番外21-6︰エンド・オブ・ヘゲちゃんの憂鬱
天使との会見は、最悪だった。そもそも出発の直前ヘゲが答えの出ない問題に頭を悩ませていると、心配したサロエが肩に触れた。
ただでさえ精神的にまいっているのに、ゼロ距離から呪いが放つ瘴気を浴びたのだ。ヘゲの精神状態は落ちるところまで落ちた。
具体的には座っていられなくなり、床で体を丸めると、動くことも考えることもできなくなった。もはや死ぬことさえ面倒で、このまま朽ち果てるまで無生物のようにじっとしていたかった。
その後、ベルトラに抱えられて馬車に乗り、向かう途中でどうにか気を取り直したヘゲ。しかしそれも最低限のことだった。
ヘゲは天使と戦ったことがなかった。会ったことさえなかった。それでも実際に会うと、天使に対しては嫌悪感しか覚えなかった。その感覚はもはや悪魔としての本能としか言いようがなかった。
おまけに天使が裸というのも気に障った。理由は聞かされたが、それでも侮辱されてるような気がした。
天使を見るアガネアの視線も気に入らなかった。本人はさり気なさを装い上手くごまかしているつもりなのだろうが、ヘゲにはアガネアが天使の裸──それも女の方──をチラチラ盗み見ているのが丸わかりだった。
裸の悪魔は珍しくない。けれど、人型となれば別だ。そしてヘゲは人間にとって人型の裸がどういうものなのか、知識として知っていた。
──誘惑してんのかしら。天使とかいいながら、とんだ腐れオンナね。
天使がアガネアを悪魔だと思っている事実を無視して、ヘゲは毒づいた。
そのアガネアが天使と抵抗なく話しているのも余計に腹立たしく、ヘゲの理性と精神状態はみるみる落ちていった。
会見後、馬車の中でアガネアは他の三人から非難された。天使と気安く話すのはどうなのか、と。それに対してアガネアはあれこれ弁解し、さらにヘゲは言い返そうとして不意に限界を迎えた。
「あー、もー、やってられっかーよー! 任務放棄がなんぼのもんじゃーい!」
揺れる馬車の中、ヘゲは立ち上がりそう叫んで百頭宮へ転移した。
自分が何をしでかしたか理解するのに時間がかかった。
転移した先は百頭宮の地下深く。フロアとフロアのあいだにできた狭いデッドスペースだ。誰であれここへたどり着くには、ぶ厚い床か天井を壊すしかない。
ヘゲはそこでヒザを抱えて座っていた。
終わった。そう思った。自分がしたことは考えられる限りの中で、最悪の行動だ。なにもかもを投げ捨てて、逃げ帰って隠れている。
残してきた三人が自分のコトをどう思ったか。想像しようとするだけで恥ずかしさに気が遠くなる。
アシェトのところへは連絡が行くだろう。そのときアシェトはどう思うだろうか。怒り、失望、軽蔑。なんであれもう二度と信頼してはもらえないだろう。百頭宮があるかぎりヘゲは存在し続けるが、これからはずっと黙殺されるかもしない。
怖くなったヘゲは店内やミニチュア百頭宮の周囲を知覚しないようにした。
──もういい。このままここでじっとしてよう。
ヘゲは抱えたヒザに頭を押し当てた。
それからどれくらい経ったのか、ヘゲには解らなかった。
『なあヘゲ。戻ってきたんだって?』
アシェトからの念話だ。ヘゲは無意味と解っていながらも息を殺し、可能な限り身を縮めた。
どんなことを言われるのか。不安でたまらなかった。けれど念話は防ぎようもなくヘゲの意識へ直接アシェトの声を届ける。
『実を言うとな。私はこうなることもあるんじゃねぇかって思っちゃいたんだ。むしろ、もっと早くこんなことになるんじゃねぇか、ってな。なんせここんところの状況、お前にとっちゃ苦手なことばっかだろ?』
アシェトはヘゲの返事を待たない。
『私はな、いまんとこ満足してる。やすやすと乗り越えられちゃ意味ねぇからな。むしろ、これくらい限界まで追い詰められてくれたほうがいい。で、こっからだ。こっからおまえがどう乗り越えてくか。私が期待してんのはそこなんだよ。私の期待に応えたいってんなら、そいつを見せてくれ』
アシェトの言いそうなことだった。アシェトはなにも心優しいわけではない。ただ公平でスジを曲げず、どんなことに対しても自分なりの核心だけを見つめ続け、決して目をそらさない。それだけだ。
ヘゲを悩ませている現状。アシェトにとってその核心は“ヘゲが悪魔的に成長すること”なのだろう。だからこそヘゲは思った。
──なんだ。幻聴ね。
もしヘゲの成長を期待するなら、今このタイミングでタネ明かしめいたことをするのは不自然だ。
ヘゲがアシェトから見捨てられたと思い、どん底の中から自力で立ち上がろうとする。その方が乗り越えるべき壁ははるかに高くなり、そのぶん効果も大きくなるはずだからだ。
それに、みっともなく逃げ出した自分に向かって、アシェトが“今のところ満足”なんて言うはずがない。まだチャンスはあると、ここからだと、そんな都合のいいことあるはずがない。
きっと本物のアシェトは今ごろ呆れ、ヘゲを捨て置くことにしているはずだ。
ヘゲの考えはそれなりに辻褄が合っていた。だが、事実とは違っていた。
実際にはアガネアたちの報告を受けたアシェトがさすがに難易度上げすぎたと反省し、念話したのだ。このまま長期離脱されたり潰れられたら、それこそ元も子もない。
ヘゲはいかにももっともらしい理屈を考えるのが得意だった。そして、ヘタに説得力があるぶん事実かどうかによらず周囲は納得してしまう。そして、ヘゲ自身も。
思い込みが激しいとも言う。そしてその思い込みは細かいところまで整合性のある、それでいて間違った理屈に裏付けられている。だから一度確信してしまうと、自力でそれを打ち破るのは難しかった。
念話を幻聴だと考えた理屈。その背後にはアガネアの件にこれ以上悩まされたくないという無自覚な願望もあった。むしろその願望が理屈を方向づけていた。
念話が幻聴なら、アシェトに捨て置かれたままヘゲはここでずっと座っていればいい。けれど幻聴でないなら、ヘゲはそれこそ惨めにアシェトの期待を裏切るか、ふたたび立ち上がって難題に挑むしかない。
奇妙な安心感に包まれて、ヘゲは意識を閉ざした。
次回、番外21-7︰エンド・オブ・ヘゲちゃんの憂鬱




