2 『寝てはならぬ』
「神獣に捧演を捧げなくていいのか?」
厩舎の中で、ブラッシングを受けながらカーズはジンに問いかける。厩舎番をしていた男もいたが今回はジンが断りをいれていた。馬と話す吟遊詩人など変な目で見られかねない。だが今後の事を話しあう事もまた必要だった。
「たまにはゆっくりしてもいいだろう。それにこれだけの騒ぎに水をさすことないしな。せっかくだ。楽しもうぜ」
ジンがウェリニアを訪れて以来街には音楽が鳴り続け、その熱は日に日に高まっているようだった。ジンはまだこの街で一度も演奏はしていない。領主ルチアーノから音楽祭の日まで待っていてほしいと頼まれたのだ。
そして音楽祭までの間、ジンは領主の館で様々な料理に囲まれ悠々自適な生活を送っていた。
「まぁお前がそれでいいなら構わんが」
満足したかのようにカーズはその場に座り込む。そのまますぐに眠り込んでしまった。
「ちぇ、礼ぐらい言えよな。まぁ俺は俺で楽しんでくるかね」
愛想もない相棒に愚痴りながらジンは厩舎を後にした。
時はあっという間にすぎていき準備は着々と進められた。音楽祭当日には浜辺に巨大なステージが設置された他、街の各地に奏者用のステージが用意された。音楽祭は丸一日かけて行われ思い思いの場で奏者はその演奏を披露する。
朝日が昇ると同時に街の中心部においてルチアーノの開会宣言がなされ、その宣言と共に街の熱狂は一気に高まった。
そして街は一斉に様々な音色を奏でる。大きなステージでは予選を勝ち抜いた歴戦の奏者がその自慢の演奏で観客を魅了し、街の至る所に設置された舞台では未来の栄光を夢見る若者が己の感じるままに音を弾く。
音楽祭を楽しむ観客達の反応も様々である。目当ての奏者の為に何時間も前から席を確保するものもいれば、新たな才能との出会いを求めて街を走り回るものもいる。
ただ一つ言える事は老若男女問わず、街に集まった全ての人間がその熱狂の渦にのまれていた。その渦は時が経つにつれてとどまることなく巨大な嵐の様に変わっていった。
「なんというか、凄まじいな」
ジンは街を全て見下ろせる領主の館からその様子を見つめていた。すでに日は沈みかけ音楽祭の終わりを迎えようとしているのに、街を蠢く人影は静まるどころか更なる熱狂を見せていた。
ジンも最初は他の住民と同じようにそれぞれの会場を回っていた。その演奏は多種多様だ。切なげなバラードから、激しいロック調の歌まで。その質はジンが感嘆するものから耳を塞ぎたくなるものまで様々であったがそれでも全ての会場に置いて音楽を心から楽しむ笑顔が溢れていた。
その熱気に酔ったかのようになったジンは領主の館で休みながらその光景を眺めていたのだった。
「皆この一日を楽しみにしているのです。
どうです我が国の音楽は」
舞台用の格好をしたルチアーノが屋敷から姿を現す。準備は万端といったところか。
「楽しませてもらっているよ。
しかし皆凄まじい体力だな。
一日中騒いでいるのに熱は収まるどころかさらに膨れ上がっているようだ」
「当然です。我らの情熱はこの音楽祭に全て注がれているのですから」
そしてルチアーノに請われるがまま、ジンもまたもう一度その熱狂の中へと進み出ていくのだった。
ジン達が浜辺のステージにたどり着いたのは完全に日も沈んだ後だった。月明かりに浮かぶステージは松明の光で照らされ、まるで国中の人間が集まったかのような人影は巨大な怪物の様にゆらゆらとその姿を揺らす。
ステージ会場は炎と人の熱気が巻き上がり今にも爆発せんがごときである。そして最後の演者の登場に怒涛のような歓声が上がる。
「今年も情熱溢れたこのステージに上がれることを幸せに思う。さぁ皆も歌ってくれ。これが音楽祭最後の歌だ。皆リバィアサンと共にあれ!」
館でジンと出会った時とは打って変わり、その溢れんばかりの熱気を声に込めルチアーノは声をはりあげる。その手には声を拡大する装置が握られていた。【マイク】と呼ばれるその機械は適合者でなくても事前に魔力を貯めておけば使える結合機なのだという。
その声は広大なステージの隅々まで響き渡り、それと同時に会場は今日最大の歓声をもって彼を出迎えた。そして音楽はステージの下に集まった演奏楽団によって紡がれ始める。
『 誰も寝てはならぬ
誰も寝てはならぬ
貴方もですよ姫様
寒い部屋で星を見上げ
愛と希望に打ち震えながら! 』
ルチアーノの重く胸の芯へと響く美声は会場の熱気すら巻き込みその歌声をどこまで
も響かせる。
彼の声が響き渡るごとに割れんばかりの歓声が巻き起こり、それすらも超える迫力を持てルチアーノの歌声は音楽と重なり合っていく。
『 私には秘密が隠されている
私の名前を知るものは誰もいない
あぁ貴方にそっと口づけて打ち明けよう
日の光が照らす頃に! 』
ジンはカーズと共にその様子をステージの近くから眺めていた。確かにこれは想像以上だ。これほどの歌い手はジンですら数人しか思い浮かばなかった。
それが吟遊詩人以外となればその存在は皆無である。彼はこの歌声を手に入れる為にどれだけの努力をしてきたのだろうか。その姿を想像しながら久方ぶりに他人の音楽に身を任せる事にした。
『 私の口づけは沈黙を打ち破り
貴方は私のものとなる 』
ルチアーノの歌声は一時の沈黙を保ち、そして会場は一つになったかのようにその間奏をコーラスで染め上げる。
『 誰も彼の名前を知らない
私達は死なねばならない 』
まるで山鳴りの様に人々の歌声が重なり合ってながれくるようだとジンはその身に襲い来る音楽を感じた。そしてウェリニアの情熱そのものとなった曲はついにクライマックスを迎える。
『 夜よ早く消え去れ!
星よ早く隠れてしまえ!
夜明けには、貴方を勝ち取って見せる! 』
いつまでも続いて行くかのようなルチアーノの歌声は会場の人々を押し倒す波となってどこまでも届いていくかのよう。ジンですらその歌声に鳥肌を立ててしまうほどだった。
歓声は曲が終わりを告げても鳴りやまない。その終わりを拒むように。
ステージの上で息を切らしながらルチアーノは会場にいる人間を見渡し、そしてそのまま祭りの終わりを告げる。
「これにて音楽祭を閉会とする。
皆その心のままにウェリニアの新たな導き手を選びたまえ」
ルチアーノの閉会宣言と共にステージには一斉に紙しぶきが巻き上がる。そしてルチアーノを称える声はいつまでも鳴りやまなかった。
ルチアーノが歌っているのはオペラ「トゥーランドット」の劇中歌「誰も寝てはならぬ」という曲です。
冬季トリノオリンピックで荒川静香さんがフリーで使用した曲ですね。聞いてみればああこの曲かと思って頂けると思います。
ただ100年ほど前に発表された曲なのですがこういうのって著作権とかって大丈夫なんだろうか…調べてもよくわからん。著作権は切れてるはずのなんですが訳に関してもあるんだろうか?
とにもかくにもとても迫力のある曲なので是非とも皆さん聞いてみてくださいね♪




