番外21-4︰エンド・オブ・ヘゲちゃんの憂鬱
魔導具を身に着けていたときの自分はなんだったのか。アガネアを今後、どうすべきか。目の前のアガネアと自分。それに加えてバビロニア行きの準備と通常業務。
ヘゲの思考はそれらを目まぐるしく行き来した。どれもが早く解決してくれと、自分を急き立てているように感じられた。
結果ヘゲはひとつのことに集中するのが難しくなり、とりとめもない想いにぼんやりすることが増えた。
深夜。閉店後の業務も終わり、百頭宮内はひっそりとしている。
ヘゲが一人、執務室で書類仕事をしていると誰かがドアをノックした。
「入って」
そう言いながら、書類や物がうず高く積まれて、縦穴のようになった自分の机から這い出る。
ドアの前に立っていたのは、アガネアだった。
「どうしたの?」
ヘゲは一瞬で、アガネアとの距離を詰める。いつだったかそうして、怒りに任せてアガネアを突き飛ばしたことを思い出す。
「こんな時間にゴメン。でも、どうしても言いたいことがあって」
そう切り出したアガネアの声はどこか、ためらいがちだった。
「性格が変わってたときのことなんだけど。……ワタシさ。ホントはあのとき、すごく嬉しかったんだ。けど驚いたし、魔導具の影響だって思ったら、つい素直になれなくて……」
突然の告白に、ヘゲはどうすればいいのか解らなかった。そんなヘゲをよそに、アガネアは言葉を続ける。
「でも、ようやく気づいたよ。ヘゲちゃん、さ。もし少しでも嘘がなかったなら、あの時の続きを……して?」
「きょわーっ!?」
自分の奇声に驚き、ヘゲは我に返った。かすかに建物が揺れていたので、慌てて心を鎮める。
息が荒い、それに、自分の鼓動が判るくらい胸が高鳴っている。
ヘゲは相変わらず独り、穴倉の底にあるイスに座り、机を前にしていた。机の上には目を通していた書類が散らばっている。
──な、なに!? 今のは!?
どうやらいつの間にか、白昼夢めいたものを見ていたらしい。
──けど、なんであんな……。
恥じらいと不安に目を潤ませ、抑えられない何かに顔を上気させたアガネアの姿が浮ぶ。
新手の精神攻撃だろうか。ヘゲは店内を走査してみたが、それらしい気配はない。そっと様子をうかがうと、アガネアは部屋で寝ていた。わずかに開いた唇に、なぜかヘゲは体が熱くなる。
「どうした?」
隣の部屋へつながるドアの開く音とともに、アシェトの声がした。
「なんでもありません!」
「……そうか」
ドアの閉じる音。ヘゲは机の上に突っ伏した。
──ダメだ。私きっと、ストレスでくるくるぱぁになってしまったんだわ。
ヘゲは普段なら使わないような言葉で、そう自分を評価した。
こうなったらアガネアを殺して自分も死のう。唐突にそんなことを思い、それではアシェトに迷惑がかかるし、失望されると考えて思いとどまった。
「なんなのよ。もう」
他に誰もいない部屋で、ヘゲの小さな声は縦穴から出ることもなく辺りに消えた。
バビロニアへ行ってからは通常業務が減ったぶん、アガネアの警護が加わった。慣れない土地、いつもと違う行動パターン。タニアやダンタリオンが何か仕掛けてくるには絶好のチャンスだ。
もしそのときヘゲが何もしなければ、アガネアにまつわる問題はすべて、キレイさっぱり消える。アガネア本人とともに。
もうそれでいいんじゃないかという気がした。けれどヘゲの中のなにも“そうね。それでいいんじゃないかしら”と返してはくれない。
──じゃあ、この先もずっとこのままアガネアを護る?
自分にそう問いかけてみても、返事は返ってこない。
多少マシにはなったが、ヘゲはやはり以前のようにアガネアと接することができずにいた。それどころか性格が変わっていたときに見たアガネアの姿だけでなく、あの白昼夢で見たアガネアの姿がふとした瞬間に脳裏をかすめる。
「ヘゲちゃん、えと、大丈夫?」
遠慮がちに尋ねられると、内心を見透かされているようで動揺してしまう。
「それはあなたの頭に向けて私が言うべきね」
強がってみるものの、皮肉の切れ味もいまひとつだ。アガネアがなにか言い返せば楽だったろう。しかし実際にはアガネアは視線を泳がせ──。
「ならいいけど」
こうした反応がいちいちヘゲには気になった。どんな意味が、意図があるのか読み取れない。
アガネアがたいしたことを考えるはずはない。これまでヘゲはそう思っていた。けれど今は、アガネアの口にする一言一言、そこに何重もの意味を読み取れそうな気がしてしまう。
そんななか、事件は起こった。レセプションの場で一人の悪魔がアガネアを襲おうとしたのだ。
咄嗟にヘゲは相手のアゴを掌底で突き上げ、天井まで吹き飛ばした。
やりすぎた。
そう自覚したのは掌底がヒットするよりも前、アガネアとの間に割って入りつつ腕を引きながら身を沈めたどこかの時点でのこと。
さらに相手を追い、宙で背後に周りその首へ腕をまわしてしまったときには、どうやって取り繕おうかということしか考えていなかった。
ただ押しとどめるなら、取り押さえれば済む話だ。渾身の一撃を放つ必要はないし、追撃する意味もない。
相手がアガネアに飛びかかろうと身構えるのを見た瞬間、ヘゲが感じたのは激しい怒りだった。アガネアを傷つけようとしていることへの。
直後にはもう、やりすぎたと感じながらも体が勝手に動いていた。放った掌底には殺意が乗っていた。相手が死ななかったのは、たんに運良く丈夫だったからにすぎない。
当惑する周囲に向かっての弁明は、我ながら説得力のないものだった。けれど瞬間的にヘゲから放たれた場違いなほど強い憎しみと殺意に呑まれたのか、参加者たちはそれ以上追求も非難もしてこなかった。
ただベルトラから向けられた視線に、ヘゲは反省した。自分がしたことは百頭宮の副支配人として、あってはならない行動だった。
だからその後でベルゼブブから軽くたしなめられたときも、反論はしなかった。
アガネアだけはヘゲの説明を言葉どおりに受け取ったようで、襲われたことに驚いてはいたものの、ヘゲに対してなにかを思ってはいないようだった。そのことにヘゲは安堵した。
怯えさせてしまったのではないかと不安になり、そんなことを不安に思った自分がまたもや理解できなくて、ヘゲは頭を抱えたくなった。
レセプションの残りの時間を、ヘゲはどうして自分があれほどの怒りに駆られたのか考えて過ごした。途中で他ならぬダンタリオンが話しかけてきたりもしたが、正直あまり気に留めなかった。
やがて、もっともらしい考えに行き着いた。もしあそこでアガネアが殺されていれば、これまで自分がアガネアを護るためにしてきた苦労が無駄になる。それが許せなかったのだろう、と。
タニアやダンタリオンにアガネアを委ねたくないのも、そう考えれば理解できる。ヘゲはこの考えに魅了された。自分の行動や感じることを理解できなかった不安が大きかったぶん、スッキリとしたその説明はヘゲを安心させてくれる、はずだった。
ところがヘゲは自分でもその考えに納得できなかった。なにか違う。そうじゃない。自分を説得しようとすればするだけ、そんな思いが強くなった。ヘゲはもう、どうしていいのか解らなくなった。
帰りの馬車の中で、ヘゲはアガネアの話に耳を傾けていた。ダンタリオンがケムシャだという証拠をつかんだというからだ。
ところがアガネアの話は推理と呼ぶにはあまりにお粗末で、結論ありきでしかなかった。
ただ、その話を聞いていてヘゲはひとつの可能性に気づいた。ダンタリオンが、最初からアガネアが人間だと知っていたとしたら。
思わず声をあげ、ヘゲはそこから描ける全体像をアガネアたちに語った。考えれば考えるほど、それは正解なように思えた。サロエは途中で寝てしまったが、アガネアとベルトラの反応はヘゲの話にかなり納得している様子だった。
ヘゲはその反応に安心した。自分がまだ、筋道立った理論的な思考ができていると解ったからだ。
そして、ヘゲにとっては意外なことがあった。
次回、番外21-5︰エンド・オブ・ヘゲちゃんの憂鬱




