フランケンシュタイン
目の前でフラケンシュタインが、クラッカーを持って立っている。そう認識するかいなかのうちに、パンと軽快な音がして、カラフルな紙の線が頭上から振ってきた。
「おっめでとーう!」
フランケンは張りのある声を上げて、右手をぐうにして上下させている。呼吸用に口元に空けられたマスクの穴からは、白い歯がのぞいていた。
反応に困って、ほんの数十秒前を思い返すと、ぼやけた映像が頭の中に浮ぶ。インターホンを鳴らしてからすぐに、入れよ、という声がドア越しに聞こえて、迷わずに扉を開けた。途端、緑色のいかついマスクを被った長身の男がたたずんでいて、無反応のまま、正人と二人で立ちつくす。
「もういいよー。啓介、ありがとう」
正人がフランケンの肩に手をあてて、そのまま奥へ入っていた。キッチンがある玄関から部屋までのスペースは、カップラーメンの匂いで充満している。
「はいはい、いらっしゃいませ」
啓介は緑色のマスクを脱いで、両耳にすっぽりと被さるくらいに伸ばした髪を手で整えた。
部屋は、自分と同じ六畳ほどの広さで、それが余計に閑散としている自宅との差を感じさせた。壁一面に貼られたインディーズバンドのポスター。メンバーが自費で作っているせいなのか、デザインがやけにシンプルで、青い背景に楽器をもって棒立ちしているだけだった。部屋の角に合わせて置かれている白い棚の上には、バンド名やロゴの入ったリストバンドがプラスチックの部品を使って、店にあるように飾られている。雑然とした部屋の中で整っている場所だけを目で追えば、啓介の興味関心が手に取るように分かる気がした。
「なんでフランケンシュタインなわけ?」
「ああ、これね、ハロウィンパーティーで使ったやつ。捨てずにとっておいて良かった」
机の上に畳まれて、そっと置かれたマスクを見つめる。いつだか、ツイッターでこれを着けていたときの画像が流れていたような気がした。
「に、してもさ、ほんとおめでとう。結局どこに決まったの?」
あどけない笑顔をこちらに向けたまま、啓介は椅子に腰かけた。自分たち三人の中で、明らかに正人だけは一歩先を行っていた。啓介にとっても、この展開は想定の範囲内だったのだろう。無理をして笑ったときの、ぎこちなさが出ていない。
机の横に置かれた黄色いソファに正人と二人、並んで座って顔を見合わせた。はにかんだ表情に、自分の口では言えない、という謙遜を感じて代わりに口を開いた。
「なんと、梶田通商だって」
正人の肩を掴んで体をゆすると、照れ笑いを浮かべた。
「まじか、やったじゃん。ずっと行きたいって言ってたとこだろ?」
「まあな。まさか内定もらえるとは思ってなかった」
「おめでとう。正人が社会人第一号になるんだな。俺らの中で」
啓介と目が合って、テレビの方へあわてて視線をそらした。床に置かれた薄型の液晶で、デビュー前のお笑い芸人が真矢みきのモノマネを披露している。
「ありがとう。まっ、というわけで、今夜は一緒に飲んでくれよな」
おめでとう――
ありがとう――
こういうやりとりを耳にするたびに悪寒が走るようになったのは、いったいいつからなのだろう。歳を取るにつれて、素直に受け取れる言葉が減っていく。嘘だとか建前だとか、そういう社会的な話とは違い、もっと個人的なこととして、人の気持ちが、作り替えられているような気がするからだ。率直に思ったことが、次の瞬間には消えていて、別の言葉にすり替わっていく。もとからあった気持ちはなくなって、取ってつけられたはずの気持ちが、本当のものになっていく。




