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こっちを向いてる

作者: 千葉真六

 健太けんたは中学一年生の男の子。生来、少し気が弱い。この春から中学校に歩いて四十五分もかけて通い始めたばかりで、同じクラスに親しい友人は一人もいない。同じ小学校から進学した友達は別々のクラスに散らばった。一学年八クラスもあるから無理もない。自分の席の周りに座っているのは、みんな知らない小学校の出身だ。健太は、クラスの中で早く友達をつくりたいと望んでいるが、小さい頃から引っ込み思案なので、自ら声を掛けて仲良くなることなんて到底できない。精々、隣席の生徒に消しゴム貸してと遠慮がちに小声で話しかけるぐらい。新入生は期待と不安でいっぱいなどと世間では言われるが、期待より不安の方が遥かに大きいと健太は思っている。そして、その不安が的中する日が到頭やってきた。

 確か、その日は穏やかな登校日で、あちこちで花水木の花が白く咲き競っていた。そのように記憶しているが、この記憶は甚だ怪しい。それはさておき、午前の授業中、同級生のつよしが担任の先生から司会役を指名され、前に出て何かの議題についてクラスのみんなに意見を求めているところだった。もちろん、剛は別の小学校出身で、一言も話したことがない。その剛が突然、大声で健太を詰った。

「おい、健太。何をしているんだ。今日の議題について真面目に考えているのかっ。みんな真剣に頭をひねっているんだぞ!」

 そう、そのとき、健太は後ろの席の友達に向かって、何か今日の議題と関係のないことをしゃべっていたのだ。悪いのは健太だし、もともと小心者だから、健太は剛に言い返すことなどできず、ずっと下を向いて黙っているしかなかった。

 その事件以来、健太は、できるだけ剛と接したくないと思った。事件とは大げさな、と感じるかも知れないが、心配性な健太にとっては大きな事件なのである。親や兄弟に相談する性格ではないので、学校にいないときも一人で悩んだ。一年生が終わるまでは剛と同じクラスで、毎日のように顔を合わせなきゃならないから嫌だなぁとか。さらに、二年生に進級しても、また同じクラスだったら、ますます気が重いなぁとか。

 そんなある日、思いがけず剛が優しい言葉をかけてくれた。健太は一瞬その状況が信じられず、とても嬉しい気持ちになった。心の曇りがパッと晴れた。剛が言うには、あの授業のとき、ついカッとなってクラス全員の前で健太を詰ってしまったが、そのあとで少し言い過ぎたかなと反省したらしい。つまり、健太だけでなく剛も互いの気まずい関係を何とかしたいと望んでいたが、それを実行する勇気を持ち合わせていたのは剛だけだった。その点、剛は健太より勇敢というか大人だと言える。そういえば、剛はバスケットボール部の主将も務めていたっけ。部員は主将も含めて二、三人しかいない弱小チームだったけれど、そんなことはどうでもいい。

 その後、二年生のときも三年生のときも、健太と剛は互いに別のクラスに配属された。でも、たまたま校内で会ったりすると、

「やあ、剛。元気でやってるか?」

「健太。何か楽しいことあったか?」

 と、遠くからでも笑顔で言葉を交わしている。気の置けない仲になったのである。やや大げさに言えば刎頸の交わりということになる。思うに、マイナスからプラスに変わったから、クラスは違えど親交の度合いはとても深い。ゼロから十になっても単に十だけ増えるに過ぎないけど、マイナス十から十になれば二十も増える。中学校の数学で負の数を学び、それが意外にも友情の深さを理解するのに役立った。あのとき詰ってくれてありがとうと剛に感謝したいぐらい。

 こんな二人が中学校を卒業して三十年ほど経ったころ、母校の同窓会の幹事役が健太に回ってきた。そして、健太は同窓生名簿に剛の名前を発見した。久しぶりに同窓会を開くことになったので、ぜひ出席してくれと、さっそく健太は剛にメールで連絡した。その結果、残念ながら同窓会に欠席する旨の返信が届いた。欠席の理由として、現在、郷里から遠く離れたところで自営業をせわしく営んでいるため、久しぶりの同窓会といえども容易に往復できないと書き添えてあった。

 ただ、剛からのメールには中学校時代の懐かしい想い出が暖かい文面で綴られていた。そのことに、健太は剛との親交が些かも薄れていないと喜んだ。剛が今もこっちを向いてくれていると思うと、嬉し涙が流れてきて止まらない。この世で三十年間も変わらないものなんて、近所の市場で売っている鶏卵の値段ぐらいしか健太には思いつかない。あと十年したら、また同窓会を開いて剛に会いたい。いや、そんなに待てない。今度の休みにクルマを飛ばして旧友の笑顔を見に行きたい。(完)

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