15 チーズフォンデュ
アナたちと話し合いながら鍛冶屋にたどり着く。
ふむ、
「いい仕事をしているわよね」
俺はハンマーが鉄を叩く音を聞きながら、軒先に並べられた刃物を見る。
「こんなザラザラした真っ黒なものがですか?」
アナは懐疑的な様子だ。
「鍛え肌を磨かずにそのままにしているだけで実用的だと思うけど。これだと錆びづらいし」
貴族向けの剣なんかは刃を白磨きに仕上げてあるから、それを見慣れているアナには不恰好に見えるみたいだ。
ハンマーで叩いた跡、槌目のデコボコが残っているしな。
「見栄えはともかく私たちが使う武器には向いているわよね。艶消しブラックの表面は低視認性カラーリングとしても機能するから、隠密行動にも向くし」
俺は肉切り包丁、ブッチャー・ナイフを購入することにする。
その名のとおり、肉を切る為のカーブの効いた大振りの刃を持つ包丁だ。
ここで手に入るしっかりとした鞘付きのそれは、どちらかと言うとハンティング・ナイフの原型であるボウイ・ナイフに近い形をしていた。
西部開拓時代に武器と作業用の道具を兼ねて盛んに使われたボウイ・ナイフは元々、ブッチャー・ナイフを原型としていたっていうしな。
「大きい……」
イリィが普段は眠たげに半眼に閉じられている瞳を丸く見開く。
包丁とはいえ、刃渡り三十センチ以上はある業物だからな。
武器として使うにもおあつらえ向きってやつだ、
「肉を捌くためのものだからね。長い刃で一息に切るのが、美味しい肉料理を作る秘訣よ」
切りきれずにノコギリのように何度も刃を往復させているようだと、肉の細胞を潰し、肉汁を逃してしまうのだ。
「今までのクッキング・ナイフに比べれば攻撃力はかなり上がるし、この武器固有の攻撃スキルも使えるようになるわ」
俺はブッチャー・ナイフを手に取って、握り心地、そして重心のバランスを確かめた。
ヒッコリーの木で作られたグリップは吸い付くように手に馴染み、適度な重みが感じられる。
「いい感じね」
「分かるのですか?」
アナが不思議そうに俺を見る。
仮にも元貴族の令嬢に武器の良し悪しが分かるのか疑問だったのだろう。
「私にレンジャーとしての教育を施してくれた先生が腕利きだったからね」
かつては軍で働いていた人物だ。
それも、不正規活動を含む、綺麗ごとでは済まされない影働きを果たしてきたという。
ただ命令に従い、黙々と任務を果たす。
それが彼の日常だった。
だが、彼は軍を離れた。
優れた戦闘能力、斥候や破壊工作の為の隠密技術。
かつては国の為に学んだそれらの技を、今は自分が生き抜くために使っているのだと言っていた。
彼は国に忠誠を誓うより、自分に忠実に生きることを選んだのだ。
そして、彼はその技術を俺に教え込んでくれた。
武器の目利きなど、その最たるものだ。
曰く、
「武器を選ばず目的を達成する技術が必要だが、選べる状況にあるのなら最良を選び取る眼もまた必要だそうよ」
ブッチャー・ナイフは長めの刃を持つため、重心はやや先端寄りにあった。
刃先の欠けや傷、変色なども確認するが見当たらない。
牛革で作られた鞘に抜き差しして、納まり具合も見ておく。
鞘の革が適度な硬さを保っていることをチェック。
これがヤワだと刃先が突き破ったりして危険なのだ。
うむ、問題ない。
お値段はお買い得、銀貨八十枚だった。
俺は、背は低いが骨太で肩幅の広いがっしりとした身体を持つヒゲ面の岩妖精の鍛冶師に金を渡してやる。
岩を刻んだような顔は炉の炎に焼けて皺深い。
昔この地方に住んでいたという鉱山岩妖精の子孫だろうか。
この場合のマイナーは鉱山労働者を意味するのであって、メジャーでは無い、という意味ではない。
英語の綴りが違う。
シャレでメジャー・ドワーフという上位種族を一緒に登場させるゲームがあるので誤解されることがあるがな。
俺は鞘上部のベルトループに旅行者の帯を通し、左腰に吊る。
長めの刃物は利き手と反対側に吊った方が抜きやすいからだ。
俺は試しに抜いたり戻したりして具合を確かめる。
「新しい玩具を与えられた子供のようですね」
とは、アナ。
そりゃ、あんまりだ。
「これで私も有効な攻撃ができるようになるわ。殲滅速度が更に上がるはずよ」
今までが酷過ぎたとも言えるが。
何分、【無課金ユーザー】だからなぁ。
資金が潤沢な王侯貴族、【重課金ユーザー】のようには行かない。
「まぁ、イリィの魔力の回復の為にも今日はもうこの村で休んで、トレーニング用ダンジョンに向かうのは明日にしましょう」
そういうことにした。
「うわ、美味しそう」
宿で夕食にと出されたのはチーズフォンデュだった。
テーブルの上には、陶器のフォンデュ鍋があった。
小さなアルコールランプで熱せられており、白ワインが満たされている。
そこにチーズを入れてやると、一分もしない内に溶けてくる。
とろっとろの状態になったらバゲット…… 要はフランスパンをカットしたものやハムなどを浸し、自分たちでつけて食べるのだ。
「とろけたチーズが絶品ですね」
アナは口元を緩めて絶賛している。
チーズを伸ばすのに使った白ワインのアルコールが効いているのか、朱に染まった頬が艶っぽい。
「……凄く嫌いじゃない」
イリィも気に入ってくれた様子で何よりだ。
自分で付けて食べるというのが面白いらしい。
食育ってやつだろうか、いい経験になりそうだ。
俺も食べてみるが、一口齧っただけでチーズ特有の匂いが鼻に抜けるようで最高に旨い。
ガキの頃、アニメでハイジが食べるとろけたチーズが美味そうでたまらなかったが、実際こうして食べてみると本当に美味だった。
しかし、
「ダンジョンじゃチーズは食べられないんだから、ここで満足するまで食べておかないとね」
そう言ってやると、アナは不思議そうに俺の顔を見た。
「別に持って行けば良いのでは? チーズは保存も効くことですし」
そう言うが、甘い。
その考えは甘すぎる。
「なら、どうして勇者学園の用意した携帯食にチーズが入っていないと思うの? ダンジョン入り口の避難小屋の備蓄食料にもチーズは無かったでしょう」
「言われてみれば……」
アナはそう言ってこれまでの食事を思い出すように首を傾げる。
第二次世界大戦時のアメリカ軍の糧秣、Kレーションにはプロセスチーズが入っていたらしいが、それは缶詰だった。
何故か。
「チーズは素晴らしい香りを持つんだけど、それが強すぎるのね。いつの間にか包みから染み出し、そこいら中の物をチーズくさくしてしまうのよ。香草茶を飲もうとも、スープを口にしようとも、取って置きの甘いジャムを食べる時ですらチーズの匂いがして」
想像したのだろう、アナもイリィも非常に嫌そうな顔をする。
「食べ物だけじゃないわ。バッグに染み込み、服に染み込み、髪や身体にまで染み込む。こうなったら一日中、どこに行こうともチーズの匂いからは逃れられないの。頬を撫でる風すらチーズの匂い」
「水浴びでもしないと駄目でしょうね」
「ところがどっこい、水浴びをした後に身体を拭く布にすら染み込んでいて、元のもくあみ……」
この恐ろしさを当時のアメリカ人は知っていたのだ。
だから彼らはチーズを注意深く缶詰の中に封印したのだった。
逆に言えば、そうしてまで戦場にチーズを持って行きたがったってことでもあるがな。
チーズ万歳だ。




