1 白壁の街
夜も深まり普段ならば街の明かりも消え始め、一部の夜店から聞こえてくる馬鹿笑いが響き渡るはずの時間。
だがしかし今日に限っては町に響き渡るのは若い女性の甲高い声だった。
「そっちにいた?」
「いえ、いなかったわ」
「ジン様~どこにいらっしゃるの~?」
このような夜遅くに女性が町をうろつくのは危険が伴うはず。しかし今のウェリニアの街には町中のうら若き娘たちが出払っているのではないかと思えるほどの喧騒が巻き起こっていた。それこそ立ち並ぶ男たちがその勢いに完全に圧倒されるほどに。
「なんでこんなことになっちまったかね?」
ジンは路地裏の影からその様子を伺いながらそうつぶやいた。
恐ろしい獣魔が跋扈する世界において唯一自由に旅をする彼は獣魔とは最もかけ離れたこの場所で完全に追い詰められていた。なぜこんな事態に陥ってしまったのか。事の発端は二日前に遡る。全ての原因は海神の守るこの国ウェニリアを訪れたからだった。
「あれがウェリニアか? 噂通り綺麗な街だなぁ」
ジンは辺り一面を見下ろせる高台から海沿いに平がるその町を眺めながらカーズに語り掛ける。町には真っ白に統一された家屋が立ち並び、雲一つない青空の下きらめく海面と共にその光景は一つの絵画のような美しさを放っていた。
「どうでもいいが早く街に行かないか。
ずっと移動ばっかりで疲れてるんだからよ」
「風情のないやつだねぇ。少しは感動ってもんがないのかよ」
「なに言ってやがる。お前は食い物にしか興味ないくせに
どうせこんな栄えてるなら、凝った料理が食えるとしか思ってないだろう」
呆れたように言うカーズに反論しようとするが、頭の中には立ち並ぶ海鮮料理が広がっており図星をつかれているので何も言えない。仕方ないだろう、吟遊詩人仲間のキースにこの国の事は前に聴かされていたのだ。奴曰く
「絶対に行くべき国だ。あそこはまさしく楽園だ。行かなくっちゃ損するぞ」
だそうだ。それだけ言われたら期待をしてしまっても無理はない。
「とにかく、だ! 仕事をするのは変わりないさ!
さぁ行くとしよう!」
先ほどの失態をごまかすように一人と一頭はウェリニアへと馬車を進める。
ウェリニアは海神リバィアサンの庇護を受ける国である。それ故に人々は限られた範囲ではあるが海の恵みを得ることが出来た。
また海からの潮風と温暖な気候は作物にとっても恵みとなり、毎年収穫期には豊かな実りをつける。それは人々の暮らしに安定をもたらしていた。
「あーあ、こりゃ時間かかりそうだな」
そうジンは検問所の前でため息をつく。豊かな人々の暮らしを象徴するようにウェリニアの街は活気と人で溢れている。町に入る為に検問所に先が見えないほどの行列が出来ていた。
「あんさん、街に来るのは初めてかい?
まぁこればっかりは仕方ないさ。諦めて待ちな」
ジンの後ろからやって来た恰幅の良い男性はロバに荷を引かせつつ笑いかける。ロバには商品であろう食べ物が大量に積み込まれ、自身は大きな荷物を背負っている。
「はい、この街を訪れるのは初めてでして。
ここはいつもこんな感じなんです?」
「そりゃそうさ。
まぁこれも海神様の庇護のおかげってやつさ。
それであんさんはなにしにここへ?」
その言葉にジンは吟遊詩人たる象徴である羽帽子を荷台に置いていた事を思い出す。海風の強烈な高台にいた時にしまっていたのを忘れていたのだ。
「私はこんななりですが吟遊詩人です。
この街での演奏が今から楽しみですよ」
そうにこやかな笑顔を浮かべこの先にあるであろう検問所の様子をのぞき込みながらそう答える。が、対する返答はない。
ん?なにか辺りが一気に静まり返った気がするんだが。そして男性の方を振り向くとその異変に気付く。辺りにいる人間その全ての視線がジンに注がれていた。
「へ?」
ジンの間の抜けた言葉をきっかけに場には一気に歓声が沸き上がる。
「吟遊詩人だって?」
「こりゃ一大事だ!はやく知らせないと」
「だれかさっさと衛兵呼んで来い!吟遊詩人を待たせてどうする!」
騒然となったその場の中心でなんとも言えない表情を浮かべるジンにカーズがジンの他には誰にも聞こえぬ声をかける。
「大人気だな。吟遊詩人様よ」
「うん、そうみたい」
思った以上の反応に戸惑いながらも、人込みをかき分けてやって来た衛兵に案内され大歓声の中をジンはウェリニアの街へと続く道を進んでいくのだった。
「お騒がせしてすいません。
ですが私達ウェリニアの住民にとって吟遊詩人は特別な存在なのです。もちろん我々にできる事は全て協力させていただきますのでなんなりとお申し付けください」
ウェリニア領主ルチアーノはジンに謝りながらそう告げた。
至る所で熱烈な歓迎を受けたジン達は、衛兵に案内された建物でやっと一息をつくことが出来た。そしてしばらくしてこの部屋を訪れたのがこの男だった。
その第一印象は舞台に出てくる俳優のようだと思えた。吟遊師団の一部では演劇を行う者達もいるのだが彼はその中にそのまま吟遊師団に入っても主役になってしまうのではないかと思えるほどの容姿をしていた。
きっちり整えられた薄茶色の髪は彫の深い端正なその顔を引き立たせる。何よりも特徴的であったのはその声であった。
がその深く響くようなその声にジンは違和感を覚える。
「ありがとうございます。
正直助かりました。あそこまでの騒ぎになるとは思いませんでしたので。
それから一つお聞きしたいのですがルチアーノ様は声のトレーニングをされていますか?」
その一言にルチアーノは驚いた表情を見せる。
「ええ、吟遊詩人の皆様から見れば児戯に等しいかもしれませんが。
この国の神獣はリバィアサン、海神様の庇護を受けています。海神様は人の奏でる音楽を愛していると伝えられています。
それ故に毎年海神様の為に音楽祭が行われているのです。海神様に対する感謝と祈りを込めて。それ故に国の民は皆音楽を楽しみ愛しています。」
「そしてその勝者が領主になるという事ですか」
そしてルチアーノは参りました、と言わんばかりに両手を上げながら微笑む。
「正にその通りです。ジン様には何もかもお見通しのようだ。
まぁ領主と言っても名誉職の様な物ですが。それでもその栄誉を望むものは多い。
ですがなぜ私がその勝者だと?」
ジンは一瞬躊躇した表情を見せたが、渋っても仕方ないとルチアーノの疑問に答える。
「貴方の喋り方には我らと同じ発声の癖が見られる。それは歌手が行う発声練習によるものなのだが貴方の場合かなり練度の高さだ。だからこそ驚いたのだが。
なるほど、ならばこの街の熱狂ぶりもわかります。これは私も気を引きしまなくてはならなそうですね」
そう言いながらジンは出された飲み物に手を伸ばす。飲んだ瞬間ハーブの香りが口の中で広がっていく。そして共に持ってこられた焼き菓子をほおばる。
ほのかな甘みが先ほどのハーブティーによく合う。やはりこういった街で出される食べ物は美味しい。旅先で食べる味気ない黒パンと水などではこの幸せは味わえない。
「そのようにお褒め頂けるとは光栄ですね。
どうぞ、ゆるりとお過ごしください。
時期も良い事に音楽祭ももうすぐ始まります。
吟遊詩人の皆様には届かぬかもしれませんが我が国の国民も皆熟練の演奏家たちですよ。きっとジン様にも満足して頂けるかと。
その時にはジン様にも最後に一曲お願いしたいと思っております。よろしいですか?」
至福の時間を楽しんでいたジンは二つ返事でそれに了承した。後から思い返せばどうせ捧演をおこなうことになるのだからと気軽な気持ちでいたのがまずかった。
素直に言ってジンはこの国を侮っていたのだ。その内に秘める情熱を。




