かぐや姫は、月の使者をお探し中。
閲覧いただき、ありがとうございます。今回の話も、題名の通りのお話ですが楽しんでいただければと思います。
本編中に出せなかった設定があるので、あとがきにちょっとした設定の付け足しを書いておきます。
がらり、といつもの様に教室の扉を開けたら、そこには絵画のような美しい光景が広がっていた。
後ろから二番目の窓から二列目の席に座る女の子。その子の髪は傷みないサラサラな、日本人の鏡とも言えるような黒髪。その髪と対照的に、新雪のような白さとみずみずしさを持つ肌。
それだけでもうらやまれるだろうに、駄目押しと言わんばかりにバサバサと瞬きをするたびに音がしそうなくらいに長いまつ毛。それは「長さを示さん」と言わんばかりに、閉じた目の下に影を作っていた。
そんな神秘的な大和撫子の寝姿が、自分の見知ったはずの教室で見られたらどう思う?
「教室へと続く扉ではなく、天国への扉を開けてしまったのか」そう思うに決まってるだろう。少なくとも俺はそう思った。
そんな現実逃避はここまでにして、俺は現実を見るために状況を整理する。
ます、俺は「忘れ物を取りに」この教室へとやってきた。
今日は部活がない俺は駅のホームについてから、忘れ物に気がついた。ちなみに、忘れ物はスマホだ。現代の学生に欠かせないスマホを忘れるなんて、自分でもうっかりしすぎだと思う。
スマホは面倒でも取りに行かなければ、とやっと目の前に現れた駅に背を向けて俺は学校へと戻ってきたんだ。
部活のやつはとっくに部活しているし、帰宅組はとっくに帰路についただろうから教室には誰もいないだろう。そう思って開けた教室には、眠っている彼女がいたのだ。
「かぐや姫」と呼ばれる、竹中美妃が。
まるで漫画の登場人物かのようなあだ名だが、それは彼女を体現するぴったりなあだ名であった。
このあだ名はクラスのお調子者な天野が、入学式後の自己紹介で発した一言によりできたあだ名だ。「竹中美妃って、竹の中から生まれた美しい妃!!? まさに『かぐや姫』じゃん」と言うもので、クラスの誰もがその発言に同意を示したんだそう。
そこからクラス内に広まり、GWが明けるころには全校にその呼び名が定着していた。天野はそのことを一年ほど経った今でも誇って、そこらへんで「俺が命名したんだぜっ」と言いふらしている。俺はそんなに胸を張ることでもないとは思うが、本人が嬉しそうにしているし放っておいている。
そんな愛すべきお馬鹿が命名した「普通の美人には大袈裟なあだ名」が、全校に瞬く間に定着するくらいには可愛いのだ。竹中美妃は。
そんな女の子が、目の前でぐっすりと寝ているのだ。起きているとジロジロと見られない彼女が、二人きりの教室で、目の前で。
俺の胸の中に「こんなに間近で寝顔を見られるなんてラッキー」という、思春期の隠しきれない欲望がのぞき出す。だが、すぐに「こんな状況を誰かに見られたら、まずい」という考えに思考を乗っ取られて冷静になった。
誰かに見られたら、男子には変に絡まれたり嫉妬されたり、女子からは「寝顔を見てニヤニヤしてた」とか言われて避けられる日々になってしまうこと間違いなしなのだ。寝顔を見たい気持ちなんて、すぐに何処かに行ってしまう。
さらに厄介なのは、「かぐや姫を見守る会」に目を付けらるということだ。
なんだよそれ、なんて馬鹿にしてはいけない。こいつらは非常に恐ろしい奴らばかりなのだ。
会員は「かぐや姫を愛でる者たち」であり、「かぐや姫の幸せな生活を守ること」を合言葉に活動する者たちだ。規律はアイドルのファンクラブ並みにきっちりしており、「姫の迷惑にならないこと」を前提として活動している。
その活動は多岐に渡り、隠し撮りの取り締まりから清掃ボランティアまでしてみせる。これらの行動原理は、「すべて姫のため」だと言うのだ。オタクの底力というものを、垣間見た気がする。
そんな会にも掟があり「かぐや姫の眠裏は、何人たりとも邪魔してはならぬ」というものがある。ちなみに発令は、「かぐや様を見守る会」の会長である生徒会長からだ。
もし今回のことがバレれば、この掟を破ったとみなされて、何らかの罰則を受けるであろう。ちなみに、姫の友人ならばある程度は許されるのだが(移動前に「起きて」と声を掛ける等の例外のみ)、男子がこの掟を破ることは絶対に許されない。
理由は単純明快、「男子の醜い嫉妬を買うから」だ。や、下手したら女子の嫉妬すら買ってしまうかもしれない。「私たちだって寝顔を拝みたい思いを抑えて、掟を守っているのに!」と生徒会書記である「かぐや様を見守る会」の副会長に怒られてしまうだろうし。
てか生徒会って、姫様のこと好きな奴らの集まりだなー。
俺はこの教室からさっさと出ようと自分の机に行き、スマホを見つけて帰ろうとした時であった。
「ん、」
身じろぎする気配と同時に、子供が無遠慮にお菓子を求めるような甘えた声が教室に響く。思わず自分の口を抑えてしまったが、そんな可愛らしい声を俺が出すはずが無い。
恐る恐る、眠るかぐや姫の様子を伺って見る。彼女の眠りが浅くなったのか、冬眠明けの熊のようにもぞもぞ動き出した。その彼女の怠慢な動きとは反対に、俺の心臓は早鐘を打つ。
このままではかぐや姫が起きて断罪されてしまうかもしれないのに、考えれば考えるほど悪い未来しか思い浮かばず、体が固まって動かなくなる。脳が非常事態を察知してからだから脂汗が出てきて、「やばい」という言葉しか思い浮かばなくなってきた。俺の思考は、完全にショートした。
そんな中で彼女の小さな口が、意志を持って動き出す様子を俺はただ見つめることしかできなかった。そして、その可愛らしい口から「変態」と言われて、周りからも「変態」と言われて俺は正真正銘の変態になってしまうんだ。ああ、俺の人生終わった。
「ん、さむぃよぉ〜お母さん。窓を閉めて・・・・・・・」
そう言って体を震わせた後にかぐや姫は、「スースー」と吐息をたてて寝入った。
そう、寝入ったのである。起きなかったのだ。それは、俺が目撃されることも、変態と呼ばれることになる未来も、回避できたことを示した。
それを理解した俺は、無言で拳を天に挙げる。
ーーよかったー!!! 俺の人生終わらなかったよ、まだ生きてる。まだ生きれるよ、俺!
俺は人生の危機を乗り越えることができて、ホット一息つく。
それにしてかぐや姫の寝言、メッチャ可愛かったな。それにしても、「窓閉めて、お母さん」という寝言を言う夢とはどんな夢なのだろうか。家で昼寝でもしている夢なんかを見ていたるするのか。
流石に夢の中でも寝ないかなー。普通に家で何かをしてる夢だろうな、うん。
一通り困惑した後で、俺は誰かに見られる前に帰らなければならないと思い直し、肩からずり落ちていた鞄を肩にかけ直した。俺が一歩踏み出そうとした時、頼りない肩がふるりと震えるのが視界の端に見えた。
ーーさっき寝言で「寒い」って言ってたな。
今日は夕方から急に曇り、太陽の光がなくなったせいで気温がグンっと下がった。暖かくなり始め、「もう半袖デビューしちゃったわー」って言う奴が数人出てくるほどに熱くなってきた中での温度変化だったため、羽織ものを持ってきていないものが多かった。かぐや姫もその一人らしく、「ベストだけだと、寒いな」なんて休み時間に言っていた気がする。
二人しかいない教室は、一時間前よりも冷たく感じる。こんな中で眠っていたら風邪を引いてしまうかもしれないな、とふと思う。
そして「それは大事件じゃないか」と気づき、俺は一人で頭を抱えた。
もしかぐや姫が風邪で休むなんて事態になったら、軽く学校が荒れる。「かぐや姫を見守る会〜臨時会議★〜」なるものが開催され、生徒会長と書記を筆頭に嘆き悲しむ生徒が大量発生する未来が脳裏に浮かぶ。
そしたら、会員のやつから絡まれて、慰めなければならなくなるだろう。
俺はそれを慰めるのも大変だし、「面倒だから」と慰めないと「無関心だ」と逆ギレされるしで全校生徒をまた巻き込んで、新たな掟なんかを作って「姫の幸せな学校生活を!」なんて言って、騒ぎ出すだろう。
そんな未来、嫌だ。
俺はどこぞの席にカバンを置き、羽織っていたカーディガンのボタンを外して脱いだ。途端に暖かい空気が逃げて冷気が俺の肌を包み込んできて、ふるりと身を震わせた。
寒さを我慢しつつ、そのカーディガンをふわりと姫の方へ掛ける。すると暖かくなったからなのか、彼女は寒くて縮こまっていた肩から力を抜いて幸せそうに眠り始めた。
これなら「かぐや姫の眠りは、何人たりとも邪魔してならぬ」の掟にも触れず、姫も風邪をひく事態も回避できそうだ。安心した俺は、やっとの事で変えることができたのだった。
***********
「あれ、これ誰の・・・・・・?」
ふわふわとした寝起きの頭で、私は肩にかけられたカーディガンに目を凝らす。これは男女共同の指定のカーディガンだ。私も指定のものなので同じものを持っているが、今日は持って来ていない。何よりサイズが私のものよりふた回りくらい大きい。
女友達でこのサイズのカーディガンを持っている子はいないし、貸してくれそうな男子に心当たりはない。
本当に誰のものだろうか? 前みたいな私のファン改め「ストーカー予備軍」がしてくれた可能性もある。けれどそのカーディガンに触れることに不思議と嫌悪感は湧かず、自然とそのカーディガンに腕を通していた。
そして私の掌が隠れてしまうくらいに大きいカーディガンから手を出して、顔を埋める。
「あ、いい匂い」
なぜだか、そのカーディガンからは幸せな香りがした気がした。
***********
次の日、いつも通りの遅めの時間に学校に着いた俺だが、校内の様子が普通では無かった。あらゆる生徒がジロジロと周りを見回り、ひそひそと何かを話しているのだ。まるで何かの事件現場の野次馬のようだった。
俺は内心で首を傾げながらも、教室へと足を向ける。その間にも無遠慮な視線に晒されて、もう帰りたい気分になった。
なぜ、俺はこんな風にチラチラと見られているのだろうか。いや、俺だけに視線を向けているわけではない。言うなれば推理小説なんかで、「犯人はこの中にいる!」って名探偵に宣言された後みたいな雰囲気。
みんな疑心暗鬼になって「誰が犯人なの?」ってキョロキョロしているみたいだ。
てか、実際にあれを行ったら犯人がヤケになって「皆殺しだ!」とかって殺されないのかと思うのは俺だけだろうか。俺だけだな。
そんな謎の雰囲気に包まれた校内を進むと、無駄に大きな声で感情的に話すいかにも「学年に一人はいるお調子者」の、天野の声が聞こえた。俺はこれは幸いだ、と天野の声のする方に進む。
天野と仲がいいわけではないが、天野であれば誰彼構わず話してくれる。いつもあのテンションで、仲が良くないからってなんかを隠すことはない。そんな天野ならば、この状況を嬉々と説明してくれるだろう、そう俺は踏んだのだ。
「ーー、誰なんだろうな? かぐや姫の琴線に触れた奴は」
近づいて鮮明になった天野の会話が耳に入り、俺の心は心停止しそうになる。
かぐや姫の琴線に触れた奴、それは俺にとっては死を宣言されたようなものだった。
昨日のことがかぐや姫のお怒りを買った、と言うことなのだろうか。起きたら見知らぬ男のカーディガンが肩にかけてあったら、それは怖いよな。うん、絶対怖い。
それを知った会長と副委員長からの勅命で、会員が総力を上げて捜索しているのだろう。だからこんな風に「周りをジロジロと観察するような目」で見ているのだろう。その目で「かぐや姫の寝顔を見た上に、カーディガンをかけたキモい奴」を探しているのだ。
それは、「俺」だ。バレたら、やばいことになる、そう俺は悟った。
それを悟った俺の体の血圧は、絶賛急上昇中だ。俺は酷使されまくる心臓から訴えかけられる痛みをごまかして、天野に話しかけた。
一筋の希望を求めて。
「よう、天野。この騒ぎは何なんだ。さっき『かぐや姫』と言ってたが、それ関連か」
「おう、おはよう。お前、何だか珍しく慌ててるなー」
話すスピードが無意識に早くなっていたことに気がつかれ、俺の心臓がまた動きを止める。ダメだ、冷静になれ。そして、焦りを表面上に出さないように意識しないといけない。
俺は一度深呼吸をし、気を引き締める。ひきつりそうになる頬から力を抜いて、再び天野に話しかける。
「そら、慌てるよ。登校したら何だ校内ががぴりぴりしてるし、しかも『かぐや様』が関わっていると聞けば・・・・・・・、なぁ」
「あー、お前は今のとこ要注意人物認定されてるからな。「かぐや様を見守る会」に」
茶化すように言ってくるが、俺にとっては大事件だ。あの組織の面倒くささは、手に張り付く木工用ボンドのようだ。気がついたらくっついてきて、指にこびりつくんだ。何度洗っても石鹸ではなかなか取れなかったりして、なかなかにイライラする。目をつけられたら終わりだ、って軽いいじめみたいじゃないか?
思い出すだけでイライラしてくるし、面倒臭さにため息を吐きたくなる。だが、今はそんな場合ではない。奴らが俺の全身にふりかかってくるかもしれないのだ。
でも、何も関わりがないはずの俺がそんなに気にし過ぎてもおかしくなる。俺はいつもの調子を取り繕うため、天野に通じ掃除な冗談を交えて返す。
「そうそう、なんかあったら俺のところに疑いがかかってくるかと思うと。ゾッとしないぞ」
「ぞっとしないんかい!」
「一応言っておくが、『ゾッとする』と『ぞっとしない』は意味同じだからな」
「え、なにそれ。初知り!」
顔見知り程度なのにこんな風に会話できる天野のコミュ力の高さとアホさに脱帽する。思った通り「ぞっとしない」の意味を知らなかった天野のアホさに、今回は助けられた。
無邪気に「知らなかったー」と、笑ってみせる天野に自然と表情筋が緩む。幾分かマシになった心に喝を入れるように、俺は右手で乱暴に頭をかいた後、俺はそれた話の軸を戻す。
「で、何があったんだよ」
「そう、かぐや姫がねーー」
不意に目の前の教室から人が出てくる気配を、肌で感じた。思わずとその方向を見ると、話題の中心である「かぐや姫」が教室から出るところであった。
みんなが彼女に目を引き寄せられ、所々息を飲むような気配も感じる。同じクラスで毎日見ている顔のはずの俺でも、時々見ほれてしまうくらいだ。耐性の無い他のクラスのやつなんかは、その存在を目に入れるだけで脳の信号が一度ストップしてしまうであろう。
まさに、「かぐや姫」だ。
だが、今の俺はかぐや姫に見ほれている場合ではなかった。彼女の両腕に綺麗に畳んで透明なビニールに包装されているのは、青いカーディガンだったからだ。
その瞬間、俺の学校生活が終わりを告げた。
それからの俺は、記憶に残っていないが天野に別れを告げて、教室に入って自分の席について項垂れていた。
かぐや姫が持ってた青いカーディガンって、俺のであろう。俺のカーディガンは、綺麗に畳まれてビニールに包まれていた。理由は、己の寝顔を盗み見た人の物を直接触るのは生理的に受け付けられないからだろう。
つまりは、「昨日私の寝姿を見て、自らのカーディガンを証拠品として置いていった犯人は誰じゃぁ!!」って探してるってことだよな。それを知った全校生徒が噂をして、校内で捜索されているということで。
あ、かぐや姫はそんな言葉遣いじゃないけどさ。内情はこんな風に怒っているだろう。
俺は八方塞がりの現状を悟り、絶対にカーディガンの持ち主が俺だとバレてはいけないとわかった。そう決心した俺に、天からのお声がかかってきた。
「ね、そういえばまだあなたには聞いてなかったよね」
この風鈴のようなリンとしていながらも、耳に馴染む声。その声の主に気づいたおれは、恐る恐る顔を上げる。
そこには予想通り、いつも通りの表情筋があまり動いていないかぐや姫がおりました。
「ねえ、あなたこのカーディガンに覚えはない?」
一言も発することができないおれの様子は無視して、かぐや姫は俺のカーディガンをずいっと目の前に突き出してくる。確かにそのカーディガンは見覚えのあるものだ、だって昨日まで着てたんだから。
だが、その問いに答えられる回答は一つしかない。
「いや、知りません」
かなり挙動不審気味になりながら言ったのだが、その反応は慣れっこらしい彼女は特に気にした風はなく「そう」と言って納得してくれた。そのことにホッと息をつくと、俺は開放感から本音が口から漏れ出していた。
「そのカーディガンの持ち主を探して、何すんの」
言った瞬間に「俺は何を自分の首を自分で締めているんだ」と後悔しても、もう遅い。彼女はその言葉にピクリと反応し、真剣に俺を見つめてくる。その瞳に揺らぐことのない一本の毛のような意思が見えた気がした。
その瞳にひるみそうになるが、俺はじっと見つめ返した。なぜだか教室が静かになり、俺たちの会話に聞き耳を立てているっぽい。なんでだろうと思いつつも、かぐや姫の挙動に誰もが注目する。かぐや姫は大きく息を吸ったかと思うと、こう答えた。
「そりゃ、告白するに決まってるでしょう」
「は、」
一瞬何を言っているのか理解できなかった。俺の聞き間違いかと思い、「悪い、なんて言ったか」とかぐや姫に失礼だとわかっていながらも問うていた。
かぐや姫は凍りつくような笑顔を浮かべて、もう一度繰り返してくれた。
「だから、告白するって言ってるの」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。告白するためにあの青いカーディガンの持ち主を探している、と。彼女は確かにそう言っている。理解した。いや、理解できない。
え、俺は不審者として検挙されるんじゃないのか? かぐや姫に気持ち悪い思いをさせた罪で、学校生活が終わるはずだったろうに。なんで、かぐや姫が告白するの。てか、姫ってそんなキャラでしたっけ?
混乱した俺はさらに質問を重ねた。
「な、なんで告白するの。てか、告白ってなんの告白?」
「だって好きになったんだもん、告白しなきゃ付き合えないでしょ」
あっけらかんとそう言い放つ彼女に、俺は驚きと混乱を隠せない。
ーーえ、かぐや姫が俺のことを好きになった? しかも恋愛感情で、付き合いたいだと。「お前が気持ち悪すぎて、寝不足になった」とかいう告白ではなく?
理解が追いつかなさすぎて、俺はさらに質問を重ねる。
「ちょっと待って、なんで付き合いたいになるの? 探してるやつって、竹中さんの寝てるところにそのカーディガンを肩にかけただけだよね。どこに好きになる要素が、」
「だけじゃない!」
大声を出したかぐや姫に驚いて言葉を止めて、彼女を呆然と見つめる。彼女は心の揺れをごまかすかのように口をキュッと結び、俺のカーディガンを抱き込む。だが、瞳にうすらと水の膜が張っているところから、かなり彼女の感情が揺れ動いていることがわかる。
なぜか残っている自分の冷静な思考が「これが奴らにバレたら、怒られる」だ。掟の中に、「姫の煩いは、増やしてはならぬ。何なら減らせ」があるからだ。
「だって、このカーディガンを貸したのは自分だって名乗り出ないんだもん」
「こういうことは何度かあったけど、絶対に自分がやったってわかるように証拠を残してた。タグにわざわざ自分のフルネーム書いたり、なんならSNSのIDを書いた紙を残したり」
「今回は、何もなかった。それに前に寝顔を見られてた時は気持ち悪い感じがしたけど、今回はそんなことはなかったし」
そう感情をあらわにしていうかぐや姫を、俺はただ見つめることしか出来なかった。まさか、かぐや姫がそんな風に言ってくれるとは。俺のことを嫌がるわけではなく、好意を持ってくれるとは。全くもって予想外であった。
これなら名乗り出てもいいのでは、と思ったけど「告白する」と言ってたことを思い出す。
もしここで「はい、実は俺でしたー」なんて言っても、微妙な雰囲気にしかならない。急すぎて「嘘だろ」と言われてしまうだろうし。
それにあの「見守る会」のやつらかの制裁も怖い。ただでさえ俺は目をつけられているっていうのに。いまの時点で終わっているかもしれないが、これ以上の罪を重ねたくない。
さて、どうすべきかと考えていたらかぐや姫は胸元にカーディガンをさらに抱きしめたかと思ったら、左手で拳を作りながらこう宣う。
「それにこの人のカーディガンの匂い、すっごい落ち着くの!」
俺は聴き間違えてしまったらしい、というか俺の頭はおかしくなったらしい。今も、かぐや姫が瞳を子供のようにキラキラと輝かせながら「匂いが好きだから、告白するんだよ」という幻想が見える。
俺は頬杖をつくふりをして密かに頬をつねるが、ちゃんと痛かった。どうやらこれは、現実のようだった。
「柔軟剤はそこらのメーカーの石鹸の香りだけどさ、体臭で若干匂いって変わるものなんだよね。で、このカーディガンは私の好みの香りにドンピシャなの」
両腕で「お友達!」とぬいぐるみを抱き潰す幼子のような感じで俺のカーディガンを抱いているが、俺はちっとも嬉しくなかった。俺のカーディガンのことを、ましてや「匂いが好き」と言われても素直に嬉しいとは思えるほどの余裕は今の俺にはないのだ。余裕があっても、素直に嬉しいと思えると思えないがな。
そんな俺の様子はもう見えていないかぐや姫は、瞳をキラキラさせながらこう語る。
「だから、これは運命の出会いだと思うんだよね。もはや付き合うというより、結婚したいし」
なんということだ、美少女にこんな熱烈な告白をされているはずなのにちっとも嬉しくない。未知の生物と遭遇したような、よくわからない恐怖が胸の中を占拠する。
今なら少年漫画なんかでよくある「美少女に言い寄られても答えが出せず、ハーレム状態の平凡男子」の心情がよくわかる。美少女に言い寄られても戸惑ってしまうだけだな、これは。
これから俺はどうすればいいのだ、と考えていると「もう考えなくていいよ」というかのように朝のHRの始まりを告げるチャイムが鳴る。
「お前ら、どうしたんだ? 早く席につけよ」
空気を読めていない担任がそう言って、みんな席に着くように促す。その言葉をに従って姫は席に着き、他の者たちも席についた。
やっと姫の目線攻撃から外れることができた俺は、安堵の息を漏らす。
「おい、月野。お前、顔色が悪いけど大丈夫か」
「はい、大丈夫です」
そう言われてふと手先を見ると、恐怖からか震えていた。力がうまく入らないながらもぎゅっと手を握ると、ひんやりとした手先に驚き方が跳ねた。
かぐや姫は自分の席に着き、隣の席である俺の方を向いて「言い忘れた」と言って言葉を続けた。
「ねぇ、よかったら私の運命の人探しに協力してね。月野護くん?」
微笑む彼女の微笑みはとてもじゃないけど同じ人間のものだとは思えない、極上の笑みだった。だから自分の首を絞めることになる、と頭ではわかっていても首を縦にしまっていても仕方がないと思う。
ーーこうしてかぐや姫と、姫に天女の羽衣をかけた月の使者との鬼ごっこが始まったのでした。
おしまい?
*付け足し情報
・月野くんが重要人物認定されているのは、「かぐや姫の隣の席」だからです。
席替えしたすぐの休憩時間に、「英語の読み合わせとかでペアワークとかあると思うけど、距離感を変に縮めるなよ?惚れるなよ?」等の忠告を、会長と副会長にされました。南無。
・お分かりだと思いますが、かぐや姫は「匂いフェチ」です。
・月野くんはよくある「目立ちたくない、平凡で平和な学校生活を」をモットーにしている男子生徒。だが、さりげない優しい行動からモテたりし、こうやって目立ってしまう学校生活を送ってしまう主人公気質な男の子。
掟なんかは適当に考えました。いつかキチンと考えてみたいです。
くだらない情報まで見ていただき、ありがとうございました。