ドラリア5 ~仕組まれた遭遇~
登場人物の偏見に関しては許してやって下さい(許し下さい)。
文理は、苛立っていた。つい父親の影響で診察じみた事をしてしまった。それを母が予見していたように思えて仕方がない。面識は無いのだが、僕の母方の祖母は占い師だという。
占い等は統計学としか捉えていない。これまで母に何度も未来を的中させられその度にまぐれだと否定している。
今日は生徒が、学校にやってくる時間を予測して家を出ていた。早すぎてもだめ、遅すぎてもだめなのだ。早すぎると教室にポツンと存在することになり友達作りに飢えたクラスメイトの餌食になってしまう。遅すぎると、逆にほとんどの生徒が座っている中でドアを開け視線を集める為、目立ってしまうのだ。よって生徒が多く登校してくる時間帯を狙う。席に着くまでに、相手の注意が散漫して自分に目が行かないようにするためだ。
普通の人は、表情が明るい人や、頭部がよく動いている人に優先的に関わりを持とうとする。なぜならそういう人は話し掛けられるのを待っていたりするからだ。
なので文理に声を掛けるものはほとんどいないだろう。勿論例外もいるが、そういう人に話し掛ける人には明確に拒否すればそれで終わる場合がほとんど。更に例外的にそこで終わらない可能性もあるがそこまで気にしていたらきりがない。
急げばまだ登校ピークに間に合うかもしれない。文理は少し足を速めた。
生徒玄関の前に貼り出されたクラス分けの表。皆が自分のクラスの確認の為に背伸びをしている中、その最前線の真ん中にいたのはやっとの思いで自分のクラスを知ることが出来た一年生ではなく二年生の三人組だった。彼らは最初にきた一年生の10分前にはここに来ていたのだ。
「1,3,33,田口里奈。1,3,34葉山なな」
真ん中の男が読み上げその左隣の男が書き写していく。そして右端の男、清水光史は申し訳なさそうに辺りを見渡している。
「瞳也。すごく混雑してきてるよ。そろそろいいんじゃないかな?」
ところがその声すら糸田瞳也は全く気にしていない。
「もう少しかかるな。後、下の名前で呼ぶな。あくまで他人を装え」
「じゃあどうするのさ?このままだと一年生遅刻しちゃうよ」
糸田は、ちらっと後ろを見る。
さすがにこのままでは、問題になるかもな。生徒会のお世話になるのも面倒だ。やむを得ないな。
糸田は、清水の肩を叩く。
「おい、清水。耳を貸せ。今から言うとおりにしろよ」
清水は少し背をかがめて話を聞く。嫌そうな目線を男に送ったが瞳也はもう次の番号を読み上げ始めていた。清水は息を深く吸い目を閉じる。
「カバンの中にメガホンあるから使え」
右端でメモを取っていた男、石川匠が清水に呼び掛ける。
何でそんなもん持ってんだよと言わんばかりの困り顔をしつつ清水はメガホンを手に取った。
「ありがとう匠君」
そしてたくさんの一年生の方に振り返り無理矢理笑顔を作った。
「すみません。只今クラス分けの表に不備が、発見されまして修正の最中にあります。正しいクラス分けは私が聞いているので名前をお伝え下さればこちらでクラスを教えますのでよければ一列になって頂けませんか。」
それまでざわついていた空間が一瞬で静まり返る。それから皆が一列に並び清水にクラスを確認する。輪を乱す者はいなかった。
「さすが人気者って感じだな。石川、作戦変更だ。清水の横で似顔絵を描いてくれ」
「へいへい」
石川は面倒臭そうに身を反転させる。
「原田奏です」
先頭の女子生徒が自分の名前を言うと石川がノートのページをめくる。そして清水がクラスを伝える。
「二組です。今日から一緒に頑張ろうね。」
「は、はい。ありがとうございました。」
恐らくたいていの女子は清水に見とれながら下駄箱に向かう。時間は15秒。その間に石川は名前、輪郭とだいたいの顔のパーツを書いている。
「次の人どうぞ」
まるでサイン会のような光景だった。おそらく清水が平均的なイケメンを超越した外見の持ち主だからそう見えるのだろう。
人に仕事を任せて、暇が出来た糸田はのんびり校門付近にある桜を眺めながら、そんな事を考えていた。
すると、一人列から外れている生徒の中で見覚えのない生徒がいる。瞳也が、知らない生徒。それは、すなわち一年生。転校生の可能性は、ほとんどない。そもそも高校での転校は、稀なことであり、その中でもここ寒総第一高校の編入試験は相当な鬼門でありこの四十年の中で未だ一人も受かっていないはずだ。まぁ受けた人も両手で数える程なのだろうが。
しかし、よくこの長蛇の列をみて少しも並ぼうと思わなかったものだ。何だかんだ言っても初日は周りに流されがちになる。その一年生はクラスを確認せず玄関に直行しようとしている
「君はクラスを確認しなくてもいいのかな?」
傍観者を気取っている立場ゆえに少し悩んだが、糸田はその少年に話掛けた。その一年生は歩みを止めることなく答えた。
「見なくても知っているので問題ありません」
見なくても知っている...か。その意味はおそらく首席であることだろう。この高校は代々首席は一組なのだ。因みに二番目は二組。三番目は三組となっていくのだが成績順がわかるのは首席だけだ。
面白い子だな。
糸田は、この一年にぶれない信念のようなものを感じた気がした。そういう気がしたことにした。その一年を目で追いながら肩にさげたカバンからポラロイドカメラを取り出した。
ポラロイドカメラとはその場で写真を現像できるカメだ。 1947年に開発されたもので当時の人々を驚愕させた。今はあまり使わていないがかなり便利な代物だ。
カシャッ
瞳也はその少し風変わりな一年生を撮影した。すると後ろの二人が振り返った。
「そんなもの持ってるんなら始めからクラス分けの表を撮っておけば良かったんじゃないかなあ?」
清水の意見に石川が続く。
「俺は効率の悪いことが大嫌いだ」
「そうだな。これ以上は効率的ではない。そろそろ行くか」
瞳也はカメラをしまう。
「最初から無駄だ」
しれっと誤魔化そうとする瞳也に匠が突っかかる。
「そうでもないさ。有力な候補を見つけたよ」
瞳也はその場で現像した写真を拾い上げる。
「候補って何?」
清水が苦笑いでそう返した。
「え?お前何も聞いてないの?」
匠が、わざとらしく驚いてみせる。
「なっ!おい瞳也ぁ... じゃなくて糸田君。何で僕には話してくれなかったのかな?」
清水は、いつもどうりの作り笑いで糸田に迫る。
「さあて、もう少しプランを練りますかねー」
瞳也は逃げるように下駄箱に向かった。
教室をのドアを開ける。人数は、二十七人。70%といったところか。許容の範囲内だ。予定が狂ったのは、何だか悔しいような気もするが結果オーライという言葉で納得させるとしよう。
その件に関しては、謎の列に感謝してもしきれない。
教室に先生が入ってくる。自己紹介等をするのかと思ったが、入学式が優先のようで体育館に移動した。
塩山玲菜。好きなことは読書。苦手なことは人付き合い。よろしく。無愛想な自己紹介の披露はまだ先のことになってしまった。彼女は体育館で校長先生の額をみていた。基本彼女は人の目を見るのが苦手だ。相手の感情がそのまま伝わってくるので直視できない。
いつの間にか話は終わっていた。ふと、登校中に結愛から聞いた変人の話を思い出す。入学式に来ると名前がわかると言っていたそうだ。生徒会長か何かなのだろうか?しかし駅前で女子生徒を診察するような人が生徒会長ならこの高校も終わりだろう。
「新入生代表。シジュウタニ文理君」
「...はい」
この学校も終わりだな。進行の生徒の呼び掛けに対してそんなことを思う。確かにシジュウタニと読む場合もある。だが勿論アイタニと読む場合も必ずあるわけだ。なぜ事前に読み方の確認をしないのだろうか。もちろん表情に変わりはない。しかし苛立ちは多少あり、手が震えている。しかし誰にも見えていないだろうし、仮に見えていても緊張しているだけだと思うだろう。
文理は覚えてきた文章を一言一句間違えることなく声に出していく。そして......。
「以上を持ちまして新入生代表の挨拶とさせて頂きます。平成29年度4月7日新入生代表......」
少し間ができる。
「シジュウタニ文理」
ため息が出る。笑うなら笑ってくれても構わない。僕は弱い人間なのだ。ここでアイタニと言い放ち周囲を動揺させる覚悟が出来なかったのだ。この場から逃れることだけを考えてしまった。
式は、その後もスムーズに執り行われた。
教室に帰ると机の上にプリントが置いてあった。すぐに課題だと判断する。皆が、友達作りに精を出すなか、僕は、問題を解きにかかる。流石は県内有数の進学校なだけあって問題はそ、れなりの難易度であった。十分でプリントを終わらせた。やることがないので本でも読もうかと思った矢先に先生が現れた。
塩山玲菜。好きなことは読書。苦手なことは人付き合い。よろしく。遂に練習の成果が出る。目線も何度も下を向くことを意識したし準備は、万全である。後は、噛まずに言うことだろう。噛んでしまうと周りから隙のある人間だと思われ人が寄りがちになってしまうのだ。眼鏡の人が話掛けられるのは稀だがドジッ子は別である。それは今まで読んできた本が証明している。ホームルームが始まった教室はまだ周りに慣れていないのか静かである。女の若そうな先生が担任で、フレンドリーに接してきそうなのが気掛かりだが怖そうな先生でなくてひとまずは良かった。
「まずは先生の自己紹介から始めます。私は保科美佳。趣味は植物採集や山登りです。初心者ですがバド部の顧問をしています。去年は三年生の担任をしていました。今年は久しぶりに一年生の担任なので初々しく頑張っていきたいと思います。皆が笑顔の良いクラスにしようと思います。よろしくね。」
新任と言われてもおかしくない見た目だが自分で初々しくと言っている所からそこそこのベテランのような気もする。
気安く話掛けられそうで少し嫌だな。文理はそんな事を思う。
「じゃー、クラス一人一人の自己紹介をしていきたいと思います。四十谷君からよろしく」
最初に自己紹介をするのは何度目のことだろうか。苗字が「あ」、「い」、と続いているので年度の始めは左端の一番前が僕の特等席だった。こういう自己紹介は最初の方は皆が耳を傾けており面倒だ。それに加えて何人かは「シジュタニじゃなかったっけ?」となっているようだ。
しかし回数を重ねている文理は印象の薄い自己紹介の方法を熟知している。
「四十谷文理。趣味は読書。苦手なことは人付き合いです。よろしくお願いします」
と言ってすぐ座る。この組み合わせに死角はない。読書と言う趣味でもしかして人と話すのはあまり好きではないのかと思わせてからの人付き合いが苦手というだめ押しである。これで読書をきっかけで話を作ろうとする者も人付き合いが苦手と聞いているので近寄らない。また哀れみの心で話掛けてくる偽善者にも読書の邪魔をしないで欲しい等と打破することが、出来るのだ。
これで次の人の自己紹介に皆の目線が....なっ、斜め右後ろの女子が真顔と言うか明らかに殺意を持った目でこちらを見ている。
度が入っていないが、オシャレの為には見えない眼鏡にマスク。地味そうな格好だがどこかそれを作っているような印象を受ける。
なぜこちらを見ているのか。何か不備があったのか?わからない。いや待て、心なしか目線が少し上にずれている気もする。
そう思い文理は後ろを振り返る。
彼女の目線は黒板に貼ってある時間割の表のように思える。
俺はほっとしたのだがすぐに考える。
彼女の地点から表までの長さは約九メートル。表の文字のサイズ縦横ともに約1.5センチメートル。つまり彼女が表を読める為に必要な視力は約3.5となる。日本人としては常軌を逸している。いや、眼鏡に細工がされているのか。そんな事を考えていると彼女の自己紹介の番が回ってきた。
「塩山玲菜。好きなことは読書。苦手なことは人付き合い。よろしく」
そう言い放ちこちらを一瞥して座った。とても冷ややかな目で。
残念なことに俺はさほど鈍感ではない。今まで彼女......塩山玲菜はこちらを静かに睨んでいた理由に気づいた。おそらく目線が若干上なのは、癖なのだろう。自分にも思い当たる節がある。
おそらく彼女は、自分が考えていた必殺のセリフを僕に言われてしまったというわけだ。そんな事で、睨まれてもどうしようもないのだが。とにかく気まずいので窓の外を眺める。残念ながら廊下側の席で殺風景なので全く心が安らがない。それでも彼女が視界に入らないので幾分か増しだった。
教室。その場を例えるのなら水槽。水草など入っていない。校則というカルキで正しくないものは次々と殺菌していく。綺麗なものしか住めないような世界。
しかし綺麗なものだけを残した世界は面白みに欠ける。どこか渇いているのだ。ヒーローモノに悪役がいない。コスチュームに包まれたヒーローが毎週老人の荷物を運ぶ。それは善ではあるが面白いとは言えない。道端で目撃するのは微笑ましいことかもしれないが映画館で席に座らせて見せるには主人公が改心してとか、そういう流れが必要だろう。
だからと言って悪を遂行する気はさらさらないのだが。文理は眠そうなため息をつく。
新入生歓迎会の為、また体育館に移動する。いちいち往復する無駄な時間に嫌気がさす。ここでは生徒会長の挨拶や部活の紹介等がメインだ。部活に入る気のない文理には本来関係の無い話だった。
一方体育館のステージ裏では各部が、部紹介の順番を待っていた。。皆、新入部員の確保の為に必死なのだ。テニス部の部長佐伯もその一人だった。
「マンツーマンの練習も今日で終わりだなぁ。ほんんっと長かった」
どうやらかなりウキウキしているようだ。
「まだ何も始まってないのに浮かれるなアホ」
隣で佐伯の唯一の練習相手である永山が向こうで集まっている三人組を見ながら不安そうに言った。
「清水、お前はここで待機だ。」
先程、生徒玄関の前を占拠していた糸田、石川、清水の三人もまた舞台裏で相談中だった。
「どうしてさ?」
「お前が来ると女子マネージャーが大量発生する。そしてそれに釣られて男子部員が沸くからだ」
ただ彼等の目的は明らかに部員の確保ではない。寧ろ真逆の狙いを持っているような発言である。
清水はよくわからないといった顔をしている。
「まあ瞳也が、そう言うんならここで待ってるよ。女子は怖いしね」
「そうしてくれ。よし、石川。準備はいいか?」
「嫌過ぎて吐き気がする」
石川は目を殺してみせる。
「完璧だな」
糸田はいつも通りニタァと笑う。
「次、ソフトテニス部お願いします」
進行の係のアナウンスが聞こえる。
「おぃ、糸田行くぞ」
佐伯が、糸田を手招きする。
「へーい」
糸田はスタスタとステージに向かった。
「次、テニス部お願いします。」
つまらない。先程からの部紹介だが何となく面白いことをやろうとしているが失敗を恐れていて、笑われなくても問題のないレベルの事ばかりしている。そしてそれを愛想笑いやら苦笑いやら表向きの拍手やらで包んでいる。優しく苦しいという相反したものが共存している。だが文理は目を背けない。なぜならこの部紹介は部の魅力を伝えているのだ。万一部活の勧誘が来たとしてもきちんとその部を理解していることを伝えて断れば大抵諦めてくれるからだ。そしてテニス部。今朝、話掛けてきた人がいる。要注意だ。
「こんにちは。テニス部副部長の糸田です。今日は皆さんにテニス部の活動の一環をお伝えします。」
先程話掛けてきた男を含めて制服を着た二人とジャージを来てラケットを握っている人が二人。説明が二人。実際にして見せるのが二人ということだろう。
「我々は、地域との繋がりを最優先とし、週四日のボランティア活動を欠かしません。月曜日は地域の方とのコミュニケーションを図る為に挨拶運動をしています。学校を中心に半径一キロ圏内をぐるっと一周するので午後はテニスが出来ませんがそれでも充実感で一杯になれます。火曜日は同じコースでゴミ拾いをします。これは月曜日に挨拶運動と一緒に行えば良いものをとは思いますがそれでも充実感で一杯です。水曜日は....」
スラスラと誰もが面倒だと思いそうなことを並べていく。
これはPRなのだろうか?文理は疑問を浮かべる。あえて入部させないようにしているように見える。
「最後にこの活動のメンバーである石川君から一言お願いします。」
遠くから見ても明らかに目が死んでいる男にマイクが向けられる。
「この活動は内申に全く影響しません。なのでただただ地域の為と胸を張って言うことが出来ます。」
抑揚のない男の声は新入生に突き刺さる。
「只今人手が不足しておりますので、是非入部して下さい。これでテニス部の紹介を終わります。」
拍手が起こる。この拍手は畏怖と尊敬からくるものだった。テニスウェアを着た二人の内一人は無表情でポカンとした顔をしているもう一人の男を引っ張って退場した。
「今日の活動はここまです。ここからは部活動を見て回るもよし、真っ直ぐ帰るもよし。好きにして下さい」
その保科先生の指示に教室がざわつく。もう既に友達が出来た人達がこの後の行動を相談しているのだろう。俺は課題を提出して家に帰ると即決した。机の中からプリントを出す。それを先生が見て思い出したかのように言った。
「連絡を一つ忘れていました。今日、机の上に置いてあったプリントですが課題ではありません。自主用なのでしなくても構いません。もし、した人がいるのなら、今日中に隣の生物教室の机の上に置いて帰って下さい」
文理は生物教室に向かう。といっても隣なので向かうという表現は少し違うのかもしれない。
課題ではないのならやらなければよかった。
生物教室のドアを開けると一人の男が座っていた。少し黒みがかったブロンズの髪を意図的に遊ばせている。顔のパーツも一つ一つがはっきりしていて程よいたれ目はその人物の温厚さを伺わせる。その出で立ちはまさに稀代の美少年と言った所か。
「やあ、君が文理君かい?僕は清水光史。二年生だ。まあ座りなよ」
名前までかっこいいんですか。そうですか。
文理はやや圧倒されながらも長机を挟んで清水の正面に座った。
「プリントを渡してくれないかな。」
文理はプリントを清水に渡す。清水は何も見ずに採点を始めた。
「なぜ僕の名前を知っているのですか?」
「今日挨拶してたからね」
挨拶とは入学式の件だろう。しかし......
「あの時はシジュタニと名乗ったはずです。」
清水は一瞬しまったという顔をした様な気がしたがすぐに表情を落ち着かせた。
「確かにね。それじゃあ、なぜ僕が君の名前を知っているか推理してみてくれないかな。」
「はあ」
また、よくわからない人に絡まれてしまったものだ。しかし、文理は押しに弱かった。それと同時に若干の違和感を覚える。いや、嫌な予感と言うべきなのだろうか。
「保科先生から聞いたのではないですか?」
それを感じながらも、渋々ながらも素直な返答をする辺り僕らしいと言えば僕らしい。
「どうしてそう思うのかな?」
「僕はこの高校の生徒にほとんど知人がいません。可能性として高いのは保科先生から僕のことを聞いていたのだと思います。それにここは、生物教室です。保科先生は担当教科は言いませんでしたが趣味から考えると生物の可能性が高いです」
「それで保科先生が扱いやすい生物教室を指定したというわけだね。なるほど。僕と保科先生の接点は何だろう?」
文理は少し考える。
「去年、保科先生は三年生を担任していました。なのであなたの元担任という訳ではありません。今の情報だけならバドミントン部の顧問をやっているので清水先輩がバドミントン部員ならと思うのですが」
.....清水は部紹介に参加していなかった。
しかし清水はとても感心しているようだった。
「君すごいね。ほとんど正解だよ。」
「......」
「違うところは三つ。一つ目は僕は正式にはバド部員ではないんだ。二つ目は協力してもらったが保科先生から聞いてわけではない。」
「もう一つは?」
すると清水はプリントを文理に見せて左下を指差す。
「ここの数学の問題は最初にxは0≧1と断りを入れておく必要があるんだよ」
「は、はぁ」
突拍子も無いことを言われどう答えればいいのか。
「いや、冗談だよ、冗談」清水はニコニコしながら文理を見る。
その後に少し間ができ、清水は目を泳がせながら「もう一つはね。こんな事考えるのは僕ではないってことかな」と言った。
別の誰か?文理の頭の中で今日、見た人が浮かんでは消え、一人の男に行き着く。
なるほど。嫌な予感はこれか。やはりこの善良そうなイケメンがこんなねちっこい尋問をしてくるはずもない。
「先輩はスポークマンとしてこれ以上ない存在ですね」
「そろそろ変わってくれないかな? 瞳也。僕は疲れたよ。」
すると、清水の左後ろにある明らかに窮屈そうなロッカーから糸田が一番関わりたくなかった男が現れる。
少し長い前髪。そこから覗かせるわざとらしい細い目。少し口角を上げたにやけっ面が大変不愉快だ。
と、ここまで散々なイメージを挙げていったのだが、それも隣にいるのが度の過ぎたイケメンである清水のせいかもしれない。
だがそうだ。現段階でこんな事を考えるのは、こいつを除いているはずもない。
「ご苦労だった清水。逃げられたら困るからここにいるのがベストだと思ってね」
「あなたは、確か糸田さんでよかったですか?」
文理は念の為と嫌悪感を伝える為にそう言った。
「自己紹介はまだのはずなんだがね。」
やはり当たっているらしい。
「一番会いたくない人の名前は把握している」
糸田は満足そうな表情を浮かべる。
「よし、合格だ。バドミントン部の入部を許可する。」
は?
「は?」久しぶりに心の声とほぼ同時で同じ言葉が出る。
その言葉を無視して糸田は続ける。
「合格への条件は三つ。一つはここにプリントを持ってやってくること。二つ目はこのプリントの問題で高得点で取ること。清水、採点終わったか?」
「ああ、80は余裕で超えてるね」清水は笑顔で答えた。
「やっぱりな。この時点で既に二年でも上位の成績だ。そして三つ目は試験を受けた自覚がないこと。」
「意味がわかりません。」
これも心の声そのままだ。
「一つ目では行動力を見ている。二つ目はまあ学力だ。部活してて成績がやばいとかはこの高校では致命的だ。そして三つ目は善意」
「善意?」
「見返りを求めないってことだな。試験に受かりたいという動機なら駄目ってわけだ。」糸田は肩の埃を落としながら気だるそうに言った。
「合格したのはわかりました。ですが僕はこの勧誘をお断りさせて頂きます」
「どうして?」
糸田はどうせ予測していたであろう(もしくは予測出来たであろう)返答に敢えて不思議そうな感じを持って答える
「ボランティアに興味がないからです」
文理は事前に考えていた理由ではっきりと断る。
しかし糸田は、先程からのにやついた顔を止めようとはしない。
「だろうね。じゃあ質問だ。俺がボランティアに興味があるように見えるか?」
「.....」
糸田は、社会貢献に全く興味がなさそうだ。それはわかる。
しかし、それ以外のことがわからない。何の為にステージで新入部員を寄せ付けない発言をしたのか。それにも関わらず、僕にこんな手の込んだ勧誘をしているのか。文理が答え出せないでいるのを見て糸田が口を開く。
「俺は君にボランティアさせようって思ってる訳じゃない。そもそもそんな事してないしね」
「じゃあバドミントンでもやらせるつもりですか?」
因みに文理は完全なバドミントン初心者である。こうは言っといて何だがバドミントンをやらせたいという意図もまた感じられない。
「それは困るなぁ。でもそれ以外なら好きにしてくれればいい。例えば課題をしてるだけでもいい。バド部の部室は職員室から百メートル程度だ。課題の提出もスムーズに。教室は五時で閉まるけど部室なら基本自由だ。必要なものがあるなら大抵の物は用意する。何か不満か?」
悪くない話だ。ただこういう話に乗る人がきっと詐欺に掛かる人なのだろう。
「都合が良すぎます。後で見返りを求められても困りますし」
「なら時々でいいから俺の手助けをしてくれ」
「そこまで僕に執着する理由がわかりません」
「将来有望だからだよ。」
「それはどういった意味で?」
「俺の後輩としてだ。どうせここで話しても埒が明かない。俺は効率の悪い事は嫌いなんだ。とりあえず部室に来てくれ」
その言葉を放った糸田に清水は侮蔑の眼差しを送る。その事から文理は今の発言は信じられないと判断した。しかし、行かないと話がまとまらないのも確かだ。
「わかりました。とりあえず行きます」
この時僕はきっと行くべきでは無かったのだろう。いや、そんな事は不可能か。その局面に陥ると僕はいつも忘れてしまうのだ。四十谷文理の押しへの弱さを。
-部室-
メンバー 四十谷 糸田 清水 ???
扉の音が軋んだ音がする。バド部の部室は生徒玄関のすぐそばで職員室にも近いのは本当だった。半ば強引に連れられて不満ではあるが理想的な場所ではあった。部室はそこそこ広く掃除もしてあり、綺麗な机もある。
左の隅で一人の男子生徒が座っている。確かステージで糸田の隣にいた男だ。手元で消しゴムをくりぬき、木製のヤスリで角を丸く削っている。彼の机の上には十枚のビニール袋が置いてあり、中には小さな円柱の消しゴムが入っている。
「やあ匠君。部長と永山君は?」清水が話し掛ける。
「誰かのせいで地域とのコミュニケーションを図りに校外を廻っている」
「それは結構」
間違いなく事の元凶であろう男が他人事の様にそう言った。
「そんな事より本当に例の一年連れて来たんだな。」
「だから言っただろ?」
やはり糸田は最初から僕はをここまで連れてくる算段だったのだ。それにしても生徒玄関で会ったのが初めてのはずだ。おそらく短時間で性格や癖を調べるなりしたのだろう。相当趣味が悪いのは言うまでもない。
「それより入部届けどこだっけ?」
「そっちの引き出しに何枚かあるはずだ」
「了解」
糸田は引き出しを探り始める。石川も作業に戻り沈黙が訪れる。
「何を作っているんですか?」
沈黙に耐え切れなかったわけではない。ただ静かな空間に身を委ねていると目の前の男が何を作っているのか気になってしまっただけだ。
「シャーペンの裏に付いてる消しゴムだ。商品名はシャー消しだ。本来は売り物なのだが。いくつかやるよ」
その問いかけに文理は内心揺らいでいた。今まで幾度となくシャーペンの消しゴムを使いたいという衝動に駆られてきた。その度に早まる気持ちを押さえてきたのだ。しかしこれさえあればそんな我慢は必要ないのだ。
「僕の使っているシャーペンと消しゴムが合致するとは限りません」
「多分あるな。十種類の型があって、人気のものを五種類、高級なものを五種類作っている。それと今ならオマケも付ける」
「匠君は手先が器用だからね、材料があれば大抵の物は作れちゃうんだよ」と清水が、笑顔で話す。
「では、頂きます」
そもそも断る理由がなかった。
「おい、入部届けあったぞ」
糸田が入部届けを机の上に置く。現実に引き戻された文理はこの窮地から脱却する方法を考える。
「因みに拒否権はない。とりあえず記入しろ。保護者の名前も自分で書けばいいから」
思った通りだ。糸田は今日決着を付けようとしている。
「わかりました」
文理は言われた通りに名前を書く。まだ勝算はある。
「すみません。今判子を持ち合わせていないので明日持って来ます」
明日からは彼等に会わないように気を付けなければならない。後三日逃げきれば入部の締め切りを過ぎる。それまでの辛抱だ。
「失礼します」
文理はバックに入部届けをしまおうとする。それを石川が引き留める。
「おい、忘れ物だぞ」
そうだ、シャー消しをもらい忘れていた。何だが部活に入らないのに悪い気もする。
「すみません。有り難く頂きます」
石川が立ち上がり小さな袋に小分けしたシャー消しを文理に渡す。しかし、石川は手を滑らせてしまう。
小さな円柱型の消しゴムはコロコロ転がり右往左往する。文理はそれを丁寧に広い集める。その様子を石川は覗き込みながら言った。
「悪いな文理君。それと重ね重ね謝罪はしておくけどオマケはきっと君の望んでないものなんだ」
「おおーっ。さすが内の職人は凄いな」糸田は無理にテンションを上げる。
「いや、匠って呼べばいいだろ」
入部届にはくっきり四十谷の文字が朱色で押されてあった。石川の左手は丁度、判子サイズの円柱型の消しゴムを持っている。
「石川君は手先が器用だからね。材料があれば大抵の物は作れちゃうんだよ」
清水が冗談っぽくそう言った。
「その発言は二回目だ」
気力がなさそうな石川がそう返す。そして文理の方をちらっと見て言った。
「悪いが俺は頼まれた仕事は完璧にこなしたいタイプなんだ」
「文理君。入部おめでとう。ようこそテニス部へ」
糸田は、また満足そうな笑みで嫌みを吐く。
普段冷静を装う文理も苛立ちを隠せなくなってくる。しかし自分の言い訳は看破された訳だここで食い下がるのは往生際が悪い。
「わかりました。入部しましょう。その代わり条件が三つあります」
「入団条件突き付ける人は初めて見るなぁ。スーパールーキー? まあいいけど」
「一つ目は、基本自分のやりたいことしかしません。二つ目は朝部には行きません。」
「問題ない。もとから俺達は、好きなことしかしないし、ここにいるやつは、誰も朝部に行っていない。三つ目は?」
「僕の気が変わったら退部します」
「ふーん。具体的にはどうすれば気が変わるのかなあ?」
文理は、もうこの人に敬語を使うのが、バカバカらしく思えてきた。
「へっ、あんたを完膚無きまでに叩きのめして、退部して下さいってお願いさせてやるさ」
糸田は文理に初めて驚いた顔をみせた。
「まさか三年間の在籍を約束してくれるとは思わなかったよ」
この人は人を怒らせる才能があるのかもしれない。
「何か言いましたか?」
「まあまあ今日は、この辺にしてそろそろ帰ろうよ」
清水が慌ててこの場を諌めた。
「そうだな。て、あれ?石川は?」
「帰ったよ。仕事は果たしたってさ」
気付かなかった。普段は、元気のなさそうな人だけど実はかなりの切れ者かもしれない。
「流石、職人だねぇ。俺はやらなきゃいけない事あるから二人は先に帰っといてくれ」
「わかったよ。って文理君もいなくなってるよ」
「流石は俺の見込んだ後輩だな」
既に二人になった部室は少し大きくなったように錯覚させられる。
「人選ミスじゃないの?」
清水が糸田に尋ねる。
「いいや、大当たりだ。それに....」
まだ面白くなりそうだ。




