宅飲み決行
それ以降の数杯は、半ば建前的に生中を頼み、あとはハイボールを経由して、ようやく飲みたいと思っていたカルーアミルクに到達した。正人の方はサワー系をいくつか注文したあと、コーラハイボールを飲んでいる。ある程度親密になってからでも、お酒の選び方にはついつい敏感になってしまう。昔流行ったカードゲームをしているみたいに、なんとなく相手の気分とか考えとかを探っているような気分だ。
「なあ、そもそもなんで俺が、商社マンになりたかったか知ってる?俺さ、お前とか啓介には時々話したけど、あんま裕福な家庭じゃなかったんだよな。両親二人とも、帰りが遅い割には、稼ぎが悪くて、いつも疲れた顔してた」
サザンを熱唱していたサラリーマンの集団がついさっき店を出て以来、店の中は静まっていて、酔いつぶれたオジサンが数組だけ、うなだれながら酒を啜っていた。目の前で自分を語る正人の姿は、ピーク時を過ぎた居酒屋のまったりとした感じにはふぞろいで、周りの視線が少しだけ気になる。
「でさ、俺はそんとき思ったわけよ。いつか大人になって金持ちになったら、家族全員、贅沢させてやるんだってさ」
幼少時の貧乏生活と、今の自分。正人が極限まで酔ったときに出てくるこのエピソードは、今どき珍しいくらいに純心さを帯びていた。
「じゃあ、親も今頃喜んでんじゃね。商社って言ったら、年収が一番良い業界じゃん」
「それな。今日、内定の連絡来た後すぐに、おふくろに電話したんだよ。なんだかんだで、やっぱ親に一番報告したくなってさ」
「それで、よくやったぞーみたいな感じ?」
カルーアミルクをごくりと口に含んだ。ねっとりとした甘さが口全体を覆って、それを舐めとるように舌を口内で動かしていると、もったいつけて続きを話さない相手にも寛容になれる。
「それがさ。あんた、ちょっとばっかり物事が上手く行ったからって、自分のことを勝者だなんて言うんじゃないわよ。自惚れが。だってさ」
ガハハハハ、というバラエティ番組特有の効果音がどこかで鳴った気がした。実話なのか作り話なのかを計り兼ねて、しばらくの間、体が棒のように硬直状態に陥った。正人は真剣な表情をしながら、海辺で遠くを見つめるような黄昏具合で、壁に張ってあるポスターを眺めている。今日の所はお手上げだ。
居た堪まれず、席を立ってトイレに行こうとした矢先、テーブルの端に置いておいた二人の携帯が同時に振動した。半立になった状態でそっと画面に目をやると、KEISUKEの文字が表示されていて、ついに来たかと、胸がざわつく。
【まだ飲んでる?これから行きたい】
真っ黒な待機画面を背景に浮かび上がったメッセ―ジを読んで、正人と目配せをする。時間はあるものの、居酒屋に入ってからすでに3時間近くが経過していた。そろそろ、腰の辺りが辛くなる時間帯だ。
「どうする、よ」
「今からでもいいんじゃないの。正人だって、今日は自分のこと話したい気分だろ?まあ、疲れてるならこのままお開きでもいいし」
帰宅してしまいたい衝動と、飲み相手が増えたときの高揚感が天秤の上で揺れている。
「どう、するか。明日は別に大した用事もないし、浩太さえ良ければ啓介も呼ぼうよ。ってか、このさい俺らがあいつの家に移動すればいいんじゃね?ここからわりと近いだろ」
揺れていた気持ちが一つに決まった。こんな感じで、進路とか将来みたいなもっと大切なことも、なんなら決めてしまえばいいのに、そう簡単には割り切れない。せめてささやかなこのひとときを、ずっと残していけるように噛みしめた。
「それもそうだな。じゃああいつん家で宅飲みしよ」
啓介の家には、この前も足を運んだばかりだ。確かあのときは、新学年が始まったのにかこつけて夜通し飲み明かした。
【お前ん家行っちゃダメ?そろそろ居酒屋から移動したくてさ。俺の重大発表聞かせてやるよ(笑)】
一瞬で既読がついて、返信はその後すぐに来た。
【内定出たって話だろ?今日ぐらいはもてなしてやってもいいぜ】
ビールをすすりながら、画面に表示される二人の会話を見ていたら、これから啓介の家に行くのか、と高揚感で満たされた。同じ友達同士でも、正人とは受ける感じが全く違う。一緒にいてただ楽しい人間と、ふとしたとき、何故か意識にのぼる人間。
やり取りが落ち着くと、会計を済ませて店を出た。春先の丁度良く冷えた外気が頬に当たって心地が良い。このまま、ずっとこんな日々が続けばいい。友達と、居酒屋で飲んだり宅飲みしたり。取引とか利益のためではない、純真な杯を交わす毎日。