溺れる虫
9月も半ばだというのに気温は連日30度を超え蝉の鳴き声はうるさく響いていた。
蝉って暑すぎると死ぬんじゃなかったっけ?
どこかで聞きかじった曖昧な情報を思い出しながらユウキは大の字になり天井をぼうっと眺めていた。
「そろそろバイト行かなきゃ…」
そう呟いてノロノロと身体を起こす。
四畳半のワンルーム、絵に描いたようなボロアパートの1室。
実家から受け継いだ年代物の扇風機がモーター音と共に『強』という名の微風を撒いている。
涼しくなるどころか暑苦しい。
窓辺には気分だけでも涼しくなればと願い飾った風鈴が音を立てる気配もなく凛と佇んでいる。
ユウキはどれだけ拭っても噴き出す汗にうんざりしつつ時間をかけて立ち上がり冷蔵庫からまとめ買いした500mlペットボトルを1本取り出し冷えたミネラルウォーターを半分ほど一気に飲み干した。
そして部屋の真ん中にある小さな折りたたみ式の机にペットボトルとその蓋をトンと置き、自身もドカッと座布団替わりの万年床に座り込んだ。
「はあ…めんどくさ…」
そろそろ家を出なければ確実にアルバイトに遅刻してしまう。
解っていても暑さが邪魔をして中々動き出せない。
再びぼんやりと意味もなく机を眺めているとペットボトルの口に、よく見かけるが正体は知らない小さな虫が止まった。
ちょこまかと忙しく動き回る虫をユウキは数秒見つめた後、何気なく指で弾いて水の中に落とした。
虫は暫くもがいていたが程なく動かなくなった。
するとユウキは突然すっくと立ち上がり脱ぎ散らかしていたTシャツとジーパンに着替え、財布からカードを1枚取り出し後は何も持たずに家を飛び出した。
最寄り駅から電車に揺られ降りた駅で電車に乗るために持ち出した唯一の荷物、ICカードを捨てた。
数分歩き辿り着いた先は、海だ。
海水浴シーズンは終わり海には誰もいなかった。
波の音だけが聴こえる。
ユウキは感傷に浸るでもなく打ち寄せる波にはしゃぐでもなく真っ直ぐ水平線を見ながら浜辺を進み、途中で履き古したサンダルを脱ぎ捨て海へと入っていった。
沖へ向かってザブザブと歩を進める。
首元まで水に浸かった。
冷たくて気持ちいい、と思った。
目を閉じ、さらに1歩進む。
頭まで水に浸かった。
ゆっくり目を開ける。
視界はぼやけて何も見えない。
静かだ。
何も無い。
足元は薄暗い気がする。
自分と同じだ。
そう思いながらまた1歩。
ガポッ。
口から最後の空気が漏れた。
もう1歩。
あと1歩。
意外と、簡単に。
そこで意識は途絶えた。
ーーー
おわり。