10 経験でしょでしょ。
おはようございます、矢暮です。
そういや、あのカラオケの話を書いた後に、また【ヒトカラ】に行ったんですよ。
その時、某D●Mのスタジアムの方で、【オルフェンズの涙】を歌ったら、その画像が鉄血のオルフェンズのアニメに変わってました。
なんだか嬉しい反面、歌に集中出来ないというか、悲しい場面ばっかり見せられてしまうので動揺が隠せなくなってしまうんですよ。
そう、初代ガンダム映画版の井上大輔さんの【哀戦士】や【めぐりあい】なんかも歌っていると同様なことに。
だって、マチルダやリュウやスレッガー、ララァなどなどの戦死シーンがバックに映るとついね。
さらに言えば、極まれに歌う【ザンボット3】なんかもそう。
僕らの世代は、人気の出る前の小学校低学年からあの辺りの番組に【洗脳】されてしまっているのでしょうがないのかな……。
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洗脳って言えば、【躾】も【思想】も【宗教】も【哲学】も【教育】も大まかな意味でいえば【洗脳】の一種みたいなものですよね。
僕らがこうして扱っているパソコンに準えて言えば【アプリケーション】に当たるものだと。
いわゆる、【アプリケーション】が知らず知らずのうちに追加されていたり、入れ替えられていたりってこと。
でも、その【アプリケーション】がとんでもないものだったら、とか考えてしまうことってありますよね。
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歴史上たびたび起こる【宗教戦争】や【思想のぶつかり合い】。これはまさにデリケートな問題だと現代では評されていますけど、考えてみればこれは、
【アプリケーション同士の認知の歪み】
だと思えるんですよ。
「お前のアプリは間違っているぞ!」
みたいな。
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人をパソコンやタブレット、スマホなんかの端末に置き換えればよく分かる。思想や宗教なんかは、その土地の環境や歴史に根差したものが、【アプリケーション】としてダウンロードされた状態なんだと思うんです。
でないと人は永続的な社会集団を持続できなかった。
だけど、こうして移動手段や通信手段が活発化してゆけば行くほど、アプリケーション同士のズレが顕在化してしまう。
これからの時代を模索すると、いままで使っていたアプリケーションを改善しながら大切に扱ってゆくのか、それとも全く新しいものを作成してダウンロードしてゆくのか、みたいな時代の流れがなんとなく世界を席巻してゆくような気がするんです。
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多分、それが【ナショナリスト】と【グローバリスト】と言われている人々の間で、考え方が大きく二つに分かれていると思うんですよね。
え? 僕?
ああ、僕はどちらかと言えば【ナショナリスト】の考え方です。
理由は次回に。
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つづく。




