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夢是現、夢是幻

作者: 宮雛まや
掲載日:2018/07/11

 夢を見る。

 熊のぬいぐるみが宙に浮かぶ。ぬいぐるみに手を引かれて走るそこは、私が知らない場所だ。

 それに導かれるままに、夜の街を走る。段々と足が重くなる。やがてぬいぐるみの手を放すと、私は夢から覚める。


 その時、私はその夢が夢でない事を知るのである。


「……また、か……」

 街灯の明かりの下で、私は独り呟いた。意識はまだ朦朧としているのに、足の痛みと息の上がった感覚は鮮明だ。上手く立っていられず電柱に寄りかかる。

 電柱に書いてある住所は初めて見るものだった。どうやら随分遠くまで来てしまったようだ。おまけに帰り道も分からない。ついさっきの夢を思い出そうとするが、流石は夢。もう既に私の脳内から霧散してしまっている。

 唯一、ぬいぐるみの手を放したその瞬間だけが、写真の様に脳裏に焼きついていた。

 次第に頭が冴えてきて、代わりに足の痛みが増す。裸足だった。何を踏んづけたかは知らないが血も出ている。手当をしようにも絆創膏など持っている筈がない。

 私はパジャマを着ていた。

真っ赤になったサラリーマン達の視線が私に集まる。夜の街の電柱にそんな姿でもたれる私は奇怪そのものだ。最初は好奇の目に晒されるのが嫌で路地裏に隠れたりしたものだが、今や気に留めもしなくなった。何食わぬ顔でその内の一人に話しかける。

「すいません、帰り道を教えてください」


 辛うじて家の方角を知る。兎に角その向きに行けばいつもの景色が見えるだろうと安易に思って歩き出す。

 街灯、街路樹、電柱、電線。オフィスビルと月。見慣れぬ街はまだ来ない。道を教えてくれた彼は電車かバスを使えと言っていた。しかしどうしてパジャマのポケットにお金など入っていようか。私に歩く以外の選択肢はなかった。

 すれ違う誰もが振り向く。ちょっと飲み過ぎたか、と大きな独り言を呟く人もいる。そんな事はお構いなしに、私は知らない場所を行く。

 宙に浮かんだ熊のぬいぐるみ。

 何度も夢に現れては私の手を引くもの。そしてそれが夢であるにもかかわらず、現実の私も夜の街を走る。行く先もわからぬまま、帰る術をも持たぬまま。

 やがて進路が川にぶつかる。ここまで来れば安心だ。

 後ろを振り返れば、暗い空が水色に侵食されていた。少し急がねば。私は足の痛いのを我慢して走り出した。



「……崎、おい、浜崎」

 呼ばれた方を向く。前の席の相野だった。

「飯食わないで良いのか?」

 前の時計は確かに昼休みの時間を指している。クラスメイトは皆自分の昼食を机の上に置いている。教室は様々な声が混ざり合った喧騒そのものだった。

「……別に、良い」

 相手に聞こえるかどうかの声量で呟く。睡魔に負けて空腹など感じないし、そもそも昼食がない。今朝私が家に帰った時、学校に行くまでに弁当を作る時間は残されていなかった。

「……ああ、そう」

 少し言葉に詰まった後前を向いた相野。だが、少ししてからまた私の方に振り返る。

「なあ、何かあったのか?俺で良かったら話聞くぞ。場所変えるか?」

 そう切り出してきたのは意外だった。普段相野と喋る事は滅多になかったし、あったとしても次の時間割や移動教室の場所くらいだったからだ。

 話すべきだろうか。有益な助言を貰えるとは思わないが、別段聞かれて恥ずかしい訳でもない。

「……うん」

 私は足の痛いのを承知の上で立ち上がった。


 開放されているにもかかわらず、屋上で昼休みを過ごす人は生徒にも教師にもまるでいない。何故かは誰にも分からない。理由に挙げられるものは本当にあったかどうかも定かではない自殺の噂だけだ。

「ーーへぇ」

 私が昨夜の一通りを話し終えた時、相野は持って来たパンを半分しか食べていなかった。

「思ったより長くなかったな」

 内容と何一つ関係のない感想。溜め息が出る。

「で、その熊ってさ、何かお前と関係あるのか?」

「?」

「例えば、すげーちっちゃい時に持ってたとか」

「……」

 私は首を捻った。ぬいぐるみを持っているような時期の記憶は殆どない。目をつぶって頭の中を模索する。

「……」

「そんなに無理して思い出さなくても良いぞ」

「……」

「浜崎?おーい……浜……」

 相野の声が段々遠のいていく。ゆっくりと目を開け、目の前を見る。

 あの熊のぬいぐるみが、そこに立っている。



 ぬいぐるみは歩き出した。青空の下、どこかを目指して一直線に。

 待って。

 私もそれを追いかける。

 待って。待ってよ。

 ぬいぐるみは私を振り返りもしない。

 待ってってば。

 やがて柵を越え、どこかへ飛び去っていく。

 行かないで。行かないで。行かないで……

「浜崎!!」

 肩を掴まれて我に帰る。柵に手をかけ、まさに乗り越えようとする瞬間だった。

「何してんだよお前!?」

「何……を」

 そこでようやく、夢を見ていたのだと気づく。手の力が抜けて屋上にまた足をつける。

「……何……」

「……お前」

 私は涙を流していた。


 五時間目。私も相野も授業を受ける。屋上での出来事など忘れてしまったように、元からなかったかのように。

「じゃあ次、浜崎。この問題を……って、お前どうした?泣いてたのか?」

 先生に当てられ起立する。黒板まで歩き、チョークを取り、式の解法を書き並べる。

「正解……だけどさ、お前その顔はどうしたんだよ」

「気にしないでください」

 跡がつく程泣いていたのかと自分でも驚く。ざわめきと共に、教室中の目線は私へ、そして相野に向けられる。昼休みに一緒に出て行ったのだから何かあったに違いない、と。

「じゃあ答えの解説をするぞ。まずこの式変形だが……」

 声をひそめた会話が断片的に聞こえる。根も葉もない情報が飛び交う中で授業が進む。

 相野がペンを落とした。私の方へ転がってきたそれには紙切れが巻いてある。紙切れだけを取り、ペンを相野に返す。

 乱雑に破かれたノートの切れ端と走り書きの文字列。


          放課後

         時間あるか?



 部活だ塾だ何だで、教室は徐々に閑散としていく。そんな中に私と相野だけが取り残される。

 やがて誰もいなくなったところで、相野は前の席から振り返った。

「さあ、作戦会議だ」

「何の」

 面食らった様な表情。しかし五時間目に拾った紙に『作戦会議』などという文字は見当たらない。

「いや、そこは……説明してなかった俺が悪いな。お前の夢に出てくる熊のぬいぐるみの事だよ」

「ふーん」

「リアクション薄いな」

 正直どうでも良かった。私の夢に熊のぬいぐるみが出てくるから何なのか、それが私の手を引くから何なのか。遠い所へ連れて行かれたなら帰れば良い話だ。

「でも、死にかけたんだぞ?」

「その時はその時」

 相野が頭を掻く。腑に落ちないらしい。

「……と、兎に角、それを解決できるかもしれないんだ。悪い話じゃないだろ?」

 どうしてそこまで必死になるのか。これは私の問題でしかなくて、改善しようが悪化しようが一つも関係ない筈だ。

「それ、は……気にすんな!ただの偽善だ!」

「急に大きい声出さないで」

「ああ、すまん」

 沈黙。相野は窓の外に目をやり、眉間にしわを寄せている。どうせ私が喜んで作戦とやらに飛びついてくると思っていたのだろう。

「……その方法だけ聞く」

「ん?ああ」

 口では素っ気なく返事したが、顔は明らかに嬉しそうだった。

 携帯を私の机の上に置く。それから相野は地図アプリを開き、学校にピンを刺した。

「話を聞く限り、昨晩お前は東に向かって連れて行かれた。そして今日、お前が屋上で歩いて行ったのも東。つまりだ、ぬいぐるみはお前を明確な目的地まで誘導しようとしてて、逆にそこに行けば何か分かるんじゃないかって思ったんだ」

 稚拙で詰めの甘い推理。

「って事で、昨晩目を覚ました場所、地図で探してくれ」

 いかにもワクワクしているといった表情で携帯を差し出す。あの時電柱で見た住所を頼りに地図を右へ右へとスクロールしていく。

「あった」

「結構遠いな。良くも歩きで帰って来れたよ」

 体感的にはそれ程でもない。電車かバスを使うよう勧められたとはいえ、それでも一晩費やせば充分に歩ける距離だ。

「ああ、電車あるのか。だったらそれ使おうぜ。今財布持ってるよな?」

「一応」

「決まりだな。そうと決まれば出発だ」

 相野が席を立ち、意気揚々と鞄を背負う。私は方法だけ聞くと言った筈なのに、いつの間にか付き合わされる羽目になっていた。



 窓の外をぼんやりと眺めながら、電車に揺られる。私が座るその右隣には相野。

 ふと、昔の事を思い出した。いつか同じ様に、誰かと電車に乗ってどこかへ行った記憶がありはしなかったかと。その時もまた窓の外を眺めていて、しかし隣が誰で、どこへ向かって、何の為に電車に乗っていたかは思い出せそうにない。

「……俺さ」

 ふと相野が呟く。

「こうやって事件解決みたいな事するのに憧れてたんだ」

 溜め息が出た。実にどうでも良い話だ。

「いや、そんな事言わないで聞いてくれよ。人の為に何かしてやりたいとか、正義の味方に憧れたりとかって誰でもするもんだろ?」

 そう言われて自分について考えてみたが、別段そんな風に思った事はない。

「あれ、そうか?俺はちっちゃい頃に戦隊ものにハマってたからさ、ああいうのに俺もなりないなって思ってるんだ。あ、別に悪の組織に立ち向かうとか大層な事じゃなくてもさ、別にほんの僅かな人助けとか……」

 思い付いた事をそのまま口に出していたようで、相野の話は段々と着地点を失っていった。そろそろ聞くに耐えなくなってきた所で、次の停車駅を告げる車内放送が流れる。

「ああ、もう到着か。電車なら普通の距離だな」


「……さて」

 昨晩私が目を覚ました所に着いた私達は、あろう事か既に途方に暮れていた。

「問題はここからどうするかだな」

 余りにも計画性がなさ過ぎる。

「ん?何か言ったか?」

「何も」

 目線を逸らすように携帯を見た。午後六時。現実的に考えるなら、そろそろ夕飯の目処を立てなければならない。

「ああ、まあ、そうだな。どっかその辺で店探すか……いや駄目だ、帰りの電車に乗れなくなる」

 財布の中を見て、相野は苦笑を浮かべる。どうやらお金の事も大して考えていなかったらしい。いっそ歩いて帰る羽目になれば良かったのにと、私は心の中で相野に毒づいた。

「やめてくれよ、明日の課題もまともに手付けてないんだから」

 妙に自慢気な口調。あの量を一晩で終わらせられると主張したいのかは知らないが、先にやっておけというのが一番真っ当な反論である。

「悪いけど、コンビニ飯で良いか?俺の所持金じゃおにぎり三つで限界なんだ」

「良いよ、何でも」

 溜め息を漏らし、私は歩き始めた相野の後を追った。



 宣言通り、相野は安めのおにぎりを三つだけ買った。それからコンビニの近くで見つけた公園のベンチに二人で座る。

「やっぱ足りねえかもな……帰ったら何か追加するか」

 などと独り言を呟きつつ、私のサンドイッチ一つよりも早くそれを食べ終えた。

「あ、無理しなくて良いぞ。お前のペースで食ってくれれば」

 私に対する妙な気遣い。そんな事じゃなくてこれからの作戦を考えてはくれないだろうか。

「ん?ああ。それはそうだな」

 相野は余りにも呑気だった。私以上に熊のぬいぐるみを重大に捉え、私にそれを強く主張し、挙句私をここまで連れ出したその行動に対して、彼の性格は不釣合なのだ。一体何が彼を動かしているのか、私には到底分からなかった。

「取り敢えず、さっきの所まで戻るか。そこから更に東に行けば何か見つかるだろ」

「……やっぱり適当」

「今のは聞こえたぞ」

 台詞を追及しようとする相野から目を逸らし、最後の一口を放り込む。


 何の味もしなかった。


 涙がまた頰を伝う。目の前に立つ熊のぬいぐるみが、表情一つ変えずに私を見つめている。

「おい、浜崎」

 相野の声は、聞こえるけれど届いていなかった。宙に浮かび、私の手を引くぬいぐるみに導かれるまま、私は立ち上がって歩き出す。

 私は来た道を逆に歩いていた。つまり、私の向かう先を私は知っている。直進、横断、曲がり角、全てが自分の思った通りになって、私はやがて私が熊のぬいぐるみに連れられているのか、それとも私自身の意思で歩いているのか分からなくなった。

 相野が私の後ろを追う。しかし、何か叫んでいるその声はまるで遮断された様だ。次の瞬間にはもう姿さえ見失ってしまった。

 崩れ落ちる音が聞こえる。私が見た景色が、歩いた道が、音を立ててぽろぽろと崩れていく。

「どこまで行くの?」

 振り返りもせず進み続けるぬいぐるみに問う。


「ねえ、どこまで行くの?」



 どこにも行けないよ。




「どこにも?」





 うん、どこにも。






「どうして?」







 だって、








「だって?」









 だって、僕は……



































 次に夢を見る時、

 私はどこまで行けるだろうか。

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