内定通知
「実はさ、今日の昼間、内定出たんだよね」
案の定、という言葉がここまでピッタリとはまるシチュエーションは初めてだった。満面の笑みを浮かべた正人は、半分ほどになっていたジョッキを掴んで、一気にビールを飲みほした。嫉妬しないつもりでいたのに、いざ本番になってみると、苦々しい感情が込み上げてきて、それを悟られないように急いで口を開いた。
「まじか。この前面接受けてた所?」
「そうそう、梶田通商。まさか商社から内定もらえるなんて思って無かったからさ。本当うれしくなっちゃって」
空になったジョッキを掴んだまま、正人は前のめりになっている。就活開始から三カ月越しに春が訪れた人間の高揚感で、周囲は満たされていった。居酒屋独特のオレンジ色の照明が、それを祝福するかのように、ニスの濃いテーブルの表面を照らしていた。
「正人、商社行きたいって言ってたもんね。仕事内容とかは聞かされてるの」
「新人は大体営業に回されて、そこでノウハウを学んでいくんだって。まあ商社にしてはあまりガツガツしてない方らしいからさ。あんま心配とかはしてないんだけどね」
「それでも商社は商社じゃない?」
正人の顔が一瞬引きつったのを見て、頭のどこかに絡みついていた糸がほぐれた。同時に、長い大学時代を共にしてきた仲間の成功に水を差してしまったことを後悔し、罪悪感に苛まれる。
「来年の今頃は、もう社会人やってんだもんな。なんか信じらんねえよ」
「まあね。去年今頃は、もうすぐ就活だ~とか言ってたわけだし。そう考えると、あっという間だよなあ」
「それだよなあ」
来年の話になって、優里と交わした会話を思い出す。ドロップアウト。このタイミングで吐き出すべきか、それともステイするべきか。
「会社入ったらさ、俺も今とは全然違う感じになるのかなあ。この前ゼミの先輩に会ったら、着るものとかめっちゃ変わってた。話もなんか、急に大人っぽい内容っていうか。この人、世の中に出てるんだなって感じが伝わって来て、かっこ良かったよ」
会話の流れが自分の本心とは真逆の方へ向かっていった。途端、嫌味の一つでも吐き捨てて、二人の間の澄んだ液体を濁してしまいたくなった。
「何となく、変わる気がするってだけで、具体的には何も変わらないんじゃない?」
だってほら、という調子で奥の座敷でどんちゃん騒ぎをやっているスーツの集団を指さした。その一番真ん中で、金のブローチを着けた中年女性が、ビール瓶をらっぱ飲みしている。
「あれはさ、なんていうか、例外。普段重い責任や、ストレスを抱えながら仕事してる分、ハメをはずしたくなるんじゃない? 案外、というかほぼ確実に、ああいう人が職場のエースだったりするんだよ、きっと」
目じりを下げて微笑む正人からは、少し大人になったような雰囲気が感じられた。こんな表情を、面接のときもしていたのだろうか。
「正人は心が広いよね。そういう風に思ってくれる新人なら、きっとどこの会社の人も大歓迎なんだよ。今、すっごい良い顔してるもん」
「そうかな。なんか、ありがと。俺ももうすぐ、社会の一員になれるんだっていう感覚が、この上なく自分を満たしてくれてる。これからは、何かを一方的に与えられているだけの人間じゃなくて、何かを生み出せるんだなって。自分っていう人間が今、ここに存在しているっていう証拠、っていうと大げさだけど、なんていうか、人と会う度に、そんで何かを成し遂げていく度に、勇気とか希望とか、そういう言葉が溢れてくるんだ」
話が終わるのと同時に、奥にある座敷のスーツ集団が、何故か肩を組んでサザンを熱唱し始めた。正人は照れくさそうに微笑して、ちょうど近くを通った店員にビールを二人分注文した。
「ま、今夜は付き合えよ」
「分かってるよ。ほんと、おめでとう」
店内の喧騒に包まれて、二重にも三重にもなったサザンの夏曲。音楽番組の特集でかかる度に両親が懐かしんでいたけれど、曲名がどうしても思い出せない。しゃがれ声の集合に、音の外れたシャウトが被さったその大合唱にノリながら、正人と二人、待望の内定に祝杯を挙げた。