2 初めての狩
住処に帰るとフェンリスが教える事はどんどん多くなった。木や地面になる食べ物の取り方から始まり、食べられる虫の種類、固い肉の食べ方、寒さを防ぐ方法や石や木を手に持って道具として使う手段等その教えは多岐に渡った。
そして食事が終わるといつもその尻尾相手にじゃれあいが始まる。じゃれあいといってもその尻尾は目にもとまらぬ速さでリコを容赦なく吹き飛ばす。それでも何度も吹き飛ばされる事で痛くない着地の仕方を学んだ。そして吹き飛ばされてもすぐに反撃できるようになり、じゃれあいの時間は日に日に長くなっていった。
尻尾の攻撃は日を増す毎に早く鋭くなり、そしてリコも又その攻撃に対応できるようになっていく。四つん這いとなり、洞穴の壁や辺りに広がる巨大な大木を利用し飛び回るその姿はまさしく獣そのもの。
その度にフェンリスからは二本足で戦うように怒られたが、それでもリコにとっての強者の戦い方はまさしくその姿であったし、何より体にとても馴染んだのでそれだけはやめなかった。そして全ての尻尾による攻撃をよけ切り、強烈な回し蹴りをたたき込んだ日からフェンリスは一切の食べ物をくれなくなった。
最初はフェンリスが蹴りをいれられて怒ってしまったのかと思ったが、何度謝ってもフェンリスはうんともすんとも言わない。そして洞穴を離れるとそのまま帰ってこなかった。リコはフェンリスの帰りを待っていたが、時間が経てば当然のことながら腹が減る。
だからリコは住処の洞穴を出ることした。フェンリスがいないときに洞穴の外に出るのは怖くて、簡単に取れる果物や虫をとってすぐに洞穴へと戻った。だがそれだけでは空腹は収まらない。肉が欲しい……辺りが暗くなってもフェンリスは帰って来ず、空腹で寝付けなかった夜を過ごし、狩へと出る覚悟を決める。
最初の狩は散々だった。自分よりはるかに小さな長い耳を持つラビーラに逃げられ、立派な角を持つディアックの群れにいくら石を投げても全くあたらず、リコには山の様に思える背丈のファンゴスには巨大な牙向けられ逆に追い立てられた。
色々な所に生傷を作り、その全てにフェンリスから教わった薬草を塗りたくりながら、一体何がいけなかったのか今日一日の行動を振り返る。
ラビーラは思ったよりすばしっこく、ディアックはすぐに私に気付き近づくことも出来なかった。ファンゴスは……怖かった。自らを優に超える大きさの獣が鋭い牙を携え目の前にあるもの全てをなぎ倒しながら全力で突撃してくるのだ。
なんとか木に登ってその場は逃げられたが当分あの姿は見たくない。今まではずっとフェンリスが狩ってきた死体しか見ていなかったが、奴らはみな生きているのだ。
だから逃げるし、時には反撃だってしてくる。でもどうやったら奴らに勝てるのか考えるのは楽しかった。それにその動きはあの忌々しいモフモフの尻尾よりも劣っていた。なら自分が負けるはずない。
次の日も、そのまた次の日も、リコは狩りに出かけた。何度も何度も獲物には逃げられたが、そのうちにそれぞれの行動パターンが見えてきてそれからは早かった。
最初に狩れたのはラビーラ。ラビーラは危険を察知するとすぐ穴へと逃げ込んでしまうが、外を警戒するためか数時間に一度穴から顔を出す。
その瞬間を狙って石をぶん投げる。外れる事も多かったが洞穴のなかで的あての練習を繰り返し、何度目かの挑戦であてる事に成功した。その威力は兎を気絶させるには十分だったようで、意気揚々と洞穴へと持って帰った。だが問題はこれからであった。
これ…どうやったら食えるんだ?フェンリスが狩ってくるのはいつも大型の物であったし、その固い肉を食いちぎり、かみ砕いて柔らかくしてからくれていた。だがこいつはフェンリスに名前は教えて貰っていたものの食べたことはない。
なやんだ結果、洞穴の中にある火の中に放り込んだ。フェンリスがこの住処を出ていく前に言っていたのを思い出したのだ。
「リコ、私は少しの間出かけてくるけど、火だけは絶やしてはいけないよ。それからもし自力で獲物をとったなら前に教えたように火を使いなさい。やり方は覚えているね」
そう言ってフェンリスは去っていった。だがここで問題が一つ。リコはそのやり方を忘れてしまっていた。なんの処理もされぬまま火の中に放り投げられた兎の死骸は強烈なにおいのする煙を出し、その煙はアッという間に洞穴を覆った。
あわてて何とか煙を防ごうとするがすでに前は見えなくなっており、命からがら洞穴から逃げ出したがその煙が無くなるまで木の上での生活を余儀なくされた。
一夜経ち洞穴に戻ってみると煙はなくなっていたが、匂いは取れていなかった。それを我慢して中に入り、獲物を探してみるが見つかったのは黒焦げになったラビーラの残骸のみ。その残骸を口に入れたが苦くて食えたものじゃない。ぺっと吐き出すとなにもかも嫌になって泣き出した。
「だから言ったでしょう。ちゃんと聞いておきなさいって」
頭上から聞こえてきたのは懐かしい声。その大きな首下に泣きながら飛びついた。ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続けるリコをフェンリスは優しく咥えて別の場所へと運んでいく。
着いたのは今まで住んでいた洞穴より少し大きい別の洞穴。そこにリコを下すとフェンリスはまた外に出て行った。リコはまた置いていかれるのかと不安になったがフェンリスは大量の木々を咥えてすぐに戻って来た。
その全てをいったん地面に置くと、一部だけを咥えなおす。そして一瞬のうちにフェンリスが咥えていた木は勢いよく燃え出しそれを火種として地面に置いた木々にその火を移した。
その光景はいつ見ても不思議だったが、フェンリスがすることで理解できることなどほとんどなかったから気にもしなかった。
「それじゃあ、もう一度やり直し。また獲物が取れたらもう一度だけ教えてあげるからちゃんと覚える事」
そう言うと勢いよく尻尾で洞穴の外へと放り出された。その攻撃は全く見えなくて、吹き飛ばされたと自覚した頃には洞窟の外にある木に背中を打ち付けられていた。まだ全然本気じゃなかったのかと悔しく思えたが、それを声に出すと後が怖い…仕方なくもう一度ラビーラの居そうな狩場を探すのだった。
何とか日の落ちる前にラビーラを捕まえたリコが新たな住処に戻ると、すぐにフェンリスは作業に取り掛からせた。まず以前フェンリスが狩って来た獣の牙で作ったナイフで兎の皮をはぐ。そのナイフはフェンリスが外に出る前に作ってくれたもので、その切れ味は凄まじく殆ど力を入れなくても兎の皮をはいでくれた。
皮をはぎ終え内臓をとると、手ごろな木に突き刺し火にあぶる。今度は鼻を突くような煙は起こらず、辺りには食欲をそそられる匂いがあふれだす。
待ちきれないようによだれを垂らし、肉へと手を伸ばすリコだが体に巻き付いた尻尾がそれを制する。
「まだ早い。もう少し待っていればもっと美味しくなるから。耐える事も学ばないといけないよ?」
何日も肉をお預け食らっている身としては、目の前でじゅうじゅうといい音を鳴らしている御馳走を前にして何もできないのは腹立たしかったがフェンリスに抑えられては何もできない。
それに確かに昨日は軽率な行動なせいで大事な肉を台無しにしてしまった。二度とあんな思いはしたくない。だからおとなしくじっと待つ。すると尻尾の拘束の力が弱まり、リコがフェンリスを見つめると銀狼はゆっくりと頷いた。
そしてようやくありつけた肉の味は今までで味わったどんな肉よりも美味しかった。久しぶりの満腹を楽しんだ後にはまたじゃれあいが始まった。いつも通り四つん這いとなり構えるリコの手元にフェンリスはナイフを放り投げる。
「今日からはそれを使いなさい。ラビーラならともかくディアックやファンゴスはそれがあった方がいい」
「でも危ないよ?フェンリスの尻尾がちょん切れちゃう」
「森の獣共はともかくそんな物で私に傷をつける事はできないさ。さぁ遠慮はいらない。かかってきなさい」
その後のじゃれあいはさらに激しくなり、ナイフを使った戦い方を学んでいく。それと同時に狩れる獣の種類は増えていった。ラビーラの次はディアックを狩った。群れとなって辺りを警戒していたディアックを追いかけて狩るのは早々に諦め、待ち伏せをすることにした。
ディアックは同じルートを通っていることが何日か観察してわかったのでそのルート上の木の上に身を潜める。そしてその真下を通るとき、ディアックの角に注意をしながら頭上から背中に飛び降りナイフで首を切り裂く。
このやり方はとても成功率が高くて、だんだんと楽しくなり何匹も狩ると帰ってフェンリスにぶっ飛ばされた。
「食べる以上の狩をしてはいけません。それはただの享楽です。命はみんなつながっているの。無駄にしていい命は一つもない。それを知りなさい」
そしてリコは洞穴から出る事を禁じられた。リコは泣きながら謝ったがフェンリスは全く聞く耳を持たず洞穴の入り口をふさぎ続けた。水は洞穴の中にもあったが、食べる物はすべてフェンリスにその場で食べられてしまった。
「そんなに怒ることないじゃんか。フェンリスに喜んでもらおうとしただけなのに。しかも自分は全部ディアックを食っといてさ」
最初の頃はそんな事をぶつぶつ言いながら文句を垂れていたがそんな余裕はすぐになくなった。フェンリスは三日たっても、五日たってもその場から動かなかった。
洞穴から外に続く道はフェンリスの立ちはだかる入り口しかなく、食料は洞穴の中にいた虫のみ。狩をするようになってから虫は食わなくなっていたが贅沢など言っていられない。
その虫も食い続ければすぐにいなくなった。空腹に耐えかねて何度も抜け出そうとしたがそれをフェンリスが許すはずもない。
ついには七日が過ぎ、リコは空腹から動くことも出来なくなった。朦朧とする意識の中でリコはフェンリスに出会った頃の事を思い出していた。そうだ、あの時の私もずっと空腹だった。そしてその記憶の彼方にぼんやりとした顔が浮かぶが、その顔を思い出すことはできない。でもその顔はとても悲しそうで…
その情景は香ばしい肉の匂いによって強制的に中断される。
「もう十分でしょう。これに懲りたら、考えなしで狩るんじゃないですよ?」
顔を上げると、肉を咥えたフェンリスがそこにいた。その差し出された肉をむさぼるが、すぐになくなってしまう。もっと欲しいとねだるが、にべもなく断られる。
「急にたくさん食べてしまうとしんどくなるからね。今日はこれぐらいにしときなさい。それともまたご飯抜きにする?」
その一言にぶるぶると首を振る。これ以上の空腹はもうごめんだ。その空腹を思い出すとなぜか寂しくなってそのままフェンリスの背にダイブして顔をうずめてみる。
「…ねぇ、フェンリス私の本当の母親ってどんな人?」
「どうしたの?珍しい、そんな事を聞くなんて」
「腹が減り過ぎた時、知らない顔が頭に浮かんだ。あれが私の母親なのかな?」
「すまないが、お前の母親の事は知らないよ。お前は人里近くの祠にいたんだ。きっと乳が出なかったのだろうね。あの年はひどい不作の年だったから。
育てられない子は森に返す、それはままある事だ。でもお前の母親は、それでもリコに生きてほしかった。
だから危険を冒して祠まで赤ん坊だったリコを連れてきた。神獣が人の子を育てるなんて嘘か本当かわからない伝承にすがってね。私にわかるのはそれだけだよ」
「でもフェンリスは私を育ててくれた」
「ほとんどは助からない。リコは本当に運が良かったんだよ」
「私の母親もあんなひもじい思いをしてたのかな?」
「そうだね。この辺りは私の匂いがきついから肉食の獣魔共も寄り付かないし獣共もたくさんがいるが人里となると話は別だ。村の外に出て狩をする事は獣も少ないし、獣魔だっているから容易でない。その上で作物も不作なら自分たちが生きるので精いっぱいだったのだろう」
ゴード山脈の全域にはノンドベル大森林と同じように小さな集落が点々と存在している。それぞれの集落にはフェンリスが祭ってある祠が集落のはずれと中心にある。
はずれにある祠にフェンリスは定期的に通い祠にある宝玉に力を宿す。その宝玉は集落の中心にある祠に運ばれ、集落を守るフェンリスの身代わりとして祭られる。フェンリスがリコを拾ったのも、その途中の事であった。
「それでも私がここで狩り過ぎたら、その少ない獣も減ってしまう…腹が減るのはいやだ。それが顔も知らない親だったとしても、こんな思いはしてほしくないと思う」
その言葉にフェンリスの柔らかな尻尾がリコを包む。
「それがわかったなら十分だ。さぁもう寝よう。さすがに私も少し疲れた。わんぱく娘の相手をするのも楽じゃない」
そういってフェンリスは横になり、リコの全身を包み込む。幼い頃からこの暖かなぬくもりが私を守ってくれた。だから私にとっての母はフェンリスだ。例えそれが神獣と人の子であったとしても。
「ありがとう。お母さん」
フェンリスの腹に顔をうずめた一言は消え入りそうなほど小さな声で、本当はもっとちゃんと言いたかったけどそれをするのは何か恥ずかしかった。
本編に出てくる獣は人間の家畜である場合には名前のまま(馬や羊など)、野生の獣はこの世界での名前(ラビーラ等)といった形で分けています。
野生の獣には獣魔も含まれています。獣魔と獣の違いは人に危害を加えられるかそうでないかというあいまいな物だったりします。
本来なら本文で説明すべきことではあるのですが、補足としてあとがきに書かせていただきました。なるべく姿が想像できるように描写は心がけているのですが……皆様に楽しんで抱けたら幸いです。




