9 言えなかった言葉
「それと一つお伝えしなければならないことがあります」
ジンは演奏の時とはまた違った表情を浮かべる。
「なんだろうか?こんな最果ての地でそれほど驚くようなことはないと思うのだが」
「私がここに来るまでの間いくつかの村を訪れたのですが、そのうち二つの村が完全に破壊されていました。その異変をご存知か」
その言葉に未だ歌の余韻に浸っていたリコも現実へと引き戻される。こいつは今、なんと言った?リコの困惑をよそに一人と一匹はそのまましゃべり続ける。
「いえ、私は知りません。だが我らは人の争いには関与しない」
その言葉にリコはフェンリスを振り向く。フェンリスはこの山脈の主だ。異変があればすぐに察する。知らないはずがない。
「そうですか。ですがそういった異変は我ら吟遊詩人には致命傷となりえます。
その異変が収まるまで安全な旅のルートを教えて頂きたい」
「わかりました。こちらで調べておきましょう。わかるまではこの地に留まっていただきますがいいですね?」
「もちろんです。余計なお手数をおかけするがよろしくお願いいたします」
話は終わったとばかりの両者にあった緊張感はあっさりと無くなる。
「ちょっと待てよ!村が破壊されていた?どういうことだ?」
完全に二人の雰囲気にのまれていたリコだったが、話が一区切りをついた所でようやく話しかけることが出来た。
その言葉に意外そうな表情を見せたのはジンであった。
「リコも人の村に興味があるのか?てっきりこの森の身で暮らしているのかと」
「私にだって人と関わりならある。それより早く話せ」
そしてジンは自らが見てきたことを話し始めた。ジンが訪れた村では家が焼かれ、食料は根こそぎ無くなり、人は誰一人いなくなっていた。
「あれは完全に人による略奪だな」
「そんな!人にそんなことが出来るはずがない!嘘を言うな!」
リコはジンに一瞬でつかみかかる。その速さは尋常ではないものであったが、ジンはその怒りを露わにするリコを前にしても平然としたまま冷静に話し続ける。
「レベルの高い適合者がいれば不可能じゃない。特にゴート山脈はあまり強い獣魔はいないからな。だからフェンリス殿の庇護も限定的な範囲に限られている。それ故に人は狩も出来るんだ。知らなかったのか?」
ジンの言葉にリコは呆然とする。フェンリスは確かにいろいろな事を教えてくれた。それでもそれはあくまでこの土地で生きていくための知識だった。
それだけで十分だとリコ自身も思っていた。デレクと出会うまでは。だがデレクと出会い、人と関わってしまった今は違う。彼らの危機に何もせずにいる事は出来なかった。
「フェンリス!この異変知らなかったはずがないだろう!!
なんで何もしない!フェンリスはゴートの守護者なのだろう?!」
激昂するリコに対しフェンリスは表情を変えずに静かに答えた。
「私はこのゴートの守護者。決して人の守護者ではない。
彼らが掟を破ったのならば容赦はしない。
だがこれはあくまで人間同士の争いです。
我らはなにも関与しない。これまでも、これからもずっと」
リコとフェンリスは互いに視線を合わせたまま動こうとしない。場に張りつめた空気が流れ続けていたが先にその視線を外したのはリコであった。
「それでその村はどこにあった?」
フェンリスへと問い詰めるのをあきらめ、顔を伏せたままジンへと問う。疑念や怒りに悲しみ、その全てがごちゃ混ぜになった今の顔は誰にも見られたくなかったから。
「ここから東に二日といった所だ」
その位置ならデレク達の村からもそう離れていない。リコはその瞬間フェンリスに背を向け歩き出す。
「待ちなさい。どこへ行くのです?」
フェンリスの言葉にリコはその足を止める。そして振り向かないまま答えた。
「決まっているだろ。デレクの村にいく」
「それを許すことは出来ません」
その返答はリコもきっとわかっていた。それでもすぐに振り向くことは出来ない。それはきっと全てを決めてしまう事だから。
「貴方が村へと向かうというのなら止めません。
ですが掟を破る以上この地に留まる事は許さない。
今ここで決めなさい。この森で生きるか。
それとも人として生きていくか」
そのリコの躊躇を断ち切るかのごとくフェンリスはその言葉を言い切る。そこに一切の迷いはなかった。
「それならなぜ私が人と関わるのを許した!
最初から係らなかったらこんな苦しむことはなかったのに!!」
その問いにフェンリスが応える事はない。いつだってそうだった。フェンリスが教えてくれるのはいつも道筋だけ。答えは常にリコ自身がだせるように導いてきた。
そして今もその答えは出ている。その言葉を口にするのは苦しくて、涙があふれて止まらない。
それでもデレク達を失いたくない。あの優しくて暖かい人達を。だからリコは声を絞り出した。フェンリスとの別れの言葉を。
「わかった。私はここを去る。
今この時より私はフェンリスの娘リコではない。
一人の人間として生きる。デレクと共に」
「そう。ならばもう話す事はありません。
どこへなりと好きな場所へ行きなさい。
ただしそう決めたならここへ戻って来てはいけません。
どんな事が起きようと。
貴方を待ってくれている人がいるのでしょう?
それさえ忘れなければ貴方はきっと生きていけます」
その言葉にリコはフェンリスの真意がわかった。なぜ此処までそっけない態度をとるのか。フェンリスは知っていたのだ。私が森と村どちらの道を生きるか迷っていたことを。
そして今も私の背を押してくれている。私に人として生きる事を。
本当はフェンリスに抱き付きたい。でもそれじゃあダメだ。今この場所がフェンリスから独り立ちする時なのだから。そうでなければフェンリスの優しさを裏切る事になる。だから涙を拭いて前を向く。これはきっと悲しいお別れではないはずだから。
そして精いっぱいの笑顔でフェンリスに振り向く。ずっと言えなかった言葉を伝える為に。
「私は二度と帰って来ない。だけどこれだけは言わせて。
大好きだよ。お母さん。
さようなら」
ただそれだけ言うとリコは去った。二度と振り向くこともなく。
「良かったのですか?行かせて」
リコの去った後ジンはフェンリスに問いかける。その声色は神獣を敬ってというより一人の母親に向けるものだった。
「これがきっと彼女にとって幸せなのだと信じています。
ジン、貴方にお願いがあります。
聞いてもらえますか?」
「私に出来る事ならばなんなりと」
ジンはもう一度神獣に跪く。彼女の願いを聞き入れる為に。様々な人の思いが交わりながらロンドベル大森林は運命の夜を迎えるのだった。
次回から不定期連載になります。これから先が書けてないので…
出来次第また連載開始します。




