第二十九話 八月九日 【新】 伝わらない話
墓の近くだったから鬼階段も行っておけばよかった。
兄ちゃんたちもまだなんかしてたかもしれないし、キクもいたから面白そうだったな。
家の近くまで来て思いたったけど、カエデはもう集中モードに入ってるだろうから邪魔できない。
・・・なんかもやもやしてきた。
こういうときは柵に座って風に当たってるのが落ち着く。
・・・静ばあさんでもわからないんじゃ、キクの話を知ってる人がもういないってことだよな。
あ・・・俺たちが知ってるか。
でも子どもが本当はこうだって説明しても、大人は信じてくれないだろうな。
キクと出逢わなければ知ることはなかった話・・・。
◆
俺は柵に座って景色を見ていた。
扇風機の弱に近いそよ風が、田んぼのまだ青い稲を揺らしている。
そのたびにさわさわ、さらさらって音が鳴って、そこを通り過ぎて俺の所までたどり着いた風は草の匂いが混じっていた。
「せっかく水を守ってきたのに、伝わってないのはかわいそうだな・・・」
なんとなく呟いてみた。
「三百年も前だから仕方ないよ。私も別に気にしてないし」
「え・・・」
振り返るとキクがいた。
いつの間に・・・さっきニコニコしながらカエデの家に入ってったはず・・・。
「なんでこっちにいるんだ?さっきバイバイしてたよな」
「カエデが集中し始めちゃって、あんまり相手にしてくれなくなったのよ。・・・アラタこそ帰るんじゃなかったの?」
・・・そうだな、確かにそうだ。
俺も「帰る」って言ったけどここにいる。
田んぼ、山、空をただ見てるのもいいかなってなんとなく思っただけ・・・。
「あはは・・・」
「・・・」
キクはふわっと飛んで俺の横に座った。
なんかいい匂い・・・。
◆
「夕方にね、スズにお弁当箱を返しに行くの。食べてほしいから朝に来てって言われてたんだよ」
キクは俺と同じ方向を見て話し始めた。
・・・そういえばきのうスズが詰めてたな。
「会わなかったから、俺たちが出たあとだな」
「うん、だから夕方まで暇なんだよね」
「弁当はもう食べた?」
「ふふ・・・すごくおいしかった」
俺もまた食べたくなってきたな・・・。
朝ごはんもうまかった・・・。
「カエデのお母さんっておっぱい大きいね」
「見てきたんだ?」
「いたんだもん」
ああ・・・たしかにほとんど家にいる人だ。
ていうか、顔とかじゃなくて胸なんだな。
「なにして遊ぼうか、誰か探す?」
キクが俺を見て笑ってくれた。
誰か・・・いや。
「キクと二人でもいいかも」
「二人で何するの?」
「うーん・・・じゃあ、十秒以内に俺を捕まえられたらキクの勝ちな。負けた方はなんでも言うことを聞く」
俺は言い終わってすぐに関節を鳴らした。
「九・・・八・・・」
柵から下りて距離を取った。
六秒か・・・鳴らないところもあったな。
第二関節と親指も使って、最高で十秒はいけるようになった。
「あれ・・・」
ちょっと振り返ったらキクが消えていた。
「はい、捕まえたー。まだまだだねアラタ君」
肩を掴まれた。
・・・いつの間にまわりこんだんだ?
ばあちゃんみたいに固まってるはずなのに・・・。
「その力ねー、私には通じないんだよー。アラタの負けー」
指で鼻をつつかれた。
神様相手だから卑怯だっては思わないけど、こんな簡単に負けるなんて・・・。
「はあ・・・キクと勝負する時は、ちゃんと条件を決めないとな」
「たぶん、何やっても私が勝つと思うけどね」
「悔しいけど・・・さあ、なんでも言うこと聞くぞ」
「なんでも・・・そうだなあ・・・」
キクは腕を組んで考え出した。
お菓子か、それとも「一日中遊べ」とかが本命だな。
◆
「きーめた。ねえ、ちょっとでいいから私をおんぶして」
キクが組んでいた腕をほどいた。
「え・・・」
そんなのでいいのか?
やば・・・簡単すぎてにやけてくる・・・。
「本当におんぶでいいのか?」
「い、いいでしょ・・・。この前コースケがハルカをおぶってるのを見たの。私、男の子にそんなことしてもらったことないから・・・だから・・・どんな感じかなって・・・」
コースケがハルカを・・・ありえなくはない。
あの二人はどっちかというと親分と子分だろうけど。
・・・キクは純粋なんだな。
負けた方はなんでも言うことを聞く。
俺が決めたことだ。
それに、これ以上言わせるのはなんかダメな気がする。
「いいよ、ほら乗ってみ」
俺はキクに背中を向けてしゃがんだ。
「こう?」
「そう・・・あれ・・・軽い・・・」
背負っているのに重さがない・・・ふわふわしてる。まるでぬいぐるみみたいだ。
・・・それに近付いてわかったけど、キクからはさっき俺に吹いてきた風の匂いがする。
「わあ、こんな感じなんだ。背中・・・あったかいな」
「キクは軽いから、今日はずっとおぶっててもいいよ」
「えへへ」
キクが耳元で笑ってくれた。
ひんやりだけど、暑いから逆に気持ちいい・・・。
「でもこれくらいでいいよ。ありがとう」
「え・・・もういいの?」
「うん。でも・・・またお願いしたらやってくれる?」
「もちろん、なにかしたいことあったら言えよ。できることならやってやる」
「・・・」
キクの白い顔が、少しだけ赤くなったように見えた。
「えへへ、忘れないでね。じゃあちょっと座ろうよ」
「うん・・・」
なんだろ・・・やっぱかわいいな。
◆
柵に腰を下ろすと、キクも隣に座ってくれた。
ここにいる時は、いつも一人だったからなんか新鮮・・・。
「ねえアラタ、私の体ってあったかいの?」
「いや、冷たかったな」
「そっかあ・・・水神だからかな?一緒ってわけにはいかないんだね・・・」
キクは寂しそうな声を出した。
もしかして、今のは嘘でも「あったかい」って言った方が良かったのか?
・・・いや、思ってないことを言っても仕方ない。
それに嘘だってわかったら気分も悪いだろうしな。
◆
二人で空を見上げて、流れる雲を追っていた。
安らぐ時間のはずなんだけど・・・ちょっと気まずい。
「・・・」
キクはずっと黙っていた。
たぶん俺のせいだし、なんか気の利いたことを言ってあげたいな。
体温じゃなくて・・・。
「あのさ・・・」
「・・・なに?」
「キクはさ・・・いい匂いがするよな。夏の香りって言うのかな・・・」
「夏の香り・・・どんな感じ?」
風がまた田んぼの稲を揺らした。
「今・・・吹いてる風」
俺は人差し指を立てて、風を受けて舞い上がりそうな稲穂へ向けた。
「・・・アラタは夏の香り好き?」
「うん、好きだよ」
「じゃあ・・・私はアラタの好きな匂いがするんだね。ふふ、なんかそう言われるの悪くないな」
キクは嬉しそうな顔で笑ってくれた。
これで話しやすい感じに戻ったな。
たぶん、嘘をつかずに本当のことを言ったから・・・。
「まあ、私が水神だからそんな匂いがするのかもね。今は、アラタたちにしかわからないけど」
キクの目が遠くの山を見つめた。
ああ・・・話したかったことだ。
水神の真実は、俺たち六人しか知らない。
この子自身は、それをどう思ってるんだろう?
「キクは、自分の話がちゃんと伝わってないのって嫌じゃないのか?」
「え・・・別に見返りがほしいわけじゃないし。たしかに感謝されてると思うと嬉しいけど、それは目的じゃない」
「俺だったら嫌だな。・・・逆に変なしきたりとかは残ってたりするのに」
「なんていうのかな・・・子孫に伝えていきたいことと、そうでないことがあるんだよ」
キクは遠くを見たまま微笑んだ。
「水神の話はそうなのか?」
「そうだね。・・・例えば、アラタは転んで泣いたことある?」
「あるよ。・・・最近じゃないけど」
「友達に話す時、泣いたことまで話す?」
・・・言わないな。
泣いたことは黙っておく、恥ずかしいから・・・。
「同じ話?」
「私にとってはね。・・・水が絶えないように水神を祀ったことは伝える。ただ、子どもを人柱にしたことは伝えない」
「後ろめたいことだから?」
「・・・そういうこと」
まあ、自分の子どもに「昔は女の子を人柱にした」なんて教えないよな。
「三百年経った今、伝えていくのとしまっておくのはどっちがいいんだろうな」
「アラタたちの好きにしたらいいよ。どっちにしても私の役割は変わらない。・・・でもあのおばあちゃんは知っていて、その上で教えなかった可能性もあるけどね」
質問したカエデはなにか気付いたかもしれない。けど・・・真実はわからない。
もしばあちゃんが知ってたとしたら、俺たちはその話を知らなくていいと思ったってことだよな。
「俺は忘れないようにするよ」
「・・・ありがとう」
「キクが寂しそうな顔するのは・・・なんか嫌だからな」
「あはは、うん」
遠くを見ていたキクが、やっとこっちを向いて笑ってくれた。
この顔、もっと見たいな・・・。
◆
「なんか・・・ここいいね」
「だろ?」
カンカン照りの太陽が少しだけ真っ白な雲に隠れた。
「夕方までこうしてていい?」
「いいよ」
さっきと同じ、草の香りを含んだ涼しい風が吹いた。
・・・やっぱり、同じ匂いだ。
キクのいるこの景色、匂いごとしっかり記憶しておこう。
小学生最後の夏休みで、俺の一番の思い出になりそうだ。