番外8-1:ヘゲちゃんの憂鬱ふたたび
ヘゲちゃん視点メインの三人称です。
番外扱いですが、ほぼほぼ本編です。
ヘゲことティルティアオラノーレ=ヘゲネンシスは憂鬱だった。
ティルの一件以来、アガネアはヘゲに敬語もどきを使うようになった。
ヘゲが意識してなるべく会わないようにしているためでもあるが、バカなことを言う回数も減った。ゼロにならないところが問題だが、あれは病気のようなものなんだろう。
本来ならそれで満足のはずだった、が。
──ものたりない……。
アガネアが来てからというもの、ヘゲは暇があれば厨房やスタッフホールに顔を出してからかったり小バカにしたり。それが意外といい気晴らしになっていたようなのだ。
日々の業務に加えて、いまは大娯楽祭の準備や先日の襲撃事件の調査で忙しい。
それなのに程よい気晴らしが失われ、さらにアガネアとの会話がリフレッシュになっていた事実に気づいてショックを受け、ヘゲは憂鬱だった。
おまけにアガネアのところへ行くのはかなり習慣化していた。
さっきも作業に区切りがついたので無意識に厨房へ転移しそうになり、慌ててやめた。
せっかくうまい皮肉を思いついたのに……。
そう思ってしまうことも含めて少しイラつく。
しかし、あまり気落ちしてもいられない。
百頭宮の精であるヘゲのそうした不調は、長引けば売上やスタッフのモチベーションに影響してくる。
そのせいでアシェトの命令により、先日はティルとアガネアと飲みに行くハメにもなった。
結果的にティルとは和解できたからいいようなものの、このままの状況が続けば察しのいいアシェトのこと、今度はアガネアと二人で飲みにいけと言われかねない。
アシェト様、人間関係に問題があると“飲みに行って腹を割って話せ”一択なのよね。それか相手を滅ぼすか。
アシェトのそんな豪快さが、細かいことを気にしがちなヘゲには眩しく、好ましく思える。
だが、そもそも自分とアガネアはモメてない。あるべき関係になっただけのこと。
調子に乗りやすいアガネア相手では適切な距離感を保つにあたって、飲みに行くのは逆効果だ。
手遅れになる前になにか別のことで気分転換しよう。
いくら悪魔が不眠不休に強く無尽蔵の体力を持っているといっても、精神的な疲れは普通にあるのだ。
「アシェト様」
ヘゲは書類を眺めていたアシェトに声をかけた。
「ん?」
「何時間かお休みをいただいてもいいでしょうか? 気分転換してきます」
「いいぞ。あぁ。その前に。リストに入れ忘れてた追加のVIP招待候補、どうしたらいいんだ?」
「広報室のリスト締め切りは過ぎてますし、渉外係に回すのが筋ですね」
「そうか。じゃ、そうしとく」
「ええ。では、ありがとうございます。失礼します」
ヘゲが部屋を出ようとしたとき、アシェトが言った。
「アガネアにもよろしくな。あいつ、襲われてビビッてるだろうから」
ヘゲは頭を下げ、今度こそ部屋を出た。
どうしてあんなことを言われたのか。アシェトまで自分とアガネアをセットで考えているという事実に、ヘゲは気が重くなる。
ただでさえここ最近、スタッフたちは自分とアガネアの噂をしているというのに……。
今日もヘゲはバックヤードで交わされた、こんな話を聞いていた。
「なあ、ヘゲさんとアガネアさん、喧嘩したらしいぜ」
「マジか!?」
「ああ。どうも何かあったらしい」
「そういやここ何日か、ヘゲさんスタッフホールで見てねぇな」
「あの二人、コンビ解消したらアガネアさん危うくないか?」
「アガネアさんは甲種擬人だろ。さすがにもう有名になってきたし、独りでもやってけるだろ。ギアの会とかもあるし」
「やっぱそれ絡みかなぁ」
「けど、ヘゲさんあれの名誉顧問だってよ」
「詳しいなお前。っていうか、さっきスタッフホールがどうたら言ってたけど、あそこにそんな行く用事あったか?」
「それが最近、ナウラちゃんと仲良くなっちゃってさ」
他の悪魔たちの噂話も似たようなものだった。
どうして自分とアガネアがペアのように扱われているのか理解できない。日常レベルではただの副支配人と一スタッフでしかないのに。
これでは自分がアガネアの保護者みたいではないか。
そこまで考えて“保護者”という言葉にヘゲは思わずうめいた。
すっかり忘れていたが、対外的にヘゲはアガネアの庇護者、つまりは後見人ということになっていたのだ。
後見人といえば保護者も同然。なので二人がセット扱いされるのは自然なことだったのだ。
まったくもう! あの女は会ってないときでも私を困らせる気!?
庇護者を名乗ったのは自分だということは棚に上げ、ひとり怒りをつのらせるヘゲ。
これじゃ気分転換にならないじゃないの。とにかくあいつのことは忘れて、忘れて……。あれ?
足を止めるヘゲ。気分転換をしようと思って出てきたものの、よく考えるといったい何をすればいいのかわからない。
思い返してみればアガネアが来る前は、アシェトのそばで働いていればそれだけで幸せで、気分転換をしようなんて思うことがなかったのだ。
──くっ!
ふたたびやり場のない怒りがこみ上げるのを、深呼吸して抑える。
なんだか思考のいたるところにアガネアの影がチラつくようだ。
普通それは”アガネアのことが頭から離れない”という状態なのだが、ヘゲはそこに気づかない。
けっきょく、1時間ほど飲みに行くことにした。
仕事以外の行動で、唯一気晴らしっぽい行動がそれだったのだ。
次回、番外8-2:ヘゲちゃんの憂鬱ふたたび