第三話 退き佐久間と折檻状
球団結成から数か月が経ったある日。佐久間信盛は困り果てていた。
「うーむ。この世界でも、これがきてしまったか」
練習試合として、王国近衛野球団と何度も試合を行っていた。
しかし三番手の投手を務める信盛は防御率が低く、打席に立った時の打率も低かった。
彼は元々、「何故異世界なんぞに来て野球をやらされているのか」と士気まで低かった。
そこで信長から来た手紙がこれである。
「お前さぁ、やる気あんの? ピッチャー任せてみたらストレートしか投げないじゃん。今は若手の身体になってるんだから、もっと積極的に変化球も覚えなきゃダメだろ。練習にも消極的だしさぁ。やる気が感じられないんだよやる気が。権六を見てみろよ。元の精神年齢がジジイなのに、誰よりも練習頑張ってるじゃん権六」
手紙にはかなり砕けた言葉が使われている。
しかし信長は本気で世界征服をするつもりなので、野球にも真剣に取り組んでいた。
信長が真面目なのに、元の世界で重役中の重役である信盛が。一時期は織田家家臣団のトップにまで上り詰めた男がその体たらくでどうする、というお叱りの手紙だ。
「打席に立ったらバットも振らずに立ってるだけだし、ようやく振ったと思えばボール球に手を出してるし。ハンパなことをするくらいなら、権六みたいにもっと積極的に振れよ。打率が一割ジャストって成績で恥ずかしくないのか? いや、今は権六も打率一割五分だけどさ」
上司から部下へのお叱りの手紙。
折檻状は、主に信盛の消極性を責める内容になっていた。
信長は相当怒っていたのか、字が荒れ狂っている。
「でも権六はいいんだよ。あいつすっごいホームラン打つし、何より頑張ってるから。光秀や秀吉だって、バントを覚えたり盗塁を覚えたりしている中でさぁ、新しい技術を覚えてないのお前だけじゃん」
そして書かれている内容自体は、その通りである。
確かに信盛は停滞していた。
「まずはバットを振るところから始めろ。お前に足りないのは積極性だ。もうこの際三振してもいいから思い切って振っていけよ。……三振といえばこの間も五打席四三振だったな、権六。でも権六はいいんだよ、あいつにはやる気があるから――」
と、もう信盛に喝を入れたいのか、柴田勝家に喝を入れたいのかが分からないお手紙を読み終えて。
「……はぁ」
信盛は深い溜息を吐いた。
史実ならこのような手紙が届いた後も進歩を見せず、雇止めをされて織田家から追い出されてしまう運命だ。
「いや、しかし同じ轍は踏むまい」
しかしもうこのパターンは学習済みのため、同じ過ちは何度も繰り返さない。
信盛にも一つの秘策があった。
「そう、私は退き佐久間だから」
彼は撤退戦において、味方の損害を出さずに退却させることを得意としていた。
その男が選んだ道とは。
◇
「さあ、三回表、なで斬り尾張軍、24点ビハインドの中で、セイントナイツの攻撃に入ります」
「ああっとここでピッチャー森長可に代わり、佐久間信盛です! ……やっとです!」
この日、王都のとあるグラウンドには地獄が生まれていた。
先発のマウンドに上がった森長可が、二回で二十六死球。
しかも、そのうち二十四球が故意という惨状を繰り広げていたのだ。
「ちっ、あと五点で百点だったのに……」
ちなみに、ベンチに戻った長可の言う点とは。
頭に死球で五点、腹で三点、足で一点、股間で十点という、とんでもない的当てのスコアだ。
もっと早く代えろと、敵味方を問わず誰もが思ったのだが。
「アイツにはまだ伸びしろがあるから!」
と、当主の信長が続行を指示したので、行くところまで行ってしまった。
何はともあれ三回から信盛がピッチャーへ志願したので、ここで惨劇は終わったかと思いきや。
「あー、くそっ。もっとタマを狙って行けばよかったぜ。どいつもこいつも足とか腹に逃げやがって……。見てろよ、次こそは……」
長可は既に次を見据えていた。
「兄上……」
「育て方を間違ったか……」
弟の蘭丸はもう呆れるしかできないし、父親の森可成は額に手を当てて天を仰いでいる。
そしてこの大馬鹿者に対し、信長は「長可ならしゃーない。何をやっても不思議じゃない」というコメントを残した。
意外性ナンバーワンの男は一旦置いておき。
とうとう信盛が出陣する時がきたのだ。
「出番ですな」
「志願したのだから、しっかりやって来い」
さて、マウンドに上がった信盛だが、彼の能力は普通だ。
特に優れたところが無い彼に、何が期待されているのかと言うと。
「権六と利家は下げろ。五郎左もだな。一益もリリーフに行かなくていいぞ。儂も下がる」
と、下がっていく主力たち。
それを尻目に、信盛はマウンドに上がる。
「さあ退き佐久間。その役割とは、やはりこれよ」
誰よりも退却が上手い男。
それが佐久間信盛だ。
その男は皆を守る守護神、殿となることを決め。
主力を無傷で逃がすために。今ここに、敗戦処理投手のノブモリが誕生した。
「……佐久間様。それでいいんですか?」
長秀と入れ替わりでキャッチャーになった佐々成正は、潔く一線を譲った大先輩を尊敬すればいいのか。
それとも腰抜けと蔑めばいいのか、複雑な気持ちでマスクを被った。
特に速いわけでもなく。変化するわけでもなく。
可もなく不可もないストレートが近衛野球軍を襲う――が、やはりそこそこ打たれる。
結局この日は、4-33という歴史的大敗を喫することになった。
木綿藤吉 米五郎左 掛かれ柴田に 退き佐久間。進むも滝川、退くも滝川。
秀吉は使いどころが多く、米がなければやっていけないように、長秀がいないと織田家はやっていけない。
攻めは勝家、退却は信盛。一益は攻めも守りも上手いよなぁ。と、信長は言っています。
信盛は効率的な退却が上手い武将で、殿というよりは撤退指揮官なんですが、そこはご愛敬で。
この世界の野球におけるコールドは、両者の合意によってのみ成立する特殊ルールです。
また、危険球の概念もありません。
何故なら球技は神聖なものであり、真剣勝負。
わざわざ危険球を投げる投手がいないからです(白目)