方法5-1︰姐さん、事件です!(涙は武器になりません)
ワタシが厨房に戻ると、まさにピークタイムはこれからだ! ってタイミングだった。
だよなぁ。そんな気はしてたんだ。
ワタシは本を調理台脇のテーブルに置くと持ち場についた。
ワタシが間に合わないかもしれないということで、今日は調理と配膳を同時進行させないスタイルになっていた。
あらかじめ料理を終えて保温しておいたものを盛り付けていく。
なるほど。これならベルトラさん一人でもどうにか回せるのか。
ワタシが配膳、ベルトラさんが前倒しで明日の準備をしていると、見覚えのある猿みたいな悪魔がやって来た。
「ベルの姐御、大変です!」
「どうした?」
「非番の奴らが酒場で仙女園の奴らに因縁つけられてまして」
「へぇ」
ベルトラさんは大量のタマネギを刻む手を止めない。
「そんな姐御、頼んますよ」
「いま忙しいんだ。それに、スタッフエリアの警備に非番の奴らのおもりは含まれてない。一人前の悪魔が揃ってんなら自分たちでとうにかしろって言ってやれ。
それともなにか? 仙女園の悪魔が怖くてみんな気絶しちまったか?」
「そうじゃねえんで。あいつら、アガネアさんが甲種なわけねぇ。甲種にしてもダメ甲なんだろ。悔しかったら連れてきてみろって」
ガタガタガタンッ!
「アガネア様をダメ甲!? あいつら、ぶっ殺してやる!」
フィナヤーは叫びながら立ち上がると、今にも走り出そうとした。
その背後にどこからか現れたヘゲちゃんが忍び寄り、ノドへナイフを当てた。
「余計なことはしないで。仙女園との喧嘩は禁止、でしょう?」
冷たい声。フィナヤーは怯えた顔で軽くうなずくと腰を下ろした。
他にも何人か、腰を浮かせていた悪魔たちが座り直す。
気のせいでなければ、どれもヘゲちゃんがくれた『アガネアを崇める変な悪魔リスト』に載ってた顔ぶれだ。
それだとワタシを崇めるのが変なのか、変な悪魔しかワタシを崇めてないみたいに見えて悪意を感じるんだけど、素直にワタシへの好意を示せないヘゲちゃんが、己の欲求に素直な悪魔たちへ嫉妬してるからだと思うことにしている。
ともあれ、それで食堂中の悪魔たちがこちらへ注目した。あたりが静まり返る。
「ダメ甲って?」
ワタシの疑問を猿は凄まれてるんだと勘違いしたみたいで、あわてて付け加えた。
「いえいえ。あっしが言ったんじゃねぇんで。仙女園の奴らが、ですね」
「乙種は脆弱。甲種は強大。ダメ甲ってのは乙種ほどじゃないが、せいぜい並の悪魔くらいしか力のない甲種って意味だ。本当に、そう、言ったんだな?」
ベルトラさんは猿に向かって一言一言を強調するように尋ねる。猿はすっかり怯えてガクガク首を縦に振った。
ナイスですベルトラさん。
怒りを押し殺しながら確認したように見せかけて、実際にはワタシへの解説。
ちょっと不自然だけどかなり高難度なトリックをキメたといえるのではないでしょうか!? 奥が深いぞ解説道。そうまでして解説したいのベルトラさん!? いや、助かりますけど。
「アガネアさんが甲種だってこと、あっしらは誰も疑ってねぇんですが、一人で行ってもそれこそお互い流血沙汰になりかねません。
ベルの姐御も来てくれりゃあさすがに向こうも手出しはしてこねぇだろうってホロックさんが」
ベルトラさんとヘゲちゃんのあいだで視線がかわされる。
ベルトラさんは諦めたように壁際へ設置された受話器を取り上げた。
「第1厨房か。あたしだ。ベルトラ。料理長呼んでくれ。……ああ、あたしだ。悪いが外の揉め事を仲裁しに行かなきゃならなくなった。悪いんだけど一人か二人、配膳に寄越してくれないか? あ? 視察? おまえ自分から行くって……じゃこないだの貸しは……取っとけっておまえなぁ……まあいい。時間がない。うん。ああ。それじゃな」
ベルトラさんに言われて部屋から外出用のフードを取ってくると、すでに悪魔が二人やって来ていた。
外出用と言ってもおしゃれアイテムではなく、顔を隠すため袋の目の部分に穴を開けたものだ。
二人はベルトラさんから簡単な説明を受けると、すぐ持ち場へついた。
「じゃ、行くか」
ワタシたちは食堂の悪魔たちに見送られて、百頭宮を出発した。
目指す酒場、ヘルズヘブンは百頭宮から街を半分ほど過ぎたあたりにあった。
ワタシたちは百頭宮の前にたむろしていた客待ちの馬車を捕まえて乗り込む。
御者が馬をムチ打つと、馬車は猛スピードで走り出した。
途中、ベルトラさんはワタシにいろいろと説明してくれた。“善男善女の社交場、悦楽の宝庫” 仙女園は百頭宮のライバル。
「直接は見えないが、あっちの空が赤紫に輝いてるだろ」
窓から見える遠くの空が輝いている。
「あの辺りがちょうど街を挟んで反対側の丘だ。仙女園はウチとは違って、丘全体を広い庭園にしててな。そのあちこちに背の低い建物がある」
それぞれのある丘からちょうど街を二分するように境界線があって、お互いの縄張りになってるらしい。
つまり、ヘルズヘブンはその境界線にあるわけだ。
「だから仙女園と揉めようって気がなきゃ、わざわざあんなとこまで行って飲もうなんてことにはならない。
なんだってあたしがそんな馬鹿どもの尻拭いをしなきゃならないんだ」
そんなこと言っててもこうやって助けに行くんだから、ベルトラさんが頼られるようになるわけやね。
「けど、誰も寄りつかないとあいつら平気で境界線を割ってきますからね」
猿が言い訳する。
「こういうことって、よくあるんですか?」
「いや、あたしが呼ばれることは滅多にない。今回だってそもそも呼ばれてんのはおまえであって、あたしじゃない」
そうでしたね。すんません。
「でも、やっぱりこういうときはベルの姐御が来てくれなきゃあ。アガネアさんは知らねぇでしょうが、ベルの姐御って言やぁ“ザレ町の聖女”ってんで誰もが知ってる、長生きしすぎて耄碌したジジババどもが悪魔なのに十字を切っちゃうような、とにかく困ってどうしようもなくなった奴らがみんな集まって来るってぇーー」
「よせ。ホマス。ずいぶん昔の話だ」
それは静かだったけれど威圧感のある声で、猿ことホマスは首を縮めるとそれっきり黙ってしまった。
おかげで「ザレ町の聖女伝説」を聞きそびれた。チッ。
次回、方法5-2︰姐さん、事件です!(涙は武器になりません)