方法14-2︰そういうアレではない(契約は守りましょう)
万物市場を抜けると、高級住宅地に出た。
なんでもミュルス=オルガンは首都のバビロニア=オルガン、南方にあるヌガ=オルガンに次ぐ第3歓楽都市と呼ばれていて、人界でも知られる高名な悪魔たちもここに別邸を持っているという。
あそこはベルゼバブの屋敷、こちらはバフォメットの屋敷、あれはルシファーの屋敷などと案内されているうち、ワタシたちは「さっちゃんの右腕広場」というところまでやってきた。
石畳の大きな広場の中央に、巨大な石の右腕が天に向かってそびえている。
あたりにはベンチが並び、屋台や噴水もあってちょっとした憩いの場になってる。
ワタシたちは腕のそばにあるベンチへ腰を下ろした。
「これ自体は石化した右腕というだけなんですが、いったい誰の腕なのかは謎なんです。
そもそもこれが“さっちゃんの右腕”と呼ばれるようになった由来も不明で、サタン様の腕だという説もありますが、何か証拠があるわけでもありません」
「これ、下にまさかのご本人が埋まってたりしないの?」
「むかし掘ってみたら、腕の付け根までしかなかったそうです」
肘から手首までが人間の腕のバランスよりもずっと長い。きっと、埋まってる部分もかなり長いんだろう。
「広場の端に屋台があるのが見えますか?」
指さす先には長い行列。
「この街一番のジェラート屋です。ちょっと買ってきますから、アガネア様は休んでてください」
「いいよ。一緒に行くよ」
ヘゲちゃんが遠隔で見ててくれてるといっても独りになるのは不安だ。絶対安全第一。
「アガネア様を列に並ばせるなんて、みんなに怒られます。それに……一人でくつろいでるアガネア様を離れたところから眺めたいんです」
なかなかいい趣味してんな。けどそれって普通、本人に気づかれないようにやるものなんじゃないかな。
とにかく、そう言われるとあまり強く一緒に行きたいというわけにもいかない。ワタシはロビンを見送ると、ひとりベンチでぼんやりした。
あらためて見てみると、広場にいる悪魔たちは姿こそ千差万別だけれど、ジョギングしたり連れとお喋りしたり、絵を描いたり楽器を演奏したりキャッチボールをしていたり、と過ごし方は人界の大きな公園とあまり変わらない。
ときどき列の方へ目を向けると、ロビンはじわじわ前に進んでいた。
本当にずっとこっちを眺めてるみたいで、いつ目を向けても手を振ってきた。律儀な奴だ。
「やあ、これは奇遇だね」
一瞬目を離したすきに、誰かが隣へ座った。
驚いて見ると、仙女園の総支配人にして男装の美女、タニアだった。以前、ちらっとラズロフのところで見かけたことがある。
そういや、人づてでスカウトの手紙をもらったこともあったな。
…………ヤバい。
あれ断りの返事するのすっかり忘れてた。怒ってるかな。
「キミとは一度ゆっくり話してみたいと思ってたんだ」
あ、これ知ってる。これ言われた後って、今までたいていロクなことにならなかった。
「今日は、ああ、デートかな?」
無意識にロビンを見てしまった。その視線をたどって結論するタニア。察しが良すぎて不気味だ。
ロビンはワタシの横にタニアが座ったのを見て、心底驚いてるようだった。列から離れようか迷ってるみたいだ。
考えてみれば、ロビンにとってタニアはライバル店のボスという以上に、はるかに格上の悪魔。
その行動を邪魔するってのは上下関係絶対な魔界の常識からすれば、かなりハードルが高いんだと思う。
それにしてもタニアは、ワタシが1回チラッと見ただけなのに自分のこと憶えてると信じて疑ってないみたいだ。
この魔界じゃむしろ地味な外見のくせに。なんだかイラっとくる。
「どちらさまでしたっけ?」
ワタシの返事に、タニアは眠たそうな目をキュッと細めて笑った。
「面白い悪魔だね。アシェトの古なじみだけのことはある。ほら、ここで会ったのも何かの縁。もっと仲良くしようじゃないか」
不意に肩を抱き寄せられた。ロビンはとっさに列から出ようとして、踏みとどまる。
タニアはそんなロビンをからかうように、ワタシをさらに抱き寄せたまま手を振る。
「やめてください」
押しのけようとしたけれど、ビクともしない。力を入れてるようには見えないのに。
『へいへいよー。タニアを挟んで反対のほうを見て』
頭にヘゲちゃんの声がする。
見れば20メートルの距離制限ギリギリのところで、人ごみに紛れるようにヘゲちゃんが立っていた。
助けに来てくれたの? と思ったけど何か違う。
手にボードを持っている。
なんだろう。何か書いてある。
“あとで何を言われたか報告求む”
って、ふざけんなおい。
ヘゲちゃんは真顔でワタシに向かってボードの文を指し示すと、親指立てて消えた。
「それでいったい、なんの用ですか? スカウトの手紙に返事をしなかったことなら謝ります」
「スカウトの手紙? ああ、あれか。あれは意思表示として誘ってみただけだから、気にすることはないよ。あれくらいで来てもらえるなんて期待してなかったさ」
そしてなぜかワタシのあごをつかんで、くいっと持ち上げる。
「私たちはいつでもキミを歓迎するよ。今はそのことだけを憶えておいてくれれば充分だ」
そして手を放す。
なんでドキドキしてるんだワタシ。一瞬、キスされるのかと思ったから?
「キミは妙な魅了の術を使うと部下から報告があってね」
実際には違うけど、そういうことになってるのは本当だ。
「あれを私に使うのは無意味だからやめた方がいい。……なぜなら私は、もう、キミに魅了されているから」
なんだろう。普通ならグーパン不可避のキザなセリフなのに、タニアが言うとすごく自然だ。
女子にモテモテの王子様キャラな女子ってたまにマンガとかで出てくるけど、まさか自分が実際に遭遇するとは。
まあ、好みじゃないがな。
それにしても本当に──。
「本当にいったい何の用だろうって思ってるね。言っただろ。話してみたかったって。それ以上のことはない。それとも、用がなければ話しかけちゃダメかな」
それから顔をぐっと寄せ、ワタシの目をのぞき込んでくる。
「キミの瞳は本当に澄みきっている。だから心の中が丸見えなんだ」
ワタシはつい目を閉じて、タニアのおかしそうな笑い声に目を開けた。
「冗談だよ、冗談。キミはあれだね。大秘境帯暮らしが長かったからか、ほかの悪魔みたいにスレてない。ますますウチに欲しくなったよ」
いかん。完全に相手のペースに呑まれてる。
「ほら、連れが戻ってきたよ。ジェラート三つ持ってるじゃないか。まじめだね。本当に悪魔なのかな」
見ればロビンがジェラートを三つ持って、途方に暮れて立っていた。
「さて、そろそろ行かないと。迎えが来てしまった。上手くまいたと思ったんだけどな。まったく、仕事仕事って口うるさくてかなわないよ」
前にタニアに会ったとき同行していた、エルフっぽい悪魔がこちらへ向かってくるところだった。
「じゃあ、また。大娯楽祭で会えるのを楽しみにしているよ」
タニアは立ち上がるとロビンからジェラートを受け取り、エルフっぽい悪魔のところへ行ってしまった。そのまま二人は立ち去る。
次回、方法14-3︰そういうアレではない(契約は守りましょう)