4 従姉妹
駅へと向かう道すがら、銀は担任であり従姉妹でもある菜波の事をぼんやりと考えていた。
(背格好、うちのママと同じ位なのかなあ……)
目の前を先導して歩く少女。初めて出会ったのは去年の夏休み。親戚の子が来ていると母親である白音から紹介されたのが菜波だった。
彼女を呼び娘に紹介した意図は、中学3年になっても受験勉強に手をつけていない娘を心配しての事。
飛び級で高校教師をやっていると言われても初めは半信半疑の銀であったが、暫くすればその事実を認めざるおえない程に彼女は問題の解き方をわかりやすく紐解いてくれた。
夏休みの間丁寧に教えてもらった甲斐もあり、結果的に成績は上がり今この高校へ通えているのも、彼女のお陰である。
そんな彼女のことを、ただただ、すごいなあという平坦な感想で評価していた。
◇
菜波は今年の入試試験、受験生名簿に刻まれた逢坂銀の名を目にした時にはとても歓喜した。立場上、積極的に交流を図る事が出来ない白音と接触する機会を増やすことが出来ると考えたから。
本来親友である白音との接触を制限されている事に渋々了解してはいるものの、その心は穏やかではない。何かあった時にはすぐ駆け付けられるような立ち位置が望ましいと考えていた。
10年程前の事件の後、生存していると都合が悪いと判断した当時の政府は、当人は戦死したとする捏造を推し進めた。その結果、実際には生きている菜波の扱いをどうしたかと言うと、娘という扱いにし戸籍情報もそれに合わせて改竄された。
そのため、戸籍上は白音から見て姪になってしまい表向きは会話をするのにも気を使わなければならない。その代わりにこれまでの立場は清算され、しがらみのない生活を送れるようになった事は事実だ。
自分の力を必要としない世界になったのだから疎まれるのも仕方が無いと当時は考えていた。だが、最近再びおかしな事になってきているらしいと耳に入れている。どうやら現実世界側に干渉しようとする何かの動きがあるという。
白音曰く、転化事件当時の状況に似ている、と。
今のところは日本国内のみでしか確認されていないとも聞いている。その為、転化事件と関わりがあり、国の行政機構にも顔が利くメンバーが秘密裏に対応しているとのこと。
(こういうことは大抵、しーちゃんと夢ちゃんと……黒さんも、かな。あの人ずっと引っ張りだされちゃって、きっとまた定年退職させてもらえなかったんだろうなあ)
若い頃に押し付けられた仕事が、半世紀つきまとうとは流石に本人も思ってもみなかった事だろう。
(師匠がいれば、きっと色々捗っていたんだろうけど……)
左手を手前へと掲げると、透明な淡い青のパネルが宙に浮かぶ。軽く指先で操作すると上部にはフレンドリストの文字が表れる。幾人かのハンドルネームと思しき名前が羅列されていた。
これまでにも、幾度となくこの操作を繰り返してきた。
菜波のフレンドリストに残る師匠と呼ばれた彼女の名前は、深い灰色を示していた。10年程前から、その色が変化する事は決して無かった。
それは、この世界に彼女はもう、存在していないことを意味していた。
◇
昼食の目的地は駅の地下、日本中に展開するパスタの老舗。店名の由来はその昔釜茹での刑に処された罪人の名から。独自の創作料理、和洋取り揃えたラインナップ。歴史ある味が客の心を掴んで離さない。
おかげで12時過ぎの昼食時は、待ち時間無しで入店するのも難しい。
お昼時には少し遅い時間となったため、客足は多いもののスムーズに入店する事ができた。席へと案内され、メニューの中から各々料理を注文する。
銀は、イベリコ豚ベーコンとほうれん草のクリームソース。
菜波は、ズワイガニと海老と本からすみのペペロンチーノ。
ゆずゆは、豚しゃぶとたっぷり野菜の和風胡麻ダレ仕立て。
銀は濃い味、ゆずゆはあっさり、菜波は値段の張る海鮮を選んだ。
海産物の値段の高沸は30年前の大災害に起因する。養殖技術の安定した現在でも供給は災害前とは比較にならないほどに少なくなってしまっていた。
注文が来る間に、菜波は端末に配布された授業のスケジュールを確認する。透明な淡い緑のパネルを操作する手を、向かい側に座るゆずゆは怪訝そうに見つめていた。
「ゆずゆさん、だっけ。どうかした?」
視線に気づくと手の動きを止め、何かおかしいのだろうかと疑問に思い口に出した。
「いえ、その……手、何してるんですか?」
「何って、学校のスケジュールを確認して、あーそっか、そっち側から見えないのか」
菜波はこっちこっちと手招きする。席を立ったゆずゆは後ろへ回り込むと、その意図を理解した。反対側からは透明で見えないようになっていたのだ。市販の通常仕様ではこのような透明化は起こらず、反対側から見ても薄いパネル自体は見えてしまう。表示内容までは透過されないが。
「なにコレどうなっているんですか」
「これでも教職員ですので。それなりの立場や理由があるとこういう仕様の端末が使えちゃったりするんだよ。知らなかった?」
「初めて見ました。中学校の時の先生もこんなの使ってる人見かけなかったです」
「どこの学校よそれ……。あーいやでも値が張るからね。しょうがないか」
その会話に、銀の声も続いた。
「あれ? 私の端末もそんなかんじなんだけど?」
何でだろ。と、疑問をこぼす。自分は別に特別な立場でも無いはずなのに、と。その答えは従姉妹である菜波の口から告げられた。
「銀さんは親が警察の人だからね。それなりの役職についてるはずだから、よくやり取りをするだろう娘のも特殊な仕様のやつにしてるってことだと思うよ」
「そうなんだ。もしかして私のママってすごい人?」
「うーん……もうちょっと自分の親のことに関心を持ったほうがいいと思うんだよ」
初日から遅刻はしてくるし、親のこともまるで把握していない。それも表向きの情報ですら。これがあの子の娘かと思うと、軽い目眩のような錯覚を菜波は覚えた。
「あの、もしかして、ふたりは知り合いなんですか。苗字も同じ逢坂みたいですし」
「私のパパと、先生のお母さんが兄妹なの」
「そうそう、従姉妹だよ」
「へーそうなんですか。世間は狭いって奴ですね」
自分から問いかけておきながらも、そう応えるゆずゆの声は随分と抑揚の無い棒読み加減だった。
そうこうしていると店員が料理を運んでくる。立っていたゆずゆは慌てて席に着いた。料理を配膳してもらい、歓談と共に食事は進んだ。喋ることに意識を向けていた為か味の方は余り気にしておらず、美味しかった程度の認識だった。
食後のデザートも食べ終わり、会計を済ませるため菜波は席を立とうとしていた。
その様子を見たゆずゆは、はっと何かに気づき、隣の銀へ小声で問いかける。
「ねえこれまずいよ……」
「え、なんで?」
「どう見ても一回り小さい先生に払わせてるの、想像してみてよ」
「あぁー……」
会計で三人並び、一番小さい子が全額払わされている図が銀の脳裏をよぎる。これは明らかにマズイ。私達ふたりの立ち位置が。
「あの、先生」
「ゆずゆさん。どうかした?」
「えっとですね、会計やっぱり別々にしませんか」
「どうして……あー大丈夫だよ。ここのバイトってほとんどウチの学校の生徒なんだよね。だから私が先生ってコトも知ってるんだよ」
意図を汲んでもらえたようだが、その心配は必要無いことを告げられてしまった。だからこそ菜波はこの店を選んでいた。最初から織り込み済みだったのだ。
「バイトするならここの条件結構いいし、融通してくれる子もいるから口利き位はできるよ。それに利用する生徒も結構多いからねー、ちょくちょく噂話とかも聞けたりして楽しいんだよね、ここ来るの」
噂話の部分に、ゆずゆの目が輝いていた事にふたりは気付かなかった。以降卒業するまでこの店の常連客として足繁く通ったらしい。
会計を済ませた後、菜波は、この後特に予定のある者はいない事を確認すると、ふたりを連れて駅構内のお店を練り歩いた。正確には連れ回したといった方が正しい。
一頻り巡った後は1階のベーカリーに立ち寄り、菓子パンと惣菜パンを購入。お土産だと言ってふたりに押し付けていた。
何も疑うこと無く受け取ったふたりは戸惑いつつも嬉しそうにしていた。それが今日付き合わせた分の賄賂だということにも気づかずに。
駅構内から外に出ると、もうすぐ夕方に差し掛かる頃だと3人は気づく。昼食だけのつもりが随分と時間が経ってしまった為、銀は次に誘われた時は断ることも視野に入れようと考える程になってしまっていた。
三人はそこで別れを告げ、それぞれの帰路へとついた。
モロに洋麺屋五右衛門ですね。
店名書いていいのか迷った結果がこれでした。