第5話 友
さあ、捕まえてごらんなさい。
階段の手すりを滑り台のように降りていき、慌てる黒服たちをジャンプして交わしていく。
後ろからメイド達が「はしたないです、フォルナ様」と叫んでいますが、余計なお世話ですわ。
「フォルナ様が逃げられたぞ! なんか、すごい動きで捕まえられません!」
「何故だ? 普段も戦場でも、とてもキリッとされて落ち着いている方なのに」
「なんか、縁談の話を持ち出したらそうなったらしいぞ?」
「あ~、やっぱりか。あのお方はその話になると、とてもお気分を悪くされるからな」
屋敷の衛兵たちの言うとおりですわ。朝にあんな夢を見たから、余計に気分が悪いですわ。
だから、今日だけは本当にそういうしがらみからは解放されて羽を伸ばしたい気分ですわ。
乱暴に屋敷の扉を蹴破り、ワタクシは自分が唯一落ち着ける場所へと駆け出しましたわ。
「みなさま、ごきげんよう!」
慣れ親しんだ、軍宿舎。新兵の頃はワタクシもここで、同世代の同期と相部屋で過ごしていましたが、共に故郷のことを語らったり、夢を語らったりと、誰もが対等で心休まる日々でしたわ。
「おっ、フォルナ姫!」
「フォルナちゃん!」
「おかえりー、フォルナ!」
「フォルナ様だ! おい、フォルナ様だ!」
真っ白い軍服に身を包んだ大切な戦友たちが、手を振ってワタクシを迎え入れてくれる。
ワタクシもまた笑顔で答えて手を振って、何だか気持ちが少しだけ良くなりましたわ。
「おお、これはこれはフォルナ姫」
「姫様。久しぶりっすね」
「あら、シャウト! バーツ! ごきんよう。こちらの席、よろしいかしら?」
たくさんの戦友の中でも特に安心できる仲間。それは、同じ故郷から共にこの帝国へと戦争のために来ることとなった内の二人。
「シャウト、例の亜人の軍に相当やられたそうですわね」
「ええ。敵軍の軍師に見事やられましたよ。当分、僕は事務処理に回されるでしょうね」
「これを休養だと思って、しっかりとしてくださいませ。敗れたとはいえ、あなたが居なければ損害はもっと大きかったのですから」
彼の名はシャウト。
エルファーシア王国軍将軍のご子息にして幼少からの幼馴染。頭脳明晰で魔法技術や戦闘に長け、礼節や気品も兼ね備えたワタクシも信頼する友の一人。
「それにしても、バーツ。『聖地エルシュタイン』奪還戦において、敵軍の主力軍将軍を討ち取ったそうですわね」
「あっ、どうもっす。いやー、しかし、マジ死にかけましたよ。あの、魔王軍魔道将軍は、レベルが違った」
「ええ。ですが、その将軍をあなたが討ったからこそ、戦の勝利に繋がったのですから、論功が楽しみですわね」
「いやいや、俺は勲章に興味ないっすよ」
「あら、勲章は大切ですわよ? そうでなければ、ワタクシは何のためにこんなになってしまったのか分かりませんわ」
「はは、そうっすね。史上最年少で将軍になり、光の十勇者の称号まで得た姫様の言葉は実感こもってるっすね」
この方の名はバーツ。
エルファーシア王国の王都で経営されている酒場のマスターのご子息。身分は平民でありながらも、その卓越した剣武は多くのものから一目置かれ、その揺るぎない情熱的な心が多くのものを惹きつける方ですわ。
二人共、幼馴染で十歳の頃に共にアークライン帝国の『大帝国軍士官学校』に入学し卒業。その後は所属によりバラバラになりましたけども、二人の武勇はいつも耳に入っているほど。
会って話をするのは戦争の話ばかりではなく、愚痴を言い合ったり、故郷での懐かしい思い出話に花を咲かせたりなど。
もちろん、女性に大人気の二人ですから、恋文をもらった舞台に誘われたなどの話を聞いて、からかったりも少々。
ただ、何よりワタクシがこの二人を信頼できるのは、もう一つの理由があるから。
それは、
「ふぉるなひめ~!」
豚? あっ、違いましたわ、ワタクシとしたことがなんと失礼な。
豚、じゃなくて、人ですわね。少々顔の造形が醜く、肥えた体型をなさった殿方が食堂に足を踏み入れて来て、一同騒然となりましたわ。
「あれは~」
「おい、キモーメン氏だ」
「ああ、あのヤリたい放題で噂のおぼっちゃま」
「シっ。聞こえるから静かにな」
ああ、気持ち悪い、じゃなかったですわ、気分が悪くなりましたわ。
この方が、キモーメン。ワタクシに縁談を申し込んだお相手。
「ご、ごきげんよう、キモーメン様」
「ふぉふぉ、ふぉるな姫、ど、どういうことなんですかだな! 僕との食事を断るなんて」
情報、早いですわね。
「え、ええ。ワタクシも用事が色々とありまして」
「じゃあ、縁談の話は! ぼ、僕との縁談も断るって話が今朝も来たけど、どういうつもりなんだですかな!」
その前に、この方、女性とお会いするのでしたら、身だしなみは整えたらいかがですか?
公爵とは思えない寝巻きのまま飛び出したかのような格好。乱れた髪の毛。恐らく湯浴みなどもされていないですわね。
まあ、仮にその全てがクリアできたとしても、ワタクシの答えは決まっているのですが。
「そのお話でしたら、申し訳ございませんわ。ワタクシには故郷に十年も前から将来を誓った許嫁が居ますので」
仮にもワタクシに最低限の想いを寄せて頂いた以上、誠意を持ってお断りする必要がありますわね。
ですが、何故そんな、「そんなことありえない」というような表情なんですの?
「そ、そんなの納得できないんですだな! エ、エルファーシア王国にとって、て、帝国公爵家の僕と結婚することがどれだけ有益になるか、理解されていないんですだな!」
確かに、それは仰る通りですわ。帝国とエルファーシア王国が懇意となることは悪い話ではありませんわ。
ワタクシ個人にとっては悪夢のようなお話ですが。
「だいたい、その許嫁ってどこのどいつなんですだな! エルファーシア王国の、公爵? 侯爵?」
「いいえ、彼は貴族ではありませんわ」
「なっ、ぬぬぬ、それなら、バーツ氏のような平民からの成り上がり」
「いいえ。成り上がるもなにも、彼は戦争には参加していませんわ」
「じゃ、じゃあ、そいつはどこのどいつなんだな!」
「エルファーシア王国の農家のご子息。今は、王都の飲食店でお手伝いされていると思いますわ」
その瞬間、キモーメン様と同じように、この食堂に居た全員が同じ顔で固まりましたわ。
あれ? そういえば、ワタクシは彼のことを、幼馴染以外には教えていなかったかしら?
「お、おい、今の聞いたか?」
「あ、ああ。フォルナ様に許嫁が居るとは聞いていたけど、てっきりどこかの貴族かと」
「私も! えっ、うそ! 平民で戦争にも参加してないって、うそでしょ?」
ああ、そういう反応になりますの。いえ、無理もないかもしれませんわね。
彼に会ったことのない人に、彼の魅力は伝わりませんもの。
「ぷく、ぶふうううううう! へへ、平民、戦争にも参加してない平民! そんな腰抜けが許嫁って、どう考えてもおかしいんだな!」
「ッ!」
「戦争に参加してないってことは、人類大連合軍にも入れなかった無能で、しかも平民なんてゴミ以下なんだな!」
お待ちなさい。何故、あなたが笑うのですか? 彼をバカになさるの?
「世界中が正義を掲げて悪しき魔族や亜人を倒しているというのに、公爵家である僕の家ですら私財で物資支援など戦争に貢献しているのに、戦争にも参加しない平民の腰抜けが、ふぉるな姫の許嫁? 冗談キツイんですだな!」
ああ、ワタクシは、なんて愚かしいのかしら?
新兵の頃からどれだけ屈辱的な罵声や命令にも堪え、魔族や亜人の非道な策略にも冷静さを失わずに居たのに、これだけでここまで怒りがこみ上げてくるとは思いませんでしたわ。
ふふ、いっそここでこの豚を暴行してクビになれば、今すぐ故郷の彼と再会できるのでは?
試してみるのも……
「それまでにしていただけますか」
「あんた、いい加減にしろよな」
その時、ワタクシが手を出す前に、シャウトとバーツがキモーメン様の胸ぐらを乱暴に掴んでいましたわ。
「ななな、何をするんですだな! ぼ、僕が誰だと! 僕は公爵家の人間なんですだな!」
ちょっ、お待ちなさい! 何故二人が怒るのです! いくらあなた方でも、公爵家のご子息に手を出したら……
「一つ、言わせていただきます」
「一つ、言わせてもらう」
「フォルナ姫の許嫁の彼はね……本当にとんでもない奴なんです!」
「フォルナ姫の許嫁はな……本当にとんでもない奴なんだ!」
思わず、顔をテーブルに強打してしまいましたわ……
「彼はテストではいつも赤点取るし基本魔法もロクにできない、火の属性魔法を使うと言ってはお酒を口に含んで火のついたマッチに噴いては藁人形を燃やす。そのくせ、喧嘩早くて口が悪くて無神経な言葉を浴びせる」
「おまけに卑怯な手ばかり使う! 人をさんざん挑発して冷静さを欠いたところを容赦なく痛めつけ、しかもかなり邪悪な顔をして笑うんだ! 目つきも悪いし、真面目なやつを小馬鹿にするとイキイキするような最低な奴なんだ!」
あっ、あなたたちは彼の被害者だったのですわね。
今では世も知る英雄となったお二人も辛い幼年時代を過ごしていたようですわね。
目尻に涙が溜まっていますわ。
「しかしですね! 確かに彼は戦争には参加していませんが……」
「でもな! あいつは戦争に参加することを断ったやつだが……」
ですが……
「彼は腰抜けなどではありませんよ!」
「あいつは腰抜けなんかじゃねえ!」
ですが、分かります。
どうしてワタクシたちが彼を? もう、どういう理由で好きになったとかそういう話ではありませんの。
ワタクシたちは、ひねくれて時折イジワルでも、いつだって裏表がなく誰が相手でも自分を飾らない彼が大好きなだけですわ。
たとえこれから先、どんな素敵な殿方が現れようとも昔も今もこれからも変わらない、それがワタクシの想いですわ。
バーツとシャウトもまた、そんなワタクシの気持ちと彼自身を理解しているからこそ、今もこうして怒ってくれている。
ワタクシは本当に友に恵まれて幸せ者ですわ。ねえ? あなたもそう思いませんこと?