8 間違い探し
学校からすぐ近くにあるマンションの一室、私の部屋。引っ越してきた時にはママが、最近では夢ちゃんが入り浸っているけれど、学校の友達を連れてきたのは今日が初めて。
「ただいまー」
家を空けている間に勝手に上がり込んでる誰かさんがいるかもしれないと思い、ついついただいまと言ってしまう癖が付き始めていた。
「ちょっと散らかってるけれど」
「え、全然キレイじゃん。それに思ってたより結構広い」
お世辞が上手いなーって思ったけれど、早く本題に入りたかったし、中へと案内して飲み物をとりに冷蔵庫へ。買った覚えのないジャスミン茶の紙パックを開け、グラスへと注ぎ部屋へと戻る。
暫く――無言が続いたが、先に口を開いたのは私の方だった。意を決して打ち明ける。
「あのね、私……、昔から、おかしなモノが見えることがあるの。見える時は、嫌な感覚が体中に湧いてきて、さっきみたいに辛い感じになるの」
変な子だと思われてしまうかもしれない。そんな不安を抱えつつも告げていく。あの時の音が聞こえていたのなら、きっと信じてくれると思ったから。
暫くの沈黙の後、次に口を開いたのは向かい側に座るゆずゆちゃん。
「私も、昔から、人と違うモノが見えることあった。でも、嫌な感覚とかそういうのは感じたこと無くて……。ただ――――」
一呼吸置き、続ける。
「人が嘘をついてるかどうかが、なんとなく判るの」
そんなこと、と一瞬頭をよぎったが、すぐにその思考を打ち消す。私が人に打ち明けることを恐れているように、まっすぐこちらを見つめるその目にも同じような不安の色が浮かんでいたから。
子供の頃、随分と嫌な思いをした記憶が脳裏を掠める。それはきっと、目の前に座る彼女もそうだったに違いないと私は思った。
「入学式の時、覚えてる? あの時も最初に判ったから、それに合わせて説明付けたの」
遅刻した理由を当てられた時のことを思い出す。あの時の、そうだったんだ。人の嘘が見抜けるなんて、すごいと思う。けど、もし自分にそんな力があったとしたら……。そう考えると、便利とかってことよりも、とても恐ろしいことのように感じられた。
私は軽くグラスに口をつけ、一息付けてから話を続ける。
「私は今日、窓ガラスが虹色に光り輝いているのを見た。その後動物の断末魔っぽい声と、何かが潰れるような音。ゆずゆちゃんは?」
「最初に、多分同じ音が聞こえてきた。それと……菜波センセの、服が、その、あ、赤かったの。ええと全部じゃなくて、返り血を浴びたみたいな、そんな感じ」
私には、それは見ることが出来なかった。だけどそれを間近で見てしまったからこそ、あんなにも先生に怯えていたんだろう。
それぞれ、何を見てしまったのかは分かった。けれど――――
「多分、変なモノが見えちゃう所は同じだけれど、全く違う現象だよねこれ」
「うん……。もしかしたらって、思ったけれど、全然違う」
結局は何の解決にも繋がらず、ふたり分の、余計に分からないことばかりが増えてしまった。
はああーとふたりで溜息をつくと、重い空気に包まれながら暫くの間項垂れていた。
◇
「ぴこーん。ただいまー」
部屋に侵入した来訪者が、静寂を破り帰宅を告げる。あー、夢ちゃんだ。あれからほんとよくうちにやって来るようになったなあ。
「おかえりー」
「んー、あれこの人ダレ? 私というものがありながら、きーっ」
どこから取り出したのかわからないハンカチを両手で持ちながら、口に咥えている。
「夢ちゃん……何してるの?」
「嫉妬深い奥さんのモノマネ」
ああ、そう……。
なんだか話が進まなさそうだから、さくさくと紹介してしまおう。
「こっちは岸本ゆずゆちゃんだよ。ほら学校の友達の」
「あー、なるほど、お噂はかねがね。夢は夢だよ、よろしくね!」
「この子は鈴木夢ちゃん。なんていうか独特な子だけど、仲良くしてね」
まともに自己紹介する気は無さそうなので、私が勝手に補足した。
「う、うん。はー、砂糖菓子夢さんにすごくそっくりでびっくりしました」
「まあ夢のほうが可愛いけどね」
あ、この話題はマズイのでは……と思ったが、夢ちゃんは特に気にする様子も無く自然に受け答えしていた。
この間のあれは一体何だったんだろう。
「ホントに似てるよね、金髪だからそこだけ違う感じだけど」
「え、あれ……黒じゃあ……?」
うん? どういうこと?
ああ、そういうことか。でも、こんなに頻繁に起こるなんて。
「夢ちゃん、髪の毛何色?」
「は? どう見ても金色でしょ? 銀もしかして色盲?」
もしかしたらと思い一応聞いてみたが、本人が言うには金髪が正解みたい。でもそれじゃあ、ゆずゆちゃんが見えている色はどういうことなんだろうか……。
「実は黒色だったりしない?」
「…………」
返答がない。あまりにも変なことを聞いているから、呆れられてしまったのだろうか心配になってきた。
その疑問は、夢ちゃんの口からも返ってきた。
「どうして、黒色だと思ったの?」
いつもと違い、とても静かな声だった。
どうやって説明しようか。本当の事を言っても笑われて終わりそうだし。どうしようか思案していると、唐突にゆずゆちゃんが挙手をした。
「あの、私その、変だと思うかもしれませんけど……、昔から人に見えないモノが見えたりするんです!」
「不思議ちゃん?」
「そ、それと、相手がホントの事を言っているか、なんとなくだけど判るんです!」
「…………」
なんだか失礼な事言われてた気がしたけど、真剣な表情で構わず話を続けていた。若干の沈黙が続き、ああ、これは失敗だったかなあと、これ以上は続けられないかなと思ったその時、
「なにそれすごい面白そう」
夢ちゃんが乗ってきた。
「どうやってウソかホントか判るのかな。夢の髪は金色なんだけど、これはどうなの?」
「嘘は、ついてないです。でも私には黒髪に見えてて……」
「夢は黒髪です。これどう?」
「嘘じゃないです。えっそんなどうして……」
想定外の事なのか、ゆずゆちゃんが難しい顔をしている。金髪も黒髪も本当のことだって感じているみたい。2色共正解なんて、きっと、そんな矛盾が理解しきれていないような。もしかしたら、こんなこと今まで無かったのかもしれない。
「なるほどなるほど? そもそもこーゆー姿が違って見えるって、今までもあったりしたの?」
「髪の色が違って見えるなんてこと、そもそも今まであまり考えたことも無くて……」
普通、自分の見ている世界が他の人と違っているなんて早々考えないよね。私だって昔はそう思ってた。今ではもう、重々承知しているけれども。
「んー、んんーん、解った、つまりそういうことか。じゃあちょっとゲームしよっか。これから5つのことを言うから、全部正解したら、あーやっぱ最後の5つ目だけ正解したらゆずちゃんの勝ちでいいよ」
「それに勝ったら……?」
「なんで黒髪に見えたのか、その理由を教えてあげる。それに夢の知ってることならなんでも教えてあげるよ」
それって、どういうことなんだろう。目の秘密を何か知っているってことなのかな。
もしかしたら、私が見えてる幻覚の秘密も、なにか――――
「じゃあいくよー。夢の嘘発見ゲーム、はじまりはじまりー」
「第1問、ででん! あ、言い忘れてた。正解は5問目に正解したら全部教えるけど、それ間違えたら大変だよ。多分何が本当に正解なのかわからなくなるから、すっごく気をつけてね!」
なんだかすごいノリノリで始まったけど、ここはなんとしても勝ってもらわなきゃ。それにしても、そこまで言う最後の問題って一体どんなものなんだろう。
「めんどくさいから3つまとめていくね。夢が嘘をついていると思ったら、手をあげてくださーい」
私達ふたりは小さく頷いた。
「1つめー。夢はもうすぐ100歳になるよ!」
ゆずゆちゃんは手を挙げない。
「2つめー。夢は魔法使いなのです!」
ゆずゆちゃんは手を挙げない。
「3つめー。夢は実は、砂糖菓子夢本人です!」
ゆずゆちゃんは手を挙げない。
「おおー、なかなか面白い回答だと夢は思います。解説の銀さん、どうでしょうかー」
「わっかんない……」
本当に分からない。どうして手を挙げないのか。こんなの嘘だって、私でも分かるような話だよ?
――それとも、こんな嘘みたいな話が、本当に、本当のことだって、そう言うの?
「おっしじゃあ4つ目はサービス問題いっちゃうぞー」
そう言いながら、部屋に来た時から立ちっぱなしだった夢ちゃんはベッドに腰掛けた。
彼女は両手を太ももの側面に当て、上の方、腰へと向かってゆっくりと撫でていく。スカートの両端を押し上げながら、内側へと両手を潜りこませると、そこで手の動きを止める。隙間からは僅かに肌色が覗いていた。
「夢が今日穿いている下着は、水色のシルクである」
何言ってるのこの子? サービス問題ってそういう意味なの!?
ってゆずゆちゃんは何で挙手してるの!?
「お? ここに来て初めての嘘判定。さてさて正解はー……」
夢ちゃんの手が、腰の辺りから、静かに、ゆっくりと、足の方へと下っていく。暫くして、スカートの影から現れたその布の色は――――
「正解はぁー、白無地のシルクでしたー。すごいすごい、正解にこれ要る?」
「いらないです」
「なんだとおらー」
すっと手を下げ否定を口にするゆずゆちゃんと、それを若干不機嫌そうな態度で応じる夢ちゃん。本当にこの子は一体何を考えているのか、私には理解できそうにない。
でも、この問題を正解したっていうことは、やっぱり本当か嘘か判別出来ているってことなのかな。もしもそうだとするなら、最初の3つ、どう考えても嘘みたいな話だったけれど、本当なのかもしれないの、かな……。
あとひとつ、最後の問題を正解出来たらそれも全て分かる。
「それでは最後の問題の時間がやってまいりました。果たしてゆずちゃんは正解することが出来るのでしょうかー!」
これさえ正解すれば、問題の答えを、そして、なんでも知りたいことを教えてくれる。この1問に私達の希望が託されている。
私達の真剣な思いとは裏腹に、心底楽しそうにゲームに興じる夢ちゃんは、ついに最後の問題を
「夢は男である」
……は?
一瞬、思考が真っ白になった。今までも十分おかしな話ばかりだったけれど、最後のこれは飛び抜けてひどい。ひどすぎる。
あれでも待って。もしかしてこれが本当のサービス問題なのかも。わざと私達に正解させてくれようとしたのかも。
でも――――
ゆずゆちゃんは手を挙げない。
……なん、で?
私は、違う、私達は、ふたりして本気で驚いていた。
私は、どうして手を挙げてくれないのかを。
ゆずゆちゃんは、どうして本当の事を言っていると感じてしまったのかを。
私達とは対照的に、夢ちゃんはとてもとても楽しそうに笑みを浮かべている。その笑顔は、小悪魔と呼ぶに相応しい程だった。
「ほらー早く早くー。スカートを捲るまでは正解はわからないよ。シュレディンガーの夢ちゃんだよ」
早く早くと、太ももに下着を引っ掛けたまま、膝の上を手のひらで叩き私達を催促する。ベッドに座る夢ちゃんの前へと私達ふたりは移動する。
これが正解なら、もしかしたら、自分に見えている世界の正体が判るかもしれない。
部屋を包む静寂の中、心臓の鼓動は体を伝いその早さに我を忘れそうになる。
夢ちゃんのスカートへと、ゆずゆちゃんの手が伸びる。
「やさしく、してね……」
「流石にちょっと気持ち悪いです」
顔を赤らめて変なこと言ってる夢ちゃんに、ゆずゆちゃんの鋭いツッコミが突き刺さっていた。
スカートをゆっくりと捲ると――――
そこに、男の子を主張するものは、存在してはいなかった。
「何も、ない」
「うん……何も生えてないね」
「夢は女の子だからねー」
勝ち誇った笑顔と共に、最後の問題とは真逆の言葉を発してきた。
運動していたわけでもないのに、どっと疲労が溢れだす。正解ではなかったけれど、私は少しほっとしていた。だって、夢ちゃんが男の子とか正直考えられなかったから。
でも――――
私の隣で、今までずっと信じてきた自分の感覚を完全に弄ばれたゆずゆちゃんは、複雑な表情を浮かべて硬直していた。一体、今どんな気持ちでいるのか、私には理解する事が出来そうになかった。