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1、お久しぶりです。


 どうも、本当にお久しぶりになってしまいました、矢暮終之丞です。初めての方もそうでない方もよろしくお願いします。

 

 なんでまたこんなエッセイもどきを書き始めようかと思ったのかと言うとですね。

 別に解散総選挙があるからとかではなく、北朝鮮問題があるからとかではなく、ここんところ小さな地震が多いからとかではなく、単なるおっさんの気まぐれサラダみたいなものなのです。


 本当は、もう何か月も前から書きたいことがあったりしたわけなんですが、なんかタイミングがつかめなくってねえ。


 以前のエッセイもどきなどにも書きましたが、【タイミング】ってこの世で一番重要な要素だと思うんですよね。


 だから、今日の一話目は、【タイミング】のおはなしでも。


 ☆☆☆


 そうですね。初見の方や、お忘れの方に簡単に説明するとですね。

 以前書いた中での説明で、

『唐突に宇宙空間に放り出された時に、いきなりお金をもらってもあんまり嬉しくないでしょ』

 みたいなこと書いたんですよ。


 とりもなおさず、僕は実際の会話の中でも、

『腹一杯に飯を食ったときに限って、高級なお寿司やステーキでも食べないか、と誘われると何だか無性に腹が立つだろ?』

 みたいな説明をしたりするんですよ。


 で。

 なんでこんな話になるかというとですね。


 なんちゅうか本中華、世の中には本当に【の悪い人】というのがいてですね。

 本当の意味で“良い空気が読めない”みたいなんです。


 何をやっても、どんなことをしていてもタイミングが天才的に悪いですよ、そういう人は。


 無論、その人が自分しか見えていないからという理由は当たり前にあるでしょう。でも、それにしたってひどいよ……、なんて感じになるんですよね。


 ☆☆☆

 

 もしかして、これを読んでくださっている人にそれが当てはまってしまっているのならごめんなさい。


 でもね。


 これを野球のバッターに例えると、

【どんなにスイングスピードが速かろうと、どんなにボールを飛ばす力が備わっていようと、タイミングが合わずボールがバットに当たらなければ意味がない】

 ということなんですよ。

 

 つまり、逆説的に言えば、

【タイミングさえ合えばなんとなる】

 確率は上がるという意味なのでござんす。



 ☆☆☆


 これを実在の人物に当てはめると、やっぱりホームラン王【王貞治】さんがピッタリかな。


 無論ご存じの方も多いと思うのですが、王さんは高校時代から相当素晴らしい選手なわけですが、プロに入ってからの数年間は鳴かず飛ばずでした。


 それが、荒川博コーチとのマンツーマンで体得した【一本足打法】により開眼し、世界のホームラン王になった逸話は誰もが知る有名なところです。


 で。


 この一本足打法というのが、知ったかぶりの素人たる僕の観るところでは、


【来た球を一点に的を絞る究極のタイミング打法】


 だと思うんですね。


 そう、あの名台詞、

「当たらなければどうということはない」

 と、赤い服を着た軍人さんも仰っているように、当たれば飛ぶというポテンシャルの人が、当てる確率を上げた時点で相手側にとっては極めてガクブルな脅威なわけでございます。


 そうそう。

 その昔、大洋ホエールズにいたミヤーンという外国人バッターは、タイミング重視のレベルスイング(水平スイング)で大変活躍しましたね。それを周囲は【ミヤーン打法】と言ってましたっけね。


 ☆☆☆


 まあ、僕も若い頃に出会った人たちも口をそろえて、

「○○の道に正解はない」

 と仰っていましたが、当たり前なんですよね。


 自然と時間軸の流れが読めなければ、どんなにド正論をぶち撒いても空振りに終わったり、奈落の底に突き落とされたりするのが世の常ですから。


 ある程度の法則や方程式は作れても、自然環境や時の流れで起きる事象に適応していなければ、それは正解とは言えない。


 なのに、タイミング無視の法則や知識だけではね。それだけ、【】とか【タイミング】が重要なんですね。


 ☆☆☆


 それを読む感覚を養えていなかったり、備えていなかったりしたのでは……


 ☆☆☆


 そういえばつい最近ネット上で、ある有名な学者さんが誰かと対談していた動画を偶然見たんですよ。

 その中に、

「これからの時代は社会性なんて必要なくなる」

 みたいなことを言っていたのを聞いて、ビックリしましたね。


 第二者的な意味合いで言わせてもらえば、その文脈自体に矛盾があることを僕はすぐに覚ったのですが、第三者的な視点で言わせてもらえば、

「AI任せかなんかで社会性を失った時点で、もうそれは人間とは呼べないだろ」

 っていうこと。そう、AIの家畜か、はたまた補助的な存在にしかすぎなくなってんだろってこと。


 そしてね。

 もう一つ第三者視点で言えば、


「これこそが人のごうってやつなのか」


 と痛感させられたこと。


 ☆☆☆


 別に僕は深い意味での仏教者というわけでもないけど、ごうってのは、人の性質上、切っても切れない取ってしまいがちな行動のことを言うらしいですね。


 その学者さんはとっても優秀な人で、僕とは雲泥の差の世界でご活躍されていらっしゃるわけなんですけど、どうやら元々人付き合いが苦手な方らしいんです。


 僕は以前のエッセイもどきにも散々書きましたが、

【人には【価値判断基準】という“やじろべえ”を持っていて、どの“やじろべえ”の揺らぎによって物を決めるかは、その人の苦労したところに起因する確率が高い】

 という持論があります。


 その学者さんの研究からの話は、とっても有益なものが多く興味深いのですが。人間というのはですね、感情的な要素が多く含まれてしまうと、その方向性を見誤りやすくなるのかな、なんて思うんです。それがどんなに優秀な人であってもね。


 技術の優秀さと、精神的優秀さは異なるし、身体の優秀さも前の二者とは異なる。


 その部分を取り違えるとね。痛い目に遭うんですよ。


 まあ、他人のことを言えた義理ではないんですがね。僕も。



 ☆☆☆


 つづく




 

 


 



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