6 砂糖菓子夢
「料理って案外簡単そうなんだね。私も覚えようかなあ」
「さっきみたいなのは真似しないほうがいいよ。人気でないから」
簡単そうでいいと思ったさっきの作り方、作った本人が否定してるんだけど……。それに料理で人気とか、自分が食べれるなら別にいいと思うんだけどな。
「そういえば、何で夢ちゃんはベッドで寝てたの?」
「んー、今日はそういう日だったのです」
それは一体、どういう日の事なんだろう?
晩ご飯の後片付けも終わり、気になっていたことをいくつか聞いてみたが、いまいち的を射ていない答えばかりが帰ってくる。段々とこういう子なのだということにも慣れてきたから、あんまり気にはならないけど。
「近くでお仕事だったんだけどねー。すっごい眠くなってきて、布団が夢を呼んでいたの」
「声のお仕事って言ってたっけ。声当てる収録とかそういうの?」
「んー、今日はちょっと違う感じー……」
夢ちゃんは目頭を指で抑えながら、眠そうに答えてくれた。食後ということもあって眠くなってきてしまったのだろう。働くのってやっぱり大変なのかな。
こんなに小さいのにお仕事してて、学校も飛び級で修了済み。晩ご飯も作ってくれたから料理もできちゃう。
なんていうか、私なんかと比べるのも変だけど、何でも出来てすごいよなあって。
一人暮らしをさせてもらっただけで、ちょっと立派に、偉くなったような気になっていた自分が、少し恥ずかしくなってきた。
お金は親が出してくれてるし、学校の成績も大したことない。ご飯だって自分じゃあ作れない。
ひとりになったつもりだったけど、何にも出来ていなかったんだなって。
感傷にひたっていてもしょうがない。これから、少しずつ、少しずつでいいから、色々な事を出来るようになっていけばいいはずだから。
まずは目の前の眠そうな子を休ませてあげるところから始めようと思う。
「夢ちゃん眠そうだけど大丈夫? 眠いならベッド使ってもいいよ」
「マジで」
夢ちゃんは即答するとベッドに向かって前転しながら突進していき、頭からベッドの側面にぶつかる。勢い良く木材に打ち付ける鈍い音が部屋に響いた。
「ぐえ」
何やってんのこの子。うっわー痛そう……。
ぶつけた頭を両手で抑えて突っ伏していた。暫くすると痛みも引いたのか、顔だけをこちらに向けてきた。
「やばい目ぇ醒めた、1分くらい寝たと思う」
「頭打っただけだからね、大丈夫?」
「寝れば治ると思う……」
そう言いながら夢ちゃんは起き上がると、ベットの上へと両手を広げて飛び込み布団に潜り込んでいった。もぞもぞと動く布団の膨らみが、奥側、壁の近くまで行くと動きを止めた。
潜ったまま頭は出してこない。
目を向ける必要もないほど大人しくなった夢ちゃんを一先ず置いておく。
左手首の端末に手を掛け、実家のメディアへとアクセス。去年放送していたリメイク第四版、Mr.スターライト・シーズン1のデータをロードする。終わるまでは暫く掛かりそう。
帰った後も着たままだった制服を着替えるために、部屋にあるユニットクローゼットに手をかけ扉を開ける。
紺のブレザーのボタンに手をかけ、袖からすっと腕を抜き出す。
首のリボンのボタンに手をかけ、外れたそれをすっと抜き取る。
スカートのホックに手をかけ、ファスナーを下げると、すっと床に落ちていく。
ハンガーを取り出してそれらを掛けていく。
チェストから適当に一番上の下着を掴み取り、別の段からは黄色の柄物パジャマを取り出す。洗面台へと向かい鏡を前に着替えを済ます。脱いだものはそのまま脇に置いてある洗濯籠へシュート。
ベッドへと戻ってくると、布団に手を掛けそっと持ち上げる。
「布団隣入るね」
「あん?」
布団に入ると同時に、夢ちゃんが顔を出してきた。いつの間にやらさっきまで着ていた服ではなく、キャミソールっぽい服に変わっている。本当に、いつの間に……?
「夢ちゃん、その服どうしたの?」
「しまむらで売ってた」
「そういうことじゃなくて、いつ着替えたの?」
「着替え? 夢は魔法使いだからね、一瞬よ」
「魔法使いかあ、夢ちゃんなら似合いそうだよねそういうのも」
「うん? うん、うーん?」
夢ちゃんは曖昧につぶやいたかと思うと、再び布団に潜っていった。何をしていたのかと思うと、さっきまで着ていた服を引っ張り出してきた。
「こんな事もあろうかと、布団の中に仕込んでおいたのであった」
何が、と思いはしたが口には出さなかった。それを口にした所でまともな答えは返ってこない気がしたから。
それにしても魔法使いだなんて、夢ちゃんもやっぱりまだまだ子供なんだなっていうことなのかな。
「夢はもうお風呂も帰ってくる前に入っちゃったけど、銀はいいの?」
「明日の朝入るからいいかなあ」
「匂い嗅いでいい?」
「だめ、絶対」
「夢も嗅いでいいよ?」
「嗅がないからね」
すごくいい匂いで落ち込みそうな気がするし。
端末を確認してみると、メディアのロードはさっぱり進んでいなかった。明日以降になりそうだったので見るのはまた今度にしよう。代わりにニュース専用番組にチャンネルを合わせる。端末のボタンを押すと同時に、天井にパネルが現れ映像が映る。
『群馬県に住む人間国宝。ツチノコハンターで知られる大鳥元谷さんが、昨日午後8時にお亡くなりになられました。近年、岐阜県西白川村にて発見された新種の――――――――――』
ニュースを見るのは日課。一人暮らしをする際に、ママから出された条件の内のひとつ。朝と夜、どちらか必ずニュースを確認すること。最初はあまり見る気がしなかったが、最近では色々な地方や世界の風景を見ることができるので少し好きになってきた。
『本日正午、東京都中野区の東京警察病院が襲撃される事件が起こりました。犯人は「俺は世界の敵の後継者だ」と供述している模様。警察の迅速な対応から被害者は出ていないとのことです。被害状況については――――――――――』
肝心の内容については、さっぱり聞いてはいないけれど。
『バーチャルアイドルの砂糖菓子夢さんが、本日、東京都内の小岩警察署で一日警察署長に任命されました。新人の警察官へ向けてのスピーチを――――――――――』
やっぱり、似ている。壇上のマイクに向かって口を動かしている少女は、今隣にいる夢ちゃんととてもよく似ている。子供をアイドルに似せる親はいるにしろ、流石に似すぎだと思う。
◇
砂糖菓子夢。
彼女はその昔、何十年も前に実在していたアイドル。お茶の間を独占していたその人気や知名度は、日本版のMr.スターライトのようなものだった。もっとも、アイドルだからヒーローと違って戦ったりなんて事はせず、歌ったりするのがお仕事だったらしいけど。
そんな彼女は、とても珍しい、難しい病気を患っていたと言われている。
それは、見た目の成長が止まる病気。
私のママと同じ病気。
そんな病気があるなんて知らなかった小さい頃、私はママに聞いた。どうしてずっと子供のままなのかと。
『年を取らない病気なの。いつまでも若いままのママなのです。いいでしょう?』
ささやかな微笑みを添えて、私の問いに答えてくれた。
他にも、老化が遅くなる病気や、生まれてすぐに成長が止まる病気、それらとは逆に老化が加速する病気等があることを、子供の私に教えてくれた。
後から気になった私は、その病気について色々と調べた。
見た目は変わらずとも、その精神や脳、全身の器官、細胞は歳を取っていく。症例そのものが少なく、嘘の発症報告も多数存在するせいで、事実なのかどうかもあやふや。そのため、原因も死因もはっきりとは断定されていない。
見た目と乖離し続けるその人の中身が、精神が、耐えられる水準を超えた時、その生命は終わりを告げると言われている。
この病気が実在するものとして認知されたのも、砂糖菓子夢、彼女の功績。
どのような最後を迎えたのかは、私には見つけられなかった。
居なくなってから数年後、熱狂的なファンが事務所と交渉する。3DホログラムとAR、拡張現実の立体化技術を携えて。最終的に折れた事務所側は、自社のサイトで是非の投票を受け付けた。彼女を現実で動く立体映像として、現代に蘇らせてもいいかどうかを。
開票の結果は火を見るよりも明らかで、98.77%の支持を受けた。
その支持率の高さは、元々のアイドルとしての人気だけではない。30年前の大災害時、反対する事務所を辞め、10数年間、世界各地の復興へ手を貸し続けたことも多大に影響している。最初の頃は面白がっていたマスコミの報道は、すぐに下火となる。しかし、その活動が終わること無く続けられていたことは、ネットの口コミで共有されていた。
献身的な彼女の姿勢は、当時のお年寄りから若者まで波及していく。それは国内に留まること無く全世界で、少女の容姿も相まって、聖女と呼び出すものまで現れる。
活動は着実に評価され、すべての世代、人々の心を鷲掴みにしていった。
こうして、その映像技術の中に生きる彼女を、私達はいつまでも見続けることが出来るようになった。
これからも、いつまでも年を取らずに、彼女は生き続けることだろう。
それが彼女にとって、本当に幸せなことなのかは、今となってはもう、誰にもわからない。
◇
「夢ちゃんって、砂糖菓子夢さんにすっごい似てるよね」
「そう? 全然似てないと思うよ」
夢ちゃんは誰が見ても似ていると言うであろうその姿で否定の言葉を口にすると、ずるずると布団の中へと潜っていった。
「……夢は、優しくないからね」
その声は、いつもと違いとても落ち着いた、そんな雰囲気を纏っていた。
「…………夢は、夢のために生きてるから」
「そっか、なんかごめんね」
「いーってことよ」
その答え方は、たしかにいつもと同じだったが……やはり声の調子は大人しく、静かなつぶやきだった。
しんとした空気の中、夢ちゃんは再び上の方へずるずると頭を出してくると、
「ちなみにあれの声当ててるのは夢なんだよ、すごいでしょー」
と、いつもの調子に戻った声と共に天井の画面を指さし、衝撃の事実を告げてきた。
「ホントに?」
「ほんとにほんと、ライオンくらい。スタッフロールとかにちゃんとしーぶい、鈴木夢っていっつも出てるでしょ? もしかして見たことないの?」
「ごめん、みたことない」
ライオンのどこが正しさの証明につながっているのかはさっぱりわからなかった。隣を見ると、眉を歪めた夢ちゃんの顔が目に映った。みたびずるずると布団の中へと潜って行くと、長い間脇腹を突かれ続けた。
ちょっとまってそれは弱いから本当に止めてと思いつつも、体をよじりながら甘んじて受け入れることにした。抱えている何かを、少しでも受け止めてあげれるように。
突かれなくなった後、布団の中を覗くとすやすやと寝息を立てていた。軽く空気が通るように掛け直し、今日はそのまま眠ることにした。
静かな声で「おやすみ」と、誰に聞こえるわけでもない言葉をささやき、瞳を閉じた。