第3話 初恋
白馬に乗った王子様は、レディに対してとても優しくかっこよく、ワタクシを連れ去ってくれるような方。
勇者様は、邪悪な魔王に囚われたワタクシを、その剣を持って助け出してくれる御方。
当時のワタクシはそのようなことを考えていましたわ。
ですが、その時のワタクシの目の前に居るのは、ただの男の子。
決して優しいわけではなく、勇者のような強さを持っているわけでもない。
ですが、その姿からワタクシは目が離せませんでしたわ。
「いでええええ、このやろう、噛みやがったな、はなせー! このこのこの!」
「ガルウ! ガルルルルルルウ!」
「こんにゃろこんにゃろ!」
ただの野犬に腕を噛まれ、涙目になりながらも必死に抵抗している男の子。
噛まれていない方の手を握り締めて、精一杯に野犬の頭を叩いている。
ですが、野犬の牙が食い込んで男の子の腕から血が流れ出した時は、ワタクシはさらに恐怖を覚えましたわ。
野犬は抵抗すればするほど、余計に牙を男の子の腕に食い込ませ、男の子の腕は今にも噛み千切られそうなほどに痛々しく傷ついていく。
ですが……
「ガルルルル! ガウウ! ガウッ!」
「ぐ、ぬぐぐぐぐぐぐ、ま、まけね~ぞ~!」
男の子は怯まず、涙目なのに泣き言を言わず、抵抗を……いいえ……戦っていましたわ。
そしてついに……
「こらーっ! ウチのヴェルトに何をしているんだ!」
「ヴェルトを離しなさい!!」
大人の声。二人の男女。それは、男の子の両親。
野犬に噛まれながらも戦っていた男の子へ、血相を変えて走ってきた。
その二人の姿を見て、野犬も驚いたように男の子の腕から離れて、慌ててどこかへ走り去り、ワタクシたちは助かったのですわ。
「ヴェルト~、ああ~、痛そうだ、大丈夫か~? ごめんよ~、パパが来るのが遅くて~。恐かっただろう?」
「え~ん、ヴェルト~。今度何かあったら、すぐにママに言うのよ? ママの無敵パンチで、えい、えい、えいって、悪い人を倒しちゃうから~! も~、こんなに怪我しちゃって、可哀想なヴェルト~。ママが来たからもう大丈夫だからね」
お二人は、腕から血を流している男の子、「ヴェルト」の姿に安堵しながらも、半分涙目になりながらヴェルトを抱き寄せて頬を何度も摺り寄せていましたが、それが恥ずかしいのか、ヴェルトはすぐに身を捩って二人から離れましたわ。
「だだ、だいじょ~ぶだよ~! こんなのなんてことねーもん! ひっぐ、お、俺、あんなやつにビビッタりしねーし。ケンカはビビッたら負けなんだぞ!」
「お、おおおお! ヴェルト、なんて逞しいんだ、なんて強いんだ、パパ嬉しいよ!」
「うん、お利口さん、男の子♪ でもヴェルト~、痛かったらいつでも泣いていいのよ? ママが痛いの痛いの飛んでけ~、えい、えい、えいって魔法をかけてあげるんだから」
当時、同世代の子供で関わりがあったのは、身分の高い貴族の子供だけ。王都の男の子たちも、遠くから眺めたことはあってもお喋りしたことはありませんでしたわ。
だからこそ、こんな男の子は初めてでしたわ。今にも泣きそうなのに強がって、全然弱みを見せない男の子。
「んで、迷子のガキここに居るよ」
「おお、姫様! フォルナ姫様ですね? いや~、ご無事でなによりでしたよ」
「こうしてお話させて戴くのは初めてですね、フォルナ姫様。私たちはこの近くに住んでいる、ジーハ家と申します。昔は、あなたのご両親である国王様や女王様には大変お世話になりました」
とても優しく温かい笑みをワタクシに向けて下さったお二人の言葉は、怯えていたワタクシをようやく安堵させるものでしたわ。だからこそ、ワタクシはその安心感から改めて涙を流しました。
「うるせさいな。泣くなよ~、怪我もしてねーのに、よわっちいやつ」
「こらこら、ヴェルト。仲良くしなさい」
「女の子を泣かせちゃダメじゃない!」
ヴェルトはワタクシに対して呆れたように言いますが、普通はもっとありませんでしたの? と思いましたわ! 目の前でレディが泣いているというのに、頭を撫でるでも、優しい言葉をかけるでもなく、「よわっちい」とはどういうことですの!
ですが、当時のワタクシにそれを否定することなどできず、ただ、涙を流しているだけでしたわ。
「だって、だって、ワタクチもうだれにも会えないどおもっでだまじだがら……あなだだって、ワタクチのせいでケガを……ごめんなさい……ごめんなさい……」
怖かった。そして申し訳なかった。ただただ泣きじゃくりながらそう言い続けていたワタクシに、ヴェルトはどんどん不愉快そうな顔を浮かべて……
「何だ、ヨワ。こしぬけだな~、おまえ」
「う、ううっ!」
「ケンカでケガをもらうのは、男のクンショーじゅよしきってやつなんだよ。だから、いいことなんだから、謝んなよ。弱虫!」
そしてその一言! 多分、涙を流していなければ、そして命の恩人でなければひっぱたいていたと思いますわ。
こんな平民の男の子なんかにバカにされて……と……でも……
「なあ、お前、俺のことが怖いか?」
ヴェルトがワタクシの顔を覗き込むようにそう聞いてきましたわ。その問になんの意味があったのか分からず、とりあえずワタクシは首を横に振りましたわ。怖くないと。
すると、ヴェルトは、急に歯を剥き出しにしてニッと笑い……
「じゃあ、だいじょうぶだ。お前、知らないだろ? この麦畑で俺がいちばんキョーボーな奴なんだぜ?」
その言葉の意味は当時のワタクシには、というより今のワタクシでも、ヴェルトが何を言っていたのか良く分からないものでしたわ。
でも、その時は言葉というよりも、ヴェルトの存在感。「俺が居るから大丈夫だ」と言っているかのように堂々とした姿に目を奪われていましたわ。
「俺のことが怖くないんだから、迷子とか犬とかなんかでビビんなよな! 男も女も、ビビったら負けなんだぞ!」
気づけば、ワタクシの涙も落ち着き、それどころかさっきまで真っ暗な闇の世界に怯えていたはずの気持ちが何でもないと思うようになり、そして、ヴェルトはワタクシに手を差し出して……
「ほら、一緒に帰ろうぜ。いちばんキョーボーな俺に慣れとけば、お前ももうちょっと強くなれるぞ! 慣れるまで、俺がお前を守ってやるから心配いらねーよ!」
このあと知ったことですが、ヴェルトは魔法の才能は欠片もなく、むしろまともな決闘をすれば当時のワタクシでも瞬殺できるぐらいの力の差があったみたいですわ。
そう、ヴェルトは本当は弱いのですわ。ですが、彼はそれでもどんな相手にも自分の主義主張を言い、物怖じせず、たとえ傷ついても戦う男の子でしたわ。
それは、お母様と口喧嘩して逃げ出したワタクシにはない、「戦う」という意思。
「……うん!」
眩しくて、胸が熱くなって、ワタクシは心からの笑顔でヴェルトの手を掴み、その温もりを感じましたわ。
そして、五歳ながら気づいた感情。「ああ、これがそうなんだ」と「この感情がそうなんだ」と。
それが、あの日から始まり、今なお続いているワタクシの初恋。