方法4︰お申し込みは今すぐ!(契約書はよく読みましょう)
今回、あり得ないくらい改行なくて込み入った長ゼリフがちょいちょい出てきますが、それぞれ必要な部分は後で要約されてるので、適当に飛ばし読みして雰囲気だけ味わってください。
新聞の話が効いたのか、それから襲われることなく数日が過ぎた。
フィナヤーは翌日には復帰してたんだけど、配膳のときとかに潤んだ目でこっちを凝視したり、ときどきそのまま両手で自分の顔をガリガリ掻きむしるのはこっちの正気度がガリガリ下がるからやめて欲しいなあ。
正直、フィナヤーが辛抱たまらんくなってまた襲われても怖いし。ベルトラさんに相談したら、
「物理的にであれ精神的にであれ、お互いに傷つけ合うことで愛情や友情、信頼感みたいな好意を表現するヤツが悪魔じゃ多数派だ。それを与え、受け入れるってことは、それだけの絆があるってことだからな。
それに悪魔は元々、嗜虐的な傾向がある。あたしみたいに人間っぽい形を取るってのは、まあなんだ、変わってるっちゃあ変わってる。
だから、そうだなあ。フィナヤーなりに我慢してるってことだろ」
なんて言われた。
ベルトラさんがむしろ特殊性癖だなんていう驚きのカミングアウトはさておき。
それが愛情表現なんだとしたら、フィナヤーがやってることは、まさにワタシにして欲しいことを自分で自分にしてるってことになる。ワタシをガン見しながら。
それってつまり、うん。ほら、あえて言わないけどつまりはアレみたいなわけで……。この話、振らなきゃよかったね。
けど、それでここはスタッフに痛み止めが必要なサービスなんかも提供してるわけか。あ、そうそれ。忘れてた。
「痛みを感じなくなる薬って、ありますか?」
「ああ。うちのホストやホステスは毎日飲んでるぞ」
「それって、私が飲んでも効きます?」
そう。それさえあれば、かなりいろいろ捗る気がする。
「効かないって言われてるな。悪魔と人間とじゃ体の成り立ちからなにから違うから。それと、ウソかホントか知らないが、人間に飲ませたら全身麻痺して二度と治せなかったって話もあったなあ」
チッ。そうそう上手い話はないのか。
「間違っても試さないでね。あなたが心身ともに健康で長生きすること。これは関係者すべての願いなんだから」
背後からヘゲちゃんが話に加わってくる。
ヘゲちゃん、死角に出現できるというよりは、死角にしか出現できないとか、そういう制限なんじゃないだろうか、これ。
最初と違って、ワタシも近頃はすっかり慣れて驚かない。
「みんな、そんなにワタシのこ」
「できるだけ長生きして、対応の時間を稼いでちょうだいね。それはそうとアガネア。あなたにお客様。協会から。第8応接室。私はアシェト様と対応方針を決めてから行くから。急いで。
くれぐれもワタシが行くまで一言も喋らないで。うかつに身振りもしないで。あ、でもこれを行く途中に憶えて、相手に会ったらすぐに伝えて。絶対にメモを見ながら言わないこと」
早口に告げるとヘゲちゃんはワタシにメモを押し付けて消えた。
「ベルトラさんは?」
「あたしは仕事があるから。大丈夫。これまでみたいな危険はない。それにあたしは契約話法が苦手なんだ。ほら、あまり待たせないほうがいい」
「契約話法?」
ベルトラさんは首を振ると、手振りで行くように促す。
肌見放さず身につけているナビゲーターに案内されて到着した第8応接室は狭いけれど豪華だった。
3人掛けの大きな革張りのソファが木のテーブルを挟んで向かい合わせになっている。
天井からは小さなシャンデリア、壁際には間接照明。窓はないけど絵に壺に小さな彫刻。
ソファには憂鬱そうな顔をした悪魔がいた。
顔はだいたい女性だけど、眉間に三つめの目がある。
オマケに口は左右に並んで二つ、毛はまったく生えてない。
首から下は蛇の腹の上の方に赤ん坊みたいな手がいくつもぶら下がってる。
悪魔はその蛇体を窮屈そうに折りたたんで座っていた。
ワタシが暗記したメモの内容を伝えようとすると、先にその悪魔が口を開いた。
「まさに今こうして話している悪魔は古式伝統協会並列支部所属の悪魔シャガリ。以下、甲と称する。いま第8応接室に入室し甲と相対する悪魔は所属と名前、擬人であるならその旨を宣言するよう求める」
いきなりハードな展開だよこれ。ちょっとまともな感じがしない。
けど困った。ヘゲちゃんからは喋るなって言われてるけど、さすがにこれ無視するほどワタシのメンタルは強くない。
「百頭宮所属、アガネアです。擬人です」
「この場において、甲は百頭宮所属の擬人、アガネアであると認め、以下、これを乙と称する。同意するか?」
「はあ、まあ」
ワタシはシャガリの向かいに座る。
「同意するか?」
「同意します」
「同意するか?」
え? だから同意するって言ったじゃん。
シャガリは黙ってこちらを見ている。何が気に入らないんだろう。うーん。
「同意しま、し、た……?」
試しにそう答えてみると、シャガリはようやくうなずいた。ワタシはこれ以上なにかを言われる前に、暗記したメモの言葉を口にする。
「百頭宮からは他に一名の第三者が参加予定であり、その第三者が第8応接室に到着、もしくは不参加となったことが現在、第8応接室にいる悪魔に告知されるまでは言語的、非言語的、ならびにあらゆる手段によるコミュニケーションも行わないこととする。また、当発言以前に行われた会話の内容、ならびに合意事項は第三者参加時点ですみやかに第三者へ共有され、合意事項に関してはあらためて協議と合意、不合意の意思確認が行われることとする。同意するか?」
よっしゃノーミスで言えた! こんな長いのここへ来るまでの短時間でよく暗記できたと我ながら思う。
いやー大変だった。がんばった。もう一度やれって言われたらたぶん無理。もう忘れだしてる。
それにしても、あらためてみるとこれ、シャガリの話し方みたいだ。
ようはヘゲちゃんのが来るまでは何も言わないし、それまでに何か決まってもヘゲちゃんを加えてあらためて話し合おうってことみたいだけど。
ひょっとしてこういうのが契約話法ってやつなんだろうか。なんか契約書っぽいし。
アプリなんかの利用規約もこんな感じだったなあ。ちゃんと読んだことないけど。
「同意した」
これでもう、あとは文鎮化してればいい。
目を細めたり見開いたりしてワタシを観察するシャガリを前に、ワタシはひたすらジッとしていた。
一体この人、ワタシになんの用があるんだろ。
しばらくするとヘゲちゃんが入ってきた。
「百頭宮所属、追加参加の第三者。ティルティアオラノーレ=ヘゲネンシス。以降、この場において発話当事者は自身を指して私と、それ以外の参加者はオラノーレと呼称する」
部屋へ入ってくるなり、ヘゲちゃんは真っ先に宣言した。シャガリも何か言おうとしてたようだけど、黙ってうなずく。
「甲、ならびに乙は自己の所属、この場での限定辞、名称ならびに呼称を明言した。古式伝統協会並列支部所属の悪魔シャガリを甲、百頭宮所属の擬人アガネアを乙と呼称する。この件に関する乙の提案はオラノーレ参加までのそれ以上のコミュニケーションを行わないこと、ならびにオラノーレ参加時にそこまでのコミュニケーション内容の開示と合意事項の再協議であり、甲はこの提案に同意済みである」
「発話者混同の可能性を考慮し、呼称として甲ならびに乙とすることを同意しない。甲をシャガリ、ないしはその前後に敬称等を加えたもの、乙をアガネア、ないしはその前後に敬称等を加えたものとすることを提案する。また現時にて甲、乙、オラノーレと呼称する三者にて第8応接室にて共有される時間を来訪、同義として面談と称し、その該当期間は三者が第8応接室を出るまでとする。また三者のうち一名以上が契約話法に不慣れであることから、コミュニケーションの円滑化のため、当発話にて提案の来訪において契約話法は必須とはしない。同様の理由から、身体動作による明示的でない表現はいかなる意味も有さないこととする。同意するか?」
すごい。なにこれ。
ヘゲちゃん、よくスラスラこんな言葉出てくるな。なに言ってんのか理解するのが大変だ。
「私が友好的な立場であることを示すため、同意した。ただし契約話法に対してその他の話法が抱えていると一般に指摘される不備によってもたらされるいかなる不具合、不利益についても私ならびに私の所属組織は責任を負わない」
「同意した」
そしてシャガリとヘゲちゃんがワタシを見る。あ、そうか。三人の同意が必要なのか。
「同意した」
ヘゲちゃんが大きく息を吐く。
「まず、私はアガネアの発言、決定を代理する権限があります。この発言、決定はアガネアのそれに優越します。また、百頭宮としての発言、決定権を私とアガネアは持っていません。理解いただけますか?」
「理解した。当来訪はアガネア個人に対するものである。また事実上、オラノーレがアガネアの後見人に該当する可能性は事前に推定していた。なお、私の発言はその所属組織の構成員としてのものであり、個人的なものではない」
そこからシャガリとヘゲちゃんとのおそろしく込み入った、まわりくどい会話が繰り広げられた。
ようはワタシに、古式伝統協会へ加入して並列支部に所属しないか? ということだった。
会員はお互いに助け合うし、協会から無利子でお金を借りたり知らない場所へ行ってもそこの協会や会員から世話をしてもらえるらしい。たぶん。
自信ないのは二人の話がややこしいからで、ちゃんと理解できたか怪しいから。だって、
「アガネアの古式伝統協会への加入ならびに並列支部への所属に関する提案。第1条第1項。アガネアは古式伝統協会、以下、当協会と呼称、の定めるところの手続きを経て、当協会へ加入。第1条第2項。当協会への加入手続き時、希望所属支部を並列支部とする」
「ちょっと待ってください。並列支部への加入を求める正当性はありますか? 後で他の支部から異議が出ない確証はありますか?」
「古式伝統協会法、第2865条第8項において、特定の支部と加入希望者との間で、加入希望の手続きが行われる以前になんらかの合意があり、かつ、その合意に反するのでない限り、各支部はその加入希望者の申請した所属希望支部について異議を申し立てる権利はない。また第2865条修正第6項において、各支部は随意に任意の当協会未加入の悪魔へ加入の勧誘を行う権利を等しく有するものと定められている」
そしてシャガリがどこからか取り出した分厚い本から、その部分を開いてみせる。
とか、そんな調子で延々と続くんだから。
これが実は“ワタシを豚の丸焼き一年分と交換に古式伝統協会へ差し出す。
副特典として百頭宮のスタッフ20人を温泉旅行へご招待”みたいな交渉だって可能性もある。
話し合いは4時間くらい続いた。
途中からワタシは話についてくのをほとんど諦めてたけど、自分に関することだってのは確かだったから、いちおう聞き流したりはしなかった。おかげですごく疲れた。
最後にようやくヘゲちゃんが「同意しない」。シャガリが「同意しないことに同意した」と言って終わった。
ヘゲちゃんを代理にしたせいか、こんどはワタシは何も言わなくて済んだ。
同意しない。同意しないことに同意した。
で、ワタシはどう言えばよかったんだろう。
「オラノーレが同意しないこと、ならびにシャガリがオラノーレが同意しないことに同意したことについて同意した」とか?
“当来訪”は三人が第8応接室を出るまで続くってことだったから、ワタシたちはそろって部屋を出た。
シャガリが見覚えのあるここのスタッフに案内されて帰っていくと、ヘゲちゃんは伸びをして首をグルグル回した。
「疲れた……」
「結局、どういう話だったの?」
「あなたを協会に入れませんか? って誘われたから断った。それだけ」
ヘゲちゃんはワタシが話をさっぱり理解していなかったことについて、何も言わなかった。
「でも、もっとあれこれ話してなかった?」
考え込むヘゲちゃん。
「あなた、私と同じことをベルトラが言っても、そう質問した?」
「ううん」
われながらいい笑顔で即答すると、ヘゲちゃんは眉間にシワを寄せた。
「ベルトラさんほど信用されてなくて悲しい?」
「ベルトラほど信用されてなくて面倒くさい」
諦めたようにため息をつく。
「アシェト様からなるべく不安にさせないよう言われてるしね。補足してあげる。
向こうは協会に入ることのメリットや、協会員の果たすべき義務についても説明した。
私からはあなたが長らく大秘境帯に居て今の悪魔社会にはまだ慣れてないこと。だから協会に入ることが自分に対して持つ意味や価値をまだ判断できないことを伝えた。
それで返答を先延ばしにさせて欲しいと交渉したの。最終的には向こうもそれに同意した。わかった?」
ワタシはうなずく。
「30秒で終わる話が協会相手だと3時間を超えるんだから。バカバカしいったらない。それじゃ他は一般常識レベルだから、何かあるならベルトラに聞いて」
ヘゲちゃんは持っていたぶ厚い大きな本2冊を渡してくる。シャガリが置いてったやつだ。
「片方が入会案内。もう片方が入会申込書」
そう言い残して姿を消した。
次回、方法5-1︰姐さん、事件です!(涙は武器になりません)