10 以前は貧弱な男の見本だった
ぶるぶると震えながら怯えるイリィに、しかしキティガイは一転して優しくささやいた。
「だが、かく言う私も以前は貧弱な男の見本だった」
意外な男の告白に、イリィは思わず相手を見る。
そこに男は人気男性声優のような、妙にいい声で語り出す。
「ますます自信を無くしていたある日、旧友のトールに出会った。私と同じような身体であったはずの彼が……」
溜めを作って注意を惹く。
イリィは引き込まれた様子でごくりと喉を鳴らした。
「彼はすっかりたくましい男になっていた」
おお、と驚くイリィ。
妖精は精神が純粋だからなぁ。
「筋肉教団に入信したおかげだと聞き、私もさっそく筋肉教団の十四日間無料入信体験を申し込んだ」
さぁ、話が怪しくなってきたぞ。
そして男は、筋肉を鍛えるポーズを取りながら語る。
「まっ、たく」
力強い腿をつくる運動。
「簡」
男らしい腕をつくる運動。
「単だ」
たくましい胸をつくる運動。
「効果はすぐに現れた。今では誰もが私をたくましい男性と認めてくれる」
きらりと輝く白い歯。
そして、キティガイは一冊の本をイリィに差し出した。
「月刊筋肉の友?」
その裏表紙には筋肉教団の入信案内の広告が刷られていた。
「さぁ今すぐ君も、筋肉教団の十四日間無料入信体験に申し込みを……」
いかん、このままじゃあイリィが筋肉教団に入信して洗脳されてしまう。
「ちょっと待ちなさい」
俺は強引にキティガイとイリィの間に割り込んだ。
「君は?」
そう問うキティガイにこう答える。
「私はムキムキウス・ブリュンヒルデ。この子は私のファミリアですわ」
「な……」
驚きに大げさにのけ反って見せるキティガイ。
「なんと奇遇な!」
やめろ、それはマジでやばい!
「我らが守護聖人、聖ムキムキウス様の洗礼を受けた同志だったとは」
キティガイは大げさにうなずいて見せた。
そうして手にした本、月刊筋肉の友を差し出す。
「それならば、お近づきの印にこれは貴女にお渡ししよう」
要らないとも言えず、仕方なしに受け取るとキティガイは身をひるがえした。
「それでは、アデュー!」
こうして嵐のように現れた男は嵐のように去って行ったのだった。
「……まぁ、王都に戻れば好事家に売れるでしょ」
俺は月刊筋肉の友を取ろうとぴょんぴょん跳ねているイリィからそれを守り抜くと、ため息をついた。
ふもとの村の鍛冶屋は村外れの里山の近くに鍛冶場を設けていた。
鋼を鍛える槌の音が響くのが聞こえてくる。
「手持ちのお金で買えるのは、包丁辺りかしらね」
デザインは全体的に丸みを帯びていて刃先以外に尖った部分が無い。
これは使い勝手の面で大事なことで、服に引っかかったりせずスムーズに扱える上、肌を傷付けることが無いため優れている。
握りには山間部にあるこの村らしくスタッグ、鹿の角が使われている。
鹿の角は毎年生え変わるので春先に生息している山に行けば拾えるものだ。
堅牢で耐久性、耐水性共に高くハンドル材に向いている。
意外な所では冷えにも強いという特性も持っていて下手な材料では割れてしまうような極寒の地でも大丈夫な素材だった。
「鞘の造りも良さそうだし」
俺は付属する革製の鞘がきちんとしたものであることを確かめ、うなずく。
「鞘がそんなに重要ですか?」
アナが疑問を挟むが、
「足場が不安定な屋外で転んだり足を滑らせたりした場合、刃先が鞘を突き破ったらどうなると思う?」
「うっ……」
アナにも分かったようだな。
「そんなことが起これば大怪我をするわ。だからナイフは安全に携行できる鞘無しには使えないの」
地球でも、落馬の危険があるカウボーイは安全な折り畳みナイフに切り替えてしまっているって話だったしな。
後は、タッチアップ、応急的に切れ味を回復させるのに使う小型の砥石を一つ。
「よし、それじゃあ、トレーニング用ダンジョンに出かけましょうか」
「はい? 今、この状態でですか?」
アナはぽかんとした顔で言う。
「トレーニング用ダンジョンは勇者学園の実習で使う設備ですが、生徒たちが行く前には適度にモンスターの間引きが行われ難易度調整が行われるのですよ」
アナが説明してくれる。
「そして今現在はその調整がされる前。これがどういう意味かは分かりますよね」
うん、その辺も分かってる。
「だから、その難易度調整役を引き受けることにしたの。現れるモンスターに対しては策があるから大丈夫よ」
若干難易度は高くなるけど、その分実入りもいいだろうしな。
旅立ちの朝はやはり晴れがいい。
そして空気は少し肌寒いくらいがちょうどいい。
風に向かって顔を上げれば青空がある。
その下には緑がうねる山並みが見えた。
山の新鮮な空気が吸いたくて逸る心と胸の高鳴りを意識して抑える。
脈拍はミドルに。
クールになると同時にすっと身体から余計なもの、それは雑念だったり無駄な力みだったり将来への不安だったりするが、そういったものが抜けて行く気がする。
「モンスターが近くに居るようね。これはデブネズミ、ファットラット? 四匹程度かしら」
俺は、獣道に残された足跡から類推する。
「よく分かりますね」
アナが感心したようにこちらを見るが、
「簡単よ。足跡の形を見れば、モンスターの種類と体格が大体分かるわ。それに、足跡がしっかり残っていればそれが新しい、つまり最近モンスターがここを通った証拠になるわ」
それだけじゃない。
「足跡の間隔が広ければ走っていることになるし、一番しっかりとした足跡を基準に、その周辺に残っている足跡を数えれば群れの大体の数が分かる」
これはモンスターでも人でも一緒だ。
「足跡の他にも、破れたクモの巣やひっくり返ったりかき乱された落ち葉、それに踏み分けられた草や折られた木の枝からは敵の移動方向と枯れて茶色に変色していく度合いからいつごろ通ったのかが分かるわ」
これらの痕跡からすると、モンスターとの遭遇も近いだろう。
警戒しておくに越したことは無い。
「魔力矢!」
トレーニング用ダンジョンへと至る道を辿ると、デブネズミ、ファット・ラットの群れに襲われた。
過負荷詠唱で放たれるイリィの魔力矢でも、ぎりぎり一撃で倒せるかどうかといったところか。
今の俺たちには手強い相手だが、歯ごたえがあるぐらいがちょうどいい。
抵抗できない相手を弄る趣味は無いし、何よりザコに興味は無いからな。
そこに殺気。
「はっ!」
俺は飛びかかってきたファット・ラットを、包丁で薙ぐ。
手ごたえはあったが浅い?
「アナ!」
「はい!」
そしてアナがフレイルを振るい、止めを刺す。
ナイス、フォロー!
「二人掛かりでないと倒せないなんて」
アナは形の良い桜色の唇を噛むが、美容に悪いから止めなさい。
「二人掛かりでも倒せるから問題は無いわ」
そう言って戦い続ける。
「うぐっ!」
俺たちの足元をかいくぐったファット・ラットがイリィに襲い掛かる。
「ごめん、今助けるわ!」
こうしてやや混戦になり体力をすり減らしつつも何とか勝った俺たちだった。




