3 森のヌシ
〝ドドドドドドドド″
森に轟音が鳴り響く。その轟音を生み出す巨大なファンゴスは木々をなぎ倒しまっすぐ目標へと向かっていく。
「さぁ、今日こそ決着つけるよ」
その声の主はその一言と同時にファンゴスの前から姿を消す。
「ブォ!?」
目標の姿を見失ったファンゴスは無理矢理に止まろうとするがその勢いは簡単には
収まらない。その勢いを殺す為、当然のことながら動きが止まる。
「はぁ!」
その頭上から槍を構えた少女が飛びかかる。その槍は正確に猪の眉間へと向けられる。しかしそれに気付いたファンゴスは顔を振り上げて軌道をそらした。
結果槍は浅くしか刺さらず、少女の軽い体は簡単に吹き飛ばされる。だが派手な見た目ほどダメージはない。自分よりデカい相手との闘いは嫌というほど重ねてきた。
ファンゴスのヘッドアタックに合わせてそのデカい頭を足場として衝撃を膝で和らげその場から離れる。結果的には吹き飛ばされる事になったがすぐに雪の積もった地面へと着地し体を伏せ臨戦態勢に入る。
がその先がまずかった。なぜならそこは体を翻したファンゴスの正面であったから。
「ブォォォォォォォォォォ!!」
地響きすら感じる怒声を上げながらファンゴスの巨体が突撃を開始する。さらに悪いことにリコの飛び移った先は後ろに巨大な岩肌、左右は生い茂る木々で動きが制限されそのどれもがファンゴスの攻撃圏内、逃げ道がなかった。
「なら、前だ!」
そしてナイフを構え自らの数倍に達する巨体へと向かっていく。低い姿勢のまま全力での地面を蹴り上げたその突撃は全てをなぎ倒してきた牙の一撃をかいくぐり一瞬でファンゴスの体の下へと潜り込む。
「おらぁ!」
両者がすれ違ったその瞬間一喝と共に大量の血しぶきが舞い上がる。その出どころはファンゴスの後ろ左足。フェンリスからの贈り物であるそのナイフはファンゴスの分厚い皮膚にも深い傷を負って見せた。そして足の踏ん張りが利かなくなったファンゴスはその勢いのまま岩肌へと激突する。
辺り一面に衝撃音が響き渡り、岩肌が崩れ落ち巨大な岩と積もった雪がファンゴスへと降り注ぐ。だがそれもファンゴスへの致命傷へとはならない。
リコの体ほどもある無数の岩を吹き飛ばしファンゴスは立ち上がる。体中に傷を負い、頭には槍先だけが残った槍が依然として残っている。だがその眼に宿る戦意は露程も落ちずに彼の標的を探し続ける。
「それでこそこの森のヌシだ!だがそれも今までの話。どちらがこの森のヌシか今ここで決めよう!」
頭上からの声にファンゴスは目線をその声の主へと向ける。その先には大木の太い幹の上に立つ少女リコの姿があった。
リコはその幹を蹴り上げ、その身を宙へと飛び立たせる。そして木々を拠点としながら次々と飛び移り、その速度を上げていく。リコが木を蹴り上げるごとに木が揺られ葉擦れが連鎖していく。そして遂にファンゴスがその姿を見失った瞬間、その頭上で最後の音が聞こえる。
ファンゴスが最期に見たのは毛玉が高速で回転しながら自分へと落ちてくる姿、そしてその毛玉が自分へと届いたとき強烈な痛みと共に意識を失った。
ファンゴスの巨体が地面へと崩れ落ち、リコもまた地面へと着地する。そして自らの好敵手だった者を振り返る。
ファンゴスは獣魔だ。それ故にリコの通常の攻撃では奴に致命傷を与えることは出来ない。だからこそ使い慣れぬ槍を用いた。まずファンゴスの頭に槍を突き刺す。槍をさしたところで分厚いファンゴスの皮と頭蓋骨を貫通させることは出来ないだろう。だからその場所へ渾身の蹴りをたたき込みその槍先を奴の脳天に貫通させるつもりだった。
元々は刺した後槍を蹴って折るつもりだったが、奴の反撃によりそれが出来なかった。その結果逃げ場のない状況へと追い込まれたが、とっさの判断で奴の体に潜り込めたことによりにより事態は好転した。
奴は身動きが出来ない状態となり、リコが持つ最大の蹴り技を仕掛けることが出来た。この辺りの木々の幹は頑丈なうえにしなりもあるのでその反動で勢いを生む事が出来るのは鹿の狩で学んでいた。(だからこそこの場所を選んだ)
そしてその勢いをもって回転しながらのかかと落とし。条件は厳しいが成功すればフェンリスをもぐらつかせることが出来た。(まぁその後平然と手痛いカウンターを受けたが)
かくしてその一撃は見事にファンゴスの頭に突き刺さった槍先へと決まり、想定通りその槍先はファンゴスの頭を貫き今は地面へと突き刺さっている。
「いったー。やっぱガードしても貫通しちゃったか。まだまだ修行が足りないなぁ」
リコは赤く滲んでいる自らの足に巻き付けた獣の皮の出来たあしあてを取り外す。その中には平べったく加工されたデイアックの角があり裏表二か所に入れられており、槍を蹴るとき足に突き刺さらないようにしていた。
「まぁ、やっとこいつを倒せたしよしとしよう!なぁフレキ、ゲリ」
そして物陰から現れたのは二匹のグレーウルフだった。リコよりも一回り程大きな体に見合った尻尾を勢いよく振りながらリコへと飛びつく。
「ばか、フレキじゃれつくな。まだ皮を剥がないと。ってゲリ食うなぁ!そいつは私の獲物だ!」
普通の人間が見れば背筋が凍るような光景が繰り広げられるが、リコにとっては日常の一コマである。
フレキとゲリはリコが狩りに出るようになってすぐに洞穴にやってきた。遠くの森が騒がしくなり何事かとフェンリスが様子を見に行き見つけたのだという。
そこには二匹のグレーウルフの死体が横たわり、その一方の死体にこの二匹が寄り添っていた。獣魔を殺せるのは神獣と適合者を除けば同じ獣魔しかいない。
恐らく子供を狙った若い雄と母親が争い相討ちとなったのだろう。自らの子供を産ませるため若い雄が子供を殺し残った雌と子供を作ろうとすることはままある事である。だが相討ちになるほどに雌が抵抗することはほとんどない。
命さえあればまた子を生む事は出来るから。それでもこの雌はそれを是非としなかった。その姿が彼の神獣にどう映ったのか、それはわからない。ただ事実として彼女はグレーウルフを引き連れ、リコの待つ住処へと戻って来たのだった。
その時はまだ二匹ともほんの子供でリコよりも小さかった。(それでも中型犬ぐらいの大きさはあったが)その姿はとても愛らしくリコは喜んで二匹を歓迎しようとしたが、それは手痛いしっぺ返しを食らった。子供といえグレーウルフは獣魔。伸ばした手を押しのけ二匹に同時にリコに飛びかかった。
油断のあったリコは噛みつかれた右手に傷を負ったが、常にこの森の主と戦っている彼女にとってそれは日常茶飯事の事ですぐに体勢を整え反撃を行う。
その攻防は一瞬の内に終わり、リコの蹴り技を食らった二匹は完全にノックダウンされ群れの順位はこうして確定したのだった。
そして神獣の下に一人の人間と二匹の獣魔が共に暮らすという世にも奇妙な共同生活は始まった。一人と二匹はすくすくと育っていった。
じゃれあいの相手はフェンリスから二匹のグレーウルフへと変わり、そして時には全員でフェンリスに戦いを挑んだ。(ものの見事に全員吹っ飛ばされたが)そしてついに少女はファンゴスを倒すほどに強く、そして美しくなった。
「さぁて有難く頂こう。さっさとどきな」
未だじゃれあうフレキをどかせてゲリに拳骨を一発たたき込みファンゴスの解体に取り掛かる。これほどの巨体だ。全てを解体するのには骨が折れる。だから重要なところ以外はフレキとゲリにくれてやろう。恐らく一片の肉片も残さず食べきってくれることだろう。
全ての作業を終える頃には日も暮れようとしていた。二匹はすでに満足げに積み上げられたファンゴスの残骸を前に眠りについている。さすがに一度に全ては食べきれなかったようでまだ食べられる部分は残っているようだ。明日にはなくなっているだろうが。
「全く、食うのにこんなに手間がかかるなんて不平等だよな」
そう愚痴りながら、焼いたファンゴスの肉をほおばる。口の中にはデイアックにはない肉汁のうま味が広がっていく。
「まぁその分うまい思いが出来るのも私だけなんだから、我慢するか」
リコが手に入れているのは腹や頬といった他の部位よりもうま味が強い部分であり、弟たちは腹さえ膨れればそれで満足なようで見向きもしない。
それに今回の狩はリコのものだ。二匹にとってはおこぼれを貰ったに過ぎない。常ならば二匹と共に狩を行うが今回はリコだけで行った。
それはリコがそう望んだから。リコと二匹はフェンリスの様にお互いに言葉を理解しあえるわけではなかったが、それでも長年共に暮らしてきた中である程度の意志疎通は出来るようになっていた。
そしてこのファンゴスはリコが幼い時に植え付けられた相手、この相手は自分一人で乗り越えるそれがリコの意志だった。
そして火を囲みながら、長年のライバルであったこいつを倒しフェンリスを除けばリコはノンドベル大森林において頂点に立った。
「さて、これからどうしようかねぇ」
目標であったファンゴスはすでに倒した。フレキとゲリと共に狩を行うようになり今やこの森に敵はいない。確かに生きていくことに支障はない。だがそれでは何か満たされないそう感じていた。
その時、満足げに寝転がっていたゲリとフレキがなにかに反応し、起き上がる。それは明らかに困惑の反応だった。今まで嗅いだことがない匂いに警戒を強める。
フェンリスは今このロンドベル大森林を離れ、ゴード山脈の山々を走り回っている。どうやらリコ達に最近はつきっきりだった為やる事が山積みとなっていたのだそうだ。その間このロンドベル大森林の周辺の警備をリコ達は命じられていた。もし不審者がいたのならば実力をもって排除しろ。その言葉を思い出し、リコもまた緊張感を高める。
「落ち着きな。とりあえず様子を見るよ」
二匹の間に入り、なでて落ち着かせながらリコは二匹の視線の先に意識を集中させる。
二匹ほどの嗅覚を持たぬリコには弟たちをあてにするしかない。リコはフレキの背に乗り、その侵入者の下へと向かった。
その侵入者は簡単に見つかった。森の終わりの入り口付近で雪の中をもがいていたそいつを見た時の感想はなんて小さいやつなんだというものだった。
弟達のような毛並みなど無く、嗅いだことのない匂いを全身から発している。その動きはのろまですぐにでも狩れそうだった。
こいつと同じ姿の奴を見たことがある。あれはなんだったか?少しの間考えを巡らせ、ある結論に至る。あぁこいつは私と同じなのだと。
「だれかそこにいるのか?恥ずかしい話だが雪で道に迷ってしまったようだ。助けてくれないか?」
少しの間をおいてこちらに気付いたそいつは話しかけてきた。フェンリス以外と話をするのは初めての経験で少し気後れしたが、それは表に出さなかった。こんなのろまに私がなぜ恐れる必要がある?
「いいだろう、ただし無事に帰れるかどうかはこいつらの機嫌次第かな」
そいつは怪訝そうな表情をした後、その顔をみるみる青ざめさせた。その声の主が何と共にいるのかわかったのだろう。
「まだ名乗っていなかったな。私の名はリコ、ゴート山脈の主フェンリスの娘だ」
その顔に悪戯な子供の笑顔を浮かべリコはその男、デレクを高台から見下ろした。




