10 レベル3の実力
「なぜだ、なぜ奴は気付いた」
頭に浮かぶ疑問を何度も問いながら、ヨゼフは馬を留めておいた場所へと走る。ヨゼフの放った矢はアルクの姿を確実に捉えていたはずだった。
しかしアルクはそのすんでのとこで身をかがめ矢をよけて見せた。完全な死角からの攻撃であったはずなのに。だが今それを考えても仕方ない。今はとにかく逃げることだけを考える。
木々の間をすり抜け、やっと馬の姿が見えた時ヨゼフの背筋になにかうすら寒いものがよぎった。それと同時に深い木々により薄暗かったはずの周囲に光が満ちる。
その異様な事態にヨゼフは反射的に近くの大木の隅に身を伏せた。かつての師が語っていたことを思い出す。
「戦場で神経を集中させているとき何か寒気のような気配があった時には、まず身を守ることを考えろ。
俺達適合者の中には何かの気配を感じ取る勘のようなものを持っている者がいる。だからそんな気配を感じ取ったらすぐさま仲間に伝えるんだ。そうすることで実際に何度か命を救ったことがある」
まさかさっき奴がよけたのも同じ感覚があったから?だが奴はまだ俺の位置を把握していないはず。そう考えると同時にその憶測は確信へと至る。
ヨゼフが見たのは頭上に輝く光の巨大な球、そしてその光がはじけ飛び無数の光の矢が降り注ぐ光景だった。
「ちくしょう!くそったれめ、そんなんありかよ!」
ヨゼフは悪態をつきながら出来る限り体を縮め、光の矢の雨から身を守る。なんとも情けない格好だったが、自らの幸運にかけるしか術はなかった。
その直後木々の葉っぱに猛烈な雨が通ったような音がし、続いて無数の光が地面に突き刺さった。近くで馬の悲鳴が聞こえてくる。恐らく、ヨゼフの乗ってきた馬だろう。留める為、木につなぎとめていた事に後悔するが、その声もほんの数秒で無くなり、辺りは静寂に包まれる。
何とか生きている、そう実感できたのは後方から近づいてくる馬の蹄の音が聞こえてきたから。つまりそれは更なる危機を示していた。
逃走手段の馬は恐らくすでに息絶えているだろう。敵は体制を整えすぐにここまで来る。気がかりなのはジンがどうなったがだが、今それを知る術はない。ならば少しでも場を混乱させ、アルクに一矢報いる。そう心に決め目を閉じ深呼吸を一度して冷静さを取り戻す。
「逃げられないか。なら、せめてあいつだけでも。」
そうつぶやくと一気に蹄の音の方へと振り向き【迅雷の弓】を構える。が、その音の主はヨゼフの予想を超え、すでにヨゼフを追い越してすぐそばで着地していた。
しかしその馬上に跨る少年の姿を見てヨゼフは構えを解く。なぜならそれは最近やっと見慣れた旅の友であったから。
「さっさと乗れ!逃げるぞ!」
青鹿毛の黒馬に跨る、吟遊詩人ジンは未だ人懐っこい笑顔でそう告げたのだった。
カーズの背に跨り、ジンとヨゼフは森を抜け草原を突き進む。その速度は二人乗りにも拘わらず、今まで乗ったどんな馬よりも早く風の様に駆けていた。
「あの状況でよく逃げれたな?」
必死にジンの背中にしがみつきながらヨゼフは声を張り上げる。馬に乗りなれたヨゼフですら恐怖を感じるほどの速さでカーズは森の中を駆けていた。
「どこぞのバカが頭を狙ってくれおかげでな。奴が大技放つときの隙をついて馬車を切り離して逃げられた。奴らこいつの逃げ足の速さに度肝抜かしてたぞ」
ジンは何でもないことの様に後ろを振り返りながらそう答える。
「その逃げ足がなければのたれ死んでいたのはどこの阿呆だ?」
呆れたかのように話すカーズは全力で駆けているように見えるのに息を切らす様子もなく平然としていた。
「へいへい、悪ぅございましたよ。まさかここまで強硬手段とるなんて思わないだろ?」
ヨゼフはジンとカーズがまるで何事もなかったように笑いながら話をするのを見て呆れた気持ちになるが、その先にあるものを見て顔色を変える。
「おい、どうすんだこれ以上は進めな…」
その先に見えるのは【庇護の壁】。その壁をカーズはヨゼフが言葉を繋げる間もなくあっさりと超える。
「ちょ、ちょっと待て。どこまで逃げるんだよ!」
「このまま次の国まで行く。もうあの国には戻れん。戻ったら騒乱に巻きこまれるだけだ」
事もなさげにそう返す。その顔にはなんの迷いもない。
「何言ってやがる!奴らは禁忌を犯したんだぞ!事実お前も殺されかけた!早くダラスに帰って報告しなければ!」
「報告したところでどうなるというんだ?あの国にアルク、あいつを殺せる奴がいるのか?もし奴らの罪が白日の下にさらされたとして誰が奴を裁ける?
あの国の軍事力は事実あいつが握っているんだぞ?もしそんな事態になればあいつはなにをするかわからん。最悪全てを敵に回して独裁でも始めるのではないか?」
「そんな事が許されるか!第一ジン、お前も仲間を殺されたのだろう!?なにか思うことはないのか!」
「そりゃ悔しいさ。だが出来ることはない。まぁ今後しばらくはダラスに近づかないよう他の楽団に伝えればこれ以上被害が出ることはないだろう」
その言葉にヨゼフの顔は青ざめる。もし吟遊楽団の交易が無くなればどうなるか。そんなことは火を見るよりも明らかだ。
「ちょっと待てよ、そうなったらダラスの民はどうなる」
「…残念だが、俺にはどうすることも出来ん」
「…そうか。わかった。ならここで俺を下してくれ」
ジンからの返事は来ない。その代わりにカーズはその速度を落とす。ジンが手綱を緩めた気配はない。恐らくカーズが自らその歩みを緩めたのだろう。そしてついに完全にその歩みを止めた。
「確実に死ぬことになるぞ」
ジンは小さな声でそうつぶやいた。ヨゼフは前を見つめたままのジンに言葉を続ける。
「だとしても国を捨てて俺だけ逃げる事はできんよ。ただ一つだけ頼みがある。少しだけ他の吟遊楽団に連絡するのを待ってくれないか?
もし俺がアルクを倒すことが出来たらその時はなんとか今後も交易を続けさせて欲しい。虫のいい話という事は分かっている。だがそれでも頼む」
カーズの上で声を振り絞りそう頼んだ。その姿をジンは見ようとしない。振り向かない。その代わり一つの言葉を返事とした。
「死にたいなら好きにしろ。馬車に食料やらなんやら置いてきちまった。どっちにしろ、この場に2日は留まる。この辺なら上位の獣魔はいないからな。その後伝令を送るとしよう」
その言葉にヨゼフは勢いよく顔を上げ、笑顔で応えた。
「そうか、ありがとう」
「だが壁の所まで戻りはしないぞ。ここからは自分の足で壁まで帰れ」
壁までの距離は数メートルしか離れていない。それでもその距離は果てしなく遠く思えた。
「ああ、十分だ。もしそれで死んだならそれだけの男だったという事だ」
そしてヨゼフはカーズからおり、地面へと降り立つ。その瞬間先ほどアルクの攻撃から感じた以上の寒気がヨゼフを襲った。これが庇護の外の世界なのか。
感じる気配は無数の様にありその全てが恐ろしいほどの力に満ちている。その意識は俺に対して向けられてはいないだろう。だがそこに存在するという威圧感だけでヨゼフの全身から汗が吹き出していた。
それでもヨゼフは足を壁へと進める。あの先には俺が守りたい世界がある。止まっているわけには行かない。
ゆっくりと一歩一歩確かに進んでいく。本当ならば駆けてすぐにこの場を離れたい。だが体は強張り思い通りに動かない。それでも警戒はとかず結晶機を構え何とか進み壁へとたどり着く。
力を振り絞り壁に手を付け、超えた瞬間その圧力は一気に消え失せた。息も絶え絶えになりながら地面に仰向けになる。戦闘でもなんでもない、ただ数歩あるいただけ。それでも二度と壁の外に出るか、そう思うには十分すぎた。
「ヨゼフ!こいつは餞別だ。持っていきな!」
壁の外からの声、それはジン以外にはありえない。なんとかその声の方を向き、ジンにほうり投げられた何かをつかみ取る。それは銀色の丸いペンダントだった。
「そいつはきっと役に立つ。お守り代わりに持ってろ!まぁ気張れや!」
そういうとカーズを駆り、すぐにその姿は見えなくなる。アルクを倒した後どう知らせればいいか、決めてなかったな。そうその姿を見送った後気付いたが、その考えを振り払う。
奴なら自分でなんとかしちまうだろう。今はアルクをどうやって殺すか。そのことを考えなくてはならない。とにかくまずはポーラに伝令を送らせた他の羊守たちと合流しよう。ジンから渡されたペンダントを首にぶら下げ、歩き始める。残された時間は多くないのだから。




