2、あれは誰だ! 俺だ! それはお前だぁぁ!
そんな感じで、権威的な人だとかがマスコミなどのツールを使って感情的頓珍漢な発言をしてしまうことを僕は、
【雷沼教授現象】
と称しています。
その【雷沼教授現象】のネーミングの由来は、某デビルマンの漫画原作の終盤で登場する雷沼教授の発言が切っ掛けで、世論が堰を切ったように激変してしまうシーンを指しています。
こちらを読んでいる方の中で、デビルマンの原作を読んでいない方に説明をすると、
【それっぽい権威的な人が、本質を突かない表面上の情報だけで、マスコミなどのツールを使用し、さも感情的な扇動を行った】
のが、雷沼教授の役どころなんですね。
逆に言えば、雷沼教授無くしてアルマゲドンは語れないわけです。
☆☆☆
でも。
実のところ物語上民衆は、もう疑心暗鬼の飽和状態だったりして、いわゆる思考停止の一歩手前だったんです。
そこに雷沼教授の発言。
そうなんです。とりもなおさず、民衆は無意識に雷沼教授の発言を待望していたんですね。それが、正か否か善か悪かにもかかわらずにね。
以前にも別のエッセイもどきに散々書きましたが、完全な情報オーバーロード状態に陥ってしまった人々にとってその時点で大事だったのは、自らの命とアイデンティティを保つための行動。落としどころ。
それが魔女狩りならぬ、悪魔狩りになったわけなのです。
☆☆☆
この前、名作アニメ『天空の城 ラピュタ』がテレビでやっていたので久しぶりに観てしまいました。やっぱいいわ。よく出来てるわ。そんな感じで観入ってしまいました。
でもなあ。
物語の出来栄えも構成もキャラクターの造形も演出も素晴らしい物なんだけど、こういう物語の情報の落としどころがあんまり好きではないんですね。
そう。ワンパターンというかなんというか、問題提起に対してのカタルシス(情報浄化作用)が単純過ぎてね。
☆☆☆
簡単に言うと、この物語のテーマは、人間に使いこなせない強い力は悪。そういうのは人を滅ぼすものだ。そういう帰結なんですね。
無論、可能性としてそういう側面はあります。高いと思います。
だからどうするのか? を考える切っ掛けとしての物ならば良いのですが、僕から言わせれば、もっと引いた視点で考えなければならないことだと思うんですよね。そう、第三者視点で。できればもっと引いて第四者視点以上で。
あの映画が名作がゆえに、そういう視点に、いわゆる見る側を第二者視点以下に釘付けしてしまうのが、悪い意味での功罪になってしまっているような。
☆☆☆
つまりこれも、【雷沼教授現象】なんですな。
ニヤリ。
☆☆☆