由研究をして、遊んで、ダラダラしていた俺の時間が、久しぶりに姿勢を正した。
・・・勝手に決めちゃったけど、キクは協力してくれるかな?