20 遠吠え
集会はデレクと最も親しい友人であるスコットの家で行われていた。せっかくならみんなを驚かせようと思い気配を殺しながら集会の行われている家へと向かっていく。
スコットの家ではすでに宴は始まっており男達のどんちゃん騒ぎは外にまで容易に聞こえた。
リコはそのままドアをノックしようとしたが聞こえてきた声にその手を止める。
「いいよなぁデレクは。
あんな別嬪さんを捕まえてさ」
声だけしか聞こえないがこの数か月の間で親しくなった人ばかりなのでこれだけ大きな声でしゃべれば誰だかすぐわかる。この声は村一番の弓の名手ボラスだろう。あの時ゴードンを射抜いたのは彼だ。
「全く羨ましい限りだ。しかもこの時期に狩りまで出来るときた。
俺も森に入って出会いを探そうかな」
この声はこの家の主スコットだろう。少しお調子者ではあるがよく周りが見えており仲間たちのムードメーカーだった。最初はリコも彼の軽い態度に戸惑ったがその度にデレクにどつかれておどけてみせる彼にだんだんと気を遣わず喋れるようになった。
それが彼なりの思いやりだったことはその時はわからなかったが、彼を通して多くの人と仲良くなった今はその気配りがよくわかる。
「やめとけ、やめとけ。
お前じゃせいぜい雌のファンゴスに猛烈アタック食らうだけだぞ。
第一お前さんには嫁さんがいるだろうが」
「リコとあいつじゃ比べるのもおこがましいだ……」
その後の言葉は続かず代わりに乾いた金属音が響き渡る。
「痛ぇ! なにしやがるアイヤ!」
「悪かったね。比べ物にならないで。
私だってデレクみたいな優しい旦那と替えたいもんだよ」
威勢のいい女性の声はスコットの妻であるアイヤだろう。他の村の女性達がリコから距離をとっていたにも拘らず会った初日から遠慮なくしゃべりかけてきた彼女は今では一番の友達だ。その声に男達の笑い声が響き渡る。それはとても楽しそうでそして自分の事をみんなが話しているのだとわかって少し恥ずかしくなった。
「おうよ。うちのかみさんは別嬪だぞ。
飯はまずいがな。なんなら飯の時だけ替わってもいいぞ。
こんだけうまい飯食えるなら大歓迎だ」
その言葉に再び笑い声が上がる。
「失敬な。
上手くはなっているんだぞ」
リコは少し頬を膨らましふくれっつらをしながらそうつぶやき玄関の前で座り込んだ。リコがいないときにデレクがどんな話をしているのか聞いてみたくなったのだ。
「それでも元気そうでよかった。
お袋さんを亡くしてから様子が少しおかしいって俺達も気にしていたんだ。
それでもリコが居れば安心だな」
そして最後に聞こえてきたのはかつての村長の息子であったアンドンの声だった。村長が亡くなった後も村の人々をまとめあげている。それでも頭の固い長老連中には手を焼いているようだが。そのアンドンの言葉にリコは一瞬体をすくませる。
それはリコがずっと気になっていた事であった。それ故により聞こえるように壁にあいたほんの少しの穴をみつけそこに耳を当てて注意深く彼らの話を聞こうとした。
「あぁそうだな」
少し声のトーンを落としながらデレクはそう答えた。
「ん? つれない返事じゃないか。
リコとなんかあったのか?」
明らかに力のない言葉にスコットが尋ねる。
「いや、リコはよくやってくれているよ。
慣れない家事もよくやってくれている。
俺には過ぎた嫁さんだ」
「……その割に顔色が良くねぇな。
言っちまえよ。こいつらなんかいつも嫁さんの悪口しかいってないぞ」
「違いねぇ」
スコットの馬鹿笑いが響きそれに対してアイヤから再び制裁が加わったようだ。そして少しだけデレクの小さな笑い声が聞こえ、一つだけため息をすると意を決したように話し始めた。
「そうだな。
言ったら少し楽になるかもしれん。
……夢を見るんだ。あの日の事を」
「夢?なんのことだ?」
「村が襲われたあの日の事さ」
その言葉に先ほどまでの喧騒は収まった。
皆肉親や友人を失っていたしカリーナに対しても慕っていたメンバーであったのでどうしてもこの話題になるとどうしても暗くなってしまう。
「しかたないさ。お袋さんがあんな事になっちまったんだ。
……まぁそんな時にはリコに慰めて貰えば一発だろ。
ベットの上でさ」
「ば、そんなんじゃねぇよ
第一夢は母さんの事じゃない」
「じゃあなんの夢なんだよ?」
「……リコには絶対に言うんじゃないぞ。
時々あの時の光景が思い浮かぶんだ。
あのデカブツに跨り遠吠えを上げるリコの姿が。
奴の血で口を真っ赤にしながらな」
「おい、リコはお前を守るために!」
「そんな事はわかっている!
俺だってリコを愛しているし自分でも情けない。
だけどな。あの光景が目に焼き付いて離れないんだ!」
それはただの人であるデレクから漏れた初めての弱音だった。
リコとの暮らしはとても幸せでこんな事を思いたくはない。だがその光景は本能としてデレクを怯えさせるには十分であった。
それでもデレクは出来る限り平然としているように努めた。リコに無用の心配を掛けないように。
だが酒を飲み、気心の知れた友人しかいないはずのこの場所で胸の想いを吐露してしまったことは仕方がない事であった。
だがこの時いないはずの人物がその場所にいてしまっていた。
デレクの言葉を聞いた時リコの頭は真っ白になった。
デレクの夢は私のせい? だってあの時はああしないとみんな死んでいた。じゃあどうしたらよかったの?
先ほどの言葉がなんども頭によみがえる。その時リコは持ってきたラビーラの丸焼きを手放し走り始めていた。
彼女の故郷であるあの森へ。
村で暮らすようになってから森へとは近づかないようにしてきた。狩に出る時にもあの森とは反対の方向へと向かった。
だがこの時だけは気持ちを抑えることが出来なかった。
母さんに会いたいと。
混乱した頭のままリコは走りそしてフェンリスの守る領域まで足を踏み込んだ。
そしてあと少しでかつての住処出会った場所に着くという時、リコの目の前に巨大な白い狼が舞い降りた。
「フレキか!?
おおきくなった……」
リコはかつての記憶よりも一回り大きくなった弟の名前を呼ぶがそれに対する返答は低いうねり声だった。威嚇を続けるフレキに対してリコはそれでも話しかけ続ける。
「私だよ。
リコだ。もう忘れちゃったのかい?」
リコの頭の中はさらに悲しみでいっぱいになった。デレクから恐れられ弟からも拒否されてはもうどうしていいか分からなかった。
だから逃げないといけないと理性では理解しながらもリコは両手を広げてフレキへと近づいていく。かつてのように一緒にじゃれあおうと。
もう一度呻き声を上げるフレキだったがその表情は少しだけ困惑が混じっていた。目の前の人間からはかつて嗅いだ匂いが微かに感じられたから。
だがその匂いは村の生活の中で大部分が消え去っており多くの別の匂いで上書きされていた。それ故に警戒を解くことが出来なかった。
「大丈夫、私だよ。
前みたいに一緒に遊ぼう。
ねぇフレキ」
そう言いながらリコが一歩踏み出した時、フレキは警戒を解こうとした。かつて共に暮らした兄弟だと信じて。
……だがそのタイミングはほんの少しだけ遅かった。
その時はリコの後ろに潜んでいたゲリがリコに襲い掛かっていたから。
なにが起こったのか分からいないままリコは抗いようのない大きな力に吹き飛ばされていた。目の前に見えるのは真っ赤な血の色で意識は遠のいていく。
薄れゆく意識の中で最後に見えたのは白銀色の美しい毛並みを持つなにか。その方向へ手を伸ばしながらリコは一言だけつぶやいた。
「……ただいま
ごめんなさい、かあさん」
その夜ゴート山脈に悲しげな遠吠えが鳴り響いた。




