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3/22

3 りんごが一個ありました。

 

 どうもこんばんは、矢暮どす。


 今回は、2話目で書いた『ラピュタ帰結』に関する内容について考えてみようかと思います。


 ☆☆☆


 僕は前回、

「天空の城 ラピュタは名作だが、テーマに対するカタルシスは幼稚だ」

 ぐらいのディスり方をしました。


 そうつまりは、表面上の観客を惹きつけるツールとしては上級品だが、テーマとしての着地点は頂けないものだ、という意味です。


 前回、そういった意味で書いたからには、その説明をしなければならないかなと思い、今回はそれについて言及していきたいと思います。


 ☆☆☆


 実はですね、本当はこの間たまたまテレビで見ていた『キングオブコント』のことから話を広げた、

【コメディに関する考察】

 を書こうとしていたんですよ。


 だけど、あることが切っ掛けで、

「ああ多分、ほとんどの人がラピュタのテーマをディスる意味が分からないんだろうな」

 ということを感じたもので、それについて、

【完全に僕だけの考え方】

 という前提で説明していきたいと思います。


 ☆☆☆


 僕が感じたラピュタの物語のテーマというのは、前回にも書きました通り、

【人間には使いこなせない力は人類自体を滅亡に導くものだ。それは悪だ。つわものたちが夢のあとだ】

 というものだと解釈しております。


 それは、古来の漢詩であるとかにも影響を受けていると見受けられますが、ある意味それは概ね同意する所です。


 ですが、僕は思うんです。

【人間が知り得てしまった知識や経験に蓋をすることはできない】

 と。


 

 そう、知識や経験に蓋をするという事は、禁断タブーというマイナスの論理を現実に覆いかぶせること。

 まあ、言うなれば言論統制であるとか、他の幻想的な何かに置き換えて管轄することとか。


 しかし、そういうのには無理があって、そういうことは範囲が広がれば広がるほど無理が出てくる。


 言うなれば、現実とのズレが生じる。


 そのズレを埋めるための戦いとでもいうものが、今の世の中のざわつきなんだと思うんですね。


 ☆☆☆


 よくそういうのを、【アダムのリンゴ】に例えられますよね。


 当たり前ですが、人間は知ってしまったことに対して抑止できない性質を持っています。

 知ってしまった時点で、そこに何があるかを認識する能力を得てしまう。

 ましてや現実に、【そのもの自体が存在するのであれば】それ以上でもそれ以下でもなくなる。

 それをそれ以下にしようとしても無理がある。


 確かに、持たないという考え方も一理あるのですが、それだけで何かが解決するとは思えない。


 事実、持とうとする努力に邁進している国があるじゃないですか。


 ☆☆☆


 先日、ノーベル賞の発表がありましたが、ダイナマイトを知ってしまったからには、人間世界はダイナマイトの呪縛からは離れられないんです。核爆弾も然り、携帯電話も然り、インターネットも然り。


 それを知ってしまったからには、その後どうするのか? という思考回路が必要になってくるんです。


 単純に、

「それはだめだ! 悪だ!」

 というだけなら幼稚園児でもできます。


 ☆☆☆


 昔のアニメで例えるなら、


【巨人の星】


 の、大リーグボールが当てはまるかな。


 あの完全無欠の魔球大リーグボールも、死に物狂いになったライバルに破られるや否や、それはただの変化球扱いになってしまうという描写があります。

 無論、【侍ジャイアンツ】の魔球も同じ道を辿る羽目になります。


 現実でもその昔、ベースボール黎明期のアメリカで、カーブなどの定番の変化球ですら、

「目の錯覚だ」

 と言われたぐらいで、その存在すら否定されていたと聞きます。

 しかし、現在に至ってそんなことを言ったら馬鹿にされてしまう事間違いないわけで。


 つまり、人間はその存在を認識できた時点で、

「それ以下にはできない」

 という性質をはらんでいるのです。


 ☆☆☆


 以前のエッセイもどきのテーマであった、

【ルサンチマン】

 という状態の人間が、何故この世界を滅ぼしたくなるのかというと、そこに、

【情報の完全消去】

 があるからです。


 ☆☆☆


「自分の思い描いた世界はこんなんじゃない!」

 

 そういった不満は、やがて世界の完全消去リセットという道筋を辿ります。

 これがマイナスの論法の究極系ではないかと思うんです。


 しかし、どんな自然災害があろうとも完全消去リセットはできません。僕らの力では。


 そして、リセットなどという言葉に小気味良さを感じてしまうというのは、まあ、無意識にそれを望んでいるからなんでしょうね。


 ☆☆☆


 そんなわけで、真面目に説明するとそんなところかな。


 では、次回はコメディ路線の話でもしてみますね。

 自身も勉強になるかもしれないし。



 つづく。



 

  



 ☆☆☆




 


 


 

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