4 赤眼の龍姫
そして場面は冒頭へと戻る。ジンは目の前に立つ小柄な女性とその横に控える体格のいい侍女をゆっくりと眺めていた。
肌の一切を覆い隠したその衣装は飾り気もなく粗末な物であったがそれでもその佇まいから自ずと高い教育を受けた人物であることが分かる。
そしてジンは一つため息つきながら女性に対して問いかけた。
「俺は素顔も見せないような人間を相手に何も話す気はない。
貴女の父親が誰か知らないがまずは自分の名前を名乗ってもらいたい」
それがレースに身を包んだ女性に対するジンの最初の言葉だった。その敵意に満ちた言い方に背後に控えていたヘサームが身を乗り出す。
「貴様!」
「やめなさい、ヘサーム!!」
ジンの言葉に怒りを露わにするヘサームをたった一言で女性は制す。そしてそのまま自らの顔全てを覆うレースに手をかける。
「これは失礼いたしました。我が国では女は人前で肌を晒すことはないのです。ですがそれは此方の事情でしたね。
私の名はアイシャ。どうかこの度の無礼な行いお許しください」
レースを完全に外しそこにあったのは褐色の肌を持つ美しい女性だった。年齢は20代半ばといった所であろうか。
しかしゆっくりと頭を下げ謝意を示すそのしぐさには年に見合わぬ洗礼さがあった。そしてその大きな二つの瞳宿るのは夕暮れに沈む太陽のような温かくも鮮明な赤い光。
「……サディ?」
「え?」
ジンの思わずこぼした言葉にアイシャは困惑の表情を浮かべる。それはこの国の言葉で〝幸福″を示す言葉。だがなぜジンがそう自らを呼んだのか分からなかった。
「いえ、申し訳ありません。私たちの仲間に貴方にそっくりな女性がいたので…
ですが貴方の瞳を見て確信しました。やはりあなたはこの国の王家の血を引くお方だ」
一瞬動揺したようなしぐさを見せたジンであったが、一呼吸を置くと先ほどまでの荒っぽい言い方ではなく敬意を持った話し方を持ってアイシャへと尋ねる。
なぜならばジンは知っていから。その赤い瞳はこの国の王家が脈々と受け継いできた支配者の証という事を。
「お気づきでしたが。確かに私はザカール国第一王女でありますが今は見てのとおり流浪の身。ただのなんの力もない女にすぎません」
アイシャはジンが自らの素性を言い当てた事に少し驚きながら、それでも平静を保ち続け質問に答える。
その表情には緊張が見て取れるものの、その瞳はジンの顔をしっかりと見据えぶれることはない。そこには確固たる覚悟があった。
「いえ、あなたは紛れもなく王の気質のあるお方ですよ。知らなかったとはいえ先ほどまでの無礼心よりお詫びします。では姫様は国盗りがお望みなのですか?」
ジンはこれまでの非礼を詫びそして先ほどの言葉の真意を聞く。
王家の姫君の願いが兄を殺すという事はつまり王権の略奪に他ならない。それが親の遺言とはなんとも物騒な話である。
「はい。その手助けをあなたにはしていただきたいと思っています」
「それがわかりません。貴女の兄、マジ―ドには会いましたが奴の目は茶色でした。王家の目の色は吟遊詩人達からの情報で聞いていたのでずっと不審には思っていたのですが。
ではマジ―ドは偽りの王ということですか?」
それはジンがあの王都を訪れていて最も違和感のあった出来事であった。
ザカールは最も古くからある国の一つであり歴代に渡って王家はその瞳の色を引き継いできたと聞いていた。もしそれが変わったのならばそういった噂は届いているはずなのだが。
「王家の者全てがこの目を受け継ぐわけではないのです。この瞳はより王家の血筋を強く受け継いだ者が持っていると聞いています。
ですから兄は紛れもなく王家の人間ではあります」
「なら貴女の方が王位を継ぐのが普通でしょう?
なぜ貴女ではなく兄が継ぐのです?失礼を承知で言うがあなたに比べマジ―ドとやらがあなたを差し置くほど王に相応しいとは言えない様に思えたが」
確かに男系の嫡子が世継ぎとなる事はあり得るだろうが、その赤い瞳はザカールの神獣龍神ティアンマトと同じ光を持ちそれ故に王家は正当なるこの国の国主として成り立ったと聞いていた。
それを差し置いてまでマシードが王位に就く理由が分からない。
「当然だ。あんな俗物などが王であるものか。本来の王位は龍神の化身であるアイシャ様以外にはあり得ない。あの狡猾な爺さえいなければな」
後ろに立っていたカウィーが苛立たしげにそう吐き捨てる。それを困ったように見ながらアイシャが続ける。
「私は龍神の化身などという大層な人間ではありませんよ。
この目の光は確かに私と代々の御先祖様達とのつながりを示す物ですがそれ以上ではありません。
こうして皆の力を借りねば生きていくことも出来ないただの人間です」
唯の事実を述べるように言ってのけたアイシャであったが実際にそう思える人間がどれだけいるだろうか。
自分が特別だと感じた時、人は傲慢になりやすい。それが生まれた時から人にあがめられる存在であったのならばなおさらの事であろう。
だが目の前の姫様からはそういった振る舞いは一切感じられない。それはきっとこの人が持つ天性の気質と周囲の人々からの愛情によるものなのだろう。
それは天涯孤独とも言えるジンにとってはとても眩しいものに思えた。
「話を戻しましょう。お恥ずかしい話なのですが現在この国の権力は王家以外の人間に掌握されているのです。
その中心となっているのは宰相ハーキム。我が国に革新的な技術をもたらした人物の末裔で彼自身も優秀な技術者であり水路の完成を十年早めたと言われています。
彼らの一族は長年王家に献身的に仕え内政においても多大な影響力を持っていました。ですがわが父が危篤になったのをきっかけにその本性を現しました。
彼らの一族は長い時間をかけ他の重臣や有力者に取り入り、わが父の危篤を利用し我が兄に王位継承を図ったのです。
父の容態は急激に悪化し、その治療を理由に我らとの面会は絶たれました。そのまま父は帰らぬ人となり王位は兄の物となったのです」
アイシャの説明を聞くと納得した様にジンはうなずく。
「大体の事情は分かりました。
なるほど、あの黒髪の爺さんか。確かに抜け目のないような感じはしたがそこまでのやり手とはな。
話を聞くと王宮内の人間もほとんどハーキムとやらの手がかかっているんだろう。案外王家の権威も効かないものだな」
おどけた様に言うジンに我慢が出来なくなったように背後の三人は武器を手に取る。
「いい加減にしろよ。黙っていれば好き放題いいやがって」
ターヘルの怒りを込めた声にもジンは動じる事もなく三人の方を振り向きもしない。
「落ち着けよ。この程度で反応していたら相手の思うつぼだぞ。
どうやら相手はかなりのやり手のようだからな。
それより先代の王と最期にやり取りが出来なかったのでしょう?ならなんで遺言なんてものがあるのです?」
「父は自らの危機を感じ取っていました。結局最期までその正体を掴めずにいましたが。
その為もし自分に何かがあった時の為の事を私に伝えていたのです。
自分が死んだ時にはカディアルに従いこの場所へ逃げるようにと。そして父の死後信頼の出来る友だけを連れてこの場所まで避難してきたのです。
父の遺言はこの秘密の洞穴の中にあった金庫の中に厳重に管理されていました。そして遺言にあったのは吟遊詩人を頼る事。そして彼らは獣魔を操れるので接触の際には十分に注意することが書いてありました」
その言葉にジンはアイシャの言葉を制して語彙を強める。
「そうですか。ですがその事は軽はずみに口にしないでいただきたい。それこそが我ら吟遊詩人がこの世界で生きていく唯一のよりどころなのですから」
その幼く見える姿とは裏腹にジンの言葉にはまるで先王のような威圧感があり、それ故にアイシャは息を飲みゆっくりと頷く。その姿に安心したかのようにジンはその威圧感を解きいつもの気軽な話し方に戻しながら話を続ける。
「だが先王は敵の正体を掴めなかったのでしょう?
ならなぜハーキムとやらが黒幕とわかったのです?」
アイシャは一瞬躊躇するような顔を見せながらも、ジンの目を見つめなおしその先を語り始めた。
「父の死後、ハーキムはその強権を隠すことがなくなりました。多くの若者が国王の名の下で強制労働に駆られています。
その内容はわかっていないのですが、その強制労働から帰って来た者はいません。皮肉なことにハーキムの一族によってもたらされた水路や農業技術によりギリギリ食料は確保できてはいますがこのままではいつまで持つか…
そして彼らは自らに逆らう者は容赦なく処刑を行っています。防衛隊長であるサナクト殿がギリギリの所で抑えとなっているようですがそれでも彼一人ではハーキムを抑えきることは出来ないでしょう。
彼の御仁は根っからの武人ですので政ではハーキムに太刀打ちできないでしょうから」
それであれほどの都市でありながら民に活気がなかった訳か。だが新たに疑問が浮かぶ。
「しかしあなたの兄は一体何をしているのです?
それほど家臣に好き放題されて何も文句を言わないのですか?」
「兄の母親である現上后はハーキムの一族の家系です。
兄にとってハーキムは叔父にあたりますし彼が王位についたのはハーキムの力による所が大きいようですのでその言には従うでしょう」
ジンはアイシャの話を最後まで聞くと深いため息をつく。
「聞けば聞くほど絶望的だな。
言っておくが俺は大したことは出来ませんよ。
さっきあなたが言ったことは正確ではない。俺達に出来るのは獣魔を呼ぶこと、そして獣魔を遠ざけること。それだけです」
それこそが吟遊詩人が世界を旅することの出来る理由だった。吟遊楽団が奏でる音楽それこそが獣魔からその身を守る鍵である事。それはこの世界でごく一部の人間しか知らない事実であった。
なぜならそれはこの世界の理を根本的に変えてしまいうる事であったから。しかしそれはその事実を知っているという事が、アイシャがザカール王家の正統な後継者である事を示すなによりの証拠であった。
「それだけで十分です。
これが筋違いなお願いであることはわかっています。
それでもどうか我が民を守る為に協力して頂きたいのです」
瞳に涙を浮かべながら必死に訴えるアイシャにジンは困ったような顔をしながらその視線を逸らす。
本来ならば吟遊詩人が国政に関与することはない。だが何事にも例外は存在するもので吟遊詩人の秘密を正当な理由で知る者に対しては力を貸すという事もまた彼らの掟であった。
「わかりました。出来る限りの事はしましょう。
それから俺の名前はジンと呼んでください。堅苦しく呼ばれるのは趣味じゃないんでね。
あとはこの腕の縄を外してもらえると助かるのだけど」
ジンの言葉で初めて腕を縛られていることに気付いたアイシャはジンから同意を得た事に安堵するよりも先にジンを未だ拘束していたことに驚き背後の男達を叱りつける。その様をしてやったりとジンは笑いながら見守るのだった。
4章で違和感のあった部分を少し変更しています。ですが話の大筋に変更はありませんので読み返さなくても支障はないと思います。




