7 聖ムキムキウス
『何ですか、今のは?』
未だアナは呆然としていた。
無理もないか。
「筋肉教団よ。錬筋術秘典と呼ばれる本が教典で、健全な魂は健全な裸体に宿るというのが教義らしいわ」
『筋肉教団?』
目を白黒させるアナに言ってやる。
「ええ、しばらくすれば、あの騎士見習も立派な信徒に変わっているでしょうね」
おぞましいことにな。
『それは洗脳と言うのでは……』
うん、宗教って恐ろしいよな。
宗教は麻薬よりもたちが悪い。
しかし騎士見習いには、始末されないだけマシと思ってもらおう。
燃えないゴミと一緒に出しておくわけにもいかんし。
俺も、まだまだ甘いなぁ。
聖堂の奥には筋肉ムキムキの兄貴な像があった。
「これが筋肉教団が崇める守護聖人、ムキムキウスよ」
『そんな守護聖人知りませんよ!』
「マイナーな存在だからね」
俺は肩をすくめると、像に触れた。
とたんに反転する世界。
「なっ、これはあの遺跡と同じ……」
アナの驚きの声が聞こえる。
チュートリアルガチャを回した巨石群と同じ仕組みで現実とは違う時間軸に引き込まれた訳だが、この空間は現世と重なり合って存在する世界、アストラル界、意識の領域に近い物なのだろう。
アストラル体になっていたアナが実体として感じられ、念話越しだった声が肉声として認識される。
一方で、イリィはこの世界に取り込まれることを回避していた。
おそらく、この仕掛けは、妖精の輪と呼ばれるものと同様なものなのだ。
あれも違う時間軸に引き込む働きをするもの。
三日三晩を常若国、妖精の国で過ごしたら現世では二百年が経っており、自分の王国も消滅していたという神話の王ヘルラが有名か。
だから妖精であるイリィはこの仕掛けを避けることができるのだった。
「こういった古代の遺跡には術式を保有する機能があるの。そして何らかの条件がそろった時にそれが起動する」
「条件?」
「探求者、つまりはファミリアを得ることのできる古代上位種の血を引く者が触れることね。そうすることによって古代の洗礼装置が起動する」
「洗礼? でもブリュンヒルデ、あなたは既に……」
「王子の宣言具象化で身分と一緒に洗礼名まで綺麗に吹き飛ばされてしまったから」
「……愚息が済みません」
アナは申し訳なさそうに謝る。
そうしている内に、神代文字が眼前に浮かび上がってきた。
「汝らの時は数えられたし……」
アナがそれを読み上げようとするが、
「【否】、【否】、【否】……」
俺はメッセージを猛烈な勢いでスキップさせ設問に答えていく。
「また繰り返す気ですか!?」
アナは悲鳴交じりに叫ぶが、
「【はい】」
と設問に答えつつ首を振るという器用なことをして彼女の問いかけに答える。
「いや、ここのメッセージって特定の問いかけ以外は全否定でオッケーだから飛ばし読みしてるだけ。今回は一度で終わらせるから」
だからさっさとメッセージを終わらせるのだ。
「【否】、【否】、【否】、断じて【否】!」
すると天から光が差し込み、剣と棍棒、聖杯と硬貨が下りて来る。
「剣は王侯貴族、棍棒は農夫、聖杯は聖職者、硬貨は商人の象徴ですね」
アナがその寓意を説明する。
タロットカードの小アルカナと一緒だな。
「どれを手にするかで守護聖人が変わるということでしょう」
そのとおりだが、手に届きそうなのは棍棒しかない。
剣と聖杯は遥かな高みにあるし、硬貨は素早く循環していて掴むのは困難だ。
しかし、
「これでよし」
俺はあっさりと棍棒を手にしていた。
光が降り注ぎ、守護聖人からの祝福が与えられた。
「それでいいんですか!」
アナが叫ぶ。
「農夫の守護聖人の加護。戦闘に向かないと思いますが」
「そう思った? 残念、私の守護聖人は、聖ムキムキウス様でしたー」
だから俺の洗礼名はムキムキウス・ブリュンヒルデになるわけ。
「はい!? 何をどうすればそんなものに……」
うん、この世界を元にしていると思われるスマホのソシャゲ【ゴチック・エクスプローラー】でもこの現象は問題となって、バグだって説が流れたけど。
「でも一説によると、聖ムキムキウスの正体は聖ゲオルギオスだって言うわ」
「聖ゲオルギオス? ドラゴン殺しの?」
「そう、【ゲオルギオス】の語義は【大地(geo)で働く(erg)人】、即ち【農夫】を意味するって言うから」
聖ムキムキウスの加護は、本人とそのファミリアの耐久力成長促進。
それもすべての守護聖人の加護の中でも最高のものだ。
聖ゲオルギオスは某ゲームでも高耐久な壁役、タンクな兄貴だったからな。
特性が一致している。
「ともかく、ここでの用事は済んだし、ひとまず休みましょう」
今日は色々あり過ぎたからなぁ。
とりあえずは、宿を取ってゆっくりしたい。
平民用の宿の中でも割と上等なものを取って休むことにする。
共同のサウナだが、風呂があることが決め手だ。
やっぱり日本出身者としては風呂が欠かせないからな。
早めにチェックインして個室でアナとイリィと向かい合う。
「それじゃあイリィ、今日拾ったものを出してくれる?」
「ん」
イリィの赤い帽子に描かれた顔の口からテーブルの上にアイテムやコインが吐き出される。
どう考えても帽子に入らない大きさのものもあるが、彼女の帽子はマジック・アイテム。
何らかの作用で空間をいじってあるのだろう。
それらイリィが拾ってきたアイテムから、武器になりそうなものを物色する。
「ミートハンマーかぁ」
木でできた肉叩きハンマーを手に取ってみる。
打撃面には滑り止めのようなギザギザが刻まれていて、これで叩くことで肉を柔らかくする調理器具。
日本と違って硬い赤身の肉をもりもり食べる西洋風のこの世界では料理に不可欠な道具だった。
しかし、
「あんまりしっくりと来ないわね」
俺はレンジャーとしての教育を受けてきたことから、いくら軽いとはいえハンマー系の武器には抵抗があった。
「となると、使えるのはこのすりこぎだけね」
すり減らないようとても硬い木で作られているから、警棒として使っても強度は十分だろう。
俺はミートハンマーの柄に通されていた革ひもを外すと、すりこぎの方に付け替えた。
これを手首に通して握ることで、すっぽ抜けが防止できるのだ。
一方、
「アナは?」
「私は買って頂いたフレイルがあれば戦えます」
防具は初級天使のローブがあるしな。
「ただ……」
アナはそう言ってから表情を曇らせる。
「最下級まで位階が落ちているので攻撃魔術も治癒魔術も今は使うことができませんが」
うん、それは分かっていたから大丈夫。
「イリィは?」
イリィは赤帽子を目深にかぶり直して見せる。
これはマジック・アイテムで、敵の返り血を浴びれば浴びるほど強化されていくものだ。
まぁ、レベル1ではほとんど防御力は無いが。
後は最初から着ている妖精服(初級)だが、これも通常の服より若干防御力が高い程度のものだった。
「あと魔術が使える。魔力矢」
それを聞いたアナは難しい顔をした。
「それでは彼女を戦力に数えるのは難しいですね」
一般に魔力で造ったダーツを直射するだけの魔力矢はダメージが軽く誘導も無い役立たずと言われており、学ぶ者も実戦で使用する者もまず居ない。
しかし、
「そうでもないわよ」
俺はイリィに魔力矢の効果的な使い方についてレクチャーした。