Episode 11‐3
「ほたるん……行かなくていいの……?」
麟は部屋に入ってくるなり、不安そうな声で俺に問いかける。アスモは無言で、俺を責める気はないように見える。
「いいんだよ。俺はシファの言うクロじゃないんだからな」
だからあいつは俺の姿を初めて見たとき『なんでクロがここにいるの?』と言ったのだろう。俺はこの世界にいていい存在なんだろうか……
「ほたるん、ボク……謝らなきゃいけないことがあるんだ……」
恐る恐るといった様子で麟は話し始めた。
「ほたるんの記憶を奪ったの……ボクなんだ……」
「え――」
「ほたるんのだけじゃない。ここのみんなが明翅野を脱走してから全生徒の記憶管理をしていたのもボク」
「お前に……そんな力なんて……」
「All‐Range Astral Connected Homing NEtwork system――通称、ARACHNE――それがボクの能力。読心、洗脳、記憶消去とか……あと、その気になれば世界中の人達の精神に干渉することもできる」
にわかには信じ難いが、もし麟の言ってることが本当だとすれば、とんでもない能力者だ。
「3年前、委員長や他の生徒たちを操ってクロノスに酷いことをしていたのも……ボク」
「なんで……そんなこと……」
「先生の命令だった」
「俺の記憶を奪ったのもか?」
「……違う」
麟は静かに深呼吸をすると話を続けた。
「当時のボクはまだ能力の制御が上手く出来ずにいた。他人の近くに寄れば、ボクの意思とは無関係にまわりの人達の思考を読んでしまう。……大人たちはボクのことを化け物みたいに扱っていたし、生徒たちと一緒に居てもまわりの雑念が煩くて……ボクは研究室から出られなくなっていた。そして神隠しが起きたあの日、先生は何を思ったのかボクの研究室に一人の生徒を入れた。不思議なことに、その子に対しては読心の暴走は起きなかった。ボクはその子と一緒に生活することで人との距離の測り方を学んだ。次第に自分の能力を制御できるようになっていった。おかげで外にも徐々に出れるようになっていった。ボクはその子に救われたんだ」
「もしかしてその子というのは……」
アスモが何かを察したように言葉を漏らした。
読心がもしクオリアに干渉する能力だとしたら、それが発動しない相手というのはつまり――
「そう、ボクにとっての初めての友達、ほたるんだよ。」
やっぱり俺か。
「そしてボクは、ほたるんからシファちゃんやみんなとの記憶を奪った」
「どうしてそんなこと……」
「嫉妬……していたんだと思う。ボク、ほたるんのこと好きになっていたから……」
その一言を発すると同時に、麟の瞳から涙が一滴零れ落ちた。
「だから、ほたるんのことを苦しめているのは、実はボクなんだ……ボクがシファちゃんの記憶を奪ったから……」
麟はついにはぼろぼろと泣き始めてしまった。
「バカなやつ」
俺は麟とおでこを重ね合わせて言った。
俺が悩んでいたのは、自分がクオリアの欠如した「空っぽなゾンビ」なのではないかということだった。空っぽの俺に、他の人間のように何かを求める資格があると思えなかったのだ。だけどここに、俺が空っぽだったおかげで救われたと言う奴がいる。そいつは俺の一番大事な友達だ。
不思議と、空っぽなのも案外悪くないと、今なら思える。
何より、麟がこんな俺のことを好きだと言ってくれて、俺はここに、この世界にいてもいいと許されたような、そんな気持ちになれた。
「ほたるんから奪った記憶……返すね」
麟が静かに言った。俺は「あぁ」とそれに応えた。
記憶が、情報の渦が、頭の中に流れ込んでくる――
ああ、俺はこんなにもシファのことを想っていたんだって気持ちが、胸いっぱいに甦る。
俺は走り出していた。かすみ荘を出て、シファがいる場所へ向かって。
今の俺がクロノスかそうじゃないかなんて、本当はどうでもいいことだったんだ。
一人で苦しんでいるシファを救いたい。この気持ちに嘘はない。
だが道中で俺は、あることに気が付く。
待てよ、因幡島って言ってたか……?え、島?どうやって行けばいいんだろう。そういえばその辺全く考えていなかった。
(そんなことだろうと思って――)
頭の中に麟の声が響く。これってテレパシーってやつか?
ふと、頭上を見上げると氷でできた馬の彫刻のようなものが宙を駆けていた。
「月浦!!」
氷の馬には御剣先輩が乗っていた。
「え、なんで先輩がここに――」
「話は結城から聞いた!いいから乗れ!!」
俺は先輩に言われるがままに氷馬に跨る。
「じゃあこのまま、因幡島までお願いします!!」
「元よりそのつもりだ!」
待ってろ、シファ。それにマモンとレヴィア、今行く――




