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ジンの吟遊旅行記   作者: くーじゃん
第三章 銀狼の若姫
44/69

21 『銀狼の若姫』

 カゾーラ村ではその夜騒ぎが起こった。


 狼の凍えるような遠吠えがゴート山脈一帯に鳴り響いたのだから。

 

 その只ならぬ異変に何事かと外に飛び出したデレクが見つけたのは地面に放り投げられたラビーラの丸焼きだった。その瞬間デレクはどうしようもない胸騒ぎを覚える。デレクは友人たちに声も掛けずに家へと帰った。だがそこにリコの姿はない。そのまま碌な装備もしないまま森へと走り出す。

 

 家の外は雪が積もり歩くのもままならないがそれでもデレクは森を目指した。だがかつてリコと出会った場所に近づくにつれデレクの胸騒ぎは一層激しくなる。


「リコ! リコ―!!」


 森に響き渡るように大声を出しながらデレクは森を這いずり回った。どれだけ森を歩き回ったのだろうか? 声は枯れ、体は鉛の様に重い。それでも遂にデレクはあの洞穴の前にたどり着く。だがそこにいたのは開けた場所で何かを包むように横たわるグレーウルフの姿だった。


 デレクの姿を見ると全身の毛を逆立て威嚇するグレーウルフであったがその場所から動くことはない。そしてその姿にデレクは見覚えがあった。


「フレキ?それともゲリか?


 なぁリコがこの場所に来なかったか?


 頼む、教えてくれ」


 デレクが話しかけるとそのグレーウルフは殺意をむき出しにして起き上がる。低く弱い唸り声をあげながら見せる鋭い牙は容易にデレクを殺してしまうだろう。だがその姿を見てもデレクは立ち止まらない。

 

「なぁ頼むよ。


 リコがどこにもいないんだ。


 きっと洞穴で剥れてるんだろう?


 謝りに来たんだ。俺が悪かったって。


 だからリコに会わせてくれよ」


 デレクはそう目の前のグレーウルフに話しかけ続ける。目線はグレーウルフに向けていたが意識はさきほどまでグレーウルフが抱いていた人ほどの大きさの何かに奪われていた。だがその姿をまともに見るのは目の前のグレーウルフ以上に怖くて見ることが出来なかった。


 そして遂にデレクはグレーウルフの吐息がかかるほどの距離にまで歩み寄った。目の前に立ちふさがるグレーウルフはそのままデレクとにらみ合い動くことはなかったが、一度だけ視線を離すとその場所を去っていった。そして残されたのはデレクと先ほどまでグレーウルフが抱いていた何か。


 デレクはゆっくりとその何かへと視線を落とす。その先にあったのは……


 全身を血の色に染めたリコの姿だった。


「嘘だ。 嘘だと言ってくれ」


 そう言いながらデレクはリコの側へと膝から崩れ落ちた。そして目を閉じたままのリコの顔をのぞき込む。


 その顔には傷一つなくどこか安心しているようにすら見えた。それでも体に塗りたくられた血の量はそれが容易に致死量を超えていることが分かった。


「すまない、リコ


 俺のせいで


 すまない……」


 デレクは声にならない声で詫びながらリコの頭を抱いた。その体には先程まで彼女を包んでいたグレーウルフの温もりが残っているようでまだ温かかった。


 その温もりをまだ失いたくなくてより強くリコを抱いた。そうすれば彼女が戻ってくるそんな気がして。


 だがそれはもう叶う事はない。そう思うと涙があふれだして止まらず、ただ声を枯らして泣いた。雪が降り注ぐ森の中でデレクはどうしようもない絶望の中に一人叩きのめされていた。


 もしちゃんとリコに打ち明けられていたら、こんなことにはならなかったのだろうか?


 リコを心配させたくないなどはただの言い訳だった。リコにこんな弱い自分を見せるのがただ怖かったのだ。そしてそれが負い目となってリコと対等に話せていなかった。いつだって自分が一歩引いていた。でもそれは結局こうやって決定的な亀裂を生んでしまった。


 ただお願いだ。神様彼女を奪わないでくれ。今やっとわかった。命を失うことなど怖くはない。守るべき人、リコを失う事それ以上に怖いことなどないのだと。そしてその願いを天へと轟かせるようにデレクの叫びは森一帯へと鳴り響いた。




 だがその痛いほどの悲鳴はたった一つの言葉で途切れることになる。




「……痛いよ、デレク」


 それは本当に小さな声。それでも確かにその声は何度もすぐそばで聞いたあの声だった。


「リコ!? 今お前が言ったのか?」


「うるさいなぁ。


 あれ?デレクなんでここにいるの?」


 寝ぼけた様にそうつぶやいたリコは不思議そうにデレクの顔を見つめる。


「良かった。リコが生きてた。


 本当に……本当に良かった」


 デレクはもう一度リコを抱きしめながら何度も何度もそう言った。最初は何が起きているのか分からない様子のリコであったが、泣きじゃくりながら謝り続けるデレクを見てリコもまた自然と涙が溢れてきた。



「ごめんなさい。


 私デレク達の話聞いちゃって。


 私どうしていいか分からなくなって、それで」


「もういい。


 リコが無事ならそれで」

 

 二人の言葉はどちらも泣きじゃくる子供の様にぐちゃぐちゃで、それでもお互いの気持ちは伝わっていた。ただこうしてもう一度二人で出会えたことが嬉しかった。


「その者から離れなさいリコ」


 その凍えるような声は二人の頭上からかけられた。


 その声を二人は聴いたことがあるはずだった。それこそリコは幼子の頃からその声を聴いていたのだから。だがその時二人が感じたのは同じ思いだった。


 懐かしさなどではない。それは恐怖。その声を聴いた瞬間身体中に震えが走る。そして二人が見上げた先にあったのは全身に炎を纏い、怒りを隠そうともしない神獣フェンリスの姿だった。


 それはリコですら見たことのない姿。その身で一面を真っ白に染めていた雪は、フェンリスを囲むように燃え盛る炎により一瞬で溶け荒れた地面を露わにする。デレクが持っていたわずかな明り以外すべて暗闇であった周囲はその炎によってフェンリスの美しい銀色の毛並みを浮かびだす。


 それはまさに人知を超えた神獣の姿だった。その姿に二人は言葉を失っていた。だがフェンリスから再び投げかけられた言葉により現実の世界へと意識を呼び戻される。


「デレク、あなたには伝えていたはずだ。


 この子は人とは違う力を持ってしまった子。


 その力を恐れるならば、これが貴方自ら手を引く最後のチャンスだ。


 それでもなおリコ共に生きるというのならばこの子を守って見せよ。そしてこの約束を破った時にはあなたを殺すと。


 だが今あなたはこうしてリコを傷つけ、命の危険にさらし、そして無用な死をもたらした。


 二度目はない。全てを忘れこの場から立ち去りなさい」

 

 その瞳には洞穴でリコとデレクのやり取りを微笑ましげに眺めていた優しさなどはなく、超越者たる神獣の本気の殺意が込められていた。


 その威容の前にリコは動けなかった。初めて目の当たりにするフェンリスの本当の力を前に恐怖を感じていただけではない。リコは自分が意識を失う前の光景を思い出していた。


 ゲリが襲い掛かった時に、リコは自らの死を悟った。だがその牙が突き刺さる前に目に見えない衝撃が目の前をよぎった。その衝撃はリコを吹き飛ばしそして目の前にまであったゲリは……


 鮮血を散らしながらその下半身を失っていた。


リコはあの時には何が起きたか分からなかったが今は理解できた。私を救うためにフェンリスがゲリを殺したのだと。


「……ゲリは苦しんで死んだの?」


「……一撃で体の半分は吹き飛んでいた。苦しまない様にすぐに送ってやったよ」

 

 そう語るフェンリスの表情は見たこともないほどに悲しそうで、それ以上リコは話すことが出来なかった。


 今この場にはもうゲリの死体はない。残っていたのはおびただしい量の血の跡だけ。さっきフェンリスは送ったといった。つまりはあの炎で完全に燃やし尽くしたのだろう。魂が森へと帰れるように。


 フェンリスは今までずっとフレキ、ゲリの二匹とリコの間に垣根を作ることはなかった。どちらも本当の自分の子供のように愛おしんでいたのだ。


 それが分かるからこそリコはどうすることも出来ずただその場所で立ちすくんでいた。


「もうこれ以上私の子供達が傷つくのを見過ごす気はない。今まであなたと同じ道をたどった者を何人も見てきた。幸せになった者もいれば、不幸になった者もいた。だがリコあなたはあまりにも強すぎる。


 リコ、森へと戻りなさい。それがあなたのためなのだろう」


 リコはフェンリスの言葉に導かられるように立ち上がろうとしていた。共にいるだけでデレクを怖がらせてしまうならば私はあの森に帰ろう。あの静かな場所へフェンリスと共に……


 だがその腕は隣にいたデレクに止められ、そしてそのままフェンリスの面前へとデレクは立ちはだかった。まるでリコを守るように。


「行かせない。俺の妻に手をだすな。


 それが神獣だったとしても黙っているわけには行かない」


 かつてのデレクであったのならばその威圧感の前に動くことなどできなかっただろう。だが今ここで二人をただ見ていることは出来なかった。自らの死以上に恐ろしいことがあるという事を知ったから。


「……誰に向かって言っているのかわかっているのですか?


 温情でただ立ち去れと言っているのです。


 それ以上私の前に立つならば覚悟は出来ているのでしょうね?」


 フェンリスは低く怒りを押し殺したようにそう言った。そして身にまとう炎は螺旋を描きながら天へと上るようにさらに燃え上がる。


 その圧倒的な姿を前にしてもそれでもデレクは引かない。


「俺にこんなことを言う資格はないのはわかっている。


 それでも俺はリコと共に居たい。


 もう逃げはしない。もう一度だけチャンスをくれ」


 リコは自分の前でフェンリスに立ち向かうデレクの姿を見つめていた。その後ろ姿にはかつてのフェンリスを見て腰を抜かしていた面影はない。代わりそこにあったのは一人の男として家族を守る父の姿だった。


 そして改めて思う。自分はこの弱くとも力強いこの背中と共に生きたいのだと。


「お願いフェンリス、私はデレクと共に生きたい!」


 リコもまた立ち上がりデレクの手をとる。二人は抱き合いそしてフェンリスの瞳を見つめ返した。


「……それでいいんだね?」


 フェンリスはそう言うと、燃え盛る炎を鎮める。辺りを照らし出していた太陽の様な明りは無くなり代わりに深い暗闇が戻って来た。


「もしこの場所に戻って来たならばその時はリコ、貴方であったとしても容赦なく殺します。それがこの場所を守る私の役目だから」


 残った明りはデレクが持っていた灯篭だけですでにフェンリスは見えない。そしてフェンリスは地面を蹴り上げ生み出したつむじ風を残し、天高くそびえたつゴート山脈の奥深くへと去った。


 デレクとリコは抱きしめあったままその場所をしばらく動けなかった。森には冬の寒さが戻り、炎によって露わになった地面もすぐに白く雪で覆われていく。


「戻ろうか。俺達の村に」


「……うん」


 少しの間抱き合ったまま動かなかった二人はお互いを見つめあうとただそれだけ言葉を交わした。きっとそれだけで二人には十分だった。お互いのすれ違いを埋めるのは。そうして二人は自らの住む世界へと戻っていく。


 銀狼の若姫と呼ばれた少女はその日、本当の意味でその名を捨てた。その足取りは昔の様に自由に駆けることはない。デレクと共に手を取りながら歩く速度はゆっくりで、それでも誰かと共に歩ける事がどれだけ幸せな事なのか分かったから。



 ゴード山脈に遠吠えが鳴り響いて数日後、カゾーラ村には平穏が戻っていた。ただ一つの家を除いては。


「リコ!また散らかしやがって!


 いい加減使ったらすぐ片付けろ!」


「そんなデカい声で言わなくたって聞こえてる!


 全く体と一緒でちっちゃい男だね」


「お前がでかいだけだろうが! 俺は普通だ!」


 村のはずれの村で聞こえてくるのは言い争いの声。それをもはや聞きなれたかのようにスコットは見つめていた。


「おぉおぉ今日もやってんな。全くオシドリ夫婦はどこいったんだか」


「まぁいいんじゃないかい。わたしゃ今の方が自然に見えるよ」


 洗濯物を干しながらアイヤはそう答えた。デレクが家を飛びだし、ボロボロになったリコを森から連れ帰った時は二人が元に戻れるのか心配だった。


 それでも今はむしろ前以上に遠慮がなくなったような気がしている。


「喧嘩するほど仲がいいってこったね。これで二人も本当の夫婦になったんじゃないかい」


「そんなもんかねぇ


 リコはもう狩もしなくなっちまったし本当に普通の夫婦になっちまったな」


 あの日村に帰ってきてからリコは森へと入る事は無くなった。その代わりに今まで以上に畑仕事に精を出すようになった。狩りによって力を見せつけることはなくなり、自分から村の人々と積極的に関わっていくようになった。


 その側では常にデレクがいた。以前の様にすべてデレクがリコの代わりに話す事はない。ただ彼女を見守りそして時にはリコに対して怒りもする。


 最初はその様子に村の人々は驚いていた。リコがもし力を振るえばどうなるかを間近で見ていたのだから。それでも二人は言い争いになるものの決してそれ以上にはならなかった。


 その繰り返しの中で二人は少しづつでもしっかりと村の中で受け入れられていった。特異な存在としてでなく唯の人間の一人として。


 今もまだスコットが見つめるその先で言い争いは続けられる。でもその声はどこか楽しげにも聞こえるようだった。


「それでもまぁ、これでよかったんだろうな』

 

 スコットは嬉しそうにそうつぶやいた。


 そして今日も賑やかな二人の声は森に響き続ける。その二人の声にもう一つ賑やかな泣き声が加わるのは遠く離れた未来ではないのだった。


******************************


『雄大な山々を抱くは最果ての地ゴート


 全てが白銀に染まるその地において

 

 神なる獣に育てられるは


 銀狼の若姫リコ


 気高き少女は強く美しく、そして孤独だった


 だが彼女は出会えた


 彼女と共に歩いてくれる存在に


 その前に立ちはだかるのは強欲の襲撃者


 風を切り全てをなぎ倒す暴虐はあまたの悲しみを生み出した


 されど悲しみの果てについに彼女は暴虐の風を征す


 悲しみは去ることはない


 それでも彼女は生きていく

 

 共に生きると誓った者と共に 』



「……こんな感じでどうよ」 


 ジンは御座の上で楽器を手に取り今出来たばかりの歌を披露する


「全然ダメ。やり直し」

 

 だがカーズはあっさりとそう答えた。


「迷いなしかよ。うーん、んじゃ作り直すかね。


……なぁあの二人うまくいったのかな?」


 ユグドラシル大陸を南下し次の国を目指す道の途中でジンはそうつぶやく。道は相も変わらず荒れているがそれでもまっすぐに平坦な道が続いている分マシと言えた。


「あぁあのフェンリスの娘か。難しいだろうな。あまりに二人の住んできた環境が違い過ぎる。それがすれ違いで済めばいいが、そういったすれ違いはあの国じゃあ命取りになる。お前だってそれはわかっているだろう」


 カーズは荷台を引きながら冷静にそう答えた。


「そうだけどさ……


 それでも俺は信じたいのさ。


 人の繋がりの強さをさ」


 ジンのその声はカーズの言葉を予想していたかのように小さい。それでもやっぱりジンにはあの二人の賑やかなやりとりが続いているように思えるのだ。


 だからもう一度ジンは曲の構想を考え直し始める。かつて出会った森の少女の物語をまだ見ぬ国の人々へ伝える為に。

        


これにて第3章終了です!!


とりあえず自分の中ではっきりとした構成を作っていた物語までは書くことが出来ました。(その構想も当初の物からかなり変わってしまいましたが(笑))


次章以降まとまり次第連載を再開したいと思います。今後とも拙作をどうぞよろしくお願いいたします




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